鯰江城(なまずえじょう)

鯰江城の基本情報

通称・別名

所在地

滋賀県東近江市鯰江町

旧国名

近江国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

鯰江氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

鯰江氏

廃城年

遺構

石垣、土塁

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

百済寺(滋賀県東近江市)[4.9km]
箕作城(滋賀県東近江市)[6.1km]
高野城(滋賀県東近江市)[6.6km]
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大塚城(滋賀県東近江市)[7.8km]
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後藤館(滋賀県東近江市)[8.9km]
佐生日吉城(滋賀県東近江市)[9.5km]

鯰江城の解説文

室町年間、六角満綱の子高久が三井乗定の養子となり、近江愛知郡鯰江荘に鯰江城を築き鯰江を称した。

以降、代々近江守護六角氏に仕え、諸豪と婚姻を重ね勢力を蓄えた。永禄11年(1568年)に鯰江貞景・定春が観音寺城を追われた六角義賢父子を居城に迎えたことから織田信長の攻撃を受けて天正元年(1573年)9月に鯰江城は落城、以後一族は各地に分散した。一部は同郡内の森に移住して森を姓とし毛利氏となった。

なお定春は豊臣秀吉に仕えて大坂に所領を与えられ、同地は定春の苗字を取って鯰江と地名がついたという地名起源を今日に残している。

鯰江城の口コミ情報

2020年06月13日 OROKA参議【小豆紐】
青山城[鯰江城  周辺城郭]



青山城は鯰江城の東の段丘先端にある平城で、小倉氏の一族の青山氏の城とのことです。

平城なので特に登り口などはありませんが、ハッキリしと入り口もありません。城の北にある空き地(訪城時はグラウンドだったが、今は航空写真を見るとソーラー置かれてるかも?)から藪の中へガサガサ入っていくとたどり着きます。
なお、駐車場はないので付近のお寺に参拝ついでに寄らせてもらうか、公民館に停めて歩くかしましょう。城自体は平城なので登り時間などはありません。

写真では伝わりにくいですが、かなりガッツリした空堀と土塁で三方を囲われた館になっています。
空堀には土橋のようなものがいくつかありますが、もしかしたら畝堀みたいに堀底が切られてるのかも知れません。
ちょっと藪で見通しは悪いですが、訪れてみれば深い空堀と土塁が実感できます。

安土城や観音寺城、近江八幡に寄られたついでに、永源寺経由で三重にを抜けるついでに、フラッと青山城へ立ち寄ってみてはどうでしょう(´▽`)

2019年12月18日 あきおこ
井元城[鯰江城  周辺城郭]



鯰江城の東南1キロ弱の河岸段丘上に築かれた丘城(標高160m/比高10m)で、織田軍の陣城と言われます。

駐車場は春日神社境内に駐車スペースがあり、城への道は神社反対側の西の段丘斜面にあり、段丘を登ると竪堀を左手に見て主郭横堀に出ます。

横堀は主郭の三面を囲み、残りの南面は断崖状の河岸段丘で防御しています。主郭は土塁囲みの正方形で東側に虎口を開き、重ね馬出しを設けています。重ね馬出しの北側は雑草が生い茂り形状の把握は困難でした。

更に北側に曲輪の境界線の様な段差があり、内側を兵士の駐屯地にしていたかもしれません。

鯰江城を攻める為の陣城と言われますが、主郭搦め手側に続く、同一段丘上に鯰江城があります。佐々木六角氏が段丘上を攻めてきたら、せっかくの馬出しが機能しない・・・様な気もしますが。

とは言え織田系の陣城の特徴である低土塁、浅い堀、直線的な縄張り、技巧的な虎口が備わっており、コンパクトながらも楽しめる城だと思います。

2012年10月22日 ŧ‹”ŧ‹”。
鯰江城

鯰江城主三井出羽守乗糸茸(のりたけ)は三井グループ三井家の祖先

2011年07月11日 古楽侍従広家
鯰江城

観音寺城を逐われた六角義賢が、近江における反信長活動の拠点にした城。また六角氏最後の居城でもあります。
石碑近辺の高台は殆どが城址と考えられると思いますよ。

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