布智神社
布智神社([片原一色城 寺社・史跡])
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布智神社の口コミ情報
2023年01月26日 前田利家猫耳メイド萌
布智神社の御由緒
本神社は「延喜式神名帳」所載の式内社で、尾張国中島郡三十座の内の神社で「本国帳」に従一位 布智天神、又、渕天神、渕森天神とある。明治以前は火神大明神、明治以降は火神社と呼び、森下お宮と親しみ敬われている。古来、本神社はこの地方の総社で、国司神拝の記録が残り、鎮火、尚武の神として崇敬は厚く、崇徳天皇の保延年中(1135〜1140)京都に大火がしきりに起こったので、その火難の祈祷を当社に命ぜられた。又、慶長年間(1596〜1614)にも、鎮火祭の御祷りの管令を下されたなど由緒ある古社である。
織田信長公は武運長久の祈願をし、清洲城主はしばしば鎮火、尚武の祈願をし社殿の修理や、度々の寄進もされたと伝わる。
伝説
火傷したとき、清水を口に含み「火の神大明神」と三度唱えて水を吹きかけると全治する。また、熱病のときに手水舎の水を飲めば熱は鎮まると伝わる。
更に、大神は、陣頭に立って御剣を振い、また火矢を射放ち敵を降伏させるなど武勇に優れ、武将の崇敬を集めたと伝わる。また、境内の小高い山は前方後円墳と言われている。
「磐境の石」は、古代の石で神社の起源とされており、現在、西の鳥居に一対ある黒っぽい石である。
天保年間頃に、現在の位置に社殿が遷座されているので、信長公の時代には古墳の墳丘上に社殿があったと思われる。