高宮城

高宮城([敏満寺城  周辺城郭])

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高宮城の口コミ情報

2023年08月26日 RED副将軍


六角氏から離反し浅井氏に仕えた高宮氏の居城🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

1417年に高宮信高により築城。
高宮信高は、六角氏頼の三男であり、上杉禅秀の乱に幕府方として従軍した戦功により高宮・大堀・東沼波・西沼波・竹鼻を拝領し、高宮氏を名乗ったことが始まりです。
戦国時代は北近江で勢力を伸ばしていた浅井氏に属しながら勢力を保持していました。
1559年、高宮頼勝が久徳実時からの六角氏への内応に応じなかったため六角氏に攻められて落城。
翌年、報復として浅井氏に与して久徳城を攻め、高宮城を奪還。
1573年の織田信長による小谷城攻めに際して浅井氏と共に高宮宗光は小谷城で討死。
高宮宗光の嫡男である高宮宗久は小谷城を脱して落ち延び、美濃国の高須城の高木盛兼に仕え、関ヶ原の戦いでは西軍として参戦したとされます。

見所
現在は、高宮小学校、高宮幼稚園、高宮寺の敷地となり遺構は消失。城跡碑と案内板が立つのみです。

2023年08月17日 昌幸近江守更に吉


彦根市の高宮城。鎌倉時代末に地頭として入部した紀伊櫟氏を祖とする北殿高宮氏と、六角氏頼の三男信高を祖とする南殿高宮氏がありましたが、次第に南殿の方が主流になりました。出自から長らく六角氏に従っていましたが、京極氏に寝返り、浅井氏の勢力が強まるとそれに仕えました。同盟関係にあった織田信長が宿泊したこともあるそうです。しかし浅井・織田両氏が対立し浅井氏が滅亡すると、高宮城も落城、一族離散となりました。

現在の高宮小学校の建っているところが城跡とされています。発掘の結果、堀に囲まれた居館で井戸が発見されました(後に埋め立てられました)。

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