佐生日吉城(さそうひよしじょう)
佐生日吉城の基本情報
通称・別名
- 佐生城、佐野山城
所在地
- 滋賀県東近江市五個荘日吉町、佐野町
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 後藤氏
築城年
- 室町時代
主な改修者
- -
主な城主
- 後藤氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁
指定文化財
- -
再建造物
- 碑
周辺の城
-
和田山城(滋賀県東近江市)[1.4km]
伊庭御殿(滋賀県東近江市)[1.5km]
観音寺城(滋賀県近江八幡市)[3.6km]
安土城(滋賀県近江八幡市)[3.9km]
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目加田城(滋賀県愛知郡)[5.6km]
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長光寺城(滋賀県近江八幡市)[8.6km]
八幡山城(滋賀県近江八幡市)[9.1km]
佐生日吉城の解説文
佐生日吉城の口コミ情報
2024年08月13日 気分爽快陸奥守
佐生日吉城
公式縄張図を片手に攻城です。
山城の石垣をみたかったのですが、とんでもなく暑いので、低い山で我慢しました。
①西の巨石。この先善勝寺に通じる上り坂
②主郭西の石垣を右から
③主郭西の石垣を左から
④主郭内部
⑤北尾根の竪堀
⑥北の石垣
⑦東の土塁
⑧東の登り口から
2024年06月18日 玉手箱刑部卿
佐生日吉城
北向き11面観音下の駐車場?(空き地)まで車で上がり、佐生日吉城の石垣まで下山。10分ほどで、見事な石垣に遭遇できます。
道のりは、それ程疲れませんでしたが、駐車場(空き地)にもどり、次は北向き11面観音を一目拝もうとして、階段を登り始めました。
こちらは400〜500段の階段があり、かなりきつかったです。
でも、頂上の眺めは最高。観音様も拝ませていただき、苦労して登ったかいがありました。
2024年01月12日 コマさん
佐生日吉城
しっかりとしたな石垣で驚きました、ただ山城なのでリア攻めするにはかなり急な山を登らないと行けません(10分ほどかかる)、登山口にはたぶん地元の人が置いてくれた、竹の杖がありました、ので有り難く使わせて頂きました。
2023年07月29日 たまちゃん
佐生日吉城
東麓の墓地から比高60m程。10分弱で本丸に着きます。見事な石垣です。
2023年07月12日 RED副将軍
佐生日吉城
巨石を用いた本格的な石垣の城郭🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。室町時代に後藤氏により築かれたとされます。戦国時代には観音寺城の支城であり、佐々木六角氏の重臣である後藤但馬守が城主であったとされます。1563年には、六角義治により後藤義賢が謀殺(観音寺騒動)されると、六角家臣団は主君に対して不信を持つものが続出し六角氏も一気に衰退していきます。1568年、織田信長により観音寺城が落城されると共に廃城となりました。
見所
観音寺城がある繖山から北北東へ伸びる尾根先端に築かれています。小規模な単郭構造ながら巨石が用いられた算木積みの石垣は佐々木六角氏城郭の特徴で織豊時代より古い石垣遺構です。特に南西角の高石垣は圧巻です。
行き方は、北向岩屋十一面観音を目標に設定。駐車場があり、案内板の通り尾根筋を370m進むと辿り着きます。
2022年11月30日 尼崎城駿河守一口城主
佐生日吉城
11月9日、JR能登川駅から徒歩にて進軍。当日は奈良の史跡保全ボランティアで知り合った方がハイキングのガイドをするのでコースを事前下見したいということで同行しました。能登川駅から猪子山を登っていくと北向岩屋十一面観音の参道に着きましたが近くに<佐生日吉城跡370m>との道標があるのを発見。370mならすぐかなと思い、恐る恐る隊長に行ってみませんかと提案すると快諾して頂けたので進軍開始。山道は歩きやすいように整備して頂いていて感謝です。本丸に近づいていくと石垣が見えてきました。本丸内に石碑が建っていたので確認してみると<後藤但馬守城址>とありました。このアプリで確認してみると後藤氏は佐々木六角氏の重臣で、お城は観音寺城の出城的な役割だったとのことでした。本丸見学後、北向岩屋観音に戻りましたがこちらの山一帯には巨石をはじめ石🪨が数多くあり石垣の材料に恵まれたところだなと感じました。(※山道で石を運ぶのは大変だったと思われますが💦)
2022年06月05日 織田上総介晃司
佐生日吉城
猪子山公園から北向岩屋十一面観音を目指しますが狭く曲がりくねった道で対向車を交わすのは厳しい。しかも登山者もいるので運転に自信の無い方は麓に停めるのが良いでしょう。
北向岩屋十一面観音の参道前に駐車場があり、佐生日吉城まで370mとの看板もあります。
登城道も整備され下り道となるので一番楽な登城コースです。
2022年02月03日 HS刑部大輔
佐生日吉城
麓から歩いて登城。登城路は整備されていて木の階段が設置されてあります。Ⅱ郭の削平が甘く分かりづらくいつの間にか主郭虎口にたどり着いていました。主郭は石垣に囲まれ大きさ自体はコンパクトな作り。あくまで戦闘の際に立てこもる砦的な感じの城でした。
2021年05月04日 近江守フロクニ
佐生日吉城
猪子山公園の所から十一面観音を目指して進み、途中にある広い場所が駐車出来る場所です。坂道はだいぶ急で苔も有るので10km/h以下推奨。駐車した所に城跡まで370mの看板が有ります。階段もきちんと整備されてる上に掃除もされていたので歩き易かったです。たまに登るけどほとんど降り、標高で30〜40mほど下がります。370mも多分入り口までの距離でもうちょい歩くと立派な石垣が見えて来ます。南側はほぼ全面石垣です。西か東から主郭に登ると石柱が有ります。
2020年12月10日 別損山城守備前994重砲隊
佐生日吉城
車でリア攻めするなら、北向岩屋十一面観音側からがおすすめです。但し、冬場の降雪時には、坂道でスリップの可能性大ですので、ご注意を!城跡まではよく整備され、リア攻めしやすいです。後周囲に古墳もあります。
2019年02月10日 内記かずりヾ(・ε・。)
佐生日吉城
自分は先人の教えに従いお城の東側から登城しましたが、近くにある善勝寺の敷地内にある山道から登城出来ます。お寺の境内ですが赤い鳥居が山道入口の目印になってるので参考までに。5分ぐらい登ると舗装路に出ますが左を選択すればハイキングコースに出るので尾根伝いに城跡に辿り着けます。ちなみに舗装路は北向岩屋十一面観音に行くためのものなのかな?何でも地元では有名な夜景スポットらしいです。
場所はだいたいあそこだけど登り口が判らないという山城あるあるですが、皆様の参考になったでしょうか。
2017年08月25日 橘若狭守次郎吉
佐生日吉城
とにかく石垣がスゴいです!
50メートル続く石垣からの高さ4メートル算木積隅石垣は最高です!
登山口から主郭までは20分程で、登山道も整備されていて、高低差も少ないので登りやすいです。籔なども少なく、遺構も分かりやすいです。山城初心者にオススメ!
2012年11月29日 ŧ‹”ŧ‹”。
佐生日吉城
JR 能登川駅より徒歩約12分くらい
佐生バス停から50mほど観音寺方面へ歩くと小さ
な河川がります。
橋を渡り戻るような形で右折すると墓地があり、
その手前に登山口と案内板があります。
道路からは見えません。
また、駐車場もありません。
登山口から20分で山頂へ、比較的傾斜も少く歩きやすい山城です。
大きな岩を使った石垣が出迎えてくれます。
メインはやはり、高さ4m 長さは50mほど続いている石垣です。
草も刈り取られ見やすく隅石垣は圧倒されます。
この時代にこれだけの石垣を作ったのは驚かされ
るばかりです。
石垣の上に曲輪と本丸跡があります。
曲輪もほぼ当時のままの状態で、一段下がった辺
りには小さな石で組んだ石垣もあります。
最初の登山口の少し急な坂を登りきった辺りで
箕作山や和田山の観音寺の支城の位置関係がよくわかります。
安土・観音寺と登城されるのなら、ここへも訪れたらいかがかと思います。
下からは全く見えませんので、隠れ家的な山城です!
2011年08月02日 古楽侍従広家
佐生日吉城
つづき…
土塁らしき物も、基本的には石垣の上に目立って残っていて、まさしく、観音寺城の支城の一つだったのです。
西側には虎口らしきものも見られます。そして主郭となる部分には、後藤但馬守城跡と書かれた石碑が建っています。
後藤但馬守とは後藤賢豊のことです。六角義の筆頭重臣と言っていいくらいの人物で、まさしく六角氏を支えた大黒柱でしたが、観音寺騒動で殺害されました。
2011年08月02日 古楽侍従広家
佐生日吉城
郭の特徴でいえば、単郭構造なのですが、資料によれば高さ4mの石垣が50mに渡って積まれています。そしてその積み方は観音寺城とほぼ同じです。これは、織田信長が安土城を築城する前の石垣造りの城であり、それは六角氏にとって重要な城だったのです。
しかし、石垣は片面のみで反対側には石垣どころか土塁もありません。それならば大堀切くらいはありそうなものですが、それもないのです。そんな防備の甘い方向に何があるのかといえば。尾根道がありその先には観音寺城が建っていました。
佐生日吉城の周辺スポット情報
石垣(遺構・復元物)
中沢遺跡(寺社・史跡)
法堂寺遺跡 (公園)(寺社・史跡)
駐車場(駐車場)
歴史
築城年代は定かではない。戦国時代に佐々木六角氏の重臣である後藤但馬守が城主を務めたとされる。遺構
近江守護・佐々木六角氏の観音寺城がある繖山の北に派生する、標高158mの佐生山山頂に築かれている。単郭の小さな城ながら、主郭の南面に築かれた壮大な石垣が圧巻だ。高さ約4mもの石垣が約50mに渡り積まれている。西端では石垣が屈曲し、横矢が掛かるようになっている。稜線が通らず技術の未成熟さはあるものの、石垣の隅角部は算木積みになっていて、大きいもので1.5mほどの巨石を用いた本格的な石垣といえる。
石垣は南側にだけ積まれており、ほかの3面は切岸のままだ。虎口は東側と西側の2か所あり、西側の虎口は観音寺城へ続く尾根筋に開いている。
石垣は観音寺城の石垣と規模や構造が似ており、同時期に共通の技術で積まれた可能性が高い。観音寺城へ通じるその尾根上に堀切が設けられていないことなどからも、観音寺城の北方防御を目的として築かれた、観音寺城と連動する出城のような機能があったと推察される。
交通
・JR琵琶湖線能登川駅からから車で約10分参考文献
・『近江の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2006年。・『図解 近畿の城郭Ⅰ』戎光祥出版、2014年。