中島城(なかしまじょう)
中島城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛知県一宮市萩原町中島字城址(地図は石碑の場所を示す)
旧国名
- 尾張国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 中島氏
築城年
- 平安時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 中島氏
廃城年
- 室町時代後期
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
苅安賀城(愛知県一宮市)[2.0km]
片原一色城(愛知県稲沢市)[3.3km]
一宮城(愛知県一宮市)[4.3km]
下津城(愛知県稲沢市)[5.1km]
北島城(愛知県稲沢市)[5.2km]
野府城(愛知県一宮市)[5.6km]
加賀野井城(岐阜県羽島市)[5.7km]
八神城(岐阜県羽島市)[7.3km]
蜂須賀城(愛知県あま市)[7.4km]
黒田城(愛知県一宮市)[8.3km]
[大きい地図で開く]
中島城の解説文
[引用元:Wikipedia「中島城」の項目]中島城(なかしまじょう)は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、尾張国中島郡中島村(現在:愛知県一宮市萩原町中島)にあった豪族中島氏の居城。
城主:尾州中島城主本居山城守源氏孝(戦国時代)
【略歴】
承久3年(1221年)6月5日に嵯峨源氏の流れをくむ中島氏が当地に土着したと伝えられる。
城主は中島左衛門尉宣長を名乗り、子孫は歴代中島蔵人とも号した。
戦国時代中期以降、近隣の斯波氏や織田氏(織田信長)などの勢力に所領を奪われ一時没落、一族は全国に四散した模様である。
落城後、中島氏は豊臣秀吉の家臣となり、中島式部少輔氏重(のち中島氏種)は大坂城に移り大坂七手組頭に任じられた。
【資料】
・中島城址碑(一宮市萩原町中島字北方北浦)
:「尾張ノ豪族中嶋氏ノ城址ナリ 中嶋氏ハ嵯峨源氏ノ末流 平安末期コノ地ヲ領シテ勢アリ 城主ノ子滅宗 妙興寺ヲ創建スルヤ百町歩ヲ寄進ス 城ハ室町末期廃サレ 一族全国ニ散在ス」一宮市長[続きを見る]
中島城の口コミ情報
2021年01月07日 【城郭道】美濃守タッキー
二子砦屋敷[中島城 周辺城郭]
名鉄尾西線の踏切あたりにあったとされる二子砦屋敷。かつて、小牧、長久手の戦いで徳川、織田連合軍によって築かれました。
現在、遺構はなく、畑地と化しています。
2021年01月04日 【城郭道】美濃守タッキー
稲島城[中島城 周辺城郭]
一宮興道高校の南にある城です。この城は現在、石碑があります。わかってるのは国府宮の神官・久田弥四郎の居城だったくらいです。もともとこの辺りは白鳳時代(645~710)創建の尾張最古の東畑廃寺の跡地だそうです。一宮市と稲沢市の境界に近いところにある稲島城。遺構は残っていませんが是非、行ってみてください。
2020年04月30日 【城郭道】美濃守タッキー
中島城
中島城付近にはアプリに載っていない城がたくさんあります。
東宮重城
二子砦屋敷
高木城
北方城
鵜飼民部屋敷 などなど
よかったら調べてみてください。