片原一色城(かたはらいしきじょう)

片原一色城の基本情報

通称・別名

一色城

所在地

愛知県稲沢市片原一色町深曽他

旧国名

尾張国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

橋本伊賀守

築城年

応永年間(1394〜1428)

主な改修者

主な城主

橋本氏

廃城年

元和元年(1615)

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

中島城(愛知県一宮市)[3.3km]
北島城(愛知県稲沢市)[5.0km]
苅安賀城(愛知県一宮市)[5.1km]
蜂須賀城(愛知県あま市)[5.2km]
勝幡城(愛知県稲沢市)[5.5km]
八神城(岐阜県羽島市)[5.6km]
加賀野井城(岐阜県羽島市)[5.8km]
下津城(愛知県稲沢市)[7.2km]
一宮城(愛知県一宮市)[7.6km]
野府城(愛知県一宮市)[8.4km]

片原一色城の解説文



片原一色城(かたはらいっしきじょう)は、愛知県稲沢市にあった日本の城(平城)。

概要 

応永(1394年~1427年)頃の築城とされ、8代にわたり伊賀守の橋本氏が居城したとされる[1]。慶長20年(1615年)一国一城令により廃城となった。城址の総面積は東西109メートル、南北73~91メートル。現在は神明社になっており、遺構は何も残っていない。

城主一覧 

  • 橋本宣都寺(1代目)
  • 橋本寛勢(2代目)
  • 橋本正秀(3代目)
  • 橋本俊信(4代目)
  • 橋本一巴(5代目)
  • 橋本道一(6代目)
  • 橋本道正(7代目)
  • 橋本正太(8代目)

所在地 

愛知県稲沢市片原一色町如来

参考文献 

  • 加藤博紀 1998 「2.遺跡の概観」『一色青海遺跡』pp.5(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/1048)財団法人愛知県埋蔵文化財センター

片原一色城の口コミ情報

2024年08月18日 尾張守たまきち
西島城[片原一色城  周辺城郭]



西島城は、應永年間(1394~1428年)後期に築かれた祖父江五郎左衛門代々の居城とされる。1600年「関ヶ原の戦い」の際、祖父江五郎左衛門信勝は福島正則に属して戦功を挙げ、竹腰、西島を与えられる。その後信勝は祖父江芳斉と号して西島城南の旧恵日寺に隠居するが、1614年「大坂冬の陣」の際、豊臣方との内通で、1615年伏見で切腹、御家断絶となる。現在は天神社が有り、遺構はありませんでした。

2024年08月18日 尾張守たまきち
柳原城[片原一色城  周辺城郭]



この地点には、水田と住宅があるだけで、遺構はありませんでした。

2024年04月23日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
上祖父江城[片原一色城  周辺城郭]



築城時期は、定かではない。
江戸時代の寛文年間(1670年代)に編集され、尾張藩一円の村勢を知る書物(現在で言う国勢調査)に、『寛文村々覚書』がある。この書物の上祖父江村の項には、次のように記載されている。
「古城跡壱ヵ所 先年井野蔵人正居城の由、今ハ百姓屋敷成。」即ちここには古城跡が一ヵ所あり、いく年か前、城主は井野蔵人正(いのくらんどのしょう)という人物であった。また、当時すでに百姓屋敷になっていた、という。
続く寛政年間(1790年代)には、尾張藩が藩領各村に作成を命じた村絵図、『中嶋郡村邑全図』の内「司農府図書記」の蔵書印がある一葉に「上祖父江」があり、八剱社を含む方形の土地が見える。
さらに『朝日村誌』地名の由来の項で、「大跡」「東大跡」は『張州府志』にある「祖父江城在上祖父江村井野蔵人居之今為民居」の跡かと指摘している。現在も、大跡の地名が隣地に存在している。
場所は、この八剱社辺りにあったと思われる。
     朝日連区地域づくり協議会

花子の父 太田八右衛門記銘の造営記念碑(八剱社)

女優花子は、慶応四年(1868)中島郡上祖父江村の太田八右衛門・うめの長女として生まれた。本名はひさという。生まれてすぐに名古屋に移り、そこで踊りや三味線・八雲琴などを習い、中村光吉が率いる女旅芸人一座の子役として地方を巡業していた。
明治三十五年(1902)花子は活動の場を広げたいと思い欧州へ向かった。デンマーク、ドイツへ、そして巡業先のイギリスで、女性興行主ロイ・フラーに出会った。フラーは端役だったひさを日本人一座の座長にさせ、さらにひさを「花子」と名乗らせた。
明治三十九年(1906)花子一座の「芸者の仇討」を観劇していたロダンは、花子の演技に感銘を受け作品のモデルになるよう依頼した。その後花子は、巡業の間に度々アトリエを訪れモデルをつとめた、彫刻された作品は五十八点に達した。ロダン夫妻とは寝食を共にするほど親交があったという。大正十年(1921)花子は帰国し、岐阜西園町の妹たかを経営の芸妓置屋「新駒屋」に身を寄せた。花子はこの時五十三歳であった。
故郷の上祖父江八剱社には、大正十四年(1925)に大規模な境内整備をしたことを記念する「御造営記念碑」が建てられており、この中に「篝籠 太田八衛門」の文字をみることができる。岐阜の太田家が花子の父の名前で寄進したものと思われる。今境内にある篝籠は昭和四十七年(1972)に新調されたものである。旧篝籠の石柱は、旗立て用の支柱に転用されていたが、やがて役目を終え、境内に置かれていた。その後由来が分かり、平成十三年(2001)神社から一宮市尾西歴史民俗資料館に寄託された。
八剱社の石碑及び旧篝籠石柱は、尾西地区に残された花子につながる遺物である。
      朝日連区地域づくり協議会

上祖父江城址の説明板が、新たに設置されていました。

2024年01月28日 みくみく式部大輔ばあ2
片原一色城



場所がちょっとわかりにくかったですが、石碑を見つけて写真を撮りました。家に帰って写真を拡大してみると確かに「一色城址」と書いてありました。静かで、のどかな所でした。

2023年04月15日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
佐藤牧山先生旧宅址之碑[片原一色城  碑・説明板]



佐藤牧山 享和元年八月一日□枇杷□に出生。父は早逝、母に養育さる。幼少より困苦欠乏に耐え家道の復興を肝銘。初め丹羽村の有隣舎に学び、後名古屋の河村乾堂にも教えを受く。十九才□を□いて江戸に下□昌平校に入り、昼夜勉学、創立以来の優秀なる学者と賞賛せらる。三十一才 尾張藩儒官となり、後尾張藩弘道館総裁に進む。又、明治三年 名古屋明倫堂督学、廃藩後 大津町に朝日私塾を開く。晩年、東京斯文学会の講師に招かれ、三條実美や伊藤博文等に老子を講義して驚嘆せしめ、その名一世に高し。第二(山崎)尋常小学校校歌の一節にも「牧山先生鑑とし」とあり、先生の学徳を景仰するの一端なり。昭和五十年九月十九日 史蹟指定にあたり境内を修復し、先生の遺徳を追慕する、至情より之を建て記念とす。

石碑碑文より。□部分は、苔により不鮮明。

稲沢市に合併前の祖父江町の木製の標柱が残る。

2023年04月01日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
金峯社(金峯社古墳)[片原一色城  寺社・史跡]



境内地全体が墳丘とされ、墳頂部に金峯社の社殿が建てられています。

周囲の道路より1〜1.5㍍程の高まりがあるが、未調査の為、古墳なのかは不明で、未確定です。

2023年04月01日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
物見塚稲荷社(物見塚古墳)[片原一色城  寺社・史跡]



周囲の農地より、1〜1.5㍍程の高まりがあり、物見塚稲荷社が祀られています。

未調査の為、古墳かは未確定です。

境内の木に、何やら標柱らしき角材が立て掛けられていたが、朽ち果て落剥が激しく、何が書かれていたかは不明。稲沢市と合併前の、平和町の頃のものと思われるが…。謎のまま終わる。

2023年03月16日 長谷川兵部丞平蔵
片原一色城



石碑があるのみで、遺構らしきものは見られません。

2023年01月26日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
布智神社古墳[片原一色城  寺社・史跡]



布智神社の御由緒には、前方後円墳と書かれているが、詳細は不明の古墳で、現状では約25㍍×約23㍍高さ約2㍍の円墳状の墳丘となり、北側に周溝と思われる凹地が残っている。
以前は、墳丘上に社殿が建てられていたとされ、元宮山と呼ばれている。

布智神社の起源とされている古代の石は、ひょっとしたら石室の石材で、それを祀るために神社が造営されたのかもしれないが、発掘調査されていないと思われるので、詳細は不明です。境内地は、天然記念物 シイノキの群生地となっているので、発掘調査は無理なのかな?

2023年01月26日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
布智神社[片原一色城  寺社・史跡]



布智神社の御由緒
本神社は「延喜式神名帳」所載の式内社で、尾張国中島郡三十座の内の神社で「本国帳」に従一位 布智天神、又、渕天神、渕森天神とある。明治以前は火神大明神、明治以降は火神社と呼び、森下お宮と親しみ敬われている。古来、本神社はこの地方の総社で、国司神拝の記録が残り、鎮火、尚武の神として崇敬は厚く、崇徳天皇の保延年中(1135〜1140)京都に大火がしきりに起こったので、その火難の祈祷を当社に命ぜられた。又、慶長年間(1596〜1614)にも、鎮火祭の御祷りの管令を下されたなど由緒ある古社である。
織田信長公は武運長久の祈願をし、清洲城主はしばしば鎮火、尚武の祈願をし社殿の修理や、度々の寄進もされたと伝わる。

伝説
火傷したとき、清水を口に含み「火の神大明神」と三度唱えて水を吹きかけると全治する。また、熱病のときに手水舎の水を飲めば熱は鎮まると伝わる。
更に、大神は、陣頭に立って御剣を振い、また火矢を射放ち敵を降伏させるなど武勇に優れ、武将の崇敬を集めたと伝わる。また、境内の小高い山は前方後円墳と言われている。
「磐境の石」は、古代の石で神社の起源とされており、現在、西の鳥居に一対ある黒っぽい石である。

天保年間頃に、現在の位置に社殿が遷座されているので、信長公の時代には古墳の墳丘上に社殿があったと思われる。

2023年01月06日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
片原一色城



一色城址
応永の頃より、橋本伊賀守の居城で八代に及んだ、中でも道求は信長に、道一は秀吉に鉄砲をもって仕えた勇将であった。
元和元年(西暦1615年)に、廃城となる。
石碑碑文より。

昔は、サイクリングロードだった気がするが、いつの間にか、尾張水道みちと名前が変わっていた……の片隅に石碑があるのみです。

2022年12月09日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
地蔵寺(王塚古墳)[片原一色城  寺社・史跡]



地蔵寺の本堂は、僅かな高まりに建てられており、この微高地が古墳の墳丘なのかは未調査の為、未確定です。

地名に王塚と残っているので、何かしら理由があると思われるが…。少し北側には北屋敷、上屋敷、中屋敷等の地名があるので、在地豪族の屋敷や墓所があったのだろうか?
謎のまま終わる。

2022年05月23日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
正楽寺址[片原一色城  寺社・史跡]



伝承によると、奈良時代から平安時代前期まで、稲沢市矢合町椎ノ木他にあった、尾張国分寺の東西南北には、総じて四楽寺と呼ばれる末寺があったとされる。この付近には、この四が寺の内、国分寺の西方にあたる正楽寺があったとされ、室町時代には津島市南本町あるいは、稲沢市平和町塩川に移転したとされる。
稲沢市教育委員会
説明板より。

この付近では、以前に発掘調査された事があるらしいが、寺院跡の痕跡などは発見されなかったと言う。この付近には、儀長城があったとされているが、城跡の痕跡などがあったかは不明。

2022年05月04日 飛騨守勘助
片原一色城



現地には石碑を残すのみでしたが、近くには大きな木と共にお社が残っていました。その社を畑がぐるっと囲むようにありました。平城だったとすればかなりの広い敷地だったのかと思われます。

2021年12月20日 【城郭道】たっきー
祖父江城[片原一色城  周辺城郭]



1466年ごろに祖父江久豊が築いたと言われる城。ことあたりで強い勢力を持った一族で、津島神社の神官だったという。現在、祖父江神明社等と化し、遺構は見当たらない。

2021年12月20日 【城郭道】たっきー
坂井屋敷[片原一色城  周辺城郭]



戦国時代の土豪・坂井氏の屋敷跡。現在、山崎神社の東、水路を挟んだところに石碑があります。付近にあった山崎城とは何か関係があるのか…。どうしても気になってしまうのが我の性格…。

2021年12月15日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
田嶋氏宅址[片原一色城  碑・説明板]



稲沢の城跡でよく見かける石碑が、神社の片隅に建っているのを発見。気になったので行って来ました。

石碑には、田嶋氏宅跡。文亀二年(1502)一色城主 橋本伊賀守に招かれて、熱田の権宮司 田嶋氏より分家し、八剱社の神主となり此處に居住した。以下には、歴代の神主の名前が刻まれていると思われます。

この石碑について、ネット検索しましたが、レビュー等無く詳細は不明でした。

石碑は、金刀比羅社(一色中屋敷町)にあり、碑文にある八剱社は道路を挟んだ南側にあります。片原一色城の南側に位置していて、北側には、矢倉上、西側には、堀詰等の地名が残っているので、片原一色城の付近にあったと思われます。

よく通る道路なのに、何故今まで気が付かなかったのだろう?謎だ…。金刀比羅社には、社号標が無く、鳥居も片方の脚しかないインパクトに惑わされたかな?

2021年12月15日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
鵜多須代官所(陣屋)跡[片原一色城  碑・説明板]



安永十年(1781)名古屋の大火で国奉行所が類焼し、それを機に郡奉行を廃止して領内の要所要所に代官所を設置し、所付代官所の制度を実施した。この鵜多須代官所は、天明二年(1782)四月に設置され、その後、約九十年間に24人の代官が任命された、支配地は岐阜県の一部にまで及び154村、76764石になっている。

主な仕事は、地方行政一般で蔵入地の貢祖の決定、取立、諸運上の調査徴収、宗門改帳・人別帳・五人組帳の検査、土木工事(河川堤の普請・橋の掛け替・杁の伏せ替)、治安維持(警察・裁判・調停)、勧農などの行政上の全ての権力をもたせた。

代官所の定員は、代官・手代五人、並手代一人、足軽(同心)三人、小使い五人程度であった。代官所には、代官や手代・同心の居住する屋敷があり、近隣には代官所へ出頭した庄屋などへの食事宿泊の為「郷宿」もあった。

明治維新後、全国の代官所は廃止され、この鵜多須代官所も明治四年(1871)十月その歴史を閉じた。廃止後、学校として利用された事もあったが、やがて建物は払下げとなり、今では跡形もなくなっている。

説明板の絵図にある神明社が残っているが、代官所跡は宅地や畑地となり遺構は確認出来ない。

2021年10月22日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
竹腰城発掘礎石[片原一色城  遺構・復元物]



昭和三十九年一月元の字城屋敷より出土せる二十余個の一部で竹腰城の礎石か

石碑碑文には、こう記されていますが、どの石が出土したものか不明でした。
石碑の土台と石碑そのものも礎石かな?

この石碑は、竹腰城跡の東側の八剱社の片隅にあります。

2021年10月17日 我流尾張守クール
片原一色城

初代橋本宣都寺は津島市の藤浪から現地に移り、寛勢、正秀、俊信、道求(一巴)、道一、道正、正太の八代、180年余り居城しました。稲沢市内に矢合城、井堀城、三宅城を支城にしていたようです。橋本氏は南北朝時代の楠木氏の子孫とも言われており、尾張国の土豪でした。

五代の一巴は蜂須賀小六党に属していましたが、信長にスカウトされ、火縄銃の師範として活躍。1558年の浮野の合戦では勇名をはせました。

息子の道一は秀吉、清正に仕え慶長の役には鉄砲隊の組頭を任されたものの、渡海前に肥前国で病没したようです。

桶狭間の戦いが1560年。茶筅ぶりの信長が西尾張を縦横無尽に走破していた時代、熱田や津島など要衝をおさえ財力を蓄えていた信長の足跡を見ることができる城跡です。

2021年08月17日 左近衛少将桜姫
片原一色城



城は8代にわたり橋本伊賀守が居城したが、一国一城令により廃城。遺構はナシ、とあるが、光堂川と日光川が近くを流れるので、堀に水を引き込んでいたのかな?と思いを馳せたり。跡に神明社が建ち、畑と植木畑の中にポツンと石碑が残るのみ。 石碑に蝸牛2匹、蛙がいて和んだ。

2021年06月05日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
上祖父江城[片原一色城  周辺城郭]



築城時期は不明。井野蔵人の居城とされる。城跡の位置もよく分かっていないが、八剱社の辺りとされる。字名は大跡。

2021年05月09日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
儀長城[片原一色城  周辺城郭]



築城時期は定かでは無い。
片原一色城の支城の一つ。
城主は橋本道一とされる。

橋本道一は儀長城のほか、父の居城だった片原一色城主でもあった。
織田信長、織田信雄に仕えて、その後は豊臣秀吉、加藤清正に仕えた。
慶長の役で、鉄砲頭に任命されたが、出兵前に肥前 名護屋城で病没した。
その後、橋本氏は1600年頃、肥後に移り加藤清正に仕えた。

1615年 一国一城令により、主城の片原一色城と共に廃城となった。

城跡は、正楽寺跡辺りから、貴船神社東側辺りとされるが、遺構等は残っていない。


2021年05月04日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
中野城[片原一色城  周辺城郭]



築城時期は不明である。
桜木与太郎の居城とされるが詳細は不明。
城跡は、善勝寺南辺りとされるが、城址碑等は確認出来なかった。

善勝寺本堂や境内の庭石に、城に使われた礎石が混ざっているらしい…?

2021年05月04日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
祖父江城[片原一色城  周辺城郭]



室町時代中期 文正元年(1466)祖父江五郎左衛門久豊が築城したとされる。
永禄の頃、祖父江氏が竹腰村へ所領替えとなり、後に、横井作左衛門時久となる。
横井作左衛門時久は、尾張藩初代藩主 徳川義直より1900石を賜り、下祖父江村の領主となり、尾張藩隼鷹匠頭を務めた。

現在城跡は、神明社・長張寺辺りとされ、城址碑等は確認出来なかった。

2021年05月04日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
坂井屋敷[片原一色城  周辺城郭]



中世末期、山崎に居住した土豪、坂井文助利貞の屋敷。
1574年 信長の命で祖父江周辺の築堤奉行を務め、1575年 東海道の整備等行った。
信雄、秀吉時代も奉行職を務めた。
2代 利政は、尾張藩で船奉行として1000石を得る。
3代 利知も、船奉行時代に事故を起こし御家断絶となる。
利知の弟・利道が三河へ移り、名字を「坂井」→「酒井」へ変え眼科医となったと云う。

山崎神社の中にある白山社址の碑を東側に進み
堀跡の様な水路を越えた先に石碑がある。

2021年05月03日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
井堀城[片原一色城  周辺城郭]



築城年は定かでは無いが、片原一色城の支城の一つで、城主は橋本伊賀守。
1615年の一国一城令により、本城の片原一色城、支城の矢合城・儀長城と共に廃城となった。
城跡は、定かでは無いが三宅川沿いに鎮座する、白山社西側辺りとされている。

神社裏に、倒れた石碑があったので、城址碑かな?と期待したが違った、残念…。

近くに井堀犬城町の字名が残る。

2021年05月03日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
柳原城[片原一色城  周辺城郭]



1600年「関ヶ原の戦い」後に築かれた、祖父江五郎左衛門信勝の城で、櫻木某が居住したと云う、1615年に廃城になり。櫻木氏は当地に土着したと云う。
城域は、光円寺の北西辺りとされ、住宅地・田畑になり遺構、城址碑等は無い。

2021年05月03日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
西島城[片原一色城  周辺城郭]



鷹永年間(1394〜1428年)後期に築かれた、祖父江五郎左衛門代々の居城とされる。

城域は、天神社、畑地辺りとされ遺構、城址碑等は無い。

2021年05月01日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
竹腰城[片原一色城  周辺城郭]



祖父江信勝の居城。
関ヶ原の戦いの戦功により福島正則から、竹腰・西島の地を与えられ築城した。
大坂冬の陣の際、豊臣方と内通したとされ、お家断絶、廃城となった。

看板には、稲沢市内で最も保存状態が良い。となっているが、田と畑の高低差が城跡の痕跡なのかは不明です。

2021年04月30日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
矢合城[片原一色城  周辺城郭]



片原一色城主の橋本道一の弟である橋本大膳が築城した。この城は片原一色城の支城としての役目を持っており、この地域一帯を支配していた。
現状は、国分寺になっており、遺構は無く城址碑があるのみです。

2021年04月30日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
三宅城[片原一色城  周辺城郭]



片原一色城を本拠にしていた、橋本一族の居城。片原一色城を取り巻くように、矢合城、儀長城、井堀城、三宅城を配置し、一族の者を城主とした、この辺りに勢力を築いた豪族。

現状は、東レテキスタイル北側で、田畑になっていて、遺構、城址碑等はなく、住所に上三宅城地に名残があるのみでした。


2020年10月04日 武蔵守マクシミリアン
片原一色城

国道155号西島本町交差点近く、木曽川から大治浄水場までの導水路(暗渠)脇に小さな石碑が立っています。導水路と農道が交差する辺りに短時間なら駐車できます。

2020年08月17日 きいろいとり
片原一色城

工事していることもあり道が分かりにくいです。石碑のすぐ近くは車止めしている箇所もありますので、ご注意くださいね。

2020年08月14日 【城郭道】たっきー
矢合城[片原一色城  周辺城郭]



稲沢市の国分寺に矢合城という城があります。国分寺では御朱印をもらうことができるので是非、もらってってください。駐車場はあります。

2019年05月11日 しげぽん
片原一色城



城址には石碑が残ってます。
近くまで車でいけますが、駐車場はありません

2017年10月31日 れいぶ尾張守りっく
片原一色城

神明社へ 凄く大きなくすの木がありました


2015年01月03日 右近衛中将黒熊
片原一色城

昨日、跡地の神明社を訪問しましたが、昨年改築されたようで大変きれいなお社になっておりました。

2012年02月10日 日光人
片原一色城

R155を横切るサイクリングロード沿いに石碑が建っています。


片原一色城の周辺スポット情報

 竹腰城発掘礎石(遺構・復元物)

 田嶋氏宅址(碑・説明板)

 鵜多須代官所(陣屋)跡(碑・説明板)

 佐藤牧山先生旧宅址之碑(碑・説明板)

 矢合城(周辺城郭)

 三宅城(周辺城郭)

 竹腰城(周辺城郭)

 西島城(周辺城郭)

 柳原城(周辺城郭)

 儀長城(周辺城郭)

 井堀城(周辺城郭)

 中野城(周辺城郭)

 坂井屋敷(周辺城郭)

 祖父江城(周辺城郭)

 上祖父江城(周辺城郭)

 布智神社古墳(寺社・史跡)

 神明社(寺社・史跡)

 一色青海遺跡(寺社・史跡)

 正楽寺址(寺社・史跡)

 金峯社(金峯社古墳)(寺社・史跡)

 物見塚稲荷社(物見塚古墳)(寺社・史跡)

 地蔵寺(王塚古墳)(寺社・史跡)

 布智神社(寺社・史跡)

 淵森稲荷社(寺社・史跡)

 地泉院(寺社・史跡)

 善応寺 大日堂(寺社・史跡)

 善光寺東海別院(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

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