坂本城(さかもとじょう)

坂本城の基本情報

通称・別名

所在地

滋賀県大津市下阪本3

旧国名

近江国

分類・構造

平城、水城

天守構造

連結式[階層不明/1572年築/焼失(落城)]

築城主

明智光秀

築城年

元亀2年(1571)

主な改修者

丹羽長秀、浅野長政

主な城主

明智氏、丹羽氏、杉原氏、浅野氏

廃城年

天正14年(1586)

遺構

(発掘調査:石垣、井戸、暗渠、建物礎石)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

壺笠山城(滋賀県大津市)[2.6km]
延暦寺(滋賀県大津市)[3.7km]
宇佐山城(滋賀県大津市)[4.2km]
大津城(滋賀県大津市)[5.5km]
山田城(滋賀県草津市)[6.2km]
衣川城(滋賀県大津市)[6.4km]
芦浦観音寺館(滋賀県草津市)[6.9km]
膳所城(滋賀県大津市)[7.3km]
将軍山城(京都府京都市)[7.4km]
中尾城(京都府京都市)[7.7km]

坂本城の解説文



坂本城(さかもとじょう)は、近江国滋賀郡坂本(滋賀県大津市下阪本)にあった日本の城。明智光秀の居城として築かれ、琵琶湖に面する平城。遺構は市街地化によりほぼ消滅している。

概要 

坂本城は琵琶湖の南湖西側にあり、大津市の北郊に位置する。西側には比叡山の山脈があり、東側は琵琶湖に面していることから天然の要害を具えた地であった。比叡山は近江国と山城国にまたがっており、白鳥道と山中道の2つの道は両国を結ぶ道路が通じており、中世、近世において頻繁に利用され、比叡山の物資輸送のために港町として、坂本は交通の要所として繁栄していた。

現在城郭跡地の大半は市街地化され、推定地の中央には国道161号が貫通している。

1571年(元亀2年)、比叡山焼き討ちの後、光秀に近江国滋賀郡が与えられ、織田信長の命によって京と比叡山の抑えとして築城した。宣教師ルイス・フロイスの著書『日本史』では、安土城につぐ天下第二の城と評されるほどの豪壮華麗なものであった[1]

沿革 

元亀2年(1571年)9月比叡山焼き討ちの後、宇佐山城の城主であった光秀に対して信長は滋賀郡の支配を命じ坂本城を築城させた。比叡山延暦寺の監視と琵琶湖の制海権の獲得が目的であったと思われる。「明智坂本に城をかまへ、山領を知行す、山上の木にまできり取」(『永禄以来年代記』)とある。山領というのは延暦寺のことで、比叡山焼き討ち後、1571年(元亀2年)中に築城が開始されたと思われている。また元亀3年(1572年)12月24日の吉田兼見の記述によると、「明智見廻の為、坂本に下向、杉原十帖、包丁刀一、持参了、城中天守作事以下悉く披見也、驚目了」(『兼見卿記』)とされていることから坂本城には天守があり、作事が行われ翌12月頃には天守がかなり進捗していたと考えられる。短文ながら天守の壮大さに驚いている様子が窺い知れる。また坂本城はイエズス会宣教師のルイス・フロイスの『日本史』にも、「明智は、都から4レーグァほど離れ、比叡山に近く、近江国の25レーグァもあるかの大湖のほとりにある坂本と呼ばれる地に、邸宅と城砦を築いたが、それは日本人にとって豪壮華麗なもので、信長が安土山に建てたものにつぎ、この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった。」と記されている。この記述はルイス・フロイスの感想ではあるが、名城安土城と並び称される建物として意識されていた。

その後、光秀は坂本城を拠点に近江国の平定を目指した。1572年(元亀3年)-1573年(天正元年)にかけて木戸城、田中城を落城させ、また湖面より囲船にて湖北の浅井勢に襲撃し打撃を与えた。その後、石山砦、今堅田砦も攻城し湖南はほぼ手中に収めた。その後坂本城は近江国における反信長に対する重要な軍事施設として使用された。黒井城の戦いでほぼ丹波国を手中に収めると、1580年(天正8年)亀山城の城主となったが、坂本城もそのまま城主となっていたようである。

天正10年(1582年)6月2日、光秀は中国攻めには向かわず本能寺の信長軍を急襲し信長を自害させ、次いで二条新御所を攻城し、信長の嫡男・信忠を自害させた(本能寺の変)。だが、同年6月13日山崎の戦いで敗れた光秀は一旦勝竜寺城に退き、その後坂本城を目指している途中、山城国の小栗栖周辺で百姓らに襲われ死去したと言われている。一方、安土城の城主となっていた明智秀満は山崎の戦いでの敗戦を13日の夜に知り、14日未明、安土城から坂本城に移ってきたが、羽柴秀吉方の堀秀政が城を囲む中、6月14日の夜、秀満は光秀の妻子を刺し殺し、自分の妻も刺殺し、自分は腹を切り、煙硝に火を放って自害したとされる(『川角太閤記』)。

その後、秀吉に命じられた丹羽長秀が城を再建し城主となった。その後賤ヶ岳の戦いの軍事上の基地として使用され、後に杉原家次、そして浅野長政が城主となった。この時に城下町が形成されたと思われている。

1586年(天正14年)、秀吉の命を受けた長政が大津城を築城して居城を移したことにより廃城になり、石垣等の資材は大津城築城に使用された為、遺構はほとんど残っていない。

城郭 

坂本城は歴史上重要な役割を果たしていたが、ながらく城の位置や構造については不明となっていた。しかし実施された発掘調査によって一定の構造が明確になってきた。

水城

天正6年(1578年)1月11日に光秀の茶の師匠であった堺の津田宗及が坂本城に招かれ茶会がひらかれている。この時の様子は、「御座船を城の内より乗り候て、安土へ参」(『天王寺屋会記』)と記載されている。城内には琵琶湖の水が引き入れており、城内から直接船に乗り込み、そのまま安土城に向かったようである。従って城郭の建物が湖水に接した「水城」形式の城であったと思われている。また吉田兼見が天正10年(1582年)1月20日に坂本城に訪れた時に「小天守」で茶湯を喫している。

大天主・小天主で構成される高層の天主を中心に城と内堀で囲まれた主郭があり、その西側に中堀で囲まれた曲輪、さらにそれを取り巻くように外堀で囲まれた曲輪があったと考えられる[2]

発掘調査

1979年(昭和54年)まで坂本城は一度も発掘調査されなかったため、坂本城の遺構に関してはほとんど注目されなかった。しかし、坂本城跡の中心部で大規模な宅地開発が計画されたので、これに伴う調査を実施したことがきっかけとなり、現在に至り断続的に発掘調査が行われ、城の縄張りなどが少しずつ明らかになってきている。

1979年(昭和54年)に行われた発掘調査では、10cm-30cmの焼土層が発見された。これは秀満が天守に火を放ち光秀の妻子もろとも落城した時のものと考えられている。その焼土層の上に整地した層があり、この遺構は丹羽長秀時代のものと考えられている。

焼土層下部分(明智光秀部分)

  • 礎石建物:4棟
  • 柵:1条
  • 石組み井戸:1基
  • 石組み溝:1条
焼土層上部分(丹羽長秀以降部分)
  • 礎石建物:2棟
  • 掘立柱建物:1棟
  • 石組み溝:1条
  • 石組み溜升遺構:1基
  • 石垣
が発見されている。本丸部分で発掘された遺構は、礎石の規模や配列から推察して邸宅遺構の可能性が強く、城主が使用されていた可能性が高いと考えられている。またこの周辺からは、大量の瓦、壺、甕、碗、鉢、擂鉢、天目茶碗の他、中国から輸入されたと思われる青磁、青白磁、白磁などの遺物が発掘された。このことより贅を尽くした城内の様子が窺える。また金属製品としては、銭貨、鏡、刀装具、鋲等が出土した。これらの出土物は室町時代後期から安土桃山時代のもと判断された。

坂本城は後に築かれた大津城膳所城も琵琶湖に面して本丸がその先端部に位置していることなど、類似点が多い縄張りとなっており、坂本城が先行した城ではないかと考えられている。

大津市文化財保護課は2023年10月から宅地の開発のための調査を行っていたところ、同市下阪本付近で坂本城の地上部分とみられる痕跡を発見した[3]。三の丸の外郭の遺構と考えられ、高さ1m長さ30mに渡る野面積みの石垣と、幅が約8mの堀[4]。発見場所は同市が想定していた外堀の位置よりも本丸側に約100メートル東に寄っていた。大津市の佐藤健司市長は歴史的な価値を鑑み、開発業者である三王不動産流通に工事中止を要請していたところ、要請が受け入れられたと発表した。[5]

坂本城址公園

現在本丸跡地は企業(キーエンス)の所有地となり一般人は立入できず、二の丸・三の丸跡地は市街地になっている為、城址公園は城外の当時琵琶湖だった場所(後世の埋立地)に作られており、明智光秀像や歌碑などが設置されている。園内に存在する石積等は公園造成時の物で旧城時代の遺構ではない。

城跡へのアクセス 

  • 電車でのアクセス
    • 西日本旅客鉄道(JR西日本)湖西線「比叡山坂本駅」 → 徒歩約10分
    • 京阪石山坂本線「松ノ馬場駅」 → 徒歩約15分
  • 車でのアクセス
    • 西大津バイパス 滋賀里ランプ → 国道161号
    • 坂本城址公園に無料駐車場有り

参考文献 

  • 【書籍】「明智光秀」
  • 【書籍】「日本城郭大系 第11巻 京都・滋賀・福井」
  • 【書籍】「城と湖と近江」
  • 【書籍】「近江の山城-ベスト50を歩く-」
  • 【書籍】「戦国の大津 天下統一の夢 坂本城・大津城膳所城

坂本城の口コミ情報

2024年09月15日 TA中務大輔96
坂本城



光秀が見たであろう琵琶湖の雄大さを感じる事が出来ました。

2024年04月05日 釆女正佐吉。
坂本城



全国32110人の光秀ファンの皆さんこんばんは!
ここだけの話、お姉さん先日、七之助さまと2人きりになる機会があって…きゃっきゃうふふ盛り上がっちゃいましたぁ♡

という夢を見ました。

そんな夢見がちなお年頃のお姉さん、ある日坂本城の発掘調査現地説明会にレッツらゴーしてきたよ。
そう!あの、ま・ぼ・ろ・し~!と言われた坂本城でなんと!長さ30mの石垣と幅8m以上の堀が出土した事はみんな知ってるよね。保存決定した事も知ってるよね。
もう、ワクワク☆土岐土岐だよ~~っ!!

お姉さん、過去に4回程「坂本城下を歩こう」的講座に参加してるけど遺構がほぼ無くて。湖中石垣、碑、西教寺、聖衆来迎寺、明智塚、穴太積石垣、日吉大社、酒井・両社神社…て後半関係薄っ!て史跡まで歩いてホントしんどい光秀要素ドコ!?だったけど、今後の現地講座は期待しかないですね!

しかし現説人気、すごかった。整理券配布が9時半で、勇んで朝7時に現地入りした時点で既に20名以上並んでてビックリ!(お姉さんの前に並んでたイケメン好青年もめぐらーでビックリ!)
フロイスが「安土城に次ぐ豪華絢爛な城」と言った坂本城。なのに残存遺構が少なく幻と言われてきたところにいきなり30m(お姉さん20人分!)の石垣発見のビッグニュースだもん!発掘後は埋め戻しがデフォだから、2度と無いかもしれないこのチャンス、みんな自分の目で確かめたい!お城マニアだけでなく作家、城郭研究家もプライベートで見学にいらしてた。お姉さんも衝撃を受けた今回の発見がどれだけ凄い事か、伝わるかな?

んじゃ、そんな妖精もイケメンも待ち望んだ坂本城の現説口コミレッツ遺構♪ 現説録画ノーカットのブツもあるから見聞きした事全て書いちゃう!
…て意気込んだけど、見識ある方々が散々SNS等で呟いてらっしゃるからネットで検索して下さればそれでOK(気が向いたらまた今度)。 因みに説明会当日配布された現説資料は大津市HPに掲載されてるよ。

坂本城主明智光秀がここまで有名なのは、信長を自害に追い込んだから。信長は、同盟相手、家臣、身内にまで謀反されてる。家臣を使い捨てにし追放・誅殺しまくりだから(谷口克広氏著書「信長と消えた家臣たち」がオススメ)、やられる前に殺っちゃえと謀反を起こす気持ちは少し理解できる。仮に本能寺の変が失敗に終わってもその後も謀反は起こり、結局信長は同じ最期を辿る運命だったのかもしれない。
そう考えると家康は凄いね。同じく同盟相手であり、見下されてた浅井長政は謀反し、最期は自害した。家康もパシリのように戦場に駆り出されてるのに、信長が亡くなるまで清洲同盟は解消する事が無かった。家康が天下人となれた一番の要因は長生きした事だけど、清洲同盟も大きな要因。信長の使い勝手の良い家臣的同盟相手→その信長の家臣で成り上がり秀吉に臣従(これは屈辱だったろうなぁ) 。家康の忍耐力には恐れ入るよ。

さてお姉さん、せっかく現地まで来たんだから久しぶりに湖中石垣見に行きましょ、と湖岸の細道を歩いてたらなんと、桐野作人先生にお会いしたよ!お姉さん、どどどどうしよ…と迷い一旦通り過ぎたけど、勇気を出してアターック!
姉「すみません、桐野先生ですか?」
桐「そうです、どなたですか?」 (儂、帽子にマスクでバレんハズやけどバレてもうた…て事は知り合い?こんなかわいい妖精知らんけど…)
姉「ただの読者です」ニコッ(ただの妖精です♡)
桐・ご友人(なんやそれ!しかしかわいい妖精やな、とりあえず笑とこか)にっこり
注:()書きは妄想です。

いや~現説って、出会いのアタック、チャーーンス!ですね。

因みに、本能寺の変の謎解き(陰謀論・黒幕探し等)は様々な方が試みておられますが、桐野作人先生著書 「明智光秀と斎藤利三」(利三、春日局のお父さん)がオススメだよ!先生にアターックしたから言うのでなく、以前からこの本に書かれた内容が真相に近いのではと思ってる。本能時の変に興味津々のみんなは読むといいよ。お姉さんも再読するよ。(お姉さんの口コミはもう書籍紹介だよ)

①全長約30mの石垣を持つ堀
②石積み遺構
③転用石材
④礎石建物
〜出土遺物〜
⑤堀から出た木器、漆器
⑥オール状木製品
⑦堀から出た土器類
⑧瓦、キセルの吸口、木簡

最後に。 大津市と、宅地造成を中止された三王不動産流通さんの大英断に、一ファンとして本当に感謝しています。あり得ないと思われた展開に鳥肌が立ちました。関係者の皆様方ありがとう。目指せ、国指定史跡!バイパスになっちゃうのは佐和山城だけで十分だ。

ふるさと納税は大津市、キミに決めた!

2024年02月08日 RED副将軍
坂本城



新たに出土した三の丸のものとされる石垣と外堀跡を現地で見てきました。

石垣は高さ約1m、長さ約30mで自然石を使った野面積みです。
外堀は幅が約8mで、外堀からは櫂とみられる木材も出土したため、小舟が琵琶湖畔から外堀を通って坂本城に行き来していたと考えられます。

坂本城は、明智光秀が琵琶湖のほとりに築いた城として有名ですが、本丸は琵琶湖畔とされ、今まで石垣は水中からしか発見されていない「幻の城」でしたが、今回初めて陸上で石垣が発見されました。

2024年01月31日 尼崎城駿河守一口城主
坂本城



1月21日登城。当日は琵琶湖の水位が下がってきているとのことで信州の武道家🥋さんが駆けつけて来られた🚙ので、私も尼崎から出陣🚃坂本城跡公園で(写真①)で合流し、光秀公像(写真③)に挨拶して光秀(おとこ)の意地(写真②)の演歌を聴いた後に当日のメインの石垣(写真④⑤)を見学🪨昨年9月も訪城してはいるのですがその時の石垣までのルートは写真⑥の状態で石垣を囲っているロープ付近に近づけなかった水位だったと思われます🤔
石垣見学後、周囲を散策して坂本城址の石碑(写真⑦)や説明板(写真⑧)を撮影。説明板を読んでみると<ルイスフロイスが安土城に次いで豪壮華麗な城と賞賛した>とありました✨
散策終了後、御城印を求めに京阪電車の坂本比叡山口駅近くの観光案内所に立ち寄りました。当日の案内所の担当の方が💁🏻‍♀️親切な方で過去にもっと琵琶湖の水位が下がっていた時に石垣の下に胴木なる木材が見えている写真を見せて頂きました。また写真③の歌は地元の方が作詞されたことなども教えて頂きました。
過去に2回、訪城したことはあったのですが今回初めて普段は湖面に沈んでいる石垣を見ることが出来て改めて信州の武道家さんに感謝です🙇🏻‍♂️

2023年11月24日 りん【】
坂本城



数日前のニュースで坂本城の石垣が姿を現したとの情報を知り、実際に見てみたくて訪問しました。数年前の石垣出現時には、坂本城址公園の駐車場が混雑回避のため閉鎖になっていると先人の口コミにあがっていたため、予め坂本観光協会に問い合わせました。駐車に関しては渋滞することもなく、随時皆さん駐車できているようでした(駐車台数20台弱)。湖底から姿を現した根石部分を見ていると、安土城に先んじて天守(天主)を持ち、総石垣のお城であった坂本城の往時の姿が偲ばれます。

2023年11月20日 阿波守カンチュリー
坂本城



ビワイチのついでに寄りました。明智光秀の像や、看板がありました。石碑から北へ少し行ったところの畦道から石垣へ行けます。

2023年10月18日 rigret
坂本城



坂本城址公園には、琵琶湖に対して身体を横に向ける形で明智光秀の像が設置。頭と身体のバランスが悪く、寸ずまっているような造形。デザインしたのは誰なのか。

その近くにはボタンを押すと明智光秀をイメージした唄が流れる歌詞板がある。ド演歌である。

坂本観光所にて、坂本城の御城印あり。西教寺にて、明智家の桔梗紋をあしらった御朱印あり。

2023年08月10日 やまてつ伊予守
坂本城



菩提寺の西教寺と一緒に訪れました。西教寺では、グッズも充実してました。

2023年06月10日 waratama76
坂本城



大河ドラマ麒麟が来るのとき以来の、坂本城跡へ行ってきました。以前行った時は、坂本城の予想復元写真あったか分かりませんが見れて良かったです。

2023年05月26日 水野山城守祐利【7】
坂本城



坂本城址公園になってまして、狭いながら駐車場もありますが、すぐ満杯になりそうな上、道沿いにあるはずなのに入り口がわかりにくいというのが難点でしょうか。
現在琵琶湖満水で湖中の石垣は見られませんが、水際の草むらに石垣の一部?と思しき石列があります。また、坂本の観光案内所に行けば、渇水時に見られる石垣の写真も見せてもらえます。
坂本城の御城印もこちらで販売していますので、穴太衆の積んだ見事な石垣見物がてら訪れてみてください!

2023年05月18日 ガッツ
坂本城

琵琶湖沿いに大きなお城があったようですが、残念ながら今は残っていません。
温かい地元の方とも交流できて良い場所でした。

2022年08月11日 弾正少弼傳三郎
坂本城

本丸跡は私有地の廃墟になっていて入ることはできませんでした。湖の中の石垣への道は草がとても高く道も細いので気をつけた方がいいと思いました。

2022年07月26日 りょうさん飛騨守
坂本城



城址公園は、本丸からやや南にずれています。城址公園は、釣り客などにより、駐車場が、ほぼ満車になることも多く、また車の駐車スペースが狭いのです。隣接する県道558号も交通量が多いので、城址公園からの出入りに気をつけてください。

2022年03月21日 織田上総介晃司
坂本城

坂本城址公園の駐車場の閉鎖が解除され駐車。台数は多く停めれますがバス釣りの方が駐車してるので駐車場の回転率は悪い。

琵琶湖の水位が増えたため本丸の石垣は再び水没。
西教寺と聖衆来迎寺に坂本城移築門があります。

日吉大社のある坂本の町並みには穴太積みの石垣が多く存在します。ブラ散歩するのも良いでしょう。

2021年12月10日 しろちゃん
坂本城



駐車場が閉鎖中で車が止められなかったので、坂本観光案内所で自転車を借りて坂本城跡まで行きました。楽しさ倍増でした🎵御城印も観光案内所にありました

2021年12月05日 八咫烏紀伊守鉄龍
坂本城



10数年ぶりに坂本城の石垣が湖中から姿を現したと言うので見に行って来ました。城址公園の駐車場が、渋滞緩和のため閉鎖されてますので、車の方はご注意ください。

2021年12月04日 鵜乃 左衛門督 朋征
坂本城

近くの坂本城址公園の駐車場が閉鎖されてました。車で来る方は事前の確認が必要ですね。

2021年12月01日 RED副将軍
坂本城



14年振りに湖中に沈む本丸石垣が出現✨ルイス・フロイスの著書『日本史』では、安土城につぐ天下第二の城と評されるほどのものでした🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

1571年の比叡山焼き討ち後、宇佐山城の城主であった明智光秀に対して織田信長は滋賀郡の支配を命じ、京と延暦寺の抑えと琵琶湖の制海権を目的として坂本城を築城させました。

丹波を平定すると、1580年に亀山城の城主となりましたが、坂本城もそのまま城主として南近江支配の拠点とします。

1582年、本能寺の変後、山崎の戦いで敗れた光秀は勝龍寺城に退き、坂本城を目指している途中で敗死。

その後、丹羽長秀が城主となり、賤ヶ岳の戦いでは軍事上の拠点として使用されました。

その後は浅野長政が城主となったが、1586年に秀吉の命を受けた長政が大津城を築城して居城を移したことにより廃城となった様です。

見所
琵琶湖に沈む本丸の石垣。かつて渇水期は確認できましたが近年は水位が制御され困難。滅多に現れません。
現在城郭の大半は宅地化により消失。

まぁ、坂本城の石垣が現れるくらい琵琶湖の水不足が深刻な状態ということです😿

2021年11月22日 つぼすけ
坂本城



琵琶湖の渇水により、14年ぶりに姿を現した坂本城の石垣。『麒麟がくる』の十兵衛も見たであろう景色を堪能しました。

2021年11月18日 別損山城守備前994重砲隊
坂本城

場所は県道558号のすき家さんから、約30m大津方向に行きますと、小さな案内板があります。そこのあぜ道を琵琶湖方向に進むと石垣遺構にたどり着きます。坂本城駐車場からは右折し、徒歩約50メートル程であぜ道に行けます。

おそらく、あぜ道など私有地だと思いますご好意により見学可能なので、その辺のご配慮よろしくお願いします。後、石垣には触れ無いようにとのことです。
 
諸注意を守り、琵琶湖渇水による石垣遺構見学を楽しんでくださいませ。

2021年09月25日 呉竹
坂本城

2020年、大津市の埋蔵文化財センターより、坂本城の屋根が二色の瓦で構成されていた可能性が高い旨、研究成果として発表されている。
(従来、赤色系の瓦は落城時の炎上で黒瓦が褐変したものだとされてきたが、部分的な熱変性ではなく全体が均一な赤色系の瓦が複数確認されたことにより、元々赤色系に作られた瓦が黒色の瓦と共に葺かれていたと推測される、という概要)

同年夏には、市内滋賀里にある市埋蔵文化財調査センターにて、その赤色系の瓦が『歴史ひもとく古瓦』の企画展にて公開されていた。

2021年09月25日 呉竹
坂本城

残念ながら、本丸跡と確認されている範囲と現在の城址公園とは、所在が一致しません。
(本丸城址の大半が道路か私有地である為、南寄りの湖岸側に城址公園を設けたという経緯)
なお湖岸側の石垣は、水利用制限かかるレベルに渇水すると露出します(近年では1994年だったか?)

2021年09月13日 仁右馬助
坂本城

道標があったのであぜ道を行ってみましたが湖岸まで行けません 湖中石垣も見れません。近くの公園に新しい記念碑があります。

2021年08月31日 ともとも
坂本城

坂本城には駐車場ありますが、夜間はロープ貼られて使えません。路肩に一時停止して、見学になります。車に気をつけて下さい

2021年04月04日 太閤
坂本城



当時を偲ばせる遺構などはありませんでしたが、公園のようになっていて、坂本城址の石碑と光秀の石像が置いてありました。駐車場もあり、訪れやすいと思います。

2021年03月08日 山城守さとぴ~
坂本城



土日祝は、ボランティアさんが解説してくれます。

2021年02月28日 島津左馬允義弘
西教寺[坂本城  寺社・史跡]



【データ】
名称:天台真盛宗総本山 西教寺
住所:滋賀県大津市坂本5丁目13番1号
拝観時間:09:00〜17:00(16:30受付終了)
拝観料:大人(高校生以上) 500円
    中人(中学生) 300円
    小人(小学生) 200円
駐車場:あり(無料)

【歴史】
 西教寺は、聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられており、明智家の菩提寺としても知られています。
 信長の比叡山焼き討ちにより、西教寺の本堂等はすべて消失しました。その後、明智光秀が西教寺の復興に力を注いだといわれています。
 西教寺には、明智光秀に関連するものがいくつもあります。また、西教寺の総門は坂本城の総門が移築されたものと伝えられています。

【感想】
西教寺には穴太衆が築いた石垣が随所にあり、とてもきれいです。また、伏見城の旧殿を移築したと伝えられている国指定重要文化財の客殿があります。客殿には小堀遠州が造ったとされる庭園や狩野派によって描かれた襖絵があり、なかなか見応えがあります!

【写真】
①客殿(国指定重要文化財)
②禅明坊
③唐門
④総門(坂本城の総門の移築と伝わる)
⑤明智一族の墓
⑥大本坊・本堂・書院の中庭
⑦渡り廊下
⑧大本坊入口

2020年11月30日 Rocky丹波守
坂本城



坂本城址公園はより少し北の臨時駐車場が本丸跡のすぐ近くです。土日祝のみとありましたが平日も開いてました。麒麟がくるをやっている間だけ平日も開いているのかも知れません。琵琶湖の中に大きな石が何個か見られたので石垣だと思われます。ここから歩いて明智塚や坂本城跡の碑があり城の大きさが分かります。全て住宅になっていますが…。御城印は西教寺にありました。

2020年11月19日 イオ左衛門佐
森可成墓所[坂本城  寺社・史跡]



聖衆来迎寺には宇佐山城主・森可成の墓があります。志賀の陣の際にこの地で討死した森可成を、敵方にあたる天台宗・聖衆来迎寺の住職が弔ったことから、後の比叡山焼き討ちの際にもこの寺だけは被害を免れたと伝えられています。

2020年11月18日 イオ左衛門佐
盛安寺[坂本城  寺社・史跡]



明智寺とも呼ばれる盛安寺は穴太積みの石垣が見事なお寺で、境内には明智光秀の供養塔や位牌が祀られ、光秀ゆかりの陣太鼓が伝えられています。

2020年11月18日 イオ左衛門佐
西教寺客殿[坂本城  遺構・復元物]



大谷吉継らにより伏見城の旧殿を西教寺に移築したもので、桃山御殿と呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。客殿庭園は小堀遠州の作庭です。

2020年11月17日 イオ左衛門佐
西教寺[坂本城  寺社・史跡]



天台真盛宗総本山・西教寺は織田信長の比叡山焼き討ちにより全焼しましたが、明智光秀が坂本城の陣屋を寄進して大本坊を再建するなど復興に努めたことから、大本坊(現在の建物は昭和に改築されたもの)には光秀と妻・熙子の位牌が安置され、境内には光秀と明智一族、熙子の墓、妻木一族(熙子の実家)の供養塔が祀られています。
また、書院の隣には明智光秀公資料室が設けられ、光秀が寄進した坂本城の陣鐘(非公開)、戦死した家臣を弔う光秀直筆の供養米寄進状、光秀所持と伝わる硯箱、明智秀満の湖上渡りの際の鞍と鐙など、ゆかりの品が収蔵されています。
その他、総門は坂本城から、客殿は伏見城からの移築されたもので、客殿庭園は小堀遠州の作庭によるもの。大河ドラマ放送期間は西教寺内の禅明坊光秀館でびわ湖大津「麒麟がくる」展と近江の光秀ものがたり展が同時開催されています。

2020年10月08日 まー刑部卿
坂本城



坂本城址公園は石像を観に行かれる場合でしたら良いですが湖面の石垣を観るにはすき家の対面にある旧病院の駐車場が無料で開放されています。(9:00〜17:00)
今回は歴史好きなシルバー人材センターの方とお話しさせて頂きました。

2020年09月24日 天道式部卿早雲
坂本城移築門[坂本城  遺構・復元物]



天台宗聖衆来迎寺の表門が坂本城の移築門とのことです。

2020年09月21日 戦国一番星
坂本城本丸石碑[坂本城  碑・説明板]

本丸跡に残る建物入口(ゲート)横に草に隠れた本丸跡石碑発見!

2020年08月29日 MACHT征夷大将軍
坂本城

麒麟がくる再開記念もあって久しぶりに登城。今回、臨時駐車場として使われている辺りが当時の本丸で、城址公園になっているところは当時は湖だったので、戦国時代に想いをはせたい場合は本丸の湖側を重点的に散策するのがいいかも。後は本丸から西に150mほどある城碑、旧道沿いの石碑、明智塚等を見ながら想像をどれだけ膨らませることができるか。

2020年08月19日 かわっく右近衛少将
坂本城

遺構は少ないのですが、湖畔に立って思いを巡らせるだけで楽しいです。
坂本城御城印もテンション上がります。

2020年08月05日 鵜乃 左衛門督 朋征
坂本城跡公園駐車場[坂本城  駐車場]

坂本城跡とありますが、推定されている坂本城の南側の城外になるそうです
公園内には、明智光秀の石像や説明看板等があります
ここから坂本城跡の碑や明智塚等をみに散策するのも良いかと

2020年04月05日 課長大和守Ver.B
志津ヶ池[坂本城  遺構・復元物]



明智光秀が茶の湯に供したという霊水がこの地に湧いていたようです。…現在も湧いているのでしょうか?
ちなみにこちらの遺構は歩道の無い結構交通量のある県道沿いにあるので、訪問の際はご注意下さい。

2019年12月29日 稲刈本番の征夷大将軍クララ姫
坂本城

【グルメ情報】
大河ドラマで令和2年は、観光客も増えそうな坂本城。城下の国道161号線にある『炭火焼豚丼 信玄』さん。美味しい豚丼などがガッツリいただけます。量も多く、食が細い方は(ご飯少なめ)で。

2019年05月05日 龍馬太閤【備中の麒麟】
坂本城



城主・明智光秀の城郭☆近江付近の反信長に対する重要な軍事施設☆大津市の北郊に位置☆比叡山の物資輸送の為に港町として坂本は交通の要所として繁栄☆


2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
坂本城

駐車場あり。
ここは釣りスポットになっていて、城の観光客はあまりいないですね。
駐車場も釣り客にほぼ占領されています。


2016年01月16日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
坂本城

JR比叡山坂本駅から南へR161へつきあたり三叉路を右へここまで歩いて10分くらい、
曲がってから国道沿いに歩いて15分位で藤ノ木川をわたりマクドナルドをこえてエネオスのスタンドから暫くいたら坂本城跡に到着。駐車場あります、20台程度。ベンチと明智光秀像、記念碑ぐらいしかありません、物足りなくなって川沿いの国道の反対側へ入って行くと坂本城跡碑ありました。しかし石垣が見たい私は、さっきのマクドナルドのドライブスルーの一番奥に行き湖岸へそしたら僅かながら湖岸沿いに当時の
おもかげのある石垣の跡を見つけました。
また戻って藤ノ木川沿いに湖岸へ続く道を進んだらまた河口に石垣と思われる跡を発見。明智光秀と言えば有名ですが、ルイスさんも素晴らしいと謂われた城がここまで跡形が残っていないのは大変寂しいと感じました、本当に(T^T)。地元の方、実力者他の明智光秀さんをお慕いする方々もう少し遺構を復元、再現、保存を切にお願い致します。琵琶湖から湖風、湖面の水鳥が唯一の慰めでした。

2013年03月10日 ぽえぞお弾正少弼黄金旅程
坂本城

大津市内から湖岸沿いの国道161号線を北上したらあります。
城址公園は約10台程度駐車可能(無料)
道路の反対のクロネコ○マトさんの脇を通る水路沿いの道を進んで行くと城址碑があります。
説明板によると実際の本丸は公園より更に北側で、公園のある地域は城外(当時は湖!?)だった模様です。

2010年09月13日 古楽侍従広家
坂本城

渇水の時のみ現れる遺構があり、水城のロマンを掻き立てます。

2010年07月21日 徳川内大臣源朝臣康武
坂本城

[武将像]明智光秀像
琵琶湖岸の城跡に鎮座。

坂本城の周辺観光情報

西教寺

聖徳太子により創建された寺院。比叡山焼き討ち後明智光秀が復興したことから、明智一族の墓が残っています。

浮御堂(満月寺)

平安時代に恵心僧都源信が琵琶湖の湖上安全と衆生済度のため、湖中に仏閣を建立したとされています。

坂本のまちなみ

穴太衆積みと呼ばれる美しい積み方をした石垣が多く見られ、一帯は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

おごと温泉

比叡山の御膝元、近江富士や三上山を望む湖畔の景勝地であり、また京都に一番近い温泉地として親しまれてきました。

情報提供:大津市役所 産業観光部 観光振興課

坂本城の周辺スポット情報

 志津ヶ池(遺構・復元物)

 本丸石垣(遺構・復元物)

 明智塚(遺構・復元物)

 西教寺総門(坂本城遺構)(遺構・復元物)

 坂本城移築門(遺構・復元物)

 外堀跡(遺構・復元物)

 西教寺客殿(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 三の丸石垣(遺構・復元物)

 明智光秀像(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 石垣見学ルート入口(碑・説明板)

 城碑(碑・説明板)

 明智光秀と一族の墓(碑・説明板)

 坂本城本丸石碑(碑・説明板)

 三津浜(碑・説明板)

 石碑(碑・説明板)

 雄琴城(周辺城郭)

 西教寺(寺社・史跡)

 森可成墓所(寺社・史跡)

 酒井神社(寺社・史跡)

 盛安寺(寺社・史跡)

 足利義晴供養塔(寺社・史跡)

 穴太遺跡 庭園遺構(寺社・史跡)

 穴太遺跡 南川原地区(寺社・史跡)

 日吉大社(寺社・史跡)

 園城寺(三井寺)(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 坂本城跡公園駐車場(駐車場)

 生源寺の古鐘鐘楼(関連施設)

 坂本城跡公園(関連施設)

 坂本観光案内所(関連施設)

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