長松城(ながまつじょう)

長松城の基本情報

通称・別名

所在地

岐阜県大垣市長松町789

旧国名

美濃国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

竹中重利

築城年

天正年間(1573〜1592)

主な改修者

主な城主

竹中重利、武光忠棟

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

御茶屋屋敷(岐阜県大垣市)[2.9km]
垂井城(岐阜県不破郡)[4.1km]
大垣城(岐阜県大垣市)[4.3km]
曽根城(岐阜県大垣市)[6.4km]
菩提山城(岐阜県不破郡)[8.4km]
福束城(岐阜県安八郡)[8.6km]
不破の関(岐阜県不破郡)[10.1km]
松尾山城(岐阜県不破郡)[10.6km]
軽海西城(岐阜県本巣市)[10.7km]
墨俣城(岐阜県大垣市)[10.8km]

長松城の解説文

長松城は岐阜県大垣市に存在した中世の平城である。

豊臣秀吉の参謀・竹中重治の従弟(甥とも)であった竹中重利が、重治から長松城周辺を分知され、築城した。

文禄3年(1594)重利が加増を受けて豊後高田へ移ると、代わって豊臣秀吉に仕えた武光忠棟が入るも、忠棟は慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで西軍に属し敗北、長松城は廃城となった。

現在の大垣市立荒崎小学校付近が城域であったが、遺構は残っておらず、小学校の校門付近に石碑が立てられているのみとなっている。

長松城の口コミ情報

2021年06月20日 北湖織部正
長松城

長松小学校の校門横に石碑があります。それ以外のポイントは無い模様。

2021年06月06日 北風
長松城

大垣市立荒崎小学校には、大谷川の氾濫で床上浸水した時に避難所としてお世話になりました。二度の冠水跡の標識がそこここにあります。江戸時代以降、川道の固定と新田開発がされたとしても、当時の不破郡長松村付近の地勢に大きな違いはないかと思われます。相川と大谷川に東西を挟まれ、北には東山道が、村中央を美濃路が貫いていました。徳川の世になって竹中氏旗本領や尾張藩領に接して、正に輪中根性の縮図的な歴史地理条件でした。東隣の荒川村の東辺は杭瀬川右岸堤で西国三十三霊場結願の谷汲山参拝道でもありました。また、城の辺りで美濃路から分かれて美濃一宮の南宮山参拝道が真西に(今は亡き一の鳥居)伸びていました。こうした立地に、小輪中としての城の縄張りがあったようです。有名な騒動は荒川村の中心部静里小学校の美濃路で起こったようです。

2021年03月13日 煕子
長松城

長松城は無くて、小学校の横に石碑が立てられています。西濃地域の長閑な景色の中にあります。近くには、大垣城や関ヶ原古戦場もあります。

2018年12月20日 近江守佐吉。
長松城

長松城は、現在荒崎小学校に「長松城跡」の標石が建てられている。

古城図が残っており、「大垣の古城」著者清水春一氏によると、旧長松村の集落地全体が城郭の形をなしており、西濃地域で見る限り大垣城のように近世に整備して存在した城郭以外の、いわゆる中世の城として、これだけの規模を持った城の様子がわかる古図が残されているのは少ないであろうとのこと。

長松城は竹中半兵衛の従兄の竹中重利が城を構え、豊臣秀吉も度々ここを訪れたそうである。

竹中重利→武光忠棟→一柳監物が入城し、戦後は廃城となった。

2013年08月14日 青コアラ美濃守
長松城

荒崎小学校周辺が跡地とされ、正門横に城址碑がありますが、遺構はありません。

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