竹ヶ鼻城(たけがはなじょう)

竹ヶ鼻城の基本情報

通称・別名

竹鼻城

所在地

岐阜県羽島市竹鼻町丸の内3

旧国名

美濃国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

竹腰尚隆

築城年

応仁年間(1467〜1469)

主な改修者

不破広綱

主な城主

竹腰氏、不破氏、一柳氏、杉浦氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

消滅

指定文化財

市史跡(竹鼻城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

加賀野井城(岐阜県羽島市)[3.7km]
墨俣城(岐阜県大垣市)[4.9km]
田代城(岐阜県羽島郡)[6.0km]
八神城(岐阜県羽島市)[6.4km]
野府城(愛知県一宮市)[6.4km]

竹ヶ鼻城の解説文

竹ヶ鼻城(たけがはなじょう)は、尾張国葉栗郡、のち美濃国羽栗郡(現・岐阜県羽島市竹鼻町)にあった日本の城(平城)。天正14年(1586年)の木曽川大氾濫によりその流路が南遷したことに伴い尾張国より美濃国に遷った。それ以前の流路は現在の境川筋を流れ墨俣付近で長良川と合流していたと考えられている。竹鼻城と表記されることもあり、竹鼻城跡として1955年に羽島市の史跡に指定されている。

概要
正確な位置は特定されていないが、丸の内地区に本丸があったと言われている。逆川を外堀とした二重の堀を有していた。

当初は、市道と竹鼻線の踏み切り付近に城碑があったが、現在は上城町、下城町付近が城跡と推定され、羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館|歴史民俗資料館前に城碑を移した。なお、北側の市道工事の際、地下から川原石の石垣が出土している。位置関係からも竹鼻城の遺構の可能性も高い。

築城は竹腰尚隆によって応仁年間に行われたとされている。その後は土岐氏や斎藤氏に仕えた長井氏が入り、更に織田氏に支配権が移ったと考えられる。1584年、織田信雄の配下の不破広綱が城主の時代に起きた小牧・長久手の戦いの際に、豊臣秀吉の水攻めに遭い落城(竹ヶ鼻城の水攻め)。不破は落ちのび、秀吉の配下の一柳直末が入城した。直末が大垣城主となると、池田恒興の配下の伊木忠次、次に森寺清右衛門が入城する。

その次の織田秀信配下の杉浦重勝が城主の時代の慶長5年8月22日(1600年9月29日)、関ヶ原の戦いの前哨戦として福島正則によって攻囲され、二の丸、三の丸に詰めていた援軍の毛利広盛らが知己であった福島に降伏してしまったため落城、杉浦は自害した(竹ヶ鼻城の戦い)。後、竹ヶ鼻城は廃城となる。

現在跡地は商店街や羽島市の歴史民俗資料館となっている。

竹ヶ鼻城の口コミ情報

まるき〜淡路守様[2017年04月30日]
秀吉が生涯四度の水攻めをした城の内、二度目の水攻めをした城

遺構が残されていないのは関ヶ原当時の城主が西軍に付いていたため後に幕府側が石田の名残りを徹底的に破壊したかららしいです…

城跡の位置は金沢の成巽閣にある「四戦図屏風」に書かれていた位置を推定城跡としているようです。
城下を歩いているとアプリ記載の主な城主と同じお名前のお家も見かけました(城主の末裔かなぁ…?)

最近になって羽島市歴史民俗資料館近くのお寺付近に城の石垣、石組みが出たらしいのですが埋め戻されたのか私の探し方が悪いのか(~_~;)確認できませんでした…

資料館の数百メートル先には秀吉ゆかりの石橋(理由わからず)というものがあり裏には水堀の名残りがありました。

ここの資料館は映画資料館にもなっていて特に手描きポスター等が沢山展示されていました。
6月25日まで「原節子の全て展」
7月1日からはアニメ特集 !

城に関する資料はごく一部で少ないですが、資料館、城下の方はとても親切な方ばかりでした。

入館 大人300円


古楽侍従広家様[2011年07月11日]
数少ない水攻めの、これまた数少ない落城事例の一つというだけでも貴重な城ですが、水攻めの痕跡があまり残っていないのも不思議。

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