大博士城(だいはくしじょう)

大博士城の基本情報

通称・別名

所在地

岐阜県中津川市蛭川

旧国名

美濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

曽我幸慶?

築城年

不明

主な改修者

主な城主

曽我氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、堀切

指定文化財

再建造物

なし

周辺の城

苗木城(岐阜県中津川市)[10.5km]
妻籠城(長野県木曽郡)[20.0km]
鶴ヶ城(岐阜県瑞浪市)[20.5km]
岩村城(岐阜県恵那市)[22.2km]
小里城(岐阜県瑞浪市)[25.6km]

大博士城の解説文

※この城郭は2018年4月6日に名称と位置が変更となりました。

大博士城(だいはくしじょう)は岐阜県中津川市蛭川(ひるかわ)にあった城である。

遺構
蛭川の中心地から北へ約3km、山間に拓かれたキャンプ場西側の山稜、比高50mの尾根先端に位置する山城である。

自然地形に近い曲輪が見られるほか、尾根続きの北西側は堀切によって断ち切られている(『週日』)。

堀切の一部には石積が見られるとされるが(『週日』)、これは蛭川の地が、「蛭川みかげ石」と呼ばれる花崗岩を始めとした鉱物の一大産地であり(『花協』)、石材の調達が容易であったことに関係するであろうか。

歴史
曽我幸慶(ゆきよし)という人物が城主であったとされるが(『週日』)、築城年代や築城主の詳細については不明である。

旧蛭川村は江戸時代、苗木藩の領地であり、中世においても苗木遠山氏の支配地域であったことから、曽我氏もその被官の在地領主だったのであろうか。

旧蛭川村に伝わる親王伝説では、親王(尹良親王か)に供奉した四家七名字の中に曽我幸保の名があり(『蛭史』)、大博士城の城主として伝わる曽我幸慶との関係もうかがわせる。

交通
JR東海中央本線・明知鉄道明知線恵那駅から車で約45分

参考文献
『週日』:『週刊日本の城』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。
『花協』:岐阜県花崗岩販売協同組合公式サイト(http://www.hirukawa-ishi.com/)。
『蛭史』:『蛭川村史』岐阜県蛭川村、1974年。

大博士城の口コミ情報

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