長光寺城(ちょうこうじじょう)
長光寺城の基本情報
通称・別名
- 瓶割山城、瓶割城
所在地
- 滋賀県近江八幡市長光寺町、長福寺町
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 鎌倉時代中期
主な改修者
- -
主な城主
- 佐々木氏、柴田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、井戸
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
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長光寺城の解説文
長光寺城の口コミ情報
2024年06月30日 別損山城守瓶割公園前派出所
千僧供古墳群・トギス塚古墳[長光寺城 寺社・史跡]
滋賀県指定史跡。円噴で同古墳群で最も東南部に位置します。
2024年06月30日 別損山城守瓶割公園前派出所
千僧供古墳古墳群・供養塚古墳[長光寺城 寺社・史跡]
供養塚古墳は千僧供古墳群のうち最も西側に位置する。5世紀後半の帆立貝形古墳であった事が発掘調査で確認されています。滋賀県指定史跡
2023年08月25日 尼崎城駿河守一口城主
長光寺城
[登山編]7月16日、長光寺にお参り後に太郎坊登り口(ルートマップ(写真①)の<マ>の字の下辺りの登山口)から登山開始。登山中、自然のものと思われる岩🪨があり登山道を狭めるように鎮座(写真②)していました。もしかしたら敵兵の攻城スピードを緩やかにする役目を期待されていたかも🤔と思いながら先に進みました。
登山口から約20分で一の郭(写真③)に辿り着けました。一の郭は膝くらいまで草が生い茂っていたので登城される方は長ズボンがおすすめです。ここが<瓶割り柴田>の舞台の山城なんだなぁと広い郭での古城感がたまりませんでした。歴史舞台であることと元気に生えている草とが相まってこの空間も松尾芭蕉の<夏草や兵どもが夢の跡>の句が思い浮かんでくる場所でした。
山頂は二の郭とのことで次に二の郭に向かいました。(写真④⑤)案内板にあった高石垣も見学(写真⑥)。※見えにくいかもしれませんが木漏れ日に照らされている辺りに石垣があります。
城山から琵琶湖方面に目を向けると八幡山城(写真⑦中央)が見え、反対方面も東近江市方面の視界(写真⑧)が開けている眺望の良い山城でした。
2023年08月25日 尼崎城駿河守一口城主
長光寺城
[進軍編]7月16日、近江鉄道武佐駅から進軍開始。近江八幡→武佐の車窓から山城の遠景を撮影(写真①)武佐駅で下車して、行き方を調べてみると平田駅方面から向かうルートが出てきて遠回りのような気がするなとは思いつつナビに従い進軍。進軍開始後間もなくお城と同じ名前の長光寺というお寺があったのでお参りしてきましたが、この選択が良かったです(写真②)‼️たまたまお参りしたお寺で住職に御朱印帳には御城印も直書きして頂き、山城の行き方(写真③)、信長公もこのお寺に宿泊されたことがあるなどの話を伺うことが出来ました。
住職に教えてもらった通り、武佐駅方面に引き返し写真④を直進、写真⑤の道を山城方面に向かい突き当たりを右に進むと太郎坊登り口に辿り着くことが出来ました。(写真⑥⑦⑧)
2023年07月17日 もぐらーな
長光寺城
麓の長光寺で御城印を書いていただきました!一緒にお城のマップと資料も頂けました(^^)
2023年07月08日 ぎょしん
長光寺城
日吉神社の駐車場に停めて、神社裏の登山口から登りました(リア攻め写真ご参照)。夏登山は草が生い茂り、蚊もたかってきますから、それなりの準備をしました。長袖長ズボン(マダニがわかるように明るい色)、ぶら下げ香取線香、防虫ネット、杖(蜘蛛の巣よけにも役に立ちます)。最後は、マダニ防止のためイカリジン配合の虫除けスプレーして登山スタートしましょう♪ 下山後は、マダニチェックも!
2023年07月08日 図書頭RedKing
長光寺城
元亀元年に記録が残る信長と勝家の長光寺での逸話、後年の創作もない交ぜに鬼柴田らしい瓶を割って家臣を鼓舞して、絶対絶命の主君信長を岐阜に帰陣させた。この伝承から異名が残るそうです。寺の入り口も登城口も工業団地造成地で変わっしまったとのことです。
2021年11月02日 なりぶ
長光寺城
長福寺町の日吉神社鳥居奥に駐車場ありますが車止めが立ってる場合もありますので御注意下さい。
2021年09月21日 あゆとも刑部卿
長光寺城
日吉神社の裏(日吉神社の階段を上がりきったら少し右手奥に入る)から登城口を上がりました。蜘蛛の巣、蚊が酷かったです。頂上からは近江八幡城、琵琶湖が良く見えます。観音寺城も見えますが観音寺側は視界が悪く、木の間から何とか見えます。古井戸があるとの事ですが、私は見つけられなかったです。
2021年06月23日 HS兵部大輔
長光寺城
北側の日吉神社裏の登城口から攻城START。15分ほど登ると堀切に到着。すぐ脇に高石垣がありますが この時期なので草がボーボー。堀切のどちらのサイドにも郭や石垣、土橋があり 遺構はよくわかりますが看板が古かったり どこも草がボーボーでちょっともったいない城跡でした。
2015年12月18日 梅鉢近江守Silvine
長光寺城
日吉神社ですが山麓に2つあります。東近江市上平木町の日吉神社ではなく、近江八幡市長福寺町の日吉神社を目指してください。日吉神社にあがると左側にも階段があり、登れなくはないですが、向かって右側に登城口があります(看板もあり)。
2013年02月11日 ŧ‹”ŧ‹”。
長光寺城
登城ルートは、不二滝と日吉神社からの登山道。いづれも駐車場はありません。途中から、長い堀切を横目に馬の背の道を登って行きますが狭くて急な所や滑り易いので注意が必要。約20分程で山頂本丸の曲輪に着きます。そこからは、近江八幡城や琵琶湖も望め、この城の位置関係観音寺との重要度がわかります。竪堀、空堀など堀切はあちこちに点在しています。山頂に案内板があり要所はそれで確認できます。堀切との受け渡しに土橋がかけられている所も数ヶ所あり。地蔵群もあり、歴史を感じられます。大型の石垣は、登城後すぐの登山道と本丸南側の石垣。
2011年08月01日 古楽侍従広家
長光寺城
瓶割り柴田の逸話で有名な城。その頃の形はあまり残っていないとも言われますが…
長光寺城の周辺スポット情報
一の廓石垣(遺構・復元物)
竪堀(遺構・復元物)
古井戸(遺構・復元物)
地蔵群(遺構・復元物)
武者隠し(遺構・復元物)
竪堀(遺構・復元物)
土橋(遺構・復元物)
三の郭(遺構・復元物)
二の郭虎口の石垣(遺構・復元物)
瓶割山城遺跡の説明看板(碑・説明板)
瓶割山遺跡説明看板(碑・説明板)
瓶割山城遺跡説明板(碑・説明板)
西宿城(周辺城郭)
千僧供古墳古墳群・供養塚古墳(寺社・史跡)
千僧供古墳群・トギス塚古墳(寺社・史跡)
長光寺(御城印)
長光寺 駐車場(駐車場)
日吉神社駐車場(駐車場)
登山口(その他)
登城入口(その他)
太郎坊登り口(その他)
旧・三の郭(その他)
遺構
蒲生郡の中央部にある標高234mの瓶割山に築かれ、山頂から三方向にのびる尾根上と西側山麓に遺構がある。山頂の中央にある不定六角形の曲輪が主郭と思われ、西側に6mほどの石垣、東側に0.5mほどの石垣が部分的に残る。主郭の南側には城内でも大きな堀切があり、その堀切にかかる土橋の両側に石垣があることなどから、虎口があったと考えられる。
主郭の南側は堀切の先に曲輪が連なり、主郭の北側には土塁をともなう曲輪が展開。主郭の東側にも曲輪が派生している。防御構造は尾根ごとに異なるようだ。
石垣は見られるものの、虎口などの構造などからは基本的なつくりは六角氏段階のものといえそうだ。
西麓には周囲を約3.5mの土塁で囲まれた根古屋と考えられる区画があり、足利義晴が御座した仮の御所である可能性がある。六角承禎との戦いの際に柴田勝家が長光寺城とともに改修したようだ。
歴史
築城年代は定かではない。鎌倉時代中期、六角高頼と対立した佐々木政堯によって築かれたと伝わる。元亀元年(1570)の織田信長の近江侵攻の際、一向門徒と結んだ六角承禎との戦いで柴田勝家が籠城した城として知られる。勝家の異名「瓶割り柴田」は、このとき水の手を絶たれた勝家が、城内の水瓶を割って討って出たという武勇伝からだ。瓶割山の名も、このエピソードを由来としている。
天正4年(1576)に安土城が築城された頃には廃城になったと考えられる。
交通
・近江鉄道八日市線武佐駅から徒歩約15分参考文献
・『近江の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2006年・『図解 近畿の城郭Ⅰ』戎光祥出版、2014年