勝楽寺城(しょうらくじじょう)
勝楽寺城の基本情報
通称・別名
- 勝楽寺山城、正楽寺城
所在地
- 滋賀県犬上郡甲良町正楽寺、多賀町
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 高築豊後守
築城年
- 応安元年(1368)
主な改修者
- -
主な城主
- 高築豊後守、多賀豊後守
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、竪堀(畝状竪堀群)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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-
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勝楽寺城の口コミ情報
2024年03月23日 池田紀伊守信輝
勝楽寺[勝楽寺城 寺社・史跡]
慶雲山勝楽寺は、甲良町大字正楽寺にあり、JR河瀬駅から東南10㎞に位置している。この寺域は、南北朝動乱期の近江守護としてまた室町幕府に侍所々司を勤める四職家の一つとして、特に当代に傑出した武将、佐々木(京極高氏道誉)が、多賀河瀬両氏を前衛として居住していた旧館址であって、勝楽寺もまたその道誉を開祖として創建された。凪に道誉は夢窓国師に参禅して臨済の蘊奥をきわめたが、当時の草創に当たっては、東福寺の雲海和尚を開山に招請し、寺号は道誉の諡号勝楽寺殿特翁道誉によって命名した。
2023年10月18日 rigret
勝楽寺城
勝楽寺城跡近くにある勝楽寺に、婆娑羅大名と謳われた佐々木道誉及び佐々木一族の墓あり。
道の駅せせらぎの里こうらにて、勝楽寺城の御城印と藤堂高虎の武将印あり。
圓如寺近く、名神高速道路を抜けた先に「道誉の郷」の礎石あり。
2023年06月17日 装鉄城大膳大夫乱怒
勝楽寺城
一番近いのは豊郷町観光案内所からレンタサイクル(電動はありません)で約30分で勝楽寺、そこから30分で主郭に到着します。全体的に曲輪、堀切、僅かに石積が残っていました、
2022年09月19日 昌幸近江守更に吉
高源寺[勝楽寺城 寺社・史跡]
勝楽寺城の北麓に楢崎という地名が残ります。京極氏から六角氏の支配となった時、家臣の楢崎氏がこの地を治め城を築きました。
高源寺は楢崎氏の菩提寺で、六角氏が織田氏に敗れると城と共に廃寺となりましたが、江戸時代に再興されました。
参道が城の大手道跡、寺の裏山が城跡と言われています。楢崎氏の城と勝楽寺城との関係はどうだったのでしょうか?
そして高源寺の山門は、あの佐和山城裏門の移築門とのことで、明治に火災に見舞われた際も唯一焼け残ったそうです。
【写真の説明】
①本堂、裏山とともに。
②参道途中にある梵鐘台。
③参道その1
④参道途中の石垣
⑤参道その2
⑥山門その1
⑦山門その2
2022年01月24日 RED副将軍
勝楽寺城
南北時代に活躍した婆娑羅大名こと佐々木道誉の居城
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1368年、佐々木道誉(京極高氏)により築城。
佐々木道誉は婆娑羅大名とも呼ばれ、宇田源氏佐々木氏庶流京極氏。南北朝時代には足利尊氏の盟友で室町幕府の創設に貢献。北近江守護の京極氏の祖先です。道誉は78歳で没するまで居城としました。
戦国時代には、南近江を支配する六角定頼が北近江に侵攻し、勝楽寺城も六角氏の支配下となった様です。
その後、野良田の戦いで六角氏に勝利した浅井長政は、1563年の観音寺騒動乗じて所領を拡大。勝楽寺城も浅井氏の支配下になりました。
1568年には、足利義昭を奉じて上洛した織田信長の侵攻により落城。麓の勝楽寺も焼き討ちにし、廃城となりました。
見所
主郭西側の側面には小規模ながら石垣が残ります。
畝状竪堀が無数にあるとも言われていますが、積雪のためか、なかなか確認はできず。
竪堀は幾つかありますが、畝状とまでは分かりませんでした。
痩せ尾根が幾つも走る複雑な地形。尾根は平削され通路となり先に郭が設けられています。
縄張り図以外の尾根筋の先にも削平地があり、実際の城域はかなり広範囲と思われます。
2014年09月02日 VINO-S
勝楽寺城
麓の勝楽寺駐車場からやや急な登城道(ハイキング道)を20分程で尾根に到着。ここに案内板あり、左が石垣が残る主郭と見張り台方向。右が上ろう落とし方向。縄張り群はこの尾根に沿って南北に広がっています。
2011年08月01日 古楽侍従広家
勝楽寺城
麓の勝楽寺は、佐々木道誉が晩年を過ごした寺で、お墓もあるが赤報隊に燃やされた歴史がある。また石田三成に使えた横関三河守の墓も今に伝わっている。
佐々木道誉の屋敷は麓に広がり、その跡地には、御舘、舞台などの石碑が建っている。
城は、寺の裏山に高築豊後守が築いたもので、湖東平野を一望できる要地。
登城途中にお稲荷さまがあるが、謡曲『狐釣』の舞台として、お稲荷さまが祀られています。