牧村城

牧村城([竹ヶ鼻城  周辺城郭])

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牧村城の口コミ情報

2023年02月06日 RED副将軍


利休七哲である牧村利貞の居城🏯山内一豊ゆかりの地

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代等は不詳。戦国時代には斎藤龍興の家臣である牧村正倫が城主であったとされます。牧村氏は、稲葉重通の子の利貞が家督を承継しました。牧村利貞は織田信長に仕え、信長の死後は豊臣秀吉の馬廻りとなり朝鮮出兵にも参加しています。また利休七哲のひとりに数えられる茶人でもありました。山内一豊が、主君であった岩倉織田氏が織田信長により攻められ落城、家老であった父も討死し流浪していたところ、この牧村城で庇護されたと云われます。

見所
遺構は消失しており、円長寺の境内に牧村城の碑が立っていますが、正確な牧村城の場所すら分かっておりません。

2022年12月16日 【城郭道】たっきー


【山内一豊ゆかりの城】
牧村城、岐阜県安八町。
牧村牛之助正倫が城主だったお城です。その家督を継いだのが利貞で、その牧村利貞が利休七哲の一人だったりします。1559年に岩倉城(愛知県岩倉市)が落城した際に山内一豊が流浪の身となり、翌年にこの城へと身を寄せたとか。

2022年09月17日 前田利家猫耳メイド萌


山内一豊ゆかりの牧村城址
牧村城
十六世紀の戦国時代、当地に小城があり、牧村牛之助政倫(斎藤龍興の家臣)が居城していました。のちに政倫は、牧村兵部利貞(利休七哲の一人)を継嗣にしました。城址は、古記録に、「村南にあり」とされており、この付近と推測されます。
一豊のかかわり
土佐藩祖となった山内一豊は、十五歳の時(永禄三年 1560)城主 牧村政倫の元に身を寄せました。
一豊は、守護代 岩倉織田家の家老 山内盛豊の子として生まれました。永禄二年、織田信長に攻められ、岩倉城は落城し、父と兄は討ち死にしました。一家は流浪の艱難の時、当地に寄属しました。
出世の足がかり
一豊は、政倫が敵に襲われた時、水色の帷子鉢巻き姿で馬に乗って撃退するなどの武功をたてました。また、地道で誠実な人柄を高くかわれ、秀吉の家来になりました。その後、妻 千代の内助の功もあり、土佐 二十四万石の大名にまで、出世しました。
牧村城は、若き一豊が激動の中を過ごし、政倫や西美濃の諸武将から、貴重な人生を生き抜く才知を学び、出世の足がかりになるところでありました。
石碑碑文より。

参詣者用駐車場があります。

2021年06月01日 青コアラ美濃守


斎藤龍興の家臣・牧村政倫の居城。
円長寺というお寺に城跡碑がありますが、はっきりとした場所は特定されていないので遺構もありません。
のちに土佐藩祖となる山内一豊が15歳の時、尾張岩倉城の落城により父と兄を失って流浪の末、牧村政倫の元に一時身を寄せたと伝わります。石碑に「山内一豊ゆかりの城」と刻まれているのはその為です。

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