長光寺城(ちょうこうじじょう)
長光寺城の基本情報
通称・別名
- 瓶割山城、瓶割城
所在地
- 滋賀県近江八幡市長光寺町、長福寺町
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 鎌倉時代中期
主な改修者
- -
主な城主
- 佐々木氏、柴田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、井戸
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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長光寺城の解説文
長光寺城の口コミ情報
2015年12月18日 近江守Silvine
長光寺城
日吉神社ですが山麓に2つあります。東近江市上平木町の日吉神社ではなく、近江八幡市長福寺町の日吉神社を目指してください。日吉神社にあがると左側にも階段があり、登れなくはないですが、向かって右側に登城口があります(看板もあり)。
2013年02月11日 ŧ‹”ŧ‹”。
長光寺城
登城ルートは、不二滝と日吉神社からの登山道。
いづれも駐車場はありません。
途中から、長い堀切を横目に馬の背の道を登って行きますが
狭くて急な所や滑り易いので注意が必要。
約20分程で山頂本丸の曲輪に着きます。
そこからは、近江八幡城や琵琶湖も望め、この城の位置関係
観音寺との重要度がわかります。
竪堀、空堀など堀切は
あちこちに点在しています。
山頂に案内板があり要所はそれで確認できます。
堀切との受け渡しに土橋がかけられている所も数ヶ所あり。
地蔵群もあり、歴史を感じられます。
大型の石垣は、登城後すぐの登山道と本丸南側の石垣。
2011年08月01日 古楽侍従広家
長光寺城
瓶割り柴田の逸話で有名な城。
その頃の形はあまり残っていないとも言われますが…
【遺構】
蒲生郡の中央部にある標高234mの瓶割山に築かれ、山頂から三方向にのびる尾根上と西側山麓に遺構がある。
山頂の中央にある不定六角形の曲輪が主郭と思われ、西側に6mほどの石垣、東側に0.5mほどの石垣が部分的に残る。主郭の南側には城内でも大きな堀切があり、その堀切にかかる土橋の両側に石垣があることなどから、虎口があったと考えられる。
主郭の南側は堀切の先に曲輪が連なり、主郭の北側には土塁をともなう曲輪が展開。主郭の東側にも曲輪が派生している。防御構造は尾根ごとに異なるようだ。
石垣は見られるものの、虎口などの構造などからは基本的なつくりは六角氏段階のものといえそうだ。
西麓には周囲を約3.5mの土塁で囲まれた根古屋と考えられる区画があり、足利義晴が御座した仮の御所である可能性がある。六角承禎との戦いの際に柴田勝家が長光寺城とともに改修したようだ。
【歴史】
築城年代は定かではない。鎌倉時代中期、六角高頼と対立した佐々木政堯によって築かれたと伝わる。
元亀元年(1570)の織田信長の近江侵攻の際、一向門徒と結んだ六角承禎との戦いで柴田勝家が籠城した城として知られる。勝家の異名「瓶割り柴田」は、このとき水の手を絶たれた勝家が、城内の水瓶を割って討って出たという武勇伝からだ。瓶割山の名も、このエピソードを由来としている。
天正4年(1576)に安土城が築城された頃には廃城になったと考えられる。
【交通】
近江鉄道八日市線武佐駅から徒歩約15分
【参考文献】
・『近江の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2006年
・『図解 近畿の城郭Ⅰ』戎光祥出版、2014年