宇佐山城(うさやまじょう)
宇佐山城の基本情報
通称・別名
- 志賀城、志賀の城、志賀要害
所在地
- 滋賀県大津市錦織町487
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 山城
天守構造
- 不明
築城主
- 森可成
築城年
- 元亀元年(1570)
主な改修者
- 明智光秀?
主な城主
- 森氏、明智氏
廃城年
- 元亀2年(1571)
遺構
- 曲輪、石垣、櫓台
指定文化財
- -
再建造物
- 碑
周辺の城
-
壺笠山城(滋賀県大津市)[2.5km]
大津城(滋賀県大津市)[2.9km]
中尾城(京都府京都市)[3.9km]
将軍山城(京都府京都市)[4.0km]
延暦寺(滋賀県大津市)[4.1km]
坂本城(滋賀県大津市)[4.2km]
膳所城(滋賀県大津市)[6.1km]
山科本願寺(京都府京都市)[6.3km]
霊山城(京都府京都市)[6.8km]
山田城(滋賀県草津市)[7.8km]
宇佐山城の解説文
[引用元:Wikipedia「宇佐山城」の項目]
宇佐山城(うさやまじょう)は、滋賀県大津市南滋賀町にあった中世の日本の城(山城)。湖西周りで京都に向かうには避けては通れない位置にあった。
概要
標高336mの高さがある宇佐山にあり、琵琶湖まで約1kmの距離しかなく、山頂からは一望できる。大手道は全く残っていないが、かつては山麓から山頂までまっすぐの道が通じていたものと推定されている。現在山頂の本丸跡にはNHKと民間放送のアンテナ施設が、中腹には宇佐八幡宮、麓には近江神宮が建っている。
朝倉義景・浅井長政の南進に備えるべく、琵琶湖と北国街道の押さえを意図する織田信長に命じられた森可成によって、近江滋賀郡に築かれた。宇佐山城は、信長が安土城より以前に近江で最初に石垣による築城を行った貴重な城郭である。石垣の存在から宇佐山城は単なる陣城ではなく、恒久性を志向したものと考えられている。
沿革
この城の文献上の初見は永禄13年(元亀元年、1570年)3月20日の多聞院日記で、
とあり、この時多聞院英俊は、三井寺などを見学しようとしていたが、京都から大津に通じる二本の道が閉鎖されていた。森可成が新城を築き、その麓に進路を通しこの道に通行させようとした。しかし、まだこの道は工事中だったのか可成の家来によって阻止され、三井寺の参拝を中止し白川方面に出たとしている。この時代、築城の様子が記録されている史料は少ないが、多聞院日記はその時の重要な様子を示している。
宇佐山城の戦い
同年、摂津で勃発した野田城・福島城の戦いで織田軍主力が投入されている中、浅井・朝倉連合軍は信長の背後を突くべく行動を開始。城主・森可成は近江にいた野府城主・織田信治、青地茂綱らと共に交通の要所である坂本を先に占領して街道を封鎖して連合軍の進軍妨害を試みた。
浅井・朝倉連合軍は3万兵が坂本口に進軍、9月16日に森可成軍1千兵は宇佐山城を下り坂本の町はずれで合戦となる。緒戦では浅井・朝倉連合軍3万を相手に森軍1000は少々の首を取り勝利をおさめた。
しかし、9月19日に石山本願寺法主顕如の要請を受けた延暦寺の僧兵も連合軍に加わり、翌9月20日にさらに数の膨らんだ連合軍が再度侵攻を仕掛けた。森可成軍は先鋒の朝倉景鏡を押し返すなど健闘を見せるが、浅井対馬・玄蕃の2千が側面から攻撃を仕掛け、また朝倉中務、山崎吉家、阿波賀三郎の隊に加え浅井長政本隊もこれに加わったためついに崩壊した。可成、織田信治、青地茂綱の3人は討ち死にした。
連合軍は同日宇佐山城の攻城に取り掛かったが、城兵の抵抗にあい落城は免れた。代わりに大津の馬場、松本を放火し、翌21日は山科まで焼き払った。22日には摂津の信長にも知らせが届き、近江の情勢を知った信長はこの浅井・朝倉連合軍との対決を優先。23日に摂津から織田軍主力を撤退させた。その間、宇佐山城は坂本で連合軍の攻撃を受けていたが可成の家老である各務元正らが城兵を指揮して抵抗。24日に信長が大津から坂本に兵を進め救援に現れるまでついに落城しなかった。[1]24日の戦いで浅井・朝倉連合軍に死者1千名以上が出たという。この時信長は宇佐山城に入城したと思われ、翌25日追いつめられた浅井・朝倉連合軍は、壺笠山城や比叡山などに封じ込まれる格好となった。
その後、信長は延暦寺の僧を呼び寄せ、山門領の返還を条件に懐柔を試みるが、これを受け入れることは無かった。これが比叡山焼き討ちを起こす原因になったと『信長公記』に記されている。長期戦になるかと思われたが、同年12月14日浅井・朝倉連合軍と織田軍は和議を結ぶことになる。『戦国の大津』によると、
とあることから、「これは推定にしか過ぎないが、このとき信長は陣所の宇佐山城を焼き払い退陣したと考えられる」として、和議の条件として宇佐山城の破却があった可能性を示唆している。
しかし比叡山焼き討ち前には、明智光秀がこの城を拠点に土豪の懐柔策を進めており、湖西地区の重要な役割を果たしていた。比叡山焼き討ち時には、宇佐山城に信長が入城したようである。比叡山焼き討ちで武勲をあげた光秀は坂本の地を与えられ、坂本城を築いて移ったため宇佐山城は廃城となったのではないかと考えられている。
六角義賢の書状
上記書状は六角義賢の書状で、宇佐山城の戦いで森可成以下数百名を討ち取ったことを浅井方に知らせるために、地元の土豪市川吉澄が船を用意したことに対して礼を述べている。日付は9月21日森可成を討ちとった翌日で、2行目と3行目に「森三左衛門尉以下数百人討死」との記載が見られる。その後、六角義賢は浅井・朝倉連合軍と共に比叡山に立てこもることになるが、元亀元年(1570年)11月に浅井・朝倉連合軍の先頭を切って義賢と信長は和睦することになる。
城郭
本丸跡には現在NHKと民間放送のアンテナ施設が建っている。山頂の平坦地は南北に細長くやや「く」の字形の地形をとっている。また本丸の南側には、現在の山道とは違う城下につづく大手道があっと考えられ、本丸への虎口には櫓門があったと推定される、幅約4m、長さ約5mの石段が残っている。石段の両翼には櫓を構えたと推定される高みが確認でき、位置関係により単独の櫓台と考えられる。本丸は長さ30m、幅115mあり、北東部には石垣が比較的よく残っている。二の丸は本丸より3m低く、本丸の南に位置する。二の丸は南北2つから成り立っており、北側は南北13m×東西15m、南側は南北16m×東西9mの平坦部から構成されている。また二の丸には東西6.5m×南北3.4m×深さ1mの貯水槽が本丸櫓台下に確認できる。二の丸西側には約18mの石垣が残っている。三の丸は山頂の最北部にあり、約25mのほぼ方形の平坦地があり、東側斜面に石垣がある。本丸から三の丸までは広い城域があるとはいえず、森可成以下、複数の城将、城兵が駐屯していたとなると狭いと考えられている。
『図説近畿中世城郭事典』では、「この城は、主郭全体に建物が建て込む縄張りであったかもしれない」としており、曲輪の内部に建物があったのではなく、曲輪の端まで建物があった可能性を示唆している。また三の丸の北側に、櫓台と帯曲輪からなる小さな曲輪群があり、この曲輪群が『信長公記』に記されている「端城」と考えられている。宇佐山城は、放送施設建設に伴う発掘調査が1968年(昭和43年)と1971年(昭和46年)の2回実施され、本丸から「瓦」が出土している。
石垣
現在確認できる石垣は一部であるが、築城当時はかなりの石垣が用いられていたと考えられている。築城当初は街道監視が主目的であった城に、なぜかなりの石垣が用いられたのか。これは石垣が防御目的だけにとどまらず、特に東側の斜面に多く認められることから、琵琶湖からの見た時の視覚的効果もあると考えられている。『戦国の堅城II』によると「石垣を造ることができる技術者を支配することが可能なほど織田家の権力は強力だというデモンストレーションなのである」とし、織田信長の権力の強大さのアピールとして積極的に石垣を用いたのではないかと解説している。
城跡へのアクセス
- 電車でのアクセス
- 近江神宮前駅(京阪石山坂本線)徒歩 約30分
- 車でのアクセス
- 琵琶湖西縦貫道路 南志賀ランプ → 滋賀県道30号 → 滋賀県道47号
- 周辺に駐車場無し
参考文献
- 大津市歴史博物館『戦国の大津』天下統一の夢 坂本城・大津城・膳所城、大津市歴史博物館、2007年10月、7頁-12頁。
- 滋賀県立安土城考古博物館『信長と安土城』収蔵品で語る戦国の歴史、滋賀県立安土城考古博物館、2008年1月、15頁。
- 中井均編者『近江の山城』ベスト50を歩く、サンライズ出版、2006年10月、188-191頁。
- 高田徹編集『図説近畿中世城郭事典』城郭談話会事務局、2004年12月、48頁-49頁。
- 『戦国の堅城Ⅱ』学習研究社、2005年12月、12頁-17頁。
- 創史社『日本城郭大系』第11巻、京都・滋賀・福井、新人物往来社、1980年9月、288-289頁。
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宇佐山城の口コミ情報
2024年01月31日 尼崎城駿河守一口城主
宇佐山城
1月21日登城。昨年の限定巡り以来2回目の登城となり、本丸跡までは予習済みだったので信州の武道家🥋さんを案内しながら登山。道中の宇佐八幡宮本殿から約15分で三の丸テラスに到着。登山時は雨上がりということもあってか琵琶湖大橋方面を眺めてみると写真①の通りモヤがかかっており思わず歴史番組によく出てくる関ヶ原の戦いの開戦時の霞がかったシーンを連想してしまいました。テレビ塔のある本丸跡で縄張り図(写真②)を撮って二の丸に向かいました。※前回は道中の鉄線で四角に囲われているエリアを見て行ったらダメなのかと思い引き返してしまいました😢
二の丸の石垣(写真③④)を今回はちゃんと見ることができ満足でした。
帰路、再び三の丸テラスに立ち寄ったところ写真⑤の通りモヤが消えつつあり琵琶湖大橋をはっきりと望むことができました。本丸石垣(写真⑥)を撮って下山し、山麓の近江神宮の御城印販売所に向かいました。
近江神宮の境内で日時計を何気なく見ていると経度や緯度の下に海抜200m(写真⑦)とあり、宇佐山の三角点335m(写真⑧)⛰とはあったものの比高で考えると手頃に登山できる山城だと思われます。
2023年08月26日 鈴木剛
登城口[宇佐山城 その他]
地元の小学生が作った看板を目印に上がって行けます。途中にはクイズもあるので楽しみながら登れます。
2023年08月25日 尼崎城駿河守一口城主
宇佐山城
7月17日、宇佐八幡宮にお参り後、地元の小学生製作の看板(写真①)に励まされながら山頂を目指しました。標高300m(写真②)の表示を見たときはラストH 35mだなとゴールが見えてきたような気がしました。私の足で宇佐八幡宮からH300m地点まで15分弱で到達していました。本丸に向かう前に三の丸跡(宇佐山テラス)に寄ってみたところ、こちらは比叡山方面(写真③)、琵琶湖方面(写真④)などが良く見えました。景色を眺めた後、三の丸跡から本丸に向かったところ本丸跡は電波塔(写真⑤)が建っていました。フェンスに縄張り図(写真⑥)があり、二の丸方面にも行ってみようと試みましたが鉄条網の囲い(写真⑦)が見えたので引き返してしまいました。下山後、近江神宮で御城印を購入の際に二の丸が一番石垣が見えるとの話を聞き唖然😱鉄条網の先に進んでみればよかったなと後悔しました。リア攻めされる方、是非二の丸に行って下さい‼️
当日は本丸石垣(写真⑧)を眺めて下山しました。
2023年08月25日 尼崎城駿河守一口城主
宇佐山城
7月17日京阪電車の石山坂本線の近江神宮駅から進軍。まず近江神宮方面に向かい近江神宮手前の宇佐八幡宮(むし八幡)を示す矢印に従い左折(写真①)。進軍中、目的地の山頂方面を見上げると目的地の電波塔が見えてきました。まだまだ遠いなぁと思いましたが、目的地が定まったと気持ちを切り替えて上を目指しました。宇佐八幡宮の石碑前にお城方面を示す表示(写真③)があったので安心して進軍。鳥居(写真④)をくぐって進んで行くと御足形(写真⑤)という岩があったので無事に山頂に辿り着けるように健脚祈願。宇佐八幡宮(写真⑦)にお参りして神社の裏手から案内に従い地元の小学生が作ってくれた看板を楽しみながら山頂を目指しました。
※参考までに私の足で近江神宮駅〜宇佐八幡宮の鳥居まで15分弱、鳥居〜本殿まで約10分かかりました。
2023年07月28日 わか
宇佐山城
真夏に身体を汗だくになりながらリア攻めしました💦が、三の丸の宇佐山テラスからの琵琶湖の眺めは身体の疲れが吹き飛ぶようでした。
2023年07月11日 城社まにゃ日向守柴田軍織田
宇佐山城
限定イベフライング気味で7/2午前登城。この城郭はココ始める前から攻城予定で先月も予定でしたが各地災害級雨天で中止。
前記参考に宇佐八幡神社駐車場に向かう。住宅地外側の沢も良い山雰囲気、駐車場も杉山で車内にて朝食食べるのに適温です。
宇佐山城に向う案内コース上には宇佐八幡神社の東?側を通過、落葉が多く雨期で少し滑りやすい。案内標識が有って迷わず行けます。本丸石垣への登りは急ですが石垣上曲輪からは本丸跡の施設は見えません。本丸跡の施設この大きさならマシです。三の丸からの大津市や琵琶湖を眺めながら涼風で汗が引きました。城攻以外に近隣の方がハイキングに訪れる好い山です。
2023年05月07日 装鉄城大膳大夫乱怒
宇佐山城
JR湖西線大津京駅から徒歩45分程で主郭到着。最初に出てくる石垣には感動。その上部は施設が設けられており、ちょっと残念。三の丸跡からの琵琶湖の眺望は絶景でした。
2022年09月05日 しげしげ主税頭信繁
宇佐山城
近江神社近くの宇佐山八幡宮の横に登城口があります。地元の小学校の生徒さんによる案内板により何の不安もなく主郭まで行けました。
2022年05月05日 金森出雲守
宇佐山城
うん十年以来久しぶりに登城。以前は道もはっきりせずビニールテープの目印が頼りでしたが、かなり木が伐採されすっかり歩きやすくなってました。これも麒麟効果か?地元小学校の手作り看板がありわかりやすいです。
2022年03月21日 織田上総介晃司
宇佐山城
宇佐八幡宮まで車で進み停車。約20分で主郭へ。
ですが…
宇佐八幡宮までの道のりは狭くかなり急坂の上、途中から砂利道。坂の角度が変化する箇所もあり久々にATのスポーツモードON。
シャコタン車や運転の苦手な方、車の腹を擦ったりボディが傷つくのが嫌な方は歩く距離は増えますが無難に近江神宮に停めるほうが良いでょう。
急な登山道ですが石垣が見えてくると疲れが吹っ飛ぶから不思議だ…
三の丸からの景色は絶景。
主郭のNHKや二の丸の有刺鉄線は残念箇所ですが…
2021年12月20日 上田図書頭雪娘
宇佐山城
三の丸から琵琶湖を一望素晴らしいです。石垣の様子も良いです。
2021年09月27日 尾張守たかぼー
宇佐山城
宇佐八幡宮から登城しました。よく整備されているから歩きやすいし、分かりやすかったです。途中、鹿?か何かの小動物と遭遇しました。本丸跡は建造物があるため、雰囲気はありませんが、琵琶湖を眺めることができます。
2021年09月24日 HS兵部大輔
宇佐山城
宇佐八幡宮からつづら折れの山道を登る。20分ほどで城域に到着。主郭にはNHKの建物が占領していてここが残念。他は景色や堅堀、石垣が特にたくさんあり楽しめます。
2021年07月25日 別損山城守瓶割公園前派出所
宇佐山城
宇佐山、斜面が急で滑りやすいです(特に下山時)が、地元小学生による案内板はありがたいですね!迷わず登れます。山頂で石垣を見ると猛暑も吹き飛びます。
宇佐八幡宮にも駐車スペースはありますが、車によってはキツイかも、多少歩きますが、運転に自信の無い方・車が汚れる若しくは地面に擦ってしまう恐れがある方は県道にある駐車場が宜しいかと。
この城でも、多分墓石と思われる転用石があります。
Ⅲ郭からの眺めは素晴らしく、戦国期の重要拠点としての価値がある城と実感できます。
主郭の大部分は、N○Kの施設として使用されています。遺構保存の観点からは微妙ですが、ここが重要な場所である事には違いないでしょう。
2021年06月27日 tectec675侍従
近江神宮駐車場[宇佐山城 駐車場]
ここを真っ直ぐ行くと城への登城道になっています
2020年12月28日 上善如水弾正忠さとまる
宇佐山城
宇佐八幡宮から登山道があります
地元の小学生の子たちが作った看板があるので迷わず登れました
登った先にあるテラスからの眺め最高です
石垣もところどころにあります
土質のためか滑りやすいので、特に下山時は注意が必要です
2020年09月24日 天道式部卿早雲
観光駐車場[宇佐山城 駐車場]
観光目的専用の無料駐車場。6台ほどのスペースがあります。
ここから、宇佐八幡宮を経て、本丸まで往復1時間半ほど。結構な傾斜でしたが、リア攻めする価値大いにあり!
2020年08月19日 美濃守可児の戦熊
宇佐山城
中々の急斜面の山城でした(⌒-⌒; )
見所は沢山あります!
宇佐八幡社に車を停めて登城
2019年08月15日 内記かずりヾ(・ε・。)
宇佐山城
宇佐山城の登城路入口は写真のとおりです。
宇佐八幡宮の社殿向かって右側後方にあります。登城路は道が消えかけている箇所もありますが、樹木が間伐されている上に下草もないので安心して登れますし、地元小学生作成の看板が所々にあるので気持ちがほっこりします。宇佐八幡宮までの参道では「ぷわ〜ん」みたいなあの神社ミュージック?(なんていうのか知らん。)がスピーカーから流れていて荘厳な気持ちで登城出来ますw
宇佐八幡宮は宇佐山の中腹にあり、此処から主郭までは20分位でしょか。そういえば宇佐八幡宮付近で鹿の親子を見ました。「ケーン」みたいな感じですが、この季節でも他の獣の気配を感じる事なく安心して登城出来ると思います。又、付近に存する壺笠山城はマダニの巣窟みたいですが、このお城は草むらに足を突っ込むこともないと思いますので気にしなくて大丈夫かと思います。
確認出来る遺構は主郭、通称二郭、通称三郭に集中してるので主郭部まで一気に登りましょう。ただ登城路脇からは見事な竪堀が2条、真横と下方から確認出来るので、竪堀ファンは面倒がらずに道を外れましょう。
主郭には国営放送の電波塔?と付属施設が建っています。元からある削平地をそのまま利用してると思われるので改変はあまり気にならないと思います。
歴史的な事は省きますが、信長の一番辛い時期を籠城で耐え抜いたお城、皆様も是非訪ねてみて下さいまし。
2019年04月24日 安那備後守はるか
宇佐山城
三ノ丸より城下、琵琶湖を望む。左湖面側には坂本城も見えます。
2019年02月16日 馬秀のすけ
宇佐山城
壺笠山城の次に登った。こちらは再訪。
石垣を見るために下に移動したら、獣を発見!じっと見てたら逃げていったので、鹿かも?山登り2つ目はさすがにキツい。疲れたです。
2012年05月22日 ひろり
宇佐山城
壺笠山程ではないですが、ダニがいるので気を付けて下さい。
2010年09月19日 古楽侍従広家
宇佐山城
森蘭丸らの父親である可成が討ち死にした城として有名ですね。
ただ、朝倉軍は戦うよりも雪で帰れなくなる方が気になっていて、籠城を重視すれば可成らの死は無かったとも言われています。
2010年06月12日 まったり丹波守屋
宇佐山城
近江神社の南側から宇佐八幡へ登ります。八幡の手前に登山道の看板が有るのでそこから山に入ります。道らしい道は無いので迷子にならないように気をつけましょう。
電波塔が建ってますが石垣も有り、北側は遺構が残っておりそれなりに楽しめます。
宇佐山城の周辺スポット情報
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