小堤城山城(こづつみしろやまじょう)
小堤城山城の基本情報
通称・別名
- 小堤城
所在地
- 滋賀県野洲市辻町
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 永原氏
築城年
- 大永年間(1521〜1528)
主な改修者
- -
主な城主
- 永原氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
桜生城(滋賀県野洲市)[1.7km]
星ヶ崎城(滋賀県蒲生郡)[2.7km]
永原城(滋賀県野洲市)[3.6km]
多喜山城(滋賀県栗東市)[5.5km]
金ケ森城(滋賀県守山市)[7.2km]
長光寺城(滋賀県近江八幡市)[8.2km]
水茎岡山城(滋賀県近江八幡市)[8.3km]
後藤館(滋賀県東近江市)[8.7km]
八幡山城(滋賀県近江八幡市)[9.1km]
芦浦観音寺館(滋賀県草津市)[9.3km]
小堤城山城の解説文
小堤城山城の口コミ情報
2023年03月01日 別損山城守喉痛994重砲隊
小堤城山城
◯以前、メインである登城路には閉鎖しているゲートがあったので登城を断念した事がありました。😭
◯今回は、搦手とも考えられる希望ヶ丘公園に車🚗を止めて登城しました(駐車場代1日、500円ポッキリです)
同公園からはアスレチック施設から登山道があり、しばらく進み、「H 84」(写真1)の看板・真っ赤な防火用水が有れば、「→城山東枯沢 登山口」方向に進みましょう。
◯ 「H 83」(写真2.3)のプレートがある場所が、
・城山直登ルート(急斜面でⅠ郭)
・峠ルート(上のルートよりまし)
の分岐点です。さぁ〜貴方はどっちを選択しますか?
私は
・城山直登ルートを選択しました♪
このルート、正直険しいです!でも、登り切ると、突然現れる素晴らしい
野面積み石垣❗️感動物です。ここから少し登り切ると、Ⅰ郭(主郭ではないですよ。主郭はⅣ郭)標高286m写真4)の大パノラマ(写真5.6)❗️近江富士の三上山、水茎岡山城、八幡山城、琵琶湖が一望❗️(因みに帰路は・峠ルートを選択、奇岩などあり、こちらもトレッキングを堪能できます)
◯Ⅰ郭から北方向に降って行くと、Ⅱ郭、Ⅳ郭(主郭)、Ⅲ郭などに行き、何処にある石垣、堀切が現れます最高です。
◯因みにⅠ郭から
・峠ルート
を選択し、道なりに進むと10〜15分位で
岩倉城
に行きます。
◯結論:この城、リア攻めされる方、観音寺城風の山岳野面積み石垣パラダイスの城、おすすめです❗️
2023年01月05日 ファン掃部助トム治郎
小堤城山城
野州駅から歩きました。希望ケ丘文化公園のクロカンコースの途中に登山口があり南側の斜面を登っていきます。稜線にでると頂上までに小規模な曲輪跡が散在しますが遺構の多くは北側の尾根づたいにあるようです。私は頂上から小堤に抜けるコースで下山しましたが城跡めぐりコースでも下山できます。街中から登山口コまでの道は林業用の道であるためGoogleマップにはのっていませんが歩きやすい道で迷うこともないと思います。
2021年06月23日 HS兵部大輔
小堤城山城
そんなに知られていない山城なのに遺構の残存度が高い。特に石垣!崩れているところもあるけれども広い範囲で残っているところもある。しかも地元の方の整備のおかげでとても見やすくなっている。山城ファンにはぜひとも訪れてほしい城跡です。
2021年05月25日 左近衛中将かめかめ
古城山城(岩倉城)[小堤城山城 周辺城郭]
小堤城山城から尾根伝いにリア攻め開始。小堤城山城の城域を区画する堀切から徒歩5分程で岩倉城の堀切らしき遺構が現れます(写真5)。更に進むと城のピークと思われる高土塁へ(写真6)。城全体を見渡しつつ東進すると土塁が切れ、南虎口に到達します(写真7)。あとは、時計回りにグルっと一周し、全て見ることができました。
【写真】
写真1:曲輪南の高土塁
写真2:石で固められた水門のような遺構と東の曲輪?
写真3:北虎口を少し下りたところにある石垣。
写真4:北虎口
2021年04月18日 ko+
古城山城(岩倉城)[小堤城山城 周辺城郭]
リア攻めマップ登録ありがとうございます。
便乗させて頂きます。
【車】
希望が丘文化公園「西」駐車場に車を停め登城しました。
駐車料金は1日500円、領収書を提示すれば、当日車の出し入れが可能です。
【公共交通機関】
野洲駅から希望が丘西ゲートへ行くバスがあります。
【登城】
西ゲート近くの建物に置いてある『希望が丘を歩こうハイキング・ウォーキングMAP』を参考に登城。
草野球場とフィールドアスレチック間の林道を北へ進み、
H-84で北西へそれると小堤城山城、それずにH-82まで進むと古城山登山口になります。
H-82から北へ伊勢道と呼ばれる山道を登り、H-80を西へ進むと、H-70辺りから古城山城城域です。
希望が丘文化公園側の林道・山道は共に看板は新しく、とても歩き易く整備して下さっています。
【遺構】
古城山城は、正安2年築城の岩蔵(岩倉)城、或いは、応永8年築城の弥勒寺城と考えられ、どちらも六角氏が築き、家臣の馬淵氏が守備したと伝わる。
小堤城山城が築城されてからは出城として使用され、その頃の改修か虎口付近に石積が残る。
虎口は北西、北東に置かれる。
尾根を利用した土塁を含み、郭の周囲に高土塁が巡る。
往時は面積約82㎡あり干ばつの際も涸れた事のないと伝わる桜本の池は、現在も水を湛える。
小堤城山城から尾根を東へ500m進んだ位置にあります。
先人様が書かれているように、小堤城山城とあわせて登城されるのが良いでしょう(*´꒳`*)
【写真】
①郭を巡る高土塁
②桜本の池と高土塁、奥は北西虎口
③北西虎口
④北東喰違虎口
⑤⑥⑦虎口付近石積
⑧小堤城山城との間の尾根道
2020年09月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
古城山城(岩倉城)[小堤城山城 周辺城郭]
古城山城(岩倉城)は小堤城山城の東方約0.3km、標高約250mの山塊平場の一つに主郭が存します。北麓の岩蔵寺からの比高は120m位でしょか。
行き方は幾つかありますが、小堤城山山頂から東尾根伝いに辿り着く事が出来ます。「古城山裏坂→さくら道峠→」の分岐から単独での登城路も付いてますが、登城路はシダシダしまくってて気持ち悪いので、小堤城山城に行った後に古城山城(岩倉城)に行き、その帰りに使うのがよいでしょう、このお城のみの単独訪問は損だと思います。小堤城山城から時間にして10分位、所謂一騎駆けの細尾根で山城好きならきっと楽しいと感じる事でしょう。ちなみに分岐のさくら道峠を進むと小堤城山城に辿り着きますが、道が最初からよく判らない…ただ分岐の背後から城域となり遺構が直ぐに現れ始めるので、それに従い高所を外さなければ自然に行けると思います。
お城は簡単に探せる情報が殆ど無くて全く期待してませんでしたが、いやいや結構楽しいお城じゃないすか!基本、大土塁と言ってもよいぐらいの土塁と尾根に囲まれた主郭に幾つかの郭が付随している感じですが、主郭部の削平面積はこの規模のお城としては相当なものです。特筆すべきは主郭部に桜本池と呼ばれる水の手を内包していることでして、今も枯れる事なく豊かに水が湧き出ています。が、夏場は藪蚊が凄まじいのできっと辟易することでしょう。他の遺構としては坂入りの平虎口?と堀切?がありますが、主郭部に接する尾根(土塁の役目を果たしている。)を切る堀切?は主郭部への侵入を容易にしてしまうので、参道(お城跡には岩蔵寺の六坊の一つ、桜本坊が存在した。)を造った時の改変かも知れません。
築城年代は不明ですが、築城者は馬淵氏と伝わります。その衰退後には小堤城山城の支城として機能していたらしいです。距離も近いし小堤城山城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。
2019年05月29日 龍馬備中守【】
小堤城山城
主郭北側・無数に連なる郭群☆郭は(手前)石塁に守られ(中央部)くり抜かれた削平地から切岸と建物跡を想像させる☆巨石に石垣・土塁に堀切更には郭♪見所多し♪
2019年05月29日 龍馬備中守【】
小堤城山城
主郭下北側の通路☆折れ曲り容易には主郭部には行けない造りになる☆側面部には石垣も残存する☆織田信長により攻め滅ぼされる☆
2019年05月29日 龍馬備中守【】
小堤城山城
東郭群を隔てる堀切☆永原氏によって築かれた戦国の山城☆湖南地域最大規模の山城☆永原氏は馬淵氏の家臣として六角氏に従う☆
2019年05月29日 龍馬備中守【】
小堤城山城
主郭部側面の石垣☆主郭部北側は大手側?大手側と思わしき場所には無数の郭群☆主郭部上方より主導権を握る☆安土城より先行する古い石垣は見もの☆
2019年04月26日 龍馬備中守【】
小堤城山城
主郭より南側の城山山頂部の下☆斜面に現れる石垣☆
城主・永原氏は近江守護・佐々木六角氏の家臣☆城山山頂部から北と西に伸びる尾根状に郭を完備☆六角氏家臣の城の中で構築箇所が多い☆
【見所】
①随所に築かれた石垣跡♪
②主郭北側の大堀切と竪堀♪
③岩盤を利用した天然の防御♪
④主郭が城山山頂、他の郭より低い位置にある不思議♪
2016年05月18日 権中納言みきを
小堤城山城
工場側からの入口から入り、しばらくすると右に曲がるところがあるのですが、一つ目は曲がらず二つ目を曲がってください。
一つ目、二つ目ともに小さい案内板があるのですが、一つ目の矢印はよく見ると直進になっています。
自分はこれに気づかず、一つ目を右に曲がってしまい、時間をロスしてしまいました。
2015年11月11日 近江守Silvine
小堤城山城
工場側の入口ですが、フェンスがあり森林組合に連絡して鍵を借りないと入れないようです。
2015年05月09日 課長大和守Ver.B
小堤城山城
今回よく紹介される工場側からでは無く、希望ケ丘文化公園から登城しました。駐車は有料ですが広大な駐車場に止められます。
アスレチック場横から延びる林道を道標を頼りに15分程歩くと城山登山道の分岐に辿り着きます。
登山道は谷筋を登る急坂が続き、途中山頂直登ルートと峠への分岐があらわれますがどちらも城跡へアプローチできます。
ちなみに山頂郭南面の大きな石垣遺構は直登ルート上にあります。
2014年11月16日 ŧ‹”ŧ‹”。
小堤城山城
国道8号線より工場の入口を入るように
小さく城山の看板があります。
そのまま直進すると、車止がありそこから看板を頼りに歩くと
約20分で城の入口に入ります。
入口には、矢穴のあるお大きな石が鎮座し
小堤山城の大きさを威厳した感じを受けます。
城郭は、堀切や石垣
幾多の竪堀と郭が数多くあります。
主郭より堀切を越えていくと
この城、1番の大石垣があります。
山頂から、ロープを使って降りると
堀切に土橋がかかっています。
その先にも、小さな土橋が更にありました。
安土城以前にこんなに大きな城郭を作った
先人達には、驚かせられるばかりです。
遺構
野洲郡・蒲生郡・甲賀郡を隔てる鏡山山系の北端付近、標高286m地点に築かれている。山麓の北側500mには中山道が走り、周辺の峠道は甲賀へ抜ける間道として利用されていた。山頂の北西・南東方向にのびる曲輪群、中腹の尾根上に置かれた曲輪群、中腹から山麓に連なる曲輪群の3つに大別される。
主郭は山頂ではなく、中腹尾根上の城内最大の曲輪と考えられる。山麓から尾根に挟まれたこの曲輪まで1本の城道が通り、両側に曲輪が配される構造だ。尾根を土塁に見立て、谷筋にある曲輪群を防御している。城道は曲輪直下で折れ曲がり、虎口まで直進させない設計になっている。
城の随所が石垣で固められているのも、大きな特徴だ。堀切に面した、櫓台と思われる石垣による突出部が散見される。主郭とみられる曲輪の切岸沿いは、大きな石材が用いられ、見せる要素も感じられる。山頂の曲輪の東側には、高さ1.2mを測る石垣が構築されている。
尾根を土塁に見立てる縄張は佐々木六角氏の観音寺城に似ており、永禄年間に積まれたとみられる石垣の多さは、佐々木六角氏家臣の城の中でも群を抜く。築城には佐々木六角氏の意図が反映しているとも考えられ、享徳元年(1487)の六角征伐以降の六角氏の支城体制、永原氏の家臣団の中での位置付けを考える上で興味深い。
歴史
築城年代は定かではないが、佐々木六角氏の家臣である永原氏によって築かれたとされる。城のある野洲郡東部は佐々木六角氏被官の馬淵氏の勢力下にあったが、16世紀初頭から馬淵氏の家臣であった永原氏が勢力を拡大。永原氏は、大永年間(1521~1528)頃からは佐々木六角氏と直接主従関係を結び、家臣団の中でも中心的な位置まで上り詰めた。
永原氏は野洲郡全体に影響力を持ち小堤城山城を居城としていたが、元亀元年(1570)に織田信長により攻められた。
交通
・名神高速道路栗東ICから車で約13分参考文献
・『近江の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2006年・『図解 近畿の城郭Ⅰ』戎光祥出版、2014年