勝楽寺城(しょうらくじじょう)
勝楽寺城の基本情報
通称・別名
- 勝楽寺山城、正楽寺城
所在地
- 滋賀県犬上郡甲良町正楽寺、多賀町
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 高築豊後守
築城年
- 応安元年(1368)
主な改修者
- -
主な城主
- 高築豊後守、多賀豊後守
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、竪堀(畝状竪堀群)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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-
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勝楽寺城の口コミ情報
2023年06月17日 装鉄城大膳大夫乱怒
勝楽寺城
一番近いのは豊郷町観光案内所からレンタサイクル(電動はありません)で約30分で勝楽寺、そこから30分で主郭に到着します。全体的に曲輪、堀切、僅かに石積が残っていました、
2022年09月19日 昌幸近江守更に吉
高源寺[勝楽寺城 寺社・史跡]
勝楽寺城の北麓に楢崎という地名が残ります。京極氏から六角氏の支配となった時、家臣の楢崎氏がこの地を治め城を築きました。
高源寺は楢崎氏の菩提寺で、六角氏が織田氏に敗れると城と共に廃寺となりましたが、江戸時代に再興されました。
参道が城の大手道跡、寺の裏山が城跡と言われています。楢崎氏の城と勝楽寺城との関係はどうだったのでしょうか?
そして高源寺の山門は、あの佐和山城裏門の移築門とのことで、明治に火災に見舞われた際も唯一焼け残ったそうです。
【写真の説明】
①本堂、裏山とともに。
②参道途中にある梵鐘台。
③参道その1
④参道途中の石垣
⑤参道その2
⑥山門その1
⑦山門その2
2022年01月24日 RED副将軍【西国将軍】
勝楽寺城
南北時代に活躍した婆娑羅大名こと佐々木道誉の居城
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1368年、佐々木道誉(京極高氏)により築城。
佐々木道誉は婆娑羅大名とも呼ばれ、宇田源氏佐々木氏庶流京極氏。南北朝時代には足利尊氏の盟友で室町幕府の創設に貢献。北近江守護の京極氏の祖先です。道誉は78歳で没するまで居城としました。
戦国時代には、南近江を支配する六角定頼が北近江に侵攻し、勝楽寺城も六角氏の支配下となった様です。
その後、野良田の戦いで六角氏に勝利した浅井長政は、1563年の観音寺騒動乗じて所領を拡大。勝楽寺城も浅井氏の支配下になりました。
1568年には、足利義昭を奉じて上洛した織田信長の侵攻により落城。麓の勝楽寺も焼き討ちにし、廃城となりました。
見所
主郭西側の側面には小規模ながら石垣が残ります。
畝状竪堀が無数にあるとも言われていますが、積雪のためか、なかなか確認はできず。
竪堀は幾つかありますが、畝状とまでは分かりませんでした。
痩せ尾根が幾つも走る複雑な地形。尾根は平削され通路となり先に郭が設けられています。
縄張り図以外の尾根筋の先にも削平地があり、実際の城域はかなり広範囲と思われます。
2014年09月02日 VINO-S
勝楽寺城
麓の勝楽寺駐車場からやや急な登城道(ハイキング道)を20分程で尾根に到着。ここに案内板あり、左が石垣が残る主郭と見張り台方向。右が上ろう落とし方向。縄張り群はこの尾根に沿って南北に広がっています。
2011年08月01日 古楽侍従広家
勝楽寺城
麓の勝楽寺は、佐々木道誉が晩年を過ごした寺で、お墓もあるが赤報隊に燃やされた歴史がある。また石田三成に使えた横関三河守の墓も今に伝わっている。
佐々木道誉の屋敷は麓に広がり、その跡地には、御舘、舞台などの石碑が建っている。
城は、寺の裏山に高築豊後守が築いたもので、湖東平野を一望できる要地。
登城途中にお稲荷さまがあるが、謡曲『狐釣』の舞台として、お稲荷さまが祀られています。