佐和山城(さわやまじょう)

佐和山城の基本情報

通称・別名

所在地

滋賀県彦根市古沢町

旧国名

近江国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

型式不明[5重?/1595年頃?/破却(廃城)]

築城主

佐保氏?

築城年

鎌倉時代

主な改修者

石田三成

主な城主

佐保氏、小川氏、磯野氏、丹羽氏、石田氏、井伊氏

廃城年

慶長11年(1606)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀

指定文化財

再建造物

周辺の城

彦根城(滋賀県彦根市)[1.6km]
太尾山城(滋賀県米原市)[4.6km]
鎌刃城(滋賀県米原市)[4.6km]
敏満寺城(滋賀県犬上郡)[6.8km]
荒神山城(滋賀県彦根市)[8.3km]
下坂氏館(滋賀県長浜市)[9.7km]
勝楽寺城(滋賀県犬上郡)[10.1km]
高室山城(滋賀県犬上郡)[10.2km]
目加田城(滋賀県愛知郡)[10.8km]
長浜城(滋賀県長浜市)[10.9km]

佐和山城の解説文

佐和山城(さわやま じょう)は、日本の城。中世中期から近世初期にかけて、近江国坂田郡佐和山(現・滋賀県彦根市の佐和山)に存在した山城である。現・佐和山城址。

坂田郡および直近の犬上郡のみならず、近江支配の重要拠点であり、16世紀の末には石田三成が居城としたことでも知られる。

歴史
佐々木・六角・浅井・織田の時代
佐和山城の歴史は、鎌倉時代、近江守護職・佐々木荘地頭であった佐々木定綱の六男・佐保時綱が築いた砦が始まりとされ、建久年間(1190- 1198年)の文書にその名が見える。

室町時代の応仁年間(1467- 1468年)は、六角氏家臣の小川祐忠が在城した。

戦国時代が後期に入ると、北近江における六角氏勢力は衰退し、それにともなって佐和山城は新興勢力である浅井氏の支城となった。
元亀年間には時の城主・磯野員昌が織田信長らと8ヶ月におよぶ激戦を繰り広げた。しかし、1571年(元亀2年)2月に員昌は降伏し、代わって織田氏家臣の丹羽長秀が入城。浅井氏旧領と朝倉氏の旧領南部、すなわち、北近江六郡と若狭国の支配拠点とした。

羽柴・豊臣の時代
天正10年(1582年)6月の本能寺の変の後に行われた清洲会議では、明智光秀討伐に功があった堀秀政に与えられ、秀政は翌年に入城した。これ以降は事実上、豊臣政権下の城となってゆく。天正13年(1585年)には、転封となった堀家に替わって堀尾吉晴が入城。さらに、天正18年(1590年。時期については異説あり)には五奉行の一人である石田三成が入城した。三成は、当時荒廃していたという佐和山城に大改修を行って山頂に五層(三層説あり)の天守が高くそびえたつほどの近世城郭を築き、人をして「治部少(じぶのしょう。三成のこと)に過ぎたるもの二つあり 島の左近と佐和山の城」と言わしめた。ただし、三成は奉行の任を全うするために伏見城に滞在することが多く、実際に城を任されていたのは父の正継であった。

三成は関ヶ原の戦いに万が一敗北した場合を考え、佐和山城での再戦を意図していたとされる。

佐和山城の戦い
慶長5年(1600年)9月15日の関ヶ原の戦いで三成を破った徳川家康は、小早川秀秋軍を先鋒として佐和山城を猛攻撃した。城の兵力の大半は関ヶ原の戦いに出陣しており、守備兵力は2800人であった。城主不在にもかかわらず城兵は健闘し、敵を寄せ付けなかったが、やがて城内で長谷川守知など一部の兵が裏切り、敵を手引きしたため、同月18日、奮戦空しく落城し、父・正継や正澄、皎月院(三成の妻)など一族は皆、戦死あるいは自害して果てた。
...

佐和山城の口コミ情報

2020年09月25日 大納言織田晃司
佐和山城

龍潭寺前に駐車場とトイレがあります。

龍潭寺から登城するようになりますが結構キツい勾配を登るようになります。

本丸から眼下に彦根城が見えます。

野猿の群が出没すると注意書きがありましたがまさかホントに秀吉公(野猿)に遭遇するとは思ってもみなかった…
小六殿(スズメバチ)にも遭遇。
注意しましょう。

彦根城と目と鼻の先なのでダブルリア攻めを

2020年09月21日 百折不撓内匠助
佐和山城



登りの道中はしんどいです。でも、天守跡からの彦根一望は絶賛です。関ヶ原の戦いを追う歴史好きならば、彦根城で井伊家の歴史に浸った歴史好きならば、必ず制覇すべきです。大手門口ではなく追手口から登る方は、案内所のきさくなおばちゃんとお話もしてみてくださいね。

2020年09月11日 クオリス美濃守
佐和山城



御城印が発売されました。
頂上のQRコードを読み取ると、三成の花印入り購入出来ます。
まだ大丈夫でしたが道中にスズメバチが出るのでご注意を。

2020年05月13日 小野近江守湖青
平田山城[佐和山城  周辺城郭]



詰城というより陣城として、公式記録2戦2勝の活躍をした攻撃拠点です。正直に告白しますと、2018年1月、私は平田山城をリアしに行ったのではなく、フレンチトースト食べた後の腹ごなしに雨壺山をウロウロしただけなので遺構探し等は全然出来てないです。コロナ後の次の機会には…はい。

築城年代、築城者は定かでありませんが、荘官より豪族化した平田氏によって築かれたとして、佐々木氏に仕えた平田宗左衛門高慶の名を挙げる説もあるそうです。

淡海温故録には、六角定頼が上坂景宗と対陣した際に平田山を中心に矢を射ち合う“矢戦”が行われて、「江北軍(上坂氏)の磯野源三郎為員の軍勢が江南軍(六角氏)の吉田安芸守定雄の軍勢と戦った結果、磯野為員が耐え切れずに退却した」という記録が残っています。

磯野為員の名誉の為に少し脱線。彼は無双の士として名高く、倍以上の軍勢の浅井亮政の力攻めですら凌ぐほどでした。亮政の謀略により、一族の宮沢忠左衛門の裏切りに遭い討たれてしまいますが…。ちなみに忠左衛門の子平八郎は佐和山城主磯野伊予守員吉の養子に迎えられ、員宗と名乗ります。あの、磯野員昌のお父さんです。

時代はくだって平田山城の話に戻りまして。平田山北麓の長久寺は、関ヶ原後の戦の翌日における追討戦(佐和山城攻め)の東軍(というか徳川家康)の本陣となりました。翌日だし終戦処理的な戦なので、堀を掘ったり土塁や柵を造ったりでは無くお寺さんの設備を活用しつつ平田山に布陣した、という感じでしょうか。井伊直政を軍監とした2万の軍が編成され、小早川秀秋・田中吉政らが先鋒となり佐和山城へ寄せます。石田正澄は一度、東軍の先鋒を退けた後開城交渉に入るも、長谷川守知の寝返り(そもそも間者だったという話も)に遭って交渉中に佐和山城は陥落します。

その後、ポスト佐和山城をめぐっての候補地として、磯山(磯山城。佐和山城にリア攻めスポットあります)、金亀山(彦根城)、佐和山(佐和山城)があがります。あれ、雨壺山(平田山城)は…。これまでの歴史がそうであったように、此処に拠って籠城するというタイプでは無いということでしょうか。平田山城跡は彦根城の主、井伊家の鷹狩場となったそうです。

写真は、そんな平田山城からの彦根城天守、家康も見つめた角度かもしれない佐和山城、逆に佐和山城から見た平田山城、です。

2019年05月25日 左京大夫さとー
宗安寺赤門[佐和山城  寺社・史跡]



佐和山城表門を移築したと伝わる

2019年04月29日 
大手口跡[佐和山城  碑・説明板]



大手門跡に説明板があります。ただ、こちらからの登城は、整備されていません。

2019年02月09日 馬秀のすけ
佐和山城

本日、旧佐和山トンネルをよじ登り佐和山切通をみつけることができた。鳥居本側へ出て、大手道の奥から直登りで太鼓丸に行き、再び切通を見た。ようやく目標達成!

この後、本丸から西の丸、水の手からまたまた直登りで二の丸三の丸へ。ただし、薮がひどくて遺構イマイチわからない。残念無念…

ともかく佐和山城、ついに制覇したぞ!

2017年10月11日 まるき〜上野介
佐和山城

龍潭寺の塀は鉄砲の弾を貫通させないように中に瓦を入れ込んでありました。遠くからでも表面がよく見える
寺から登る道は搦め手で竪堀を見ながら登る事になる
大手道は別の所にあり、今は整備されておらず立ち入りは困難との事
佐和山レイクビューは彦根城、琵琶湖が望める
現在の本丸の位置は彦根城建築の際に15〜19メートル程削られて低くなっているそうです
女郎谷、徳川の総攻め時に女子供が一斉に身を投げたと伝えられているが調査等で遺骨等は発掘されていないとか
千貫井戸の向こうの斜面にも石積みが残るが草が多くて見えない
現在の本丸に土塁に見える部分は木を植えた際の盛り土であって土塁ではない。
大手道は整備されておらず
二の丸、三の丸も整備されてないので入れない
たまに勝手に入り込んで遭難する方も年に何人かいるそうです。
正式な発掘調査等が進んでいないが時おり一般の方が勝手に発掘調査?をして新たな発見があったりしているようです…
アプリ記載の説明、最後の部分に納得!
最後に龍潭寺ですが、静岡の龍潭寺と外装から中の部屋や庭の配置に至るまで同じ形に作られているという事でした。

2017年09月05日 安田越後守秀俊
佐和山城

龍潭寺からの登城は本丸まで1000メートル。
(野猿とスズメ蜂に注意)
龍潭寺→分岐路(あと600㍍)→塩硝櫓跡→西の丸→本丸 の経路。

2017年02月05日 石畳治部少輔三成
佐和山城

看板にも注意書きがありましたが、千貫井で猿の群れと遭遇しました。危害を受ける危険な猿ではなさそうですが、食料を持って登らない方が安全かもしれません。

2016年10月27日 カーネル
佐和山城

東海道本線彦根駅から

今は通行止らしいのですが、駅の北東にある国道8号沿いの佐和山美術館から北へ山に入りました
尾根にでて南へ行くと法華丸に出ます。眺めがいいです。少し戻り分岐を東へ行くと太鼓丸・千畳敷へ行けます

元に戻り本丸方面に進むと、千貫の井戸、女郎谷、本丸の三叉路。井戸へ往復し、女郎谷行って本丸がいいかと思います
本丸は広く、彦根城が遠くに見えます。反対側へ下ると西の丸を経由して龍潭寺を下って1時間半でした

ここから彦根城まで20分くらいです。彦根城では佐和山城を臨める小窓で「以外と近いなぁ」と話す熟年夫婦がいたので「60分で歩けますよ」と念を送っておきました(人見知りだから)

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

2016年01月02日 シバヤン丹波守雲外蒼天
佐和山城

先人が書き込みしていた山麓の龍譚寺境内のハイキングコース?を利用しました。簡単な手書きのマップが入り口に貼ってありました。昨日からの雨か山道はぬかるんでいました。途中滑りやすい箇所あります。登城される方はトレッキングシューズをお薦めします。焔硝櫓、西の丸を通過して本丸到着。学校のプール位の広さに城址と休憩ベンチがある程度でしたがここから見る景色はなかなかの絶景です。眼下に彦根城、琵琶湖。反対側は積雪の山々キツい(;^_^A登城でしたが、一度は行って見て下さい!

2015年10月12日 【鶴丸】兵部大輔葉侍
佐和山城

彦根城近くの宗安寺では伝佐和山城の朱塗りの赤門を見ることが出来ます。本堂は江戸中期に長浜城に付属していた御殿を移築したものです。300円の拝観料を納めると石田三成の千体仏、石田三成地蔵、淀殿念持仏、徳川家康の位牌堂も見ることが出来ます。石田地蔵のみ交渉すると撮影可でした。御朱印代は300円。朝鮮通信使の彦根での宿泊所だったため朝鮮王像、木村重成所縁の血染めのすすき、首塚もございます。
佐和山城、彦根城観光の方、石田三成ファンの方はオススメのスポットです。

2015年09月07日 右衛門佐ひるね
佐和山城

佐和山城本丸までハイキングコース一本道です(途中で分かれ道が1箇所ありますが立て札有)。
龍潭寺から行きましたが、初めはお墓の中を通りかなり不気味です。そうこうしていると猿注意の看板、そこからは結構急傾斜の細い道をひたすら歩きました。本丸まで20~30分らしいです(測り忘れました)。途中までは蝉などの音がするのでいいのですが、登るにつれてどんどん静かになっていくので、かなり不気味です。
降りる時も同じ道でしたが、急なので山登りが慣れてない方にはオススメできません。でも本丸からの景色は絶景なので、一度は試すといいかもしれません。

2014年08月18日 兵部卿PINKGIN
佐和山城

それって佐和山遊園では?まったくの根拠のない模擬天守ですので・・・


2014年08月18日 ₪右衛門督坂田銀時₪
佐和山城

タクシーの運転手さんいわく、個人の方が佐和山城を復元した建物があると言って連れて行って貰いました!!


2014年08月18日 ₪右衛門督坂田銀時₪
佐和山城

彦根城から地元のタクシーで佐和山城後まで、と言ったら親切な運転手さんが石田三成の歴史やマニアックな情報を沢山教えてくださり、隠れスポットも、、、、!


2013年09月08日 中務卿一之介
佐和山城

佐和山城ハイキングコースがそのまま城跡へ通じます。
お寺の境内を抜けて行きますが、途中、荒れた墓地のすぐ横を通ります。なんとなく不気味な雰囲気です。
残念ながら、着いた時刻が遅かったので、途中の「山頂まで600m」の立て札を見て、やむ無く撤退しました。

入口でもあるお寺の門は、17時(冬期16:30)で閉められるとのこと。

2013年03月02日 慶 士郎
佐和山城

2月佐和山城城番の任を拝命つかまつり微力ながら勤めさせて戴きました‥
井伊直政は関ヶ原での功績により西軍の将が城主佐和山城に入りました。藩祖は佐和山藩だったんですね‥
佐和山城は室町時代には近江守護であった佐々木京極氏の最前線であったであろう‥
因に佐々木六角氏は荒神山から肥田城、高野瀬城を結ぶラインか‥
佐和山城から百々山、山中に入り男鬼城までが前線ラインとして睨みあっていた‥
歴史上多くの戦いに絡んでくる佐和山城です。

2012年11月25日 ŧ‹”ŧ‹”。
佐和山城

登城 無料
駐車場 無料
ボランティアガイド 無料
但しボランティアガイドは今年度は12/2まで。
彦根城の建築の際に破却され、そのまま築材として持っていかれたため、石垣などは僅かに残るのみ。
土塁や切通は当時のまま残っています。
一部、急なところがありますが比較的登りやすいかと思います。
龍潭寺の墓地には井伊直弼の生母の墓や、奥には転用石に用いられた墓石も。

2011年05月28日 徳川内大臣源朝臣康武
佐和山城

佐和山城ガイドブックは、1冊200円で彦根城などで販売中
結構マニアックな内容ですが、解りやすくまとまってますよ

2011年04月05日 うさチ
佐和山城

佐和山城はまだ調査の終わってないお城なので、二の丸やあちこちに瓦などの出土品が散乱しています。欲しくても心を鬼にして持って帰っちゃダメですぞ。不義です!(笑)

2010年09月12日 古楽侍従広家
佐和山城

既に埋められましたが、発掘調査で公開された城下の一部をアップ。佐和山城は燃えた形跡はないそうです。

2010年09月08日 ねねにゃん美濃守
佐和山城

佐和山主従(猫)の写真をアップしました撮影場所は長浜城ですが
石田三成公の屋敷跡の碑もアップ致しました

2010年07月25日 徳川内大臣源朝臣康武
佐和山城

[武将像]石田三成像
佐和山城入口の龍潭寺山門付近に座像が鎮座。
長浜市の石田屋敷跡にも座像が鎮座。こちらにアップします。


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