田上山城(たがみやまじょう)
田上山城の基本情報
通称・別名
- 田上山砦、田神山城、木之本城
所在地
- 滋賀県長浜市木之本町木之本
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 羽柴秀長
築城年
- 天正11年(1583)
主な改修者
- -
主な城主
- 羽柴氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、虎口、馬出、横堀(空堀)、土橋
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
賤ヶ岳砦(滋賀県長浜市)[3.0km]
東野山城(滋賀県長浜市)[4.7km]
山本山城(滋賀県長浜市)[7.5km]
小谷城(滋賀県長浜市)[7.9km]
西岡城(滋賀県長浜市)[8.0km]
虎御前山城(滋賀県長浜市)[8.6km]
小室城(滋賀県長浜市)[9.8km]
玄蕃尾城(福井県敦賀市)[10.2km]
三田村城(滋賀県長浜市)[13.3km]
疋壇城(福井県敦賀市)[14.7km]
田上山城の解説文
田上山城の口コミ情報
2023年05月16日 mootze
田上山城
田上山城には、不思議な曲輪があります。小さく、低い土塁や虎口、柴田軍と同じ突貫工事には、余りにもラフに作ってある感じがします、戦闘状態で、どのような意味合いが、あるのか考えさせられる楽しいお城です
2022年10月19日 ひろ図書頭
田上山城
陣城にしては土の遺構がしっかり残っていて小さいのに見どころの多い城跡でした。
2022年05月25日 沼尻の釆女正エリカ様
小山館[田上山城 周辺城郭]
5月に私はある本に出会ってしまったの。その名もズバリ「近江の平城」。近江の、平城。なにこれ近江とか平城とか私にピッタリ。それにオープニングを飾るのは大好きな木之本よ!先日行った上坂氏館跡も載ってる。もうこれはバイブルだわ聖書だわ!滋賀県人めぐらーのみならず近隣県めぐらーは須く持つべき一冊よ!え、去年の発売時から持ってる?…ゴメンなさい。とにかく私は今夏、聖書を持って平城めぐらーと化すわ!
早速トップの木之本へ行くわ。車は小山集会所に停めさせていただいたわよ。じゃ、お城を紹介するわね。小山館は小山氏のお城よ。伊吹村から養子が来た事もあって伊吹氏とも名乗ったそうよ。「伊吹半右衛門屋敷」という、土豪層と被官層の屋敷が描かれた江戸時代の絵図が有名なんだって。京極→浅井→秀吉に仕えた北近江によくあるパターンね。おっと!郭の中は現在もお家が建ってるから入っちゃダメよ。外からぐるっと見るのよ。
表門は以前、冠木門があったの。門の土塁は石積みよ。西側は高時川左岸の丘端に面してて、あとの三方を土塁で囲んであるわ。北側の土塁が雑草も少ないし高さもあるから1番見応えあるわね。詳細は聖書を読んで頂戴。
パチパチ写真撮ってたら、後ろから車が1台徐行してきて、窓全開腕をガッと出したイケメン仕草ナイスガイが「なんか珍しいもんある〜?」って話しかけて来たわ!(キタキタもうこれ完全にナンパじゃない困っちゃう‼︎)私は「ど、土塁を…」とドキドキしながら聖書を見せつけたわ。(怪しい者じゃないのお城を見てるの。控え控え〜この聖書が目に入らぬか!)ナイスガイは「あ〜堀とかね〜。そう〜本に出たの〜」とにこやかに去ってったわ去ってったわ去ってったわ…お茶でもどう?って誘われなかった…紳士ね。そこに一瞬爽やかな風が吹き抜けたのは、ううん5月の気候のせいだけじゃない。
それは小粋に帽子を被ったAges 75 and over…
あなたも英語わかんない人?
簡潔に言うと、軽トラ乗った麦わら帽子のおじいちゃんよ。
おじいちゃん、さよなら…
いつまでもお元気で。アディオス!
①かつては冠木門があった表門
②表門の石積みされた土塁
③南側土塁と堀
④裏門
⑤東側土塁と堀
⑥北側土塁と堀
⑦西側丘端から見下ろす(水田までの比高9m)
2022年02月25日 RED副将軍
田上山城
賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉が築いた陣城のひとつで本陣として機能しました
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1583年の羽柴秀吉と柴田勝家の賤ヶ岳の戦いでは、秀吉の弟である羽柴秀長が15,000の軍勢を率いて布陣し、秀吉方の本陣として使われました。
見所
堀切、土橋、空堀、角馬出し、横矢桝形が確認でき、急造の砦とは言えない縄張りです。
しかし、遺構は風化が進み全体的に甘めです。
行き方は、麓の意冨布良神社の右手に田上山登り口の石碑があります。
林道を登ると城域南の堀切が見えます。
比高は約190mで城域まで約30分くらいです。
2021年06月02日 沼尻の釆女正エリカ様
オトチの岩窟[田上山城 その他]
2019年11月4日登山時の口コミです。
三成が潜伏していたと伝わる大蛇(オトチ)の岩窟。
標高約560m。
〜〜慶長5年9月15日、関ケ原合戦で敗れた石田三成は、伊吹山麓をたどり、18日夜、母の故郷古橋の、三珠院に辿り着きます。
しかし三珠院もすぐに村民の知るところとなり、与次郎太夫(村の名主とも、三成に旧恩のあった農民ともいわれる)が家に匿うが、ここにも追手が迫ってきます。
敗走中に木の実を拾い食いし胃腸を壊し、歩行もままならない三成を、与次郎が岩窟まで背負って匿った地が、「オトチの岩窟」。
三成は19日と20日の2日間をこの岩窟で過ごしますが、21日に田中吉政家臣に捕らえられます。
※日付や三成の行動には、諸説あり。〜〜
奥びわ湖ボランティアガイド協会主催のツアーで登山しました。
JR木之本駅→古橋バス停→己高庵横の登山口から尾根道沿いに岩窟まで。
送電線の鉄塔を2本過ぎると目的地の岩窟が近いです。
岩窟の入り口はとても狭く、梯子をほぼ垂直に降ります。ガイドさんが先に洞窟に入ってくださり、「あと何段」と言葉で足元をガイドしてくださいました。
閉所恐怖症さんや巨漢さんには厳しい場所かもしれません。
以前は25㎡程の広さがあったそうですが、阪神淡路大震災で崩壊し、土砂が流入し狭くなったとの事。
内部にはコウモリが生息しています。
当然暗く、懐中電灯必須。両手の空くヘッドライトが便利です。
帰りは林道登山口に出るコースで下山しました。
林道コースは急勾配です。
1人で訪れるのは危険な場所です。
年に数回、ツアー企画がありますので(大体秋。企画によるが、参加費数百円〜数千円程度)まずはガイドさん案内の元での登山が良いかと思います。
標高高く倒木も多いので、楽な登山ではありませんが、人気のあるツアーです。
ガイドさんも参加者さんも70代とお見受けする方もいらっしゃいます。
三成ファンであるならば、一度は訪れたい場所です。
Let's try!
2021年02月17日 【城郭道】たっきー
小山館[田上山城 周辺城郭]
高時川と小山川交流点東にある。戦国時代在地領主小山氏が築き、居館とした。高時川氾濫で削られているがかつては土塁で四方を囲んでいたと考えられる。南と東側には開口部が認められる。
2020年10月12日 vino-s
田上山城
伊香高校の脇から登る林道で中腹の休憩スペースに車で行くのが歩く距離は最短かも しかし道幅が狭くてすりかわりはできない 降雨降雪じはわだちができかなりスリップしやすいのでかなり慎重に登らないと危険です
2020年04月22日 RED副将軍
菅山寺[田上山城 寺社・史跡]
大箕寺菅山寺。全国的には無名ですが知る人ぞ知る古刹です。
田上山城から更に北に向かい、枯ノ峰を越えて合計約3km林道を進むと菅山寺に到着します。
かの学問の神様、菅原道真公が6歳から11歳までの幼少期を本寺で過ごし、3院49坊の寺院に復興したと伝わる由緒ある寺院。
明治以降は無住の徒歩でしか行けない山頂にありますが、有名な山門や、樹齢1,000年を超えるケヤキの大木、朱雀池等みどころは随所に。
映画『蟲師』等のロケ地にもなっただけに雰囲気は抜群です。
古刹好きならもう一足(片道2時間程度)伸ばす価値はあります。
2019年01月31日 カーネル
田上山城
賤ヶ岳砦から下り、伊香具神社境内前の道をひたすら東へ向かう
YANMARの工場を超えて、遮断機がない踏切を渡る。目の前左上には目指す田上山
事前に調べた、意富良野神社から登る登山道は右手に大きく回り込む迂回ルートになるので、直登覚悟で正面の穴師金比羅神社から登ってみる
同神社から山裾をたどる道を進むと、砂防ダムにでるので、右に向かうと小さな滝があり、滝の背後を通って道をたどると、意富良野神社からの登山道の尾根に出れます
しっかりした階段もある道を上り続けると黄色いロープが・・・。ロープを超えて正規ルートに合流
山頂には縄張り図もあるので、それを頼りに散策。各所には説明板もあり、助かりますね
帰りは予定通り意冨布良神社に下り、参拝してから駅へ。賤ヶ岳砦とトータル4時間でした
2018年10月24日 木下近江守湖一郎
田上山城
伊香高校から伸びる林道を途中まで登りました。林道途中では展望が広がっているところがあり、小谷山、丁野山、山本山などの湖北のお城が見渡せます。小谷城攻めでは朝倉義景の、賤ヶ岳の合戦では豊臣方の本陣になったとこのことで、非常に良い立地です。
林道の終点からは登山道を登り、城跡に到着です。
遺構は堀、土塁もしっから残ります。
城跡を散策した後は、木之本地蔵にお参りし、湖北名物つるやのサラダパン(たくわんぱん)で腹ごしらえし、次の城跡を目指してはどうでしょうか。
2018年06月06日 あきおこ
田上山城
【アクセス】
意富布良神社からの登山口があります。登山口から20分ほどで城に到達します。
ネットを検索すると伊香高校横の林道を経て駐車場があるとの記述を多く見かけますが、狭い道の上、深い轍があるダート林道なので小型オフ車か軽トラ以外はおすすめしません。
JR駅前の駐車場か神社の空き地に駐車することをお勧めします。
健康の為に麓から歩きましょう!(私は車が大変な目にあいました…涙)
【遺構】
全体的に下草が刈られ整備されており見学しやすくなっています。
各部に縄張り図もありますので遺構の場所を確認し易いですね。
賤ケ岳の戦い時、実質上の豊臣軍本陣だったので陣城にしては規模は大きく、縄張りは技巧的で、直線的で折れを構成し横矢をかける土塁、土橋・馬出・堀を組み合わせた虎口が随所に見られ戦国時代から安土桃山時代にかけて発達した山城遺構を楽しめます。
ただし陣城の為か、経年崩壊によるものか分かりませんが全体的に土塁は低く、堀は浅いです。
2018年05月26日 沼尻の釆女正エリカ様
田上山城
ここ田上山城の案内板の縄張り図と解説を担当された、城郭研究家長谷川博美先生と木之本の地元の方1人含む、11人程で登城しました。
この、木之本から参加された方含む、地元有志の方々10数人により、ボランティアで毎月の様に草刈りをされているそうです。
そのおかげで遺構は大変分かりやすく、感動的です。
ご高齢にもかかわらず、地元の方々が手入れをして下さっていることに感謝の気持ちで、いつにも増して遺構をしっかり見せていただこうという気持ちにもなります。
もちろん、賤ヶ岳合戦時の羽柴秀長の本陣である田上山城ですから、見どころ盛り沢山です。
是非行ってみて下さい!
JR木之本駅から徒歩で登城できますし、木之本駅は東西に無料駐車場完備ですので、アクセスもとても便利です。
田上山城を満喫したら、帰りは北国街道の木之本地蔵の土塁と筋違いを見学し、木之本宿で買い物を楽しんで下さい。
猿が生息しています。
当日も数匹見ました。
2017年04月06日 近江守Silvine
田上山城
ネットで調べ、北陸道沿いの墓地の奥にある猿田彦神社から登れるとのことで、上がってみましたが、これが大失敗。
まず始めの登り口からわからず、途中で林道に出るものの、この道が広さはあるものの、分岐が多いうえにかなり荒れており、また似たような場所が多く、かなり迷いました。あげく行き止まりになっており、最終的には道なき尾根を直登することになりました。
下る際に確認したところ、木の階段の道が途中で崩れてしまっており、道がわからなかったようです。また、神社近くまで下ると確かに階段の痕跡はあったのですが、足場の土が流出し、かなり危険な状態でした。
素直に意富布良神社から登るほうが良いと思います。
2012年05月13日 三河守コーキしゃん
田上山城
意富布良神社から登れます。
神社に駐車スペースがあります。
角馬出しや横矢枡形など虎口の遺構がしっかり残っていてかなり見応えがあります。
説明板も各所に設置されていてとても見やすいです。
歴史
天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いの際、羽柴秀吉軍は賤ヶ岳砦、東野山城などいくつもの陣城を築いた。田上山城はそのひとつで、秀吉の弟である羽柴秀長が布陣した。指揮系統を考えると城塞群の中でも重要で、秀吉軍の実質的な本陣だったと思われる。賤ヶ岳の戦いでの田上山城での攻防戦は伝えられていない。
遺構
西に北国街道、南西に木之本集落を見下ろす、標高323mの田上山山頂に築かれている。西側正面には賤ヶ岳砦が見え、その尾根筋には同じく秀吉方の大岩山砦、岩崎山砦が築かれている。山頂の主郭を中心として、西側の曲輪、南東側の曲輪、北側の曲輪から構成される。
主郭は四方を土塁で囲まれ、虎口は西側と北側の2か所に開く。主郭南側は堀切で分断して南東側の曲輪を独立させているが、主郭西側は高低差があるせいか堀切はなく、主郭と西側の曲輪それぞれの北辺に土塁を設けて一体化するような構造になっている。
主郭西側の曲輪も、土塁で囲まれている。南西側の虎口付近は土橋の脇がコの字型に折れ、城外側からの侵入に対して防御を固めている。虎口の先には土橋がかかる堀切が設けられている。
主郭北側の曲輪も、ほぼ土塁で囲まれている。北側にある虎口に、馬出しのような外枡形が付属しているのが大きな特徴だ。敵対する北方への警戒が感じられ、虎口の北側に広がる平坦地との境目との強化もうかがえる。主郭との間に設けられた土橋を含め、陣城としては複雑な縄張といえる。
主郭の南東側は分厚い土塁が設けられ、その先に土塁で囲まれた曲輪がある。主郭とは土塁で隔絶され直接連絡できないため、主郭の西側虎口を一度出てから南東側の曲輪の西側虎口に迂回する複雑なルートになっている。
主郭北側の曲輪の北側に広がる平坦地はほぼ自然地形だが、北端にはL字型に土塁を張り出たせた虎口が設けられ、横矢が掛かる厳重な虎口であるのが見逃せない。また、主郭南東側の曲輪の南側にも駐屯地と考えられる平坦地が広がっている。このように城域は南北に広がっていたようで、かなりの大軍が収容できると思われる。
交通
・JR北陸本線木ノ本駅から徒歩で約15分参考文献
・『近江の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2006年。