竹中氏陣屋
竹中氏陣屋([菩提山城 周辺城郭])
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竹中氏陣屋の口コミ情報
2024年08月18日 羽柴筑前煮守。必勝
【歴史】
竹中半兵衛重治の嫡子である竹中重門が菩提山城の麓に築いた居館的な城。以後は『陣屋』として存続し、江戸時代に至った。
【見所】
★数少ない現存櫓門
★地元の方々のお話
★竹中半兵衛重治の像 など
【感想】
関ヶ原の散策予定の1つとして立ち寄りましたが、とても素晴らしい場所でした。石垣や水堀などの一般的な遺構に加え、なんとなんと…『現存櫓門』もあります!通りかかった地元の方にお話を頂きました。静かな感じで、隠れた名城でした♪
【周辺施設】
*不破矢足の墓
黒田松寿丸を匿った本人の墓所
*黒田長政手植えの銀杏
匿われたときに植えたもの
【写真】
①門横の石垣
②現存櫓門
③竹中半兵衛重治公像
④水堀
⑤二段石垣
⑥食い違い虎口
⑦櫓門横からの景色
(↑門番の気分に😋)
⑧城内にある竹中稲荷神社
2022年06月30日 RED副将軍
竹中半兵衛の嫡男が築城した竹中氏代々の陣屋跡です✨
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1588年、竹中半兵衛の嫡男である竹中重門が菩提山城の山麓に築城。当初は地名から岩手城と呼ばれていました。
1600年の関ヶ原の戦いにおいて、竹中重門は当初西軍につき、犬山城に籠城します。しかし、井伊直政の仲立ちにより東軍に加わり、黒田長政軍として参戦しました。
以上の経緯より、徳川家康より所領を安堵され、旗本として徳川将軍家に仕えました。
竹中氏は、旗本交代寄合として幕末まで存続。幕末期の当主であった竹中重固は江戸幕府陸軍奉行に任じられ、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍の指揮官として新政府軍と交戦。その結果、徳川慶喜と共に朝敵となり、官位は剥奪、陣屋も没収されました。
竹中重固はその後も戊辰戦争で旧幕府軍として箱館戦争まで戦い抜いたため、竹中氏は改易となり所領まで没収となりました。
見所
現在、跡地は岩手小学校となっていますが、櫓門、水堀と石垣の一部が現存しています。
また、すぐ南には天保年間に建てられた道場が残っており、菁莪記念館として史料館となっています。