後藤館(ごとうやかた)
後藤館の基本情報
通称・別名
- 後藤氏館
所在地
- 滋賀県東近江市中羽田町
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 後藤高恒
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 後藤氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、門跡、掘立柱建物跡
指定文化財
- 県史跡(後藤館跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
長光寺城(滋賀県近江八幡市)[2.6km]
大塚城(滋賀県東近江市)[5.6km]
箕作城(滋賀県東近江市)[6.0km]
星ヶ崎城(滋賀県蒲生郡)[6.6km]
観音寺城(滋賀県近江八幡市)[6.6km]
安土城(滋賀県近江八幡市)[7.7km]
小堤城山城(滋賀県野洲市)[8.7km]
八幡山城(滋賀県近江八幡市)[8.8km]
鯰江城(滋賀県東近江市)[8.9km]
北之庄城(滋賀県近江八幡市)[9.0km]
後藤館の解説文
後藤館の口コミ情報
2024年04月26日 RED副将軍
布施山城[後藤館 周辺城郭]
畝状竪堀群が残る布施氏の居城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。布施氏により築かれたとされるその居城です。
布施氏は六角氏の家臣とされ、布施三河守が城主の名に残ります。
1563年、六角氏のお家騒動である観音寺騒動により六角氏が衰退すると、布施三河守は浅井氏に属します。
1568年、織田信長が足利義昭を奉じて上洛の際に近江へ侵攻。その際に布施山城は落城し、廃城となった様です。
見所
標高240mの布施山に築かれています。
山頂の前方後円墳を利用しており、後円部分が主郭で北東の前方部分が副郭として二郭で構成される小規模な山城です。
主郭、副郭ともに土塁が巡り、主郭の北側に石積みが残る虎口が開口しています。元々は埋門であったとされます。
最大の特徴が主郭の南西背後にこの地域では珍しい畝状竪堀群が残っています。
行き方は、布施公園を目標に設定。公園の駐車場を利用し、溜池の西側に登城口があります。
比高は約120mであり20分程度で辿り着きます。
登山道は整備されており、足軽人形が迎えてくれます。
2023年06月26日 RED副将軍
後藤館
六角氏重臣の後藤氏の居館🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。後藤氏によって築かれた代々の居館。
後藤氏は、近江守護である六角氏に家老として属していましたが、六角義賢の子である六角義弼により後藤賢豊は謀殺。これが観音寺騒動の発端となり六角氏は弱体化します。やがて織田信長により六角氏が滅亡した後は蒲生氏に仕えました。
見所
四周を土塁と堀が囲む単郭方形で東辺・南辺が約100m、西辺が約120mの台形状の構造です。
西辺中央部の正門跡は、唯一残る石垣遺構で平地に残る遺構は非常に珍しく、巨石による石垣は六角氏の特徴です。しかし、石垣は積み直しの痕が顕著なのが残念。
2022年12月06日 tracer_azu
布施山城[後藤館 周辺城郭]
観音寺城でもお馴染みの布施淡路守=大森城の城主で、こちらの布施山城の布施三河守が本家筋であるものの、観音寺騒動でいち早く浅井方についてしまったことからか、その後六角家内での力は弱まってしまったようです。
布施公園奥に駐車、登山道整備されていて登りやすく、畝竪、埋門跡など見所もあります。
2022年06月24日 RED副将軍
川守城[後藤館 周辺城郭]
近代弓道発祥の城跡🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。
六角氏家臣の吉田氏の居城。
明応年間(1492年~1501年)には吉田出雲守重賢が城主であり、弓道の日置吉田流の創始者とされます。日置吉田流は現代の弓道に大きな影響を与えています。
見所
現在は八幡神社が祀られており、土塁跡の様です。遺構はほぼ消失。
2022年04月04日 昌幸太閤耳川の戦い
布施山城[後藤館 周辺城郭]
東近江市にある布施山城。
六角氏被官の布施三河守家の本拠地です。ちなみに布施氏は三河守系統と淡路守系統があります。観音寺騒動後、三河守系統は浅井氏と結び、六角氏に反旗を翻しました。
城は山頂の前方後円墳を再利用した城で、前方が2郭、後円が主郭となります。主郭の埋み門跡に用いた石が石棺で、古墳だったと確認できるでしょう。
搦手側には畝状竪堀が配され、尾根からの侵攻を防いでいました。
近江は古墳を利用した城が多いとのことなので、その一例として見学させてもらいました。登城はちょっとしんどいですが、シンプルなお城ですし、ついでの城攻めに入れてみてはいかがですか?
駐車場は麓に布施公園があり、そこを利用しました。手前と奥の2箇所ありますが、奥の駐車場に停めましょう。
【写真の説明】
①布施山城遠景
②中腹にある平内屋敷跡
③登城途中の土橋と堀切
④主郭埋み門跡
⑤埋み門の屋根の石、奥はニ郭。
⑥主郭池跡
⑦畝状竪堀
⑧山麓居館跡
2022年03月20日 織田上総介晃司
後藤館
後藤館の北西部の遊具のある公園に駐車。子どもが遊んでいるときは邪魔にならないよう、事故を起こさないよう気をつけましょう。
蒲生スマートインターができたのでアクセスしやすくなりました。
周りは田んぼでなぜ後藤館だけ残されたのか不思議だ…
田んぼになって消滅してもおかしくないのに…
2021年11月29日 琉球守風のこうちゃん播守
後藤館
県道41号線から行きました🚗敷地面積はなかなかです😳土塁・石垣・空堀、よく残ってます😳駐車場は案内板の横に停めれます🤚簡易トイレが有りました☝️
2020年10月25日 圧切石見守とらのすけ
後藤館
農地の中にひっそりと佇んでいます。土塁の跡から、中世武家屋敷を感じる事が出来、桜の季節は土塁の向こうに桜の花が咲いて綺麗です。
2018年07月16日 木下近江守湖一郎
後藤館
土塁は高く、石垣の石は大きいです。
中世の館との大きさは感じることができます。
竜王インターと観音寺、安土の間にあるので、各城に行ったついでに寄ってみてはいかがでしょうか。
2012年10月03日 ŧ‹”ŧ‹”。
後藤館
門の石垣や土塁、堀の跡が残っていますが、手入れがされていないのが残念です。石垣も雑草に埋もれんばかりの状態。近くには『後藤堀』という字名が残っているそう。
2011年08月01日 古楽侍従広家
後藤館
佐生城主の後藤但馬守賢豊の屋敷は、12キロほど離れたところにありました。
現在の後藤館には、土塁の一部と虎口と思われる場所に石垣があります。それらの遺構の中は田んぼになっていますが、この場所が館の中心部となるところです。
土塁の幅は11m高さは3mほどあるそうです。石垣部分は、そこだけを見せるように再現した感じがするのですが…
戦国大名の重臣の屋敷の規模を知るにはいい場所です。
「後藤堀」の字名が残り、現在も門の石垣や土塁、堀の一部が残っている。堅固な構えの中世武家屋敷の面影をとどめており、昭和58年に滋賀県の史跡に指定された。
後藤館全体の規模は西辺の南北が約120m、東辺の南北が約100m、東西幅が約100mの台形状で、その外側に幅6~10.5mの堀を巡らす構造となっている。
発掘調査では、石積みを部分的に使った門跡や堀跡、掘立柱建物跡が発見され、堀跡からは室町時代後期の遺物が出土している。
交通
・JR琵琶湖線近江八幡駅から近江鉄道バス日八線もしくは、長峰線 羽田西下車徒歩5分・名神高速道路八日市I.Cより車で30分、竜王I.Cより車で20分