鵜多須代官所(陣屋)跡

鵜多須代官所(陣屋)跡([片原一色城  碑・説明板])

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鵜多須代官所(陣屋)跡の口コミ情報

2021年12月15日 前田利家猫耳メイド萌


安永十年(1781)名古屋の大火で国奉行所が類焼し、それを機に郡奉行を廃止して領内の要所要所に代官所を設置し、所付代官所の制度を実施した。この鵜多須代官所は、天明二年(1782)四月に設置され、その後、約九十年間に24人の代官が任命された、支配地は岐阜県の一部にまで及び154村、76764石になっている。

主な仕事は、地方行政一般で蔵入地の貢祖の決定、取立、諸運上の調査徴収、宗門改帳・人別帳・五人組帳の検査、土木工事(河川堤の普請・橋の掛け替・杁の伏せ替)、治安維持(警察・裁判・調停)、勧農などの行政上の全ての権力をもたせた。

代官所の定員は、代官・手代五人、並手代一人、足軽(同心)三人、小使い五人程度であった。代官所には、代官や手代・同心の居住する屋敷があり、近隣には代官所へ出頭した庄屋などへの食事宿泊の為「郷宿」もあった。

明治維新後、全国の代官所は廃止され、この鵜多須代官所も明治四年(1871)十月その歴史を閉じた。廃止後、学校として利用された事もあったが、やがて建物は払下げとなり、今では跡形もなくなっている。

説明板の絵図にある神明社が残っているが、代官所跡は宅地や畑地となり遺構は確認出来ない。

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