北島城(きたじまじょう)

北島城の基本情報

通称・別名

所在地

愛知県稲沢市北島町城、北島町燈籠前

旧国名

尾張国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

平経貞

築城年

文保年間(1317〜1319)

主な改修者

主な城主

平経貞、飯尾尚清

廃城年

不明

遺構

土塁

指定文化財

再建造物

周辺の城

蜂須賀城(愛知県あま市)[3.8km]
清洲城(愛知県清須市)[4.1km]
下津城(愛知県稲沢市)[4.3km]
片原一色城(愛知県稲沢市)[5.0km]
中島城(愛知県一宮市)[5.2km]
勝幡城(愛知県稲沢市)[6.0km]
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苅安賀城(愛知県一宮市)[6.8km]
九之坪城(愛知県北名古屋市)[6.9km]
小田井城(愛知県清須市)[7.2km]

北島城の解説文

北島城(きたじまじょう)は現在の愛知県稲沢市に存在した日本の城(平城)である。

歴史
文保年間(1317年-1319年)に平経貞が築城した。平経貞は前九年の役に参戦した経歴を持っている。 その後、織田信長の家臣の飯尾尚清の居城になった。

現在
現在は工場、畑、宗形社になっており、この宗形社では平経貞を守護神として祀っている。 少し離れた場所に、土塁が10mほど残されている。近くから古井戸が3つ発掘されたそうだが現在は残っていない。

アクセス
名古屋鉄道奥田駅から徒歩約20分

北島城の口コミ情報

2021年05月29日 ▽猫耳▼【痛風組】
美濃路稲葉宿本陣跡[北島城  寺社・史跡]



美濃路稲葉宿本陣ひろば

美濃路の宿場であった稲葉宿には、休泊施設として本陣、脇本陣や旅籠が置かれました。
本陣は、寛永12年(1635年)に参勤交代の制が定められた事により、全国の宿駅に設置され、諸大名のほか勅使、宮門跡、幕府役人、外国使節等も利用し、脇本陣は本陣の補助をしました。
稲葉の宿では、小沢村の原所次右衛門が本陣を、稲葉村の吉田又吉が脇本陣をつとめました。

「美濃路稲葉宿本陣跡ひろば」は、この本陣があった場所に街道観光の拠点施設として、整備された歴史公園です。街歩きの際に立ち寄り稲葉宿の在りし日の姿に想いを馳せていただくと共に、交流の場として、ご利用ください。
開園時間 9:00〜17:00
無料駐車場・トイレ有り
稲沢市観光協会HPより

かっての景観をイメージした門や塀、美濃路稲葉宿を紹介した案内板、パンフレット有り

1875年(明治8年)には、当宿を構成していた稲葉村と小沢村の名から1字ずつとって、稲沢村となり、のちの稲沢町、稲沢市となっていった。

2021年05月08日 ▽猫耳▼【痛風組】
吉田庄太夫下屋敷[北島城  周辺城郭]



時期は定かでは無い。
吉田主水正家澄(家政)の一族で、吉田庄太夫も高御堂の地に来住して、屋敷を構え尾張藩に奉仕した。

跡地は、高御堂2丁目12辺りとされ、高御堂簡易水道水源地跡の石碑が立ってる。
住宅地となり遺構等は確認出来ない。

2021年05月08日 ▽猫耳▼【痛風組】
吉田平内下屋敷[北島城  周辺城郭]



時期は定かでは無い。
吉田主水正家澄(家政)の一族で、吉田平内も高御堂の地に来住して、尾張藩に奉仕した。

高御堂2丁目12辺りとされ、現在は住宅地・田畑になり、遺構等は確認出来ない。

2021年05月08日 ▽猫耳▼【痛風組】
吉田主水下屋敷[北島城  周辺城郭]



築城時期は定かでは無い。
吉田主水正家澄(家政)の屋敷とされる。
1610年 尾張藩が開かれた後、鷹匠頭の家澄は藩主から高御堂の土地を与えられ屋敷を構えた。

高御堂2丁目4〜6辺りとされ、住宅地となり遺構、城址碑等は無い。

2021年05月08日 ▽猫耳▼【痛風組】
大塚古墳[北島城  寺社・史跡]



市指定文化財 大塚古墳

高さ 5㍍、直径 40㍍、幅 7㍍、深さ 1㍍の周溝をともなう円墳。
現在の墳丘上層部は中世以降の盛土で、後世別の目的で使用されていた。
出土した円筒埴輪・形象埴輪(蓋形埴輪)から判断して、古墳時代中期の築造である。
稲沢市最大の古墳で、その被葬者は三宅川の灌漑権・水運交通権を掌握した豪族ではないかと、考えられている。
稲沢市HPより抜粋

別の目的…物見櫓とか、狼煙台(烽火台)とかかな?

2021年05月08日 ▽猫耳▼【痛風組】
大塚城(長殿屋敷)[北島城  周辺城郭]

中島郡主 長谷部民部大輔源政の居城。

鎌倉時代、長谷部信蓮は源頼朝に仕えており、戦功により能州一郡、尾州一郡を与えられ、大塚村に城を築いて住んだとされる。
信蓮3代の孫 長谷部民部大輔源政が性海寺の再建を行った。
4代後の長谷部信近が築いたとも云われる。
長谷部氏は10代程続いた。

性海寺南東に長殿屋敷と呼ばれた屋敷が在ったと云う。

大塚城と、長殿屋敷が同一城郭か、それぞれ別の城郭なのかは不明。

2021年05月03日 ▽猫耳▼【痛風組】
松下城[北島城  周辺城郭]



律令時代(古墳時代末期・奈良時代・平安時代前半)尾張国の国衙跡に築かれた。
1442年頃、尾張守護代となった尾張敏広の居城

現在は、松下公民館東側に尾張国衙址の石碑があり、その奥に尾張国府跡発掘調査時出土した、建物礎石が二つある。
松下城跡についての城址碑は無い。

2021年05月03日 ▽猫耳▼【痛風組】
長束正家邸[北島城  周辺城郭]



時期は不明であるが、長束正家(〜1600年)の屋敷とされる。
正家は初め丹羽長秀に仕えたか、長秀没後、秀吉に仕え、高い算術能力を買われて財政面で活躍した。
小田原征伐、文禄・慶長の役で兵糧奉行となり、近江水口5万石→12万石を与えられ、豊臣政権五奉行の一人となる。
関ヶ原の戦いては、西軍に属し南宮山に布陣し攻める予定だったが、東軍に寝返った吉川広家に遮られ、戦わずして水口へ敗走した。
その直後、池田軍に捕縛され切腹させられた。

現在は、美濃路東側、長束町沙耶に石碑がある。

2021年05月02日 ▽猫耳▼【痛風組】
大矢城[北島城  周辺城郭]



鎌倉時代初期、守護職大屋中三安資の居城。
場所は、大矢町高松辺りとされ高松城と呼ばれた。
戦国期、織田信雄の老臣滝川刑部小輔雄利が大江川を挟んだ南方に大矢城を築いたとされる。

大矢町村内上にある桂昌寺が大矢城主の菩提寺で城主の位牌が残っているという。

2021年04月30日 ▽猫耳▼【痛風組】
尾張国 国分寺跡[北島城  寺社・史跡]



尾張国分寺は、稲沢市矢合町から堀之内町にまたがる地に建てられましたが、884年(元慶8年)に焼損し、愛知郡の定額願興寺に役割が移ったと伝えられています。

現在、尾張国分寺跡は、金堂跡、塔跡、講堂跡等が確認されており、東西約200㍍、南北約300㍍以上の大寺院であったと推定されています。

現状は塔跡に、礎石が数個残るのみでした。

2019年02月14日 いちかわ
北島城

城の名前を示すものは何もありません。 駐車場もないので、車が通れるように路駐するしかありません。土塁があるということで、ネットで先人の記録を見ましたが 10年以上前のものしか見つけられませんでした。中でも神社の少し西に土塁があるという情報を頼りに付近を歩いてみましたが、見つけられませんでした。現在はもうなくなってしまっているのかもしれません。

2015年02月28日 うめさん右衛門佐
北島城

なんの痕跡もない寂しさ

2010年06月08日 三河守コーキしゃん
北島城

工場の駐車場になっていて何もありませんでした


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