佐和山城(さわやまじょう)

佐和山城の基本情報

通称・別名

佐保城

所在地

滋賀県彦根市古沢町

旧国名

近江国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

型式不明[5重?/1595年頃?/破却(廃城)]

築城主

佐保氏?

築城年

建久年間(1190〜1199)

主な改修者

石田三成

主な城主

佐保氏、小川氏、磯野氏、丹羽氏、石田氏、井伊氏

廃城年

慶長11年(1606)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

彦根城(滋賀県彦根市)[1.6km]
太尾山城(滋賀県米原市)[4.5km]
鎌刃城(滋賀県米原市)[4.6km]
敏満寺城(滋賀県犬上郡)[6.8km]
日夏城(滋賀県彦根市)[7.7km]
下坂氏館(滋賀県長浜市)[9.7km]
勝楽寺城(滋賀県犬上郡)[10.1km]
高室山城(滋賀県犬上郡)[10.5km]
目加田城(滋賀県愛知郡)[10.8km]
長浜城(滋賀県長浜市)[10.9km]

佐和山城の解説文



佐和山城(さわやまじょう)は、中世中期から近世初期にかけて、近江国坂田郡(現・滋賀県彦根市)の佐和山に存在した日本の城(山城)である。現・佐和山城址。

坂田郡および直近の犬上郡のみならず、織豊政権下において畿内と東国を結ぶ要衝として、軍事的にも政治的にも重要な拠点であり[1]、16世紀の末には織田信長の配下の丹羽長秀、豊臣秀吉の奉行石田三成が居城とし、関ヶ原の合戦後は井伊家が一時的に入城したことでも知られる[2]

歴史 

佐々木・六角・浅井・織田の時代

佐和山城の歴史は、鎌倉時代、近江守護職・佐々木荘地頭であった佐々木定綱の六男・佐保時綱が築いた砦が始まりとされ、建久年間(1190- 1198年)の文書にその名が見える。

六角政頼・久頼・高頼・氏綱・定頼の代の期間、六角氏が犬上郡を支配し、応仁の乱の後、家臣の小川左近大夫・小川伯耆守を城主として置いた。

しかし戦国時代の後半に入ると、北近江における六角氏勢力は衰退し、それにともなっては新興勢力である浅井氏が伸張した。佐和山城もその支配に入って、城は磯野員吉に引き渡され、小谷城の支城の1つとなった。

元亀年間には時の城主・磯野員昌が織田信長らと8ヶ月におよぶ戦闘を繰り広げた。しかし、1571年(元亀2年)2月に員昌は降伏し、代わって織田氏家臣の丹羽長秀が入城。浅井氏旧領と朝倉氏の旧領南部、すなわち、北近江六郡と若狭国の支配拠点とした。

羽柴・豊臣の時代

天正10年(1582年)6月の本能寺の変の後に行われた清洲会議では、明智光秀討伐に功があった堀秀政に与えられ、秀政は翌年に入城した。これ以降は事実上、豊臣政権下の城となってゆく。堀秀政の留守中は弟の多賀秀種が城代を務めた。天正13年(1585年)には、転封となった堀家に替わって堀尾吉晴が入城。この頃には約10キロ南西にあたる至近の安土城が廃城となった。さらに石田三成が入城したとされる。入城時期については天正18年(1590年)7月説と、文禄4年(1595年)7月説があったが、伊藤真昭の研究により、天正19年(1591年)4月であることが確定した(ただし、伊藤は天正19年の入城は城代・蔵入地代官としての入城で、三成が正式に佐和山城主に任じられて北近江4郡を与えられたのは文禄4年7月であったことも立証している)[3]。 三成は、当時荒廃していたという佐和山城に大改修を行って山頂に五層(三層説あり)の天守が高くそびえたつほどの近世城郭を築き、当時の落首に「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と言わしめた。ただし、三成は奉行の任を全うするために伏見城に滞在することが多く、実際に城を任されていたのは父の正継であった。城内の作りは極めて質素で、城の居間なども大抵は板張りで、壁はあら壁のままであった。庭園の樹木もありきたりで、手水鉢も粗末な石で、城内の様子を見た当時の人々もすこぶる案外に感じたと記されている(『甲子夜話』)。

佐和山城の戦い

慶長5年(1600年)9月15日の関ヶ原の戦いで三成を破った徳川家康は、小早川秀秋軍を先鋒として佐和山城を攻撃した。城の兵力の大半は関ヶ原の戦いに出陣しており、守備兵力は2800人であった。城主不在にもかかわらず城兵は健闘したが、やがて城内で長谷川守知など一部の兵が裏切り、敵を手引きしたため、同月18日、奮戦空しく落城し、父・正継や正澄、皎月院(三成の妻)など一族は皆、戦死あるいは自害して果てた。江戸時代の『石田軍記』では佐和山城は炎上したとされてきたが、本丸や西の丸に散乱する瓦には焼失した痕跡が認められず、また落城の翌年には井伊直政がすぐに入城しているので、これらのことから落城というよりは開城に近いのではないかとする指摘もある。

家康に従軍した板坂卜斎は陥落した佐和山城に金銀が少しもなく、三成は殆んど蓄えを持っていなかったと記している(『慶長年中卜斎記』)[4]

徳川時代、そして、廃城

石田氏滅亡の後、徳川四天王の一人である井伊直政がこの地に封ぜられ、入城した。井伊家が、このまま佐和山城を利用すると、領民は井伊家が石田家を継承したような錯覚を抱き、領民達の前領主への思慕を断ち切ることができないことから、新たに佐和山城から直線距離で1.6キロほど西と至近の地に新たな彦根城築城を計画した。しかし、直政は築城に着手できないまま、関ヶ原合戦での戦傷がもとで慶長7年(1602年)に死去。計画は嫡子の直継が引き継ぐこととなり、大津城・佐和山城・小谷城観音寺城などの築材を利用しつつ、天下普請によって彦根城を完成させている。佐和山城は慶長11年(1606年)、完成した彦根城天守に直継が移ったことにともない、廃城となった。なお、彦根城の城下町までを含めた全体の完成は元和8年(1622年)のことである。

佐和山城の建造物は彦根城へ移築されたもののほかは徹底的に城割されたため、城址には何も残っていない。しかしそれでも、石垣の一部、土塁、堀、曲輪、千貫井戸跡[5]や西ノ丸にある焔硝櫓跡・塩櫓跡[6]などの施設が一部に現存しており、また、ときとして新たに遺構が発見される。

構造 

山城として、山上には本丸を中心として西ノ丸・二ノ丸・三ノ丸があり、また隣接する尾根に太鼓丸・法華丸の2つの曲輪がある。東山道に接する大手方面には、谷戸を塞ぐ形で内堀で区画された侍屋敷地が二箇所あり、更にその外側に城下町と外堀がある。琵琶湖に接する搦手口にも城下町があり、湖には百間橋が架かっていた[7]

佐和山城は井伊家が彦根城に移る際に徹底的な破城を受けており、特に本丸の天守台では9間(15メートル前後)を切り落としたと伝えられている。本丸自体も岩盤が露出するまで破壊され、石垣も殆ど撤去された。なお、徹底的に破壊された本丸を除き、他の山上曲輪は実際には複数の曲輪で構成された[8]

現在、本丸跡のある山頂には三等三角点「石ヶ崎」が設置されており、標高は232.57mである[9]

その他 

  • 佐和山藩 :豊臣政権が近江国に立てた一藩で、佐和山城を藩庁とし、石田三成を藩主とする。徳川政権下で井伊氏に引き継がれたのち、彦根藩の立藩に替えて廃された。
  • 佐和山遊園 :一個人によって石田三成のテーマパークが構想され、1970年代半ばより建設され続けているが、事実上、廃園状態となっている。
  • 佐和山一夜城復元プロジェクト :彦根城築城400年祭のイベントとして、2007年(平成19年)9月1日から16日までの期間限定で開催された。
  • 佐和山城跡は、西側山麓にある龍潭寺(彦根市古沢町1104)が所有しているが、好意により無料での入山が許可されており、境内に登山口がある。

参考文献 

  • 【書籍】「 戦乱と人物 」
  • 【書籍】「 石田三成 」
  • 【書籍】「 義に生きたもう一人の武将 石田三成 」
  • 【書籍】「 近江佐和山城・彦根城

佐和山城の口コミ情報

2022年10月30日 azu天下布武
物生山城[佐和山城  周辺城郭]



佐和山城から縦走しました。物生山までは登山道となっているので迷うことはありませんが、物生山山頂から城域に入るにはそのまま登山道へ行かずにコンパスなどで一度確認して北西へターンしてください。
コンパクトながら面白いお城で二重堀切、土橋、横堀などよくなっています。また段曲輪や切岸も良かったです。
佐和山城〜物生山城の間に堀切があり縦走しないと見れなかったので嬉しい産物でした。
こちらは磯野氏の頃に設けられたものかなぁと、予想します。

2022年10月30日 azu天下布武
佐和山城



山門は朝9時から開くのでそれ以前についてしまい、大洞弁財天から登城しました(←こちらは時間の制限なし)物生山城も縦走できますので、このルートで、結果的に良かったです^ ^
徹底的に破城されてしまったということで、石垣の石が、二つ残ってるあたりは切なささあ感じました、、太鼓櫓方面の竪堀が途中まで降りるとだんだんと深くなり下に行くほどよく残っていました。

2022年10月16日 ヨッシー
佐和山城



猿に注意との看板がありました。土が乾いていたので歩きやすかったですが、雨上がりは滑りやすいので、気をつけたほうがいいです。眺めは抜群でした。

2022年06月14日 黒田誠
佐和山城



龍潭寺の駐車場に停めて、登山道を登りました。かなり急でしたが、10000メートルで頂上、本丸跡です。眺めは琵琶湖、彦根城を見下ろし最高の景色が広がっています。

2022年06月02日 イオ紀伊守
本丸[佐和山城  遺構・復元物]



本丸は、彦根築城の際に徹底的に破却され部材も運び出されたため、往時の痕跡はほとんど見られませんが、訪問日(4月9日)は折しも桜が満開で多くの花見客で賑わっていました。また、本丸からはほぼ全周に眺望が開け、西方向には彦根城天守が金亀山の桜の海に浮かんで見えました。

2022年06月02日 イオ紀伊守
西の丸[佐和山城  遺構・復元物]



西の丸は南北三段の曲輪で、下段曲輪の北辺と西辺には土塁がめぐり、北西部には用途不明の大きな土坑があります。東部には説明板が建てられ、東下の水の手まで竪土塁が続いているようですが、藪化していてよくわかりませんでした。

中段から上段に続くルート沿いには西斜面に落ち込む三条の竪堀があり、そのひとつをたどれば西の丸から北西にのびる支尾根の曲輪群に至るはずですが、堀底道は2本の倒竹を渡して封鎖されていて、進入禁止のようです。

2022年04月01日 泉地大蔵大輔ばっかんまん
佐和山城



龍澤寺入口の案内所でパンフレットを頂き、説明を受けてから登りました。予想以上にがっつり山城で、道幅も狭く軽い登山と思った方が良いでしょう。彦根城からも近いですが、彦根城のついでに佐和山に行くよりは、先に佐和山に登った後に彦根城をゆっくり見た方が良いと思います。

2022年03月21日 いち近江守
石田三成マンホール[佐和山城  その他]



龍潭寺前、井伊神社前の駐車場にあり 三成出生地の石田町は色なしでしたが、こちらは彩色あり

2022年03月11日 モノノフ
佐和山城

入口が寺の山門となっており、17時で閉まってしまうそうです。

2021年12月05日 雪印 ネオソフト
佐和山城

初めて、佐和山城跡に登りましたが、軽装な靴では行かない方が良いです。自分はスニーカーで登ったんですが、前日に雨が降ってたみたいで、落ち葉が濡れていて危なかったです。

二ノ丸、本丸跡、土塁は綺麗に残っていましたが、石垣などは、彦根城を作る時に使われたみたいなので、面影は何もなかったので残念でした。

2021年08月26日 乱会
佐和山城

登城前に周辺の人々に城の難易度を聞いて回ったのですが、旅館の女将は「蛇も蜂も出るし人の行く場所じゃない」と言い、近所のおじさんは「あんな所余裕よ!」と言い、龍潭寺のお坊さんからは「まぁ、虫が出るといえば出るし、行ってみないとわからないんじゃないですか」と言われ、百聞は一見に如かずと登ってみたところ「まぁ危険な虫が出そうな場所ではあるしそこそこ急勾配を登ることになるけど、それなりに登山道はあるし石垣はよく見えるし、普段から城巡りをしてる人にとってはそこまでの難易度ではない、普段城巡りをしない人にとってはキツイ城なんだろうな」という感想です。

2021年08月23日 次郎坊
佐和山城



12分くらいで登ることができました。猿は出てきませんでした。とてもいい眺めでした。

2021年08月23日 野良犬しろチロ丸
佐和山城



駐車場から本丸までは、短い方のハイキングコースで約13分程の登山でした。

2021年05月30日 ken右近衛少将
佐和山城

登山道は幅が狭いですが、所々平坦な所もあり、比較的攻め易い城趾でした。


2020年12月27日 【城郭道】たっきー
佐和山城

【佐和山城本丸石垣】
佐和山城本丸にはいくつか石垣が確認できます。これらの石垣は築石の石材種が統一されていないこと、石垣面の築石のあり方、自然地形に合わせた石垣の構築関係などから天正期(1573〜1592)に築かれたとみられています。しかし、1585年11月29日の天正大地震で佐和山城は被害を受けたと文献にあるのでそれ以降の石垣と見られているそうです。

2020年12月06日 釆女正佐吉。
物生山城[佐和山城  周辺城郭]



佐和山城下町井戸跡横の道から佐和山城の北を東西に走る、「かもう坂通り往還」に入り、物生山城に登城しました。

丸太で遊歩道が造ってあったり、手作り感満載の看板が建っていたりするので、道に迷う事は無いかと思います。

佐和山城と物生山城の間の尾根鞍部に堀切があります。
城内に入ると、全てに土橋が設けられた堀切が3本、それぞれの土橋は微妙にずらされて構築されており、直進で進入できない構造となっています。
馬出機能を有する曲輪、横堀、竪堀などが存在します。

2020年12月06日 日光人
物生山城[佐和山城  周辺城郭]

佐和山城から向かう途中で竪堀(進行方向に向かって左側)、堀切が確認できます。
物生山城の城郭エリアではないがはっきりと確認ができます。

2020年10月24日 近藤淡路守承山
佐和山城

他の方が言うとおり、本丸までの道はかなりキツいです。
急勾配の所も多く、道幅も狭いので行かれる方はくれぐれもご注意下さい。
野生の猿も居ましたし。
ただ、本丸からの眺めは最高です。

あと、御城印はJR彦根駅の観光案内所で販売しています。
本丸跡にあるQRコードを読み込んで、アンケートに回答すると石田三成花押入りの御城印が購入出来ますので、そちらをご希望の方はスマホを忘れずに。

2020年09月25日 W杯関白キッカーは晃司
佐和山城

龍潭寺前に駐車場とトイレがあります。

龍潭寺から登城するようになりますが結構キツい勾配を登るようになります。

本丸から眼下に彦根城が見えます。

野猿の群が出没すると注意書きがありましたがまさかホントに秀吉公(野猿)に遭遇するとは思ってもみなかった…
小六殿(スズメバチ)にも遭遇。
注意しましょう。

彦根城と目と鼻の先なのでダブルリア攻めを

2020年09月21日 百折不撓美濃守
佐和山城



登りの道中はしんどいです。でも、天守跡からの彦根一望は絶賛です。関ヶ原の戦いを追う歴史好きならば、彦根城で井伊家の歴史に浸った歴史好きならば、必ず制覇すべきです。大手門口ではなく追手口から登る方は、案内所のきさくなおばちゃんとお話もしてみてくださいね。

2019年05月25日 左京大夫さとー
宗安寺赤門[佐和山城  寺社・史跡]



佐和山城表門を移築したと伝わる

2019年02月09日 馬秀のすけ
佐和山城

本日、旧佐和山トンネルをよじ登り佐和山切通をみつけることができた。鳥居本側へ出て、大手道の奥から直登りで太鼓丸に行き、再び切通を見た。ようやく目標達成!

この後、本丸から西の丸、水の手からまたまた直登りで二の丸三の丸へ。ただし、薮がひどくて遺構イマイチわからない。残念無念…

ともかく佐和山城、ついに制覇したぞ!

2017年10月11日 まるき〜主殿助
佐和山城

龍潭寺の塀は鉄砲の弾を貫通させないように中に瓦を入れ込んでありました。遠くからでも表面がよく見える
寺から登る道は搦め手で竪堀を見ながら登る事になる
大手道は別の所にあり、今は整備されておらず立ち入りは困難との事
佐和山レイクビューは彦根城、琵琶湖が望める
現在の本丸の位置は彦根城建築の際に15〜19メートル程削られて低くなっているそうです
女郎谷、徳川の総攻め時に女子供が一斉に身を投げたと伝えられているが調査等で遺骨等は発掘されていないとか
千貫井戸の向こうの斜面にも石積みが残るが草が多くて見えない
現在の本丸に土塁に見える部分は木を植えた際の盛り土であって土塁ではない。
大手道は整備されておらず
二の丸、三の丸も整備されてないので入れない
たまに勝手に入り込んで遭難する方も年に何人かいるそうです。
正式な発掘調査等が進んでいないが時おり一般の方が勝手に発掘調査?をして新たな発見があったりしているようです…
アプリ記載の説明、最後の部分に納得!
最後に龍潭寺ですが、静岡の龍潭寺と外装から中の部屋や庭の配置に至るまで同じ形に作られているという事でした。

2017年09月05日 安田越後守秀俊
佐和山城

龍潭寺からの登城は本丸まで1000メートル。
(野猿とスズメ蜂に注意)
龍潭寺→分岐路(あと600㍍)→塩硝櫓跡→西の丸→本丸 の経路。

2017年02月05日 石畳治部少輔三成
佐和山城

看板にも注意書きがありましたが、千貫井で猿の群れと遭遇しました。危害を受ける危険な猿ではなさそうですが、食料を持って登らない方が安全かもしれません。

2016年10月27日 カーネル
佐和山城

東海道本線彦根駅から

今は通行止らしいのですが、駅の北東にある国道8号沿いの佐和山美術館から北へ山に入りました
尾根にでて南へ行くと法華丸に出ます。眺めがいいです。少し戻り分岐を東へ行くと太鼓丸・千畳敷へ行けます

元に戻り本丸方面に進むと、千貫の井戸、女郎谷、本丸の三叉路。井戸へ往復し、女郎谷行って本丸がいいかと思います
本丸は広く、彦根城が遠くに見えます。反対側へ下ると西の丸を経由して龍潭寺を下って1時間半でした

ここから彦根城まで20分くらいです。彦根城では佐和山城を臨める小窓で「以外と近いなぁ」と話す熟年夫婦がいたので「60分で歩けますよ」と念を送っておきました(人見知りだから)

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

2016年01月02日 シバヤン大和守忠肝義胆
佐和山城

先人が書き込みしていた山麓の龍譚寺境内のハイキングコース?を利用しました。簡単な手書きのマップが入り口に貼ってありました。昨日からの雨か山道はぬかるんでいました。途中滑りやすい箇所あります。登城される方はトレッキングシューズをお薦めします。焔硝櫓、西の丸を通過して本丸到着。学校のプール位の広さに城址と休憩ベンチがある程度でしたがここから見る景色はなかなかの絶景です。眼下に彦根城、琵琶湖。反対側は積雪の山々キツい(;^_^A登城でしたが、一度は行って見て下さい!

2015年10月12日 【鶴丸】兵部大輔葉侍
佐和山城

彦根城近くの宗安寺では伝佐和山城の朱塗りの赤門を見ることが出来ます。本堂は江戸中期に長浜城に付属していた御殿を移築したものです。300円の拝観料を納めると石田三成の千体仏、石田三成地蔵、淀殿念持仏、徳川家康の位牌堂も見ることが出来ます。石田地蔵のみ交渉すると撮影可でした。御朱印代は300円。朝鮮通信使の彦根での宿泊所だったため朝鮮王像、木村重成所縁の血染めのすすき、首塚もございます。
佐和山城、彦根城観光の方、石田三成ファンの方はオススメのスポットです。

2015年09月07日 右衛門佐ひるね
佐和山城

佐和山城本丸までハイキングコース一本道です(途中で分かれ道が1箇所ありますが立て札有)。
龍潭寺から行きましたが、初めはお墓の中を通りかなり不気味です。そうこうしていると猿注意の看板、そこからは結構急傾斜の細い道をひたすら歩きました。本丸まで20~30分らしいです(測り忘れました)。途中までは蝉などの音がするのでいいのですが、登るにつれてどんどん静かになっていくので、かなり不気味です。
降りる時も同じ道でしたが、急なので山登りが慣れてない方にはオススメできません。でも本丸からの景色は絶景なので、一度は試すといいかもしれません。

2014年08月18日 民部卿PINKGIN
佐和山城

それって佐和山遊園では?まったくの根拠のない模擬天守ですので・・・


2014年08月18日 ₪右衛門督坂田銀時₪
佐和山城

タクシーの運転手さんいわく、個人の方が佐和山城を復元した建物があると言って連れて行って貰いました!!


2014年08月18日 ₪右衛門督坂田銀時₪
佐和山城

彦根城から地元のタクシーで佐和山城後まで、と言ったら親切な運転手さんが石田三成の歴史やマニアックな情報を沢山教えてくださり、隠れスポットも、、、、!


2013年09月08日 中務卿一之介
佐和山城

佐和山城ハイキングコースがそのまま城跡へ通じます。
お寺の境内を抜けて行きますが、途中、荒れた墓地のすぐ横を通ります。なんとなく不気味な雰囲気です。
残念ながら、着いた時刻が遅かったので、途中の「山頂まで600m」の立て札を見て、やむ無く撤退しました。

入口でもあるお寺の門は、17時(冬期16:30)で閉められるとのこと。

2013年03月02日 慶 士郎
佐和山城

2月佐和山城城番の任を拝命つかまつり微力ながら勤めさせて戴きました‥
井伊直政は関ヶ原での功績により西軍の将が城主佐和山城に入りました。藩祖は佐和山藩だったんですね‥
佐和山城は室町時代には近江守護であった佐々木京極氏の最前線であったであろう‥
因に佐々木六角氏は荒神山から肥田城、高野瀬城を結ぶラインか‥
佐和山城から百々山、山中に入り男鬼城までが前線ラインとして睨みあっていた‥
歴史上多くの戦いに絡んでくる佐和山城です。

2012年11月25日 ŧ‹”ŧ‹”。
佐和山城

登城 無料
駐車場 無料
ボランティアガイド 無料
但しボランティアガイドは今年度は12/2まで。
彦根城の建築の際に破却され、そのまま築材として持っていかれたため、石垣などは僅かに残るのみ。
土塁や切通は当時のまま残っています。
一部、急なところがありますが比較的登りやすいかと思います。
龍潭寺の墓地には井伊直弼の生母の墓や、奥には転用石に用いられた墓石も。

2011年05月28日 徳川内大臣源朝臣康武
佐和山城

佐和山城ガイドブックは、1冊200円で彦根城などで販売中
結構マニアックな内容ですが、解りやすくまとまってますよ

2011年04月05日 うさチ左衛門尉
佐和山城

佐和山城はまだ調査の終わってないお城なので、二の丸やあちこちに瓦などの出土品が散乱しています。欲しくても心を鬼にして持って帰っちゃダメですぞ。不義です!(笑)

2010年09月12日 古楽侍従広家
佐和山城

既に埋められましたが、発掘調査で公開された城下の一部をアップ。佐和山城は燃えた形跡はないそうです。

2010年09月08日 ねねにゃん美濃守
佐和山城

佐和山主従(猫)の写真をアップしました撮影場所は長浜城ですが
石田三成公の屋敷跡の碑もアップ致しました

2010年07月25日 徳川内大臣源朝臣康武
佐和山城

[武将像]石田三成像
佐和山城入口の龍潭寺山門付近に座像が鎮座。
長浜市の石田屋敷跡にも座像が鎮座。こちらにアップします。


佐和山城の周辺スポット情報

 塩硝櫓跡(遺構・復元物)

 千貫井戸(遺構・復元物)

 隅石垣(遺構・復元物)

 太鼓丸(遺構・復元物)

 堀切(かもう坂通り往還の切通)(遺構・復元物)

 西の丸(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 西の丸跡(碑・説明板)

 大手口跡(碑・説明板)

 大久保忠隣公幽居之趾(碑・説明板)

 外堀跡(碑・説明板)

 百間橋跡(碑・説明板)

 磯山城北城(虎ヶ城)(周辺城郭)

 磯山城南城(周辺城郭)

 物生山城(周辺城郭)

 平田山城(周辺城郭)

 丸山城(丹羽砦)(周辺城郭)

 里根山城(周辺城郭)

 龍譚寺(寺社・史跡)

 宗安寺赤門(寺社・史跡)

 天寧寺(寺社・史跡)

 磯崎神社(寺社・史跡)

 清涼寺(寺社・史跡)

 井伊神社(寺社・史跡)

 長寿院(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

 石田三成公銅像(その他)

 佐和山城天守模型(その他)

 佐和山城法華丸登城路入口(その他)

 かもう坂往還登城口(その他)

 石田三成マンホール(その他)

 旧松原内湖(その他)

 旧入江内湖(その他)

 城下町の井戸跡(その他)

 2022年に発掘調査の外堀(その他)

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