大津城(おおつじょう)

大津城の基本情報

通称・別名

雲浜城

所在地

滋賀県大津市浜大津

旧国名

近江国

分類・構造

水城

天守構造

望楼型[4重5階/1586年頃/解体]

築城主

浅野長政

築城年

天正14年(1586)

主な改修者

主な城主

浅野氏、増田氏、新庄氏、京極氏

廃城年

慶長6年(1601)

遺構

石垣

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

宇佐山城(滋賀県大津市)[2.9km]
膳所城(滋賀県大津市)[3.3km]
壺笠山城(滋賀県大津市)[5.0km]
坂本城(滋賀県大津市)[5.5km]
山科本願寺(京都府京都市)[5.7km]
中尾城(京都府京都市)[5.7km]
瀬田城(滋賀県大津市)[6.0km]
山田城(滋賀県草津市)[6.3km]
将軍山城(京都府京都市)[6.4km]
延暦寺(滋賀県大津市)[6.8km]

大津城の解説文



大津城(おおつじょう)は、安土桃山時代に近江国滋賀郡大津にあった日本の城。

概要 

現在の滋賀県大津市浜大津、びわ湖浜大津駅(京阪京津線・石山坂本線)周辺一帯にあった水城である。二の丸・三の丸は内陸側にあり、本丸は当時の琵琶湖岸に面し、共に港の機能を担っていたが、現代の大津港はその沖側を埋め立てて建設されている。関ヶ原の戦いでは激しい城の攻防戦が行われた。その騒音は連日京都にまで届き、市民の中には弁当と水筒持参で見物に行く者まで出たという。

戦後に廃城となり、天守などが膳所城彦根城に移築されたと伝えられる。彦根城の天守がかつての大津城天守の用材を転用して建てられている可能性が、昭和32年(1957年)に行われた彦根城天守解体修理の際に符号、墨書きが見つかったことを根拠に示されている。これにより大津城の天守は望楼型の4重5階であったと考えられている[1]

歴史 

1586年(天正14年)、豊臣秀吉は坂本城を廃城とし、浅野長政に命じて新たに築城された。その後、城主は増田長盛、新庄直頼と代わり、1595年(文禄4年)に京極高次が城主となり6万石を与えられた。

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで高次は東軍に属し大津城に籠城した。しかし大津城はもともと琵琶湖の水運を利用して美濃、越前方面から運ばれてくる物資を安全に保管するための城郭であり、攻防戦には不向きであった。9月7日より毛利元康・立花宗茂ら西軍1万5000に城を囲まれ攻防戦が開始された。これに先立ち、京極軍3000は12時間かけて城下を焼き払い、町は荒野と化した。京極軍は家臣赤尾伊豆守、山田大炊以下、奮戦し、7日間持ち堪えたが、9月13日からは近くの長等山から大砲で砲撃を受け、砲弾は眼下に落ちるような勢いで天守その他の建築物を破壊し、城内が混乱した間隙を縫って立花軍が二ノ丸までを占拠した。ここに至り、北政所の側近孝蔵主と高野山の木食応其の仲介による講和が成立する。9月14日に降伏開城した高次は園城寺に入り、剃髪して高野山に上った。しかし、西軍1万5000を大津城に釘付けにした功績は大きく、戦後、徳川家康は高次を召しだし、若狭小浜城8万2000石に加増転封させた。

高次が若狭へ移ってまもなくして、家康は大津城を廃城にし、新たに膳所崎に膳所城を築城した。大津城攻防戦で戦禍を免れた建築物の一部は、彦根城膳所城に転用、移築された。

歴代城主 

1.浅野長政(1586年 - 1589年) 2.増田長盛(1589年 - 1591年) 3.新庄直頼(1591年 - 1595年) 4.京極高次(1595年 - 1600年) 5.戸田一西(1600年 - 1601年)

大津城の口コミ情報

2022年05月08日 RED副将軍
大津城



かつては琵琶湖の水運、北国街道や東海道、東山道の分岐点として、軍事上、経済上の超重要拠点でした。

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

1586年、豊臣秀吉は坂本城を廃城とし、浅野長政に命じて新たに築城。坂本城の遺材が転用されました。1595年に京極高次が城主となり、その後の関ヶ原の戦いでは東軍に属します。その前哨戦といえる大津城の戦いでは激しい籠城となります。西軍の毛利元康15,000の兵に対して京極軍は僅か3,000。7日間耐えましたが、和睦し大津城は陥落。しかし、15,000の兵を関ヶ原に向かわせずに釘付けにしておいた功績は大きく、関ヶ原における東軍勝利の要因とも云われています。その後、徳川家康により京極高次は若狭小浜城8万2000石に加増転封されました。

見所
当時は琵琶湖岸に面し、港の機能も担っていましたが、現在は埋め立てられ面影は残っていません。大津港から浜大津駅一帯が本丸でした。

2022年04月11日 まー
大津城



塞王の盾の舞台が見たくて、リア攻め‼️何処から大津城を攻めたのか、どうやって堀を作ったのか、僅かに残った外堀跡から想像して巡ってみました

2022年03月21日 織田上総介晃司
大津城

大津城石碑のある広場の下に有料駐車場があります。

南に進み丸屋町商店街の大津祭曳山展示館となりの駐車場に外堀石垣があり、数少ない大津城の遺構となります。

大津祭は秋に行われ13基のカラクリ曳山が町を巡行します。

大津港からミシガンクルーズの観光船が出港しており、琵琶湖の湖上観光を満喫できます。

2021年09月24日 源出雲守ポンコ2…㉓火の
大津城



大津城跡は、本丸推定地26,400㎡を中心に1985年から2005年までに十数ヶ所で発掘調査が実施され、石垣や礎石建物跡、土器類や金箔瓦など発見されて本丸はおおよそわかったそうです。但し、調査地のほとんどが本丸推定地のため、本丸部分以外はほとんどわかってないそうです。
本丸跡は1㍍以上盛土されて普請されたのもわかり、盛土1㍍で10トンダンプ約4,800台分の土の量になります。
石碑付近に佇んでると、普請も廃城も桁違いのスケールを感じさせられます。

2021年06月01日 タッキー
大津城

夏は花火大会 秋は大津祭北には雄大な琵琶湖を一望観覧船も有り明智光秀も
船にのってた岐阜から京都まで行ってたのと思うど大津城は交通の利にかなってる

2021年02月22日 てるちゃん
大津城



大津城跡を印す石碑しか確認出来ず。
駅前の広場です。

2020年11月20日 イオ紀伊守
明智左馬之介光俊駒止松[大津城  碑・説明板]



山崎の戦いでの明智光秀の敗報を受けて安土城から坂本城に向かった明智左馬之助(秀満)が、羽柴方の堀秀政に行く手を阻まれたため、打出浜から馬に乗ったまま琵琶湖を渡り、この地に上陸して松に馬を繋ぎとめたとする伝説に基づくものです。

2020年11月20日 イオ紀伊守
明智左馬之助湖水渡ところの石碑[大津城  碑・説明板]



山崎の戦いでの明智光秀の敗報を受けて安土城から坂本城に向かった明智左馬之助(秀満)が、羽柴方の堀秀政に行く手を阻まれたため、打出浜から馬に乗ったまま琵琶湖を渡って坂本城に入ったとする伝説に基づくもので、唐崎神社の霊松を目標にしたとも、柳が崎に上陸して松に馬を繋ぎとめたとも言われています。

2020年11月20日 イオ紀伊守
川口堀跡[大津城  遺構・復元物]



川口堀は大津城の中堀の一部で、廃城後も船入り堀として物資の流通に活用されましたが、昭和期に埋め立てられて公園となっており、公園内には説明板が建てられています。

2020年11月20日 イオ紀伊守
外堀跡(百々川)[大津城  遺構・復元物]



京阪・三井寺駅の少し西を流れる百々川は西側外堀の名残と思われます。

2020年11月20日 イオ紀伊守
旧中堀町の標柱[大津城  碑・説明板]



城が膳所に移った後に中堀を埋め立てて開かれた中堀町の標柱が、居酒屋の隅に建てられています。

2020年11月20日 イオ紀伊守
模擬石垣・石碑・説明板[大津城  碑・説明板]



朝日生命大津ビルの南東角(三の丸東側外堀あたり)には大津城の石垣を模した植込があり、石碑と説明板が建てられています。

2020年09月24日 天道民部卿早雲
大津城説明板[大津城  碑・説明板]



大津城の中堀に位置する場所にあります。今は公園になっております。

2020年09月20日 ☘️ぷ~太郎
大津城



京阪 琵琶湖浜大津駅 下車 琵琶湖に向かってすぐです。

2020年08月15日 摂津守いくpika
外堀石垣?[大津城  遺構・復元物]



外堀の石垣と思われる遺構。大津祭曳山展示館横の駐車場の奥。

2015年06月25日 勝之助丹後守
大津城

中町商店街にある「大津祭曳山展示館」の隣にある駐車場の奥に大津城の石垣がわずかに残っています。貴重な遺構です。

2010年09月19日 古楽侍従広家
大津城

まさに消えゆく城遺構の一つ。近江八幡から移築された天守が彦根城に転用されました。焼け落ちなかった「目出度き天守」だったからだそうです。

大津城の周辺観光情報

園城寺(三井寺)

国宝の金堂をはじめとする数々の歴史遺産の豊富さは圧巻。春は千本の桜とライトアップ、秋は紅葉とみどころ満載。

大津港

びわ湖の水運を利用した物資の集散地として栄え、現在はびわ湖観光の玄関口として賑わっています。

大津市歴史博物館

大津の歴史と文化を映像や模型でわかりやすく紹介した常設展示のほか、ユニークな企画展を随時開催しています。

琵琶湖疏水

情報提供:大津市役所 産業観光部 観光振興課

大津城の周辺スポット情報

 外堀石垣?(遺構・復元物)

 川口堀跡(遺構・復元物)

 外堀跡(百々川)(遺構・復元物)

 大津城説明板(碑・説明板)

 模擬石垣・石碑・説明板(碑・説明板)

 旧中堀町の標柱(碑・説明板)

 明智左馬之助湖水渡ところの石碑(碑・説明板)

 明智左馬之介光俊駒止松(碑・説明板)

 石碑(碑・説明板)

 露国皇太子遭難地の碑(碑・説明板)

 寺田屋女将・登勢の実家(碑・説明板)

 中央一丁目(大橋堀跡)(碑・説明板)

 小舟入の常夜灯(寺社・史跡)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore