鯰江城(なまずえじょう)

鯰江城の基本情報

通称・別名

所在地

滋賀県東近江市鯰江町

旧国名

近江国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

鯰江氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

鯰江氏

廃城年

遺構

石垣、土塁

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

百済寺(滋賀県東近江市)[4.9km]
箕作城(滋賀県東近江市)[6.1km]
高野城(滋賀県東近江市)[6.7km]
佐久良城(滋賀県蒲生郡)[7.1km]
大塚城(滋賀県東近江市)[7.8km]
目加田城(滋賀県愛知郡)[8.7km]
和田山城(滋賀県東近江市)[8.7km]
観音寺城(滋賀県近江八幡市)[8.7km]
後藤館(滋賀県東近江市)[8.9km]
佐生日吉城(滋賀県東近江市)[9.5km]

鯰江城の解説文



鯰江城(なまずえじょう)は、近江国愛知郡鯰江荘(現・滋賀県東近江市鯰江町)にあった日本の城(平山城)。同地を本拠とした鯰江氏の居城であった。

概略 

室町時代、鯰江氏は六角氏に属して勢力を伸ばしていたが、永禄11年(1568年)に観音寺城の戦いで六角氏の居城である観音寺城が落城したため、城主の鯰江貞景は甲賀郡に逃げていた六角義賢・義治父子を迎え入れ、主家復興のため織田信長に反抗を企てた。

貞景は鯰江城に空濠の増設・土塁の増強を含む改修を施し、百済寺の僧や一向宗と結び籠城したが、天正元年(1573年)9月、柴田勝家らの軍勢によって落城した[1]。鯰江城落城後、鯰江氏は全国へ散り各大名に仕えたが、貞景の子・定春は豊臣秀吉に従い、大阪に鯰江の地名を残している。

地理 

鯰江城は愛知川の断崖を活かして築かれ、川から城への上り道は細道1か所という防御に有利な地形であった。現在は県道が通り、川岸は田畑として利用されている。

現況 

現在は、土塁の一部や石碑が残るのみであり、城跡は住宅地となっている。

参考文献 

  • 滋賀総合研究所『湖国百選 Beautiful Shiga 101 城』滋賀県企画部地域振興室、1992年

鯰江城の口コミ情報

2024年01月03日 あだち大蔵丞
鯰江城

鯰江城跡は道路脇に説明板と鯰江城阯の石碑があるだけです。

2022年12月06日 RED副将軍
鯰江城



佐々木六角氏重臣である鯰江氏の居城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。在地豪族であった鯰江氏によって築かれたその居城。
鯰江氏は、藤原道長の系譜であり近江に土着していた三井氏が、宇多源氏の流れを汲む守護大名の六角佐々木氏より六角高久を養子に迎え、六角高久は鯰江氏を名乗ったのが始まりとされます。この三井氏は後の三井財閥の祖と云われます。
戦国時代には観音寺城の佐々木六角氏に仕えました。
1568年、尾張の織田信長が足利義昭を擁して上洛の軍を興すと六角氏は敵対。しかし、織田信長に支城の箕作城と和田山城を落とされると、六角義賢・義治父子は観音寺城から逃げ開城しました。
鯰江氏は、六角義賢・義治父子を迎えて織田信長に抵抗しましたが、1573年に柴田勝家により鯰江城は落城しました。

見所
城跡は集落となり城郭遺構の残存度は低いですが、土塁が集落内に残存しています。
また、鯰江農業集落排水処理施設には発掘された石組暗渠遺構が展示されています。

2022年04月11日 別損山城守夜桜994重砲隊
東近江市役所東庁舎[鯰江城  御城印]

東近江市にある

・箕作城 ・布施山城 ・和田山城 ・佐生城
・後藤氏館・和南城  ・伊庭御殿 ・井元城
・鯰江城
 
10城の御城印が販売されています。(月〜金)デザインは何処も背後に家紋と縄張図が描かれている物です。

2021年11月26日 副将軍こうちゃん播守
鯰江城



国道307号線・妹南交差点を名神高速道路の方に向かい名神高速のガードを越えて右手に有ります☝️専用ガレージ無しで🚾も有りません😑道標も無し😑
石碑裏と道挟んで隣が土塁かな🤨って感じでした🤔案内板に記されてる内容はここの説明文と同じ内容です🧐

2021年06月09日 ほむら「近江守
鯰江城



道路ぎわの角地に石碑があり、共にお地蔵さんが…当時を思わせるものは、あまり期待出来ないですね〜

2021年05月20日 かしよし讃岐守1181
道の駅あいとうマーガレットステーション[鯰江城  駐車場]

安全に停められる場所ではありますが30分近く歩きます。新しい案内板のある公民館も停められると思いますが路地は狭いです。

2020年06月13日 OROKA参議
青山城[鯰江城  周辺城郭]



青山城は鯰江城の東の段丘先端にある平城で、小倉氏の一族の青山氏の城とのことです。

平城なので特に登り口などはありませんが、ハッキリしと入り口もありません。城の北にある空き地(訪城時はグラウンドだったが、今は航空写真を見るとソーラー置かれてるかも?)から藪の中へガサガサ入っていくとたどり着きます。
なお、駐車場はないので付近のお寺に参拝ついでに寄らせてもらうか、公民館に停めて歩くかしましょう。城自体は平城なので登り時間などはありません。

写真では伝わりにくいですが、かなりガッツリした空堀と土塁で三方を囲われた館になっています。
空堀には土橋のようなものがいくつかありますが、もしかしたら畝堀みたいに堀底が切られてるのかも知れません。
ちょっと藪で見通しは悪いですが、訪れてみれば深い空堀と土塁が実感できます。

安土城や観音寺城、近江八幡に寄られたついでに、永源寺経由で三重にを抜けるついでに、フラッと青山城へ立ち寄ってみてはどうでしょう(´▽`)

2019年12月18日 あきおこ
井元城[鯰江城  周辺城郭]



鯰江城の東南1キロ弱の河岸段丘上に築かれた丘城(標高160m/比高10m)で、織田軍の陣城と言われます。

駐車場は春日神社境内に駐車スペースがあり、城への道は神社反対側の西の段丘斜面にあり、段丘を登ると竪堀を左手に見て主郭横堀に出ます。

横堀は主郭の三面を囲み、残りの南面は断崖状の河岸段丘で防御しています。主郭は土塁囲みの正方形で東側に虎口を開き、重ね馬出しを設けています。重ね馬出しの北側は雑草が生い茂り形状の把握は困難でした。

更に北側に曲輪の境界線の様な段差があり、内側を兵士の駐屯地にしていたかもしれません。

鯰江城を攻める為の陣城と言われますが、主郭搦め手側に続く、同一段丘上に鯰江城があります。佐々木六角氏が段丘上を攻めてきたら、せっかくの馬出しが機能しない・・・様な気もしますが。

とは言え織田系の陣城の特徴である低土塁、浅い堀、直線的な縄張り、技巧的な虎口が備わっており、コンパクトながらも楽しめる城だと思います。

2012年10月22日 ŧ‹”ŧ‹”。
鯰江城

鯰江城主三井出羽守乗糸茸(のりたけ)は三井グループ三井家の祖先

2011年07月11日 古楽侍従広家
鯰江城

観音寺城を逐われた六角義賢が、近江における反信長活動の拠点にした城。また六角氏最後の居城でもあります。
石碑近辺の高台は殆どが城址と考えられると思いますよ。

鯰江城の周辺スポット情報

 暗渠遺構と説明板(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 新しい説明板(碑・説明板)

 石碑と古い説明板(碑・説明板)

 八之塚古墳群の説明板(碑・説明板)

 井元城(周辺城郭)

 青山城(周辺城郭)

 上岸本城(周辺城郭)

 林田館遺跡(寺社・史跡)

 東近江市役所東庁舎(御城印)

 道の駅あいとうマーガレットステーション(駐車場)

 駐車場(駐車場)

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