鶴ヶ城(つるがじょう)
鶴ヶ城の基本情報
通称・別名
- 鶴ケ城、国府城、土岐城、神箆城、高野城
所在地
- 岐阜県瑞浪市土岐町鶴城中町
旧国名
- 美濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 土岐氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 土岐氏、織田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、井戸
指定文化財
- 県史跡(鶴ケ城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
小里城(岐阜県瑞浪市)[6.4km]
妻木城(岐阜県土岐市)[12.7km]
久々利城(岐阜県可児市)[14.0km]
多治見国長邸(岐阜県多治見市)[14.0km]
明知城(岐阜県恵那市)[15.0km]
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鶴ヶ城の解説文
[引用元:Wikipedia「鶴ヶ城」の項目]鶴ヶ城(つるがじょう)は、美濃国(現・岐阜県瑞浪市土岐町鶴城)にあった日本の城。別名は神篦城、国府城、高野城。
【概要】
~鎌倉時代~
鎌倉時代初期に、源頼朝に仕えて功を挙げた土岐光衡によって築城されたと伝わる。 光衡は、麓の一日市場館(瑞浪市土岐町)を本拠として「土岐」を号したとされ、土岐氏発祥の地と云われている。
承久3年(1221年)の「承久の乱」では、光衡の子・土岐光行(土岐左衛門尉)は幕府方、土岐光時(土岐判官代)は上皇方についたと考えられる。 光行の孫・土岐頼貞の代でも一日市場館を本拠としており、元亨4年9月(1324年)の「正中の変」の直前には、日野資朝が土岐館(一日市場館)に訪れた。
~建武の新政後~
建武の新政の後、土岐頼貞は美濃守護となり本拠地を長森城に移し、更に孫の頼康が川手城に移している。 土岐氏が川手城に去った後は庶流の延友氏が入った。
~戦国時代~
天正2年(1575年)正月6日には織田信長が明知城救援のため鶴ヶ城に入った。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、廃城となったとされる。
【遺構】
城は山城で、遺構として曲輪、土塁、堀切が残されている。
【歴代城主】
~土岐氏とその一族~
・土岐光衡:土岐氏の祖。源頼朝に仕えた。
・土岐光行:光衡の子。...[続きを見る]
鶴ヶ城の口コミ情報
えこーさん[2017年09月10日]
入口前に駐車場所は無いので、中央自動車道ガード下をくぐって、すぐ右側にある諏訪神社に駐車しました。
出丸を見てまわっても、15分もあれば本丸まで登れます。
三河守コーキしゃんさん[2012年09月20日]
県道352号線の「鶴城」信号から、中央自動車道のガードをくぐります。
すぐに左に曲がり、その先に石碑があるのでそこから登ります。
大して高い山ではないので、簡単に登る事ができます。
鶴が翼を広げたような縄張りで、本丸の左右に西出丸、東出丸あり、その中央に葵の井戸があります。