延暦寺(えんりゃくじ)

延暦寺の基本情報

通称・別名

比叡山、叡山

所在地

滋賀県大津市坂本本町4220

旧国名

近江国

分類・構造

城郭寺院

天守構造

なし

築城主

最澄

築城年

延暦7年(788)

主な改修者

主な城主

延暦寺山門衆

廃城年

遺構

根本中堂、文殊楼、大講堂、戒壇院他

指定文化財

国宝(根本中堂、金銅経箱他)、国重要文化財(根本中堂回廊、絹本著色天台大師像他)、世界遺産、国史跡(延暦寺境内)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

壺笠山城(滋賀県大津市)[1.9km]
坂本城(滋賀県大津市)[3.7km]
宇佐山城(滋賀県大津市)[4.1km]
将軍山城(京都府京都市)[4.9km]
中尾城(京都府京都市)[5.8km]

延暦寺の解説文

延暦寺(えんりゃくじ)は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。延暦寺の名より比叡山、また叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。平安京(京都)の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称された。平安時代初期の僧侶最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主(てんだいざす)と呼ばれ、末寺を統括する。

概要
最澄の開創以来、高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心であった。天台法華の教えのほか、密教、禅(止観)、念仏も行なわれ仏教の総合大学の様相を呈し、平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持った。特に密教による加持祈祷は平安貴族の支持を集め、真言宗の東寺の密教(東密)に対して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ覇を競った。

「延暦寺」とは比叡山の山上から東麓にかけた境内に点在する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)など、三塔十六谷の堂塔の総称である。延暦7年(788年)に最澄が一乗止観院という草庵を建てたのが始まりである。開創時の年号をとった延暦寺という寺号が許されるのは、最澄没後の弘仁14年(824年)のことであった。

延暦寺は数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍、融通念仏宗の開祖良忍、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。比叡山は文学作品にも数多く登場する。1994年に、ユネスコの世界文化遺産に古都京都の文化財として登録されている。

また、「12年籠山行」「千日回峯行」などの厳しい修行が現代まで続けられており、日本仏教の代表的な聖地である。

歴史
前史
比叡山は『古事記』にもその名が見える山で、古代から山岳信仰の山であったと思われ、東麓の坂本にある日吉大社には、比叡山の地主神である大山咋神が祀られている。

最澄
最澄は俗名を三津首広野(みつのおびとひろの)といい、天平神護2年(766年)、近江国滋賀郡(滋賀県大津市)に生まれた(生年は767年説もある)。15歳の宝亀11年(781年)、近江国分寺の僧・行表のもとで得度(出家)し、最澄と名乗る。20歳の延暦4年(786年)、奈良の東大寺で受戒(正式の僧となるための戒律を授けられること)し、正式の僧となった。青年最澄は、思うところあって、奈良の大寺院での安定した地位を求めず、郷里に近い比叡山にこもって修行と経典研究に明け暮れた。最澄は数ある経典の中でも法華経の教えを最高のものと考え、中国の天台大師智顗(ちぎ)の著述になる「法華三大部」(「法華玄義」、「法華文句」、「摩訶止観」)を研究した。

延暦7年(789年)、最澄は現在の根本中堂の位置に薬師堂・文殊堂・経蔵からなる小規模な寺院を建立し、一乗止観院と名付けた。この寺は比叡山寺とも呼ばれ、年号をとった「延暦寺」という寺号が許されるのは、最澄の没後、弘仁14年(824年)のことであった。時の桓武天皇は最澄に帰依し、天皇やその側近である和気氏の援助を受けて、比叡山寺は京都の鬼門(北東)を護る国家鎮護の道場として次第に栄えるようになった。

延暦21年(803年)、最澄は還学生(げんがくしょう、短期海外研修生)として、唐に渡航することが認められ。延暦23年(805年)、遣唐使船で唐に渡った。最澄は、霊地・天台山におもむき、天台大師智顗(ちぎ)直系の道邃(どうずい)和尚から天台教学と大乗菩薩戒、行満座主から天台教学を学んだ。また、越州(紹興)の龍興寺では順暁阿闍梨より密教、然(しゃくねん)禅師より禅を学んでいる。このように天台教学・戒律・密教・禅の4つの思想をともに学び、日本に伝えた(四宗相承)ことが最澄の学問の特色で、延暦寺は総合大学としての性格を持っていた。後に延暦寺から浄土教や禅宗の宗祖を輩出した源がここにあるといえる。...

延暦寺の口コミ情報

シバヤン大和守交友莫爭様[2016年07月10日]
最澄が開いた天台宗本山。幾多の名僧を排出した寺。
比叡山ドライブウェイを入り進むと、延暦寺バスセンター、そこの第1駐車場に入り、拝観料700円払い中に。根本中堂、阿弥陀堂、文殊楼。この位なら30分位で見て回れます。各建造物の周りをよく見ると穴太衆の野面積みらしい痕跡が見えます。文殊楼の裏は人気も少なく遺構が見られます。
次の目的地、将門岩に向かいます。今はガーデンミュージアム比叡の中にあると聞き来た道を戻って比叡山山頂に。入口で入館料1000円(高い!)心踊りながら進むも見つけられず、奥の受付のお姉さん(清楚な美人)に尋ねたらこれですと•••唖然!完全に花壇の中の飾りとしてる姿に猛然と悲しみが(ToT)。館内の趣向に合わないからと案内碑も外されたそうです。
(純友)将門、あんた桓武の子孫だから天皇になれ、俺は藤原氏だから関白だ!東で兵をあげろ!俺は西で。約束だぞ!
あの名シーンの場が•••(ToT)。主任さんも来てそのことは気になってたんで上の人に必ず伝えますと聞き少し気持ちが収まりました。
開発と整備、間違った方向に行かないように気をつけていただきたいものです。

【鉄騎兵】右衛門督かげちゃん様[2016年01月05日]
根本中堂の中は、修復作業が行われていて所々に足場が組まれいるので、中を歩く時は、注意が必要です。

磐城守景綱様[2013年05月19日]
松尾芭蕉の奥の細道で有名な山形県にある山寺立石寺は建立時に比叡山延暦寺から『御法灯(灯り)』を分けていただき、以来ずっと消えることなく灯し続けているそうです。
信長による延暦寺の焼き討ち後、延暦寺の再建にあたっては立石寺より延暦寺に『御法灯』を分けて現在まで灯し続けているとのことです。
以上、立石寺の御住職のお話でした。

ヤマト紀伊守タケル様[2012年09月18日]
雨が降ってたので、霧ってましたが、その中でたたずんでいる建物が一層神秘的に見えました。

古楽侍従広家様[2010年09月19日]
織田信長の焼き討ちばかりが有名ですが、信長の前に足利義教も焼いてますし、信長が焼いたのは一部で、今もそれ以前の物が残っています。

堀久太郎秀政様[2010年08月26日]
良いところです!是非とも、お越し下さい

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