八幡山城(はちまんやまじょう)

八幡山城の基本情報

通称・別名

近江八幡城、八幡城

所在地

滋賀県近江八幡市宮内町

旧国名

近江国

分類・構造

山城

天守構造

不明

築城主

羽柴秀次

築城年

天正13年(1585)

主な改修者

京極高次

主な城主

羽柴氏、京極氏

廃城年

文禄4年(1595)

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀)、犬走り

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

北之庄城(滋賀県近江八幡市)[0.7km]
水茎岡山城(滋賀県近江八幡市)[3.3km]
安土城(滋賀県近江八幡市)[5.4km]
長光寺城(滋賀県近江八幡市)[6.3km]
星ヶ崎城(滋賀県蒲生郡)[6.9km]
観音寺城(滋賀県近江八幡市)[6.9km]
永原城(滋賀県野洲市)[7.3km]
沖島坊谷城(滋賀県近江八幡市)[7.3km]
伊庭御殿(滋賀県東近江市)[7.7km]
後藤館(滋賀県東近江市)[8.8km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)157 八幡山城

設置場所

近江鉄道八幡山ロープウェイ山上駅[地図
瑞龍寺[地図

八幡山城の解説文



八幡山城(はちまんやまじょう)は、滋賀県近江八幡市宮内町周辺(近江国蒲生郡)に存在した日本の城(山城)。羽柴秀次の居城として知られる。別名近江八幡城とも呼ばれている。

概要 

近江八幡駅より北西へ約2.5kmにある、独立丘鶴翼山、通称八幡山(標高283m、比高100m)の南半分山上に築城された。急峻な山城である。現在の八幡山は独立丘となっているが、築城当時は東西に内湖があり、南の平野部に城下町を配した構造は、安土城と類似した占地に築城している。城下町は安土城下町を移住させて形成された。かつての城下町の一部は日牟禮八幡宮境内地、八幡堀とともに近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区の名称で重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。八幡堀は琵琶湖の水を引いて作られた堀で戦闘の用をなすだけでなく運河の役割も果たしていた。1970年代には埋め立てて公園と駐車場にする計画が立てられたが「よみがえる近江八幡の会」「八幡堀を守る会」などの住民運動によって蘇り、時代劇の撮影に使われるなど名所の一つとなっている。

2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(157番)に選定された。

沿革 

1582年(天正10年)の本能寺の変と山崎の戦いのしばらく後に灰燼に帰した安土城は、清洲会議を経て三法師(織田秀信)を城主に、織田信雄を後見人として再興することとなった。しかし翌1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦い以降、政情が豊臣秀吉の天下へ移行する中で、1585年(天正13年)の紀州攻め、四国征伐で副将格で戦陣に入り武勲を立てた豊臣秀次は8月23日の論功行賞で近江八幡43万石(豊臣秀次は20万石、宿老に23万石)を与えられると安土城の隣地に八幡山城を築き、安土城の建物や城下町を移築することにした。

豊臣秀吉は八幡山城を安土城に替わる近江国の国城として、豊臣秀吉自身が普請の指揮をとり、山頂の城郭と麓にある居館、そして安土城から移築した城下町の造営に力を注いだ。しかし、八幡山は安土山と違い険しい山で、山の斜面を充分活用できず麓の居館が城の中心となった。(ここから多数の桐紋の金箔瓦が出土している。金箔瓦には安土城大坂城とよく似た形状の巴紋瓦もある。)

豊臣秀吉の八幡山築城の狙いは、豊臣秀次の宿老に田中吉政を配し、水口岡山城に中村一氏、長浜城に山内一豊、佐和山城に堀尾吉晴、竹ヶ鼻城に一柳直末を配して、近江国を軍事的、経済的要衝として万全な体制にすることにあった。

豊臣秀次は18歳で入城したが、1590年(天正18年)に尾張国清洲城へ移封。代わって京極高次が2万8千石で入城したが、1595年(文禄4年)秀次事件で羽柴秀次は切腹、聚楽第と同時期、築城から10年で八幡山城は廃城となり、京極高次は大津城へ移った。

本丸跡には秀次の母・豊臣秀吉の姉の日秀尼(智)が開基の村雲門跡瑞龍寺が1963年(昭和38年)に移転されている。

城郭 

城跡は大きく分けて2つから成り立っている。一つは山頂部の山城と、2本の尾根に挟まれた谷筋の空間に居館を配置する。このように防衛空間としての山城部分と、居住空間の居館を分離する構造は、戦国期の城郭に数多く見られるが、近世城郭では珍しく、時代に逆行した二次元分離形態をとっている。これは築城時が小牧・長久手の戦いの翌年で、しかも徳川家康との講和以前の段階となっており、東国に対して臨戦態勢の緊張下にあり、防衛線として八幡山城が機能したことに起因する。

1967年(昭和42年)に山頂の本丸から山麓の居館部分に集中豪雨によって大規模な土砂崩れが発生している。近江八幡市では土砂工事に対応し 史跡指定も視野に入れた遺構の残存状態の確認のため発掘調査が行われている。

山城

山城部分は総石垣作りで、本丸、二の丸、北の丸、西の丸、出丸がY字形に延びる放射状に配置され、それぞれに高石垣で構築されている。1963年(昭和38年)に京都より移築された瑞龍寺の門が八幡山城の本丸虎口となっている。また瑞龍寺の移築に伴い事前の発掘調査が行われ、建物礎石、鬼板、軒丸瓦などの多くの遺物が検出された。また礎石の中には五輪塔や宝篋印塔、層塔などの流用礎石を用いたものがあり、石垣の中にも含まれていることから、短期間で築城を目指したと考えられている。

本丸と西の丸に接する西北隅に、15m四方の天守台があり天守がそびえていたと推定されている。本丸の西側の2ヵ所は1953年(昭和28年)の台風13号の影響で石垣が崩壊してしまい、現在はコンクリートで固められている。この部分は西の丸方向に埋門があり、通称「弁慶橋」といわれている埋門の上をかかる櫓の土台石があったと言われているが、これらも崩壊し全く跡をとどめていない。

本丸の虎口は、方形の空間を設け右に折れ内枡形となっている。本丸虎口より90度曲がり、そこから下り二ノ丸に至り、さらに90度に曲がると二ノ丸と平虎口に到っている。この平虎口から本丸に向う動線には、横矢がかかる仕掛けとなっており、鉄砲や弓矢が撃てるようになり防御性を高めている。二の丸には八幡山ロープウェーの八幡城址駅があり、展望館も建設されている。

各曲輪の石垣の隅部分は算木積みになっており、加工された石材が使われている。隅部分の石垣以外は粗割石か自然石が積まれており、本丸の石垣は比較的大きめの石材を使用している。石垣の傾斜も直線的で積まれ反りが見られない。本丸を取り巻くように帯曲輪があり、これは本丸を通らず各曲輪を往来できるバイパスの機能を兼ねている。西の丸、北の丸の地表面には建物礎石跡が露出しており、この曲輪にもなんらかの建物が建っていたと思われている。山城の大手は不明だが、二の丸にあるロープウェー八幡城址駅付近の石垣が大きく崩れており、この付近に存在していた可能性が指摘されている。

この城の石垣は『岩倉石工文章』によると、南方約4kmの地にある岩倉山より石材を運んだという記載がある。

秀次居館

八幡山城の特徴として山城部分とは別に築かれた南山麓の居館部分である。谷地形の中央部分、標高約130mの地点より雛壇状に曲輪が配されており、最上部に位置するのが秀次居館跡で、巨大な内枡形の食い違い虎口があり、その西側には二段、東側には四段の高石垣を構えている。秀次居館跡の石垣も隅部分は算木積みで積まれており、直接的に傾斜する。この部分の築石は部分的ではあるが、鏡石積みで八幡山城の石垣石材の中で、非常に大きな石が使われており、権威の象徴的に使用されている。居館曲輪の平坦地は、東西300m×南北100m余りの大平坦地となっており、山斜面を切り土と盛り土から造成されていることが発掘調査から判明した。下部の家臣屋敷曲輪は誰が居を構えていたかは史料が残っていないため判明しておらず、また近世の改変をうけている部分もある。居館曲輪には大型の礎石建物跡と考えられる礎石列、それに伴う溝、建物に葺かれていた金箔瓦が出土しており、柱間が約2mになるもので、ここには書院造の御殿が建っていたと推定されている。また居館には一直線に伸びる大手道があり、安土城の2倍に達する約270mの距離がある。

山城部分と居館部分は共に、総石垣作り、礎石立ち建物、瓦葺き建物など近世的な構造を持っている。しかし縄張り構造や石垣技法から山城の方がやや新しいとの指摘がある。「「雉城」状の突出部や矢穴石垣は、天正期の他の織豊系城郭に見られず、文禄・慶長の役の倭城やその後の国内城郭に多く見られる手法である。このことから山城部分は京極段階に改修された可能性が考えられる」としており、山城部分は倭城城郭の特徴と類似点があり、京極高次の改修が考えられるとしている[1]

城下町

城下町は、安土城の城下町の町民を移して町づくりを始め、近隣の町村からも移住を促した。町並みは横筋4通り、縦筋12通りを中心に碁盤目状に作った。他の城下町は町筋をジグザグにし防備能力を高めるのに対して、八幡山城下町は、商業振興第一主義に切り替えた平和的な政策であったと考えられている。東から二筋を大工町、鍛冶屋町、畳屋町、鉄砲町などの職人の居住区でしめ、三筋目から西へ十筋を、仲屋町筋、為心町筋、魚屋町筋、新町筋、小幡町などの商人とした。これら町名も安土城下町との共通町名が多い。

またこれも安土城同様中世の特権商人組織であった、座、市を外し八幡楽市楽座とした。これは羽柴秀次が築城した翌年天正14年(1586年)6月に掟書を発布した。八幡楽市楽座令は、13条からの条文で成り立っており、安土楽市楽座令と酷似している。両条文は細かな違いはあるが、それは歴史的条件の違い、織田信長と羽柴秀次の権力の違いによると考えられている。後日この地より近江商人が出て全国に発展することになり、この時の八幡楽市楽座令が基礎を築いた。

八幡堀

八幡堀は琵琶湖から引いた八幡町の外に巡らし、八幡山の麓を八幡堀と塁で囲み、その中に羽柴秀次居館や武家屋敷を配し、防御と同時に運河として重視した。長さ6kmに及ぶ八幡掘は廃城後も明治時代、大正時代まで商工業の動脈として役割を果たしていた。堀幅11-18m、深さ1.4mの規模を持っている。琵琶湖から直接舟入できるようにし、羽柴秀次時代には往来する舟は八幡に立ち寄らなければならない決まりを出した。八幡浦は回船業を営むことができる親浦の一つで、琵琶湖では他に大津浦と堅田浦の三ヵ所だけであった。物流の拠点の一つであったが、北前船の開設により急速に減退していった。

城跡へのアクセス 

電車でのアクセス

  • JR東海道本線(琵琶湖線)および近江鉄道八日市線(万葉あかね線)近江八幡駅から近江鉄道バス(長命寺行き)で八幡堀(大杉町)八幡山ロープウェー口停留所下車、徒歩5分→八幡山ロープウェー

車でのアクセス

  • 名神高速道路竜王IC→国道477号→滋賀県道2号大津能登川長浜線→八幡山ロープウェー
※八幡公園に無料駐車場あり。

参考文献 

  • 【書籍】「近畿の城」
  • 【書籍】「城郭と城下町」
  • 【書籍】「戦国から近世の城下町 石寺・安土・八幡」
  • 【書籍】「日本城郭大系」
  • 【書籍】「近江の山城 ベスト50を歩く」
  • 【書籍】「秀吉の城 戦国を制した太閤の城郭その築城と戦略」

八幡山城の口コミ情報

2022年08月09日 山県主計頭ニャン八
八幡山城



八幡宮からロープウェイで登りました。歩くのも考えましたが、35度もあったので無理だなと思ってこうした次第です。秀次公が自害させられたので、八幡山城も破城をくらっているのかなとも思いましたがあまりにも遺構の残りが良く、驚きました。高石垣がよく見られ、西の丸には2匹の可愛い猫がいます(運による)のでおすすめです。

2022年04月10日 まー
八幡山城



ロープウェイで山の上まで登って西ノ丸から見た琵琶湖はサイコー❣️桜吹雪の城下町も風情があって素敵。

2022年03月28日 総州荒木氏始祖武蔵守まさ
八幡山城



ロープウェイで楽に登城できます。石垣はよく残っていて楽しめました。写真は観音寺城だそうです、ご指摘頂きましたので修正しておきます。

2022年02月09日 兵部大輔マサヒロ
八幡山城



近江八幡駅前でレンタサイクルを借りてロープウェイの麓まで。自転車で15分くらいでしょうか。本丸跡には豊臣秀次の菩提寺・瑞龍寺が移築され、お寺の山門が本丸虎口になっています。本丸に金色の神社があったのは、さすが豊臣といったところでしょうか?

本丸の西側はコンクリートで固められていますが、それ以外の石垣は綺麗に残されており、なかなかの見応え。私が行った時には雪が残っていたので風情がありました。西の丸からの琵琶湖の眺めは見事でした。

またロープウェイ麓から西側少し歩いて八幡公園、その奥に秀次の居館跡があります。大手道の左右に家臣の館があり、最上部が秀次の館だったようです。こちらもなかなかの見応えなのでゼヒ。

2021年10月09日 VTR美濃守シゲ
八幡山城



リア攻めマップに有る駐車場に停め登城しました

およそ30分でロープウェイ山頂駅横に出ます
なかなかの急登ですので水分持ってゆっくり登りましょう、もちろんロープウェイという選択も有りです

続100スタンプ、山頂駅に置いてあります

御城印、本丸のお寺さんで御朱印と一緒に扱われてます、御朱印共に印刷です

見所は西の出丸の景色と本丸への桝形虎口
そしてなんといっても高い石垣です

秀次館跡の石垣も見事、竹藪になっているので全体は分かりませんが、一部分だけでこの規模だとどんな大きさだだったのか
想像が膨らみます

2021年09月25日 飛騨守勘助
八幡山城

様々な方角から琵琶湖を愛でることが出き、頂までの道のりの大変さ。まさに豊臣強さと大きさ、哀愁をも感じることの出来る城でした。
コロナ禍でなかなか遠くに出かけられませんが、近くの城をリア攻めする楽しさを改めて知ることができました。

2021年09月02日 釆女正佐吉。
八幡山城



イベントで攻略した折に、ロープウェーで登城しました。

金華山はロープウェーガールの解説付きですが、こちらはガールは同乗しません。
ガールがいるのも良し悪しで、他の乗客ゼロ、マンツーマンでガールの解説聞く歴BBAを想像してみてください。辛いものがあります。
陽ぼっちはガールに話しかけて会話してみると良いかもしれません。歓迎されるかウザがられるかは腕次第です!
陰ぼっちはもうひたすら景色を見て(るフリして)時折頷くと「解説聞いてくれてる」とガールも喜ぶかも知れません。知らんけど。

いずれのロープウェーも大概は家族連れ、カップル、熟年夫婦等で埋まっています。そこは予め覚悟して乗り込んでください。4分…長いようで短い。短いようで長い長い4分。ひたすら景色に見入る4分間です。あごめんなさいぼっち前提で。

さて山頂到着。
暑い…暑いよ秀次さん。もう汗だくだよ。そんなに歩いてないのにもう息が絶え絶えだよ秀次さん。はよ見てはよ次の攻略行きたいよ秀次さん…。
心の中で秀次さんの名を唱え歩みを進めるのですが、石垣を見たら気分が変わったんですね。
普段石垣見て「おぉー‼︎」とかあまりない。あ石垣!位なんですが、八幡山城の石垣…凄かった!
何が凄いとかは説明が…。感性の問題なんでね説明はできません!暑かったしできません!
一言で言えば流石後継者と目されていた秀次さんのお城です。石垣です。
湖北と西美濃しか行かない私のレベルはそんなんです。

でも、凄いんですが悲しく暗く見えてしまう。
お天気良かったんですが、何故でしょう。

所謂秀次さんと一族の末路や駒姫の悲劇など、ごく一般的な浅い知識は登城する以前からあったので、それとは別の感情からくるものなのか何なのか。
「秀次さんってどんな人だったんだろう」と歴史的出来事とは別の、人間秀次さんを知りたくなったのです。

秀次さんのお顔立ちってサイコパス的というか、(後付とはいえ)殺生関白もさもありなん、正直受け付けないタイプなのに。
関連地を訪れるとその人物に対する関心が高まるのも、敗者に惹かれるのも歴BBAあるあるですが、何かが違う。気がする。日に何度も秀次さんが頭に浮かぶ。


秀次さん。
もしかするとこれは淡い恋心ってやつかもしれません。
また来ます。待ってて、秀次さん。

2021年08月14日 菩提左兵衛佐山城
八幡山城



石垣が多く残っており、石垣好きにはたまらない山城です。
八幡山ロープウェーで山頂駅に行きましたが、そこから見える城下町は、道がまっすぐで、豊臣らしさが感じられます。
山頂駅に着いたら「おねがい地蔵堂」に向かいます。ここの石垣は見応えがありますよ。次に西の丸跡に行きますが、ここから見える景色が私は1番好きです。ちなみに、出丸へ行くことはできません。その後、北の丸跡、村雲御所瑞龍寺門跡に行きますが、ここの石垣も見応えがあります。村雲御所瑞龍寺門跡で八幡山城の御城印が手に入るのですが、現在は、桜の御城印が追加され、7種類あります(その他に御朱印があります)。
八幡山城に来たら、ロープウェー乗り場から少し距離はありますが、八幡公園の豊臣秀次像は見ておきましょう。カッコいいですよ。

2021年08月09日 【城郭道】尾張守たっきー
八幡堀[八幡山城  遺構・復元物]



琵琶湖から水を引いた全長5キロの堀。城域を囲む外堀、運河の機能があった。
廃城後も、明治時代から大正時代まで商工業の動脈として発展した。近年では、数多くの映画を撮影する地としても知られている。今も、船が流れている。

2021年07月14日 ひろ左馬頭
八幡山城



近江八幡駅から徒歩で30分、登城口から登山で30分で山頂に到着。とにかくいたる所に石垣があって感動します。ただ恋人達の聖地としては中途半端なのでやめた方がいいと思う。もっと城感をアピールした方が観光客が来そうな気がする。

2021年04月15日 イオ紀伊守
西の丸跡[八幡山城  遺構・復元物]



西の丸からは琵琶湖方面の眺望が開け、右手に長命寺港、左手に水茎岡山城を見渡せます。西側斜面の樹木は伐採され、麓からも石垣がよく見えます。何故か西の丸には人に馴れた猫が沢山いました。

2021年04月15日 イオ紀伊守
北の丸跡[八幡山城  遺構・復元物]



北の丸からは安土城・観音寺城・西の湖方面と琵琶湖方面の眺望が開けているほか、石垣も見どころで、北之庄城へ続くハイキングコースを少し下りていくと見ることができます。

2021年04月14日 yasu
八幡山城



八幡山ロープウェイで4分、お願い地蔵側左手から、手すり付きの階段を数段上がれば石垣が現れます。私は膝が悪いので手すりは有り難かったです。ゆっくり40分で一周して二の丸跡から降りてロープウェイ乗り場へ戻ります。時間は00分から15分毎に出てるので便利だと思います。スタンプは山頂駅にありますが、にじんでいて状態は少し悪しです。

2021年04月14日 イオ紀伊守
展望館[八幡山城  関連施設]



二ノ丸には展望台と展望館があり、「恋人の聖地」のオブジェなんてものもありますが(城好きには無縁!?)、展望台からは城下町はもとより安土城や観音寺城まで広く見渡せ、眺望はなかなかのものです。

また展望館には八幡山城や豊臣秀次の資料が展示されていますので、時間があればどうぞ。

2021年04月14日 イオ紀伊守
山麓・秀次館跡[八幡山城  遺構・復元物]



麓から真っ直ぐのびる大手道の両側に雛壇状に曲輪群が配され、大部分は竹藪ですが、随所に石垣が見られます。

大手道正面・最上段の秀次館は巨石を用いた高石垣を備え、隅部分は算木積で積まれています。さすがに天下人の後継者の居館だけのことはある、と実感させられる壮大な石垣でした。

2021年04月13日 イオ紀伊守
八幡公園駐車場[八幡山城  駐車場]



八幡公園の駐車場(無料)で、山麓居館や豊臣秀次像に行く(または歩いて登城する)場合には便利です。

なお、八幡公園案内図によれば、駐車場脇の階段を上ったところの広場は北脇邸跡らしいですが、遺構はなさそうです。

2021年03月06日 ばらく~だ
八幡山城



先人の口コミにありました、八幡公園奥の石垣は、案内図によると秀次館のものの様です。
巨石が多く、石垣からも威容が感じられました。確かに、一見の価値アリです。
ただ、周囲が竹林に覆われているので、今後の整備に期待です。

2020年10月08日 まー刑部卿
八幡山城



ここは日牟禮八幡宮の参拝される方が多いので車で行かれる方は注意してください。その通りに駐車されることをお勧めします(無料)。
ロープウェイを使用しないリア攻めも出来ます。豊臣秀次公邸跡のある八幡公園内に駐車場はありません。先程の駐車スペースに駐車し歩いて行かれるとよろしいかと。また前回無かった遊歩道がありました。
山上に石垣有り。西の丸跡に野良猫居ます。餌はあげないようお勧めします。現在村雲御所瑞龍寺内で地元出身の『布施美子貴』さんの展示がされて幻想的な展示がされています。ただ瑞龍寺拝観料300円かかります。
山上のお土産屋さんは撤去されてました。二階に少ないですが説明パネルがあります。

2020年09月24日 戸沢夜叉九郎正樹
八幡山城



麓の八幡公園の一番奥にある石垣は一見の価値あり。つい忘れがちになるのでご注意を。山頂で販売している御城印は何種類もあるので正直迷います。

2020年08月01日 めぐむ
八幡山城



日牟禮神社から登りました。西ノ丸から出丸への登山道はまだ通行止めです。

2020年04月19日 【城郭道】尾張守たっきー
八幡山ロープウェイ山上駅[八幡山城  スタンプ]



八幡山ロープウェイ山上駅の続日本百名城スタンプ押印所のところにあります。

2019年11月05日 織田上総介晃司
八幡山城

神社から八幡公園にかけて駐車場がありますが、連休の時はすぐ満車になります。

ロープウェイを使い山頂まで行きました。
往復券のほうが若干割り引きがあります。

滋賀県のご当地ラーメンの近江ちゃんぽんを食べました。長崎ちゃんぽんとは違い、スープは鰹と昆布の和風仕立てであっさりしてます。
レンゲ半分の酢を入れるのが通だと言います。
酢を入れるとスープの味を壊す。と言う人もいます。
一度お試しあれ。

2018年08月27日 近江守TOMO
八幡山城

続100名城スタンプは山上駅に設置されていました。山上の売店がなくなり、休憩所になっていました。出丸は相変わらずロープが張られていて、立入禁止のようです。

2018年05月29日 天道民部卿早雲
八幡山城

徒歩で登城してきました。山頂の城跡もよかったですが、麓の八幡公園の館跡群の数々の石垣がとても見事でした。
私が行ったときは100スタンプは山頂ロープウェイ駅にありましたが、お寺受付にある場合もあるらしいです。


2018年04月09日 国士無双河内守
八幡山城

続100名城スタンプは、瑞龍寺門跡 本堂にあります。八幡山ロープウェー山頂駅にはありません。(2018.4.9時点)

2018年03月14日 婆裟羅褫顕近江守推参
八幡山城

毎年3月に左義長まつりが2日間行われます。(2018年は3月17日18日)

この日は山車も出て大変混雑し、周辺道路は交通規制もかかりますので車でのお越しの際はお気をつけください。

ちなみに左義長まつりは元々安土城下で行われていたもので織田信長も参加したと言われているそうです。

4月14日15日は八幡まつりがあり同様に交通規制があります。

2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
八幡山城

駐車場あり。
神社の駐車場か古い町並みにある臨時駐車場など。
山頂に石垣があります。
ロープウェイか自力登山になります。


2016年08月28日 源山城守ポンコ2…
八幡山城

日牟禮八幡宮前に駐車し、山手に少し歩くと八幡山ロープウェイ乗場があります。
ロープウェイは乗車時間4分ながら片道490円ですが、炎天下に山登りを考えるとお値段以上かと思います。

ロープウェイの山頂駅が二ノ丸にあり、ここには売店、展望台、トイレがあります。
順路に従い本丸がある瑞龍寺門跡を目指そうとすると、すぐに石垣がお出迎えしてくれます。
山城にも関わらず、ここの石垣の石の大きさはさすが天下人の甥の城と思わされました。
門跡の山門は本丸虎口にあたりますが、ここの石垣も立派なつくりでした。
門跡の本堂にお詣りし、西の丸跡へ行くとそこには琵琶湖や岡山城を望む景色が素晴らしかったです。
続いて北の丸跡へ行きましたが、ここからは安土山や観音寺山等の城山を一望でき、こちらもよい眺めでした。

八幡堀にある瓦ミュージアム(300円)には、城跡から発掘された瓦や世界各地の瓦が展示されてて、ついでに行ったわりには面白かったです。

2016年05月14日 橘若狭守次郎吉
八幡山城

近江八幡駅でレンタサイクルで15分ほどでロープウェー乗り場に到着。始発のロープウェーに乗りましたが、数名乗車してました。
ロープウェーの中では八幡山や八幡城、豊臣秀次についてのアナウンスがあります。行き帰り違う内容でした。4分程で山上に到着。ロープウェー乗り場は二ノ丸にあります。
本丸には現在お寺が建立されており、お寺の入口の門の辺りが本丸の虎口だったそうです。
北ノ丸、西ノ丸からの眺めは最高です!安土城跡と観音寺城跡の山が見えます。この時期、特に北の丸、西ノ丸には蜂が多くいますのでお気をつけください。
北の丸から北之庄城跡へ行けます。
石垣が見事なものですね。一部、昔起こった集中豪雨、台風の影響で崩れてしまった石垣もありますが。
今回私は行かなかったですが、豊臣秀次の居館跡もあります。
城下町の雰囲気が良かったです。城下にいくつかある〇〇家住宅は歴史博物館です。


2016年04月16日 シバヤン大和守雲外蒼天
八幡山城

近江八幡に来て街並みを見ていると虚像と実像の違いが•••。秀吉から呼ばれて数々の戦功を挙げて初めてこの地を授かった時18歳。さぞや嬉しいと思ったんやな~と思いました。
治水と城の防衛両方に効いている八幡堀。そこから碁盤状態に整備された商人街の土産物屋さんから聞こえてくる秀次さん、秀次さんと慕われる声は偽りではないと思いました。
この近江八幡に治世に情熱をぶつけた18歳の無垢な青年に天下人の後継者問題の黒い渦は理解不能だったんでしょう•••。1595年7月15日切腹、享年28。何とも惜しい、哀憐の情を覚えました。

ロープウェイ入口から山頂の本丸まではあっという間。見所は北ノ丸跡下の大堀切、西ノ丸跡からの琵琶湖の眺望です。今回は出丸跡は整備中で侵入禁止でした。
城散策の後オススメはギャラリースペース新町浜の「よしうどん」、為心町通りのカネ吉山本八幡店のコロッケです!
ウマイッス~(^∇^)

人生背伸びしないで自分の身の丈にあったように生きたいものです。
秀次さんも近江八幡城主としてだけ人生送れば幸せだったんではないでしょうか?




2015年10月26日 まるき〜主殿助
八幡山城

近江八幡城に行くなら朝早い方が楽に駐車できて良いです。
近江八幡城付近は観光地ですので…
図書館より船乗り場付近の駐車は無料、早い者勝ち、表通りの観光用駐車場は有料です。
ケーブルは朝9時より、15分おきに出発、約4分間で到着
西の丸〜北の丸〜には恋人たちの聖地と言う事でモニュメントがあり、夜はライトアップしている模様、本丸に瑞龍寺と言うお寺さん、秀次の霊を慰めているらしいです。二の丸の場所に売店兼展望所があり眺めは良く気持ちが良いです。城の解説が少々と現在はヤマノススメと言うアニメのイベント中でパネル等が展示されていました

近江八幡に来たのならせっかくなのでドラマでよく使われる堀めぐりの場所へ行く事をオススメします。
場所は瓦ミュージアムの下より乗船可能、おとな1000円、こども500円、約35分のタイムトリップ!
きっと思い出に残るかと思います。
堀めぐりは朝10時からスタートの為それ以降は無料の駐車場が大変混みあいます。
朝の連ドラや映画るろうに剣心のあの場所に出会えますよ。


2014年12月28日 コロ助
八幡山城

近江八幡駅前の観光案内所の隣にレンタサイクルがあります(観光案内所とは別店舗、1日\500)。レンタサイクルで15分程で八幡山ロープウェー乗場に到着(ロープウェーは15分毎、往復\820)。

出丸跡は立入禁止になっていました。八幡山は『恋人の聖地』に選定されているらしく、北の丸にはカップル撮影用のベンチ、西の丸にはLOVEというオブジェが設置されていますが、カップルばかりという訳でもないので、一人で行っても痛々しい感じもなく(…と思いたい)、石垣も多くて楽しめました。個人的に、ロープウェー乗場で売ってる、赤こんにゃくを使った「赤こんドッグ(\210)」がお気に入りです。

2013年01月29日 日光人
八幡山城

八幡山麓にあるロープウェーは2/2迄ワイヤーの張り替えと点検のため運休だそうです。
登山道は八幡公園下の駐車場から八幡縦断道へ向かって登城できます。途中、不動明王の鳥居をくぐり道也に進み、二つ目の鳥居を左折し後は道也でOKです。

2012年05月04日 傾奇揚げ仙兵衛
八幡山城

近江八幡城下、新町の古い町並み
八幡堀沿いにある昔懐かしのポン菓子や

2011年07月11日 古楽侍従広家
八幡山城

建物の一部は、大津城を経て彦根城天守になります。
近年発掘された秀次屋敷は一見の価値があります。
教えてもらった話では、麓の八幡堀と同じ構造で柳川の運河が作られたそうです。

2010年07月25日 徳川内大臣源朝臣康武
八幡山城

[武将像]豊臣秀次像
近江八幡城麓の市立図書館背後の公園に鎮座。
因みに図書館内に発掘出土品などを展示した八幡城資料室がある。

八幡山城の周辺スポット情報

 山麓・秀次館跡(遺構・復元物)

 北の丸跡(遺構・復元物)

 西の丸跡(遺構・復元物)

 虎口(遺構・復元物)

 西尾根郭群(遺構・復元物)

 八幡堀(遺構・復元物)

 豊臣秀次像(碑・説明板)

 八幡公園案内図(碑・説明板)

 西光寺(碑・説明板)

 津田城(周辺城郭)

 瑞龍寺(寺社・史跡)

 長命寺(寺社・史跡)

 福城寺(寺社・史跡)

 天之御中主尊神社(寺社・史跡)

 大島・奥津嶋神社(寺社・史跡)

 西願寺(寺社・史跡)

 日牟禮八幡宮(寺社・史跡)

 八幡神社(寺社・史跡)

 円満寺(寺社・史跡)

 御城印(御城印)

 八幡山ロープウェイ山上駅(スタンプ)

 お手洗い(トイレ)

 八幡公園駐車場(駐車場)

 展望館(関連施設)

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