敏満寺城(びんまんじじょう)

敏満寺城の基本情報

通称・別名

所在地

滋賀県犬上郡多賀町敏満寺(多賀SA)

旧国名

近江国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

久徳氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

勝楽寺城(滋賀県犬上郡)[3.2km]
目加田城(滋賀県愛知郡)[5.6km]
高室山城(滋賀県犬上郡)[5.7km]
佐和山城(滋賀県彦根市)[6.8km]
彦根城(滋賀県彦根市)[7.0km]
日夏城(滋賀県彦根市)[7.9km]
鎌刃城(滋賀県米原市)[9.1km]
和田山城(滋賀県東近江市)[9.7km]
百済寺(滋賀県東近江市)[10.3km]
太尾山城(滋賀県米原市)[10.5km]

敏満寺城の口コミ情報

2024年10月18日 図書頭RedKing
敏満寺城



名前のお寺は信長以前にも兵火に罹っていたそうです。地名にもなる程古くて広いようで、湖東五山の一つだったそうです。我々の知る紅葉の名所湖東三山とは違うお話しです。今尚、交通の要衝に変わりありません。
R307は彦根から大坂へ繋がるだけではなく、琵琶湖岸では大河を上流部で渡れ、伊勢からの山道と交差します。
①リア攻めポイント記念碑です。
②裏面の解説文は中々、読解できません。
③名神高速道路上り線多賀SA最北部GS手前、バス停裏の茂み最頂部にあります。
④園内はJHさんによって綺麗に整備されています。
⑤多賀SAのドッグランが目標です。園内には近江の歴史上の偉人の説明板が多数設置されています。
⑥茂みの全景です。最早、道路事業によって縄張りは面影すらありません。
⑦城からの眺望は広大な湖東の田園地帯が、東山道も舟運も、観音寺や八幡山に太郎坊宮も、対岸の叡山まで。
⑧下り線側へは2~300m高速道路の横断歩道橋を渡ります。中々、普通には見られない光景です。遠景は、霊山岳から続く養老鈴鹿の山並で伊勢国境、4等酷道で桑名や四日市に抜けられます。

2023年10月11日 RED副将軍
尼子氏館[敏満寺城  周辺城郭]



戦国大名である尼子氏発祥の城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

1347年に佐々木高久により築かれたとされます。
佐々木高久は近江源氏の庶流であり、京極高氏(佐々木道誉)の三男である京極高秀の子とされ、犬上郡甲良荘尼子郷を与えられて尼子氏を称しました。
京極氏の勝楽寺城の西方を守る前衛城として築かれた様てす。そして、嫡男である尼子詮久の居城となりました。
しかし、二代城主の尼子氏宗の頃に南北朝時代の戦乱で落城し没落したとされます。

一方で、尼子高久の次男である尼子持久は出雲守護代となり下向。出雲尼子氏の祖となります。
戦国大名である月山富田城の尼子経久は、尼子持久の孫にあたります。

見所
遺構はほぼ消失していますが、尼子集落に土塁、堀跡が残ります。
玄翁堂裏の竹藪に残っていた土塁は尼子城の遺構として確認され、現在は土塁公園として整備されています。
また、集落内にある殿城池は堀跡とされ、落城のときに入水した八千姫が祀られています。

2023年08月26日 RED副将軍
高宮城[敏満寺城  周辺城郭]



六角氏から離反し浅井氏に仕えた高宮氏の居城🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

1417年に高宮信高により築城。
高宮信高は、六角氏頼の三男であり、上杉禅秀の乱に幕府方として従軍した戦功により高宮・大堀・東沼波・西沼波・竹鼻を拝領し、高宮氏を名乗ったことが始まりです。
戦国時代は北近江で勢力を伸ばしていた浅井氏に属しながら勢力を保持していました。
1559年、高宮頼勝が久徳実時からの六角氏への内応に応じなかったため六角氏に攻められて落城。
翌年、報復として浅井氏に与して久徳城を攻め、高宮城を奪還。
1573年の織田信長による小谷城攻めに際して浅井氏と共に高宮宗光は小谷城で討死。
高宮宗光の嫡男である高宮宗久は小谷城を脱して落ち延び、美濃国の高須城の高木盛兼に仕え、関ヶ原の戦いでは西軍として参戦したとされます。

見所
現在は、高宮小学校、高宮幼稚園、高宮寺の敷地となり遺構は消失。城跡碑と案内板が立つのみです。

2023年08月17日 昌幸近江守晩秋リア旅
高宮城[敏満寺城  周辺城郭]



彦根市の高宮城。鎌倉時代末に地頭として入部した紀伊櫟氏を祖とする北殿高宮氏と、六角氏頼の三男信高を祖とする南殿高宮氏がありましたが、次第に南殿の方が主流になりました。出自から長らく六角氏に従っていましたが、京極氏に寝返り、浅井氏の勢力が強まるとそれに仕えました。同盟関係にあった織田信長が宿泊したこともあるそうです。しかし浅井・織田両氏が対立し浅井氏が滅亡すると、高宮城も落城、一族離散となりました。

現在の高宮小学校の建っているところが城跡とされています。発掘の結果、堀に囲まれた居館で井戸が発見されました(後に埋め立てられました)。

2023年07月03日 _てつや
敏満寺城

名神高速道路の多賀サービスエリア(上り・名古屋方面側)を含む一帯がお寺だったそうです。

2022年12月31日 楊近江守威利
敏満寺城



多賀SA上り方面の駐車場から行けました。土塁らしきものや、曲輪らしきものが確認できました。

2022年10月28日 RED副将軍
敏満寺城



名神高速道路のSA内に残る城跡🏯
休憩のついでに✨

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代等の詳細不詳。
敏満寺は、敏満童子により開基された天台宗の寺院で、敏満童子は伊吹山寺を開基した三修上人の弟子と伝わります。鎌倉時代から中世戦国時代にかけて繁栄し、比叡山を凌ぐほどの勢力を持っていた様です。
近江国守護の六角氏、京極氏とも対立し、多くの僧兵を抱えて城塞化をしました。
1562年、小谷城の浅井長政と対立する久徳氏に味方をした為、浅井長政に攻められ120近くあった僧坊の大半が焼討ちに遭いました。
1572年には、近江に侵攻した織田信長に応じなかったため、またも焼討ち遭い、寺領は没収されました。
その後再建されることもなく、残った石材も彦根城の譜勢の際に運び出されました。

見所
高速道路の建設により大半の遺構は消滅。
遺構の一部が名神高速道路上りの多賀サービスエリア内に公園として整備されています。
土塁、櫓台、空堀が確認できます。
案内図はしんでました💧
休憩のついでに立ち寄ってください。

2022年08月20日 ホーリー中務大輔
敏満寺城

喫煙所の横に説明書きがありました。かなり色あせていてなんとか読める程度でしたが城趾の場所がわかり助かりました。

2022年08月17日 不破民部大輔
敏満寺城

多賀サービスエリア(上り、大阪から米原方面)の敷地内です。下りからでも歩道橋を越えて渡れます。

2021年10月29日 有栖川もぼ
多賀大社[敏満寺城  寺社・史跡]



藤吉郎と太閤へのイベントで行ってきました。電車で行くならば、近江鉄道の多賀大社下車から徒歩10分くらい。絵馬が有名なのかな?参道は絵馬ロードっていう名称だったり、なかなか有名な方の絵馬が飾られてあったり。。。

10月ということもあり、本殿ではかわいい七五三の祈祷もされてました。多賀大社名物の、糸切り餅は、とてもおいしいので、是非お土産には糸切り餅です。

2021年09月18日 【城郭道】たっきー
多賀大社[敏満寺城  寺社・史跡]



豊臣秀吉ゆかりの地である多賀大社。なかなか立派な神社でお多賀さんとも呼ばれています(伊勢神宮でいうお伊勢さんみたいな感じ)。

建物から庭園まで綺麗です。建物内には司馬遼太郎先生や磯田先生などの著名人の絵馬があるのでこれを見ながらめぐるのも楽しみ方の一つです。一番びっくりしたのは門前の巨大な橋が登れるということですね。普通登れないので抵抗はありましたが、せっかくの機会なので登ってみました。結構気持ちよかったです。

現在、秀吉のイベントのスポットにもなっているので是非、行ってみてください。

2021年09月04日 【城郭道】たっきー
久徳城[敏満寺城  周辺城郭]



久徳城/きゅうとくじょう(滋賀県犬上郡多賀町)
【概要】
多賀大社より北にある城で市杵島姫神社周辺にあたる。京極氏に従っていた久徳氏が築いた城で、のちに六角氏に内通したため、1560年に浅井氏によって落城したといわれる。
宅地化により、全貌は把握できないが、水路や一部の土塁から円郭式の平城だった説が出ている。

【感想】
多賀大社の近くにあるので何かとしら関係があってもおかしくはないですね。土塁や堀跡は神社の奥の方にあります。水路の近くには石碑があるので見ておいた方がいいと思います。
駐車場は無いので注意を。

2020年07月15日 【城郭道】たっきー
歩道橋[敏満寺城  その他]

多賀SAの上りと下りの両方に敏満寺城の遺構があり、城好きのためかどうかはわかりませんけど、歩道橋がありますので、両方に行きたい方はご利用下さい。

2019年05月11日 織田上総介晃司
敏満寺城

名神高速道多賀SA上りのドッグラン辺りが敏満寺城跡です。僅かながら土塁が残されてます。

多賀SA下りからも歩いて行けるので大阪方面に向かわれる方も安心してください。

サービスエリアに、ひこにゃんグッズも販売されてます。

2016年10月06日 橘若狭守次郎吉
敏満寺城

敏満寺城は天台宗の城郭寺院である。

現在は名神高速 多賀SA上り(ガソリンスタンド側の公園)に土塁や曲輪、櫓台、空堀の遺構が残っている。公園入り口付近(喫煙所右隣)に案内板がある。レストランを挟んで公園とは反対側(トイレ付近)には切岸らしき斜面がある。SA下りにも一部土塁が残っている。

また、SA下りの近くにある胡宮神社境内にも土塁の遺構が残っているらしい。

2012年07月01日 ポリタンク大和守
敏満寺城

多賀SAは上りと下りを行き来する歩道橋があるので、下りからでも見学に行くことができます。

2011年08月02日 古楽侍従広家
敏満寺城

今は名神上り多賀SAになっています。久徳氏が六角氏の家臣であり続けたのに対し、高宮氏は浅井氏に味方し、その関係で久徳城は高宮氏に攻められて落城します。

この時に久徳城と共に敏満寺城も落ちました。

『浅井三代記』では高宮氏と久徳氏の戦いを結構丁寧に描いていて、この二氏の確執がどれだけ深かったかを今に思い知らせている気もしますし、そのような伝承も幾つか残っています。

城跡である多賀SAでは虎口あたりが駐車場になっていて、土塁の様子がよくわかります。

敏満寺城の周辺スポット情報

 曲輪(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 櫓台(遺構・復元物)

 殿城池(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 尼子氏発祥の地(碑・説明板)

 藤堂高虎出生の地(碑・説明板)

 藤堂高虎出生地跡(碑・説明板)

 久徳城(周辺城郭)

 下水谷丸山城(周辺城郭)

 尼子氏館(周辺城郭)

 高宮城(周辺城郭)

 多賀大社(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 歩道橋(その他)

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