星ヶ崎城(ほしがさきじょう)
星ヶ崎城の基本情報
通称・別名
- 星ケ崎城、鏡山城
所在地
- 滋賀県蒲生郡竜王町鏡
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 鏡氏
築城年
- 室町時代
主な改修者
- -
主な城主
- 鏡氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
小堤城山城(滋賀県野洲市)[2.7km]
桜生城(滋賀県野洲市)[3.6km]
永原城(滋賀県野洲市)[3.9km]
長光寺城(滋賀県近江八幡市)[5.6km]
後藤館(滋賀県東近江市)[6.6km]
水茎岡山城(滋賀県近江八幡市)[6.8km]
八幡山城(滋賀県近江八幡市)[6.9km]
北之庄城(滋賀県近江八幡市)[7.5km]
多喜山城(滋賀県栗東市)[8.2km]
金ケ森城(滋賀県守山市)[9.4km]
星ヶ崎城の解説文
星ヶ崎城の口コミ情報
2024年01月24日 RED副将軍
星ヶ崎城
石垣が残る六角氏一族の鏡氏の居城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。15世紀末に鏡氏により築かれたとされます。
鏡氏は、近江国守護である佐々木氏の庶流とされ、有力鎌倉御家人の佐々木定綱の次男である佐々木定重の嫡子の久綱が鏡荘を領して鏡氏を称したのが始まりです。
しかし1221年の承久の乱で鏡久綱は討死し鏡氏は断絶。その後、室町時代初期に京極佐々木宗氏の三男である貞氏が鏡氏の名跡を継承。佐々木六角氏に属する在地領主として勢力を堅持、この頃に観音寺城の支城として星ヶ崎城が築かれた様です。
1563年の六角氏のお家騒動である観音寺騒動においては、六角義賢が星ヶ崎城に入り、永原城や小堤城山城を拠点として反旗を翻した永原重虎と対峙しました。
その後の鏡氏や星ヶ崎城の動勢については記録が無く、1568年に織田信長が足利義昭を擁して上洛のため近江に侵攻した際には、内紛により弱体化した六角氏は後藤氏、進藤氏、永田氏、平井氏などの重臣は離反して織田信長に内応。星ヶ崎城の鏡高規も同様に織田信長に服属したと考えられています。
見所
標高222mの鏡山から北に伸びる稜線突端に築かれており、北側麓には東山道、北西側麓には中山道が走る交通の要衝です。
ピークに主郭を置き、南北に小郭が連なる連郭式。主郭は南側に虎口が開口し、西から南の側面に高さ約2mの石垣が認められます。
石垣があるものの郭の削平は甘く、堀切等の防御設備は認められず砦の様な縄張りです。
行き方は、国道8号沿いの道の駅竜王かがみの里を目標に設定。民家の脇を進むと案内板があり獣害柵を開けると登城路が付いています。比高は110mほどで15分くらいで辿り着きます。
2023年08月19日 アラン胆振守ポー
星ヶ崎城
登山口は動物進入防止の柵がありますが、開けて入ることは可能。石灯篭から城郭までは笹が伸びて登山準備をしないと進撃は困難です
2022年02月23日 別損山城守瓶割公園前派出所
竜王町観光協会[星ヶ崎城 御城印]
星ヶ崎城と川守城の御城印を販売しています。
2021年12月05日 山城守吉川
星ヶ崎城
鏡山登山口より20分位で城址に到着します。登山道のためしっかりとした服装で!
2021年07月13日 HS兵部大輔
星ヶ崎城
篠原駅から徒歩30分。道の駅の駐車場奥から登城できます。2度ほど柵を通り抜けて30分ほどで主郭に到着。主郭周りの石垣が唯一の見どころです!
2020年04月28日 梅鉢近江守Silvine
井上氏館[星ヶ崎城 周辺城郭]
井上氏館は詰の城である星ヶ崎城に対し、平時の里屋敷として、同じく鏡久綱によって築かれた平城です。後に星ヶ崎城ともども井上氏が治める事となります。井上氏については鏡氏の子孫とも言われますが、詳細はわかっていません。
遺構は4〜5mはある高い土塁と2〜3m幅の水堀に囲まれた方形居館で、その中に現在も子孫の井上さんがお住まいです。
なお、個人宅になりますので見学の際は外観を見るだけとし、ご迷惑とならないようくれぐれもご注意下さい。
2020年02月12日 越中守松宙右衛門
星ヶ崎城
道の駅竜王かがみの里から登城。
写真②③現在は獣対策の為、ゲートがしてありますが自由に開けれます。
写真①道のりは、かなり急坂です。
道の駅竜王かがみの里は火曜日定休日です。
2019年02月11日 馬秀のすけ
星ヶ崎城
野洲駅から三井アウトレットパーク行きバスに乗った。30分間隔で走ってる。竜王道の駅バス停で降りた。しかし、少し戻り、道の駅の近くの中山道の登山口から登った。民家の奥に登山口看板あり。こちらが大手道だとか?
獣柵を越えて少し登ると八幡神社跡あり、その裏が登城道。ただし、ちょこっとわかりにくい。途中に案内板無いが、一本の尾根道で、道の駅から登る道と合流する。案内板があるという点で、道の駅駐車場から登ったほうがわかりやすい。
2015年11月11日 梅鉢近江守Silvine
星ヶ崎城
道の駅 竜王かがみの里の駐車場の奥に看板があり、そこから城跡へ上がれます。
歴史
築城年代は定かではない。15世紀末頃、在地土豪の鏡氏によって築城されたと伝わる。『江侍伝聞録』や『水原軍談』などの近世の軍記物に、戦国時代の戦いの様子が記されている。永禄9年(1566)に起きた観音寺騒動によって、近江守護・佐々木六角氏の家臣たちが六角氏に反旗を翻し、有力家臣の水原氏も籠城。これに対して六角承禎は星ヶ崎城に入り、水原氏と対峙したという。
遺構
蒲生・野洲・甲賀の郡境に近い、鏡山から北へのびる尾根上に築かれている。北麓には中山道が通り、往来を見下ろせる好立地だ。戦国時代の築造と推定される、主郭西~南側の高さ2mを超える石垣が見どころだ。横長の自然石または割石が横置きに、層をなすように積まれている。主郭東側にも石垣が残り、本来は北側にも築かれていたと思われる。主郭の南側に開口部らしき石の配列があり、ここが主郭への虎口とみられる。
主郭北側及び東側の尾根上にも、ほぼ自然地形に近いものの、曲輪が展開している。南西にのびる尾根上に曲輪が広がり、南側には一部石垣も残っている。
尾根筋に堀切などの目立った防御施設がなく、長期的な籠城戦には向かない。弥勒寺の地名が残ること、山麓には寺院があったとされ付近から五輪塔の一部が出土していることなどからも、星ヶ崎城も本来は中世寺院の境内の一部であった可能性が指摘されている。
交通
・JR琵琶湖線篠原駅からから車で約8分参考文献
・『近江の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2006年。・『図解 近畿の城郭Ⅴ』戎光祥出版、2018年。