金山城(かねやまじょう)

金山城の基本情報

通称・別名

美濃金山城、兼山城、烏峰城

所在地

岐阜県可児市兼山町古城山

旧国名

美濃国

分類・構造

山城

天守構造

複合式層塔型[2重2階/築年不明/解体]

築城主

斎藤正義

築城年

天文6年(1537)

主な改修者

主な城主

斎藤氏、森氏、石川氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、井戸、移築門

指定文化財

国史跡(美濃金山城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

明智長山城(岐阜県可児市)[4.1km]
久々利城(岐阜県可児市)[5.9km]
堂洞城(岐阜県美濃加茂市)[9.3km]
加治田城(岐阜県加茂郡)[10.5km]
根本城(岐阜県多治見市)[11.5km]
猿啄城(岐阜県加茂郡)[12.7km]
多治見国長邸(岐阜県多治見市)[14.1km]
犬山城(愛知県犬山市)[16.2km]
関城(岐阜県関市)[16.5km]
大洞城(岐阜県関市)[16.7km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)143 美濃金山城

設置場所

可児市観光交流館[地図

金山城の解説文

美濃金山城は、建物礎石、高石垣、瓦という3つの要素を併せ持っていたことが発掘調査から判明し、平成25年に国史跡に指定され、平成29年には日本城郭協会が選ぶ「続日本100名城」にも選定されました。

概要 

天文6年(1537)に斎藤大納言妙春により築城され、烏峰城という名で呼ばれていました。

その後、永禄8年(1565)織田信長の美濃侵攻により家臣である森可成が城主となり、金山城と改称されました。その後、長可・乱丸・忠政と森家が城主となりました。

慶長6年(1601)頃に城が破却されたのでは、と考えられています。

特徴 

美濃金山城は、木曽川中流域の左岸、可児市兼山の古城山にある戦国期から織豊期にかけて営まれた山城です。

山上の最高所(標高276m)に主郭を設け、その東・南・西に続く尾根筋に曲輪群を配置し、北麓部には米蔵跡と伝承される曲輪が存在します。

発掘調査の結果、4棟の礎石建物が検出された主郭をはじめ、各曲輪に川原石を用いた礎石建物が存在することが明らかとなりました。

出土遺物には土師器(かわらけ)、瀬戸美濃産陶器(碗・皿・鉢等)、中国製磁器、瓦等があり、最盛期とかんがえられる16世紀後半には10の曲輪に礎石建物があり、主郭には瓦葺の建物が存在していたと考えられます。

美濃金山城は後世の改変があまり加わらず、破城の様子をよくとどめている点でも価値が高く、瓦の導入や石垣の構築等、織豊系城郭の特徴をよく示し、山城の変遷を考えるうえで重要な遺跡として、平成25年に国史跡に指定されました。

景観 

美濃金山城は、近隣の城や北を流れる木曽川を見渡せる高所に築造されています。本丸跡の標高は276m、城下町とは約170mの比高差があります。

構造 

本丸

天守があった場所です。本丸を囲む斜面には石垣が見られます。多くの礎石から大きな建物があったと思われます。

二の丸

礎石の形状から、渡り廊下のある建物があったと考えられます。南側と西側に石垣があります。

二の丸西面石垣

この石垣は加工していない石を積む野面積みという積み方で造られています。隙間には間詰め石が詰められています。

三の丸

北・西・南の3方向に石垣が築かれています。礎石から建物があったことがわかります。岩盤を加工して虎口が造られています。

枡形虎口

3方向を石垣に囲まれた虎口で、門の礎石が見られます。左側が本柱の礎石、右側が控柱の礎石になります。

東腰曲輪/南腰曲輪/西腰曲輪

東腰曲輪は井戸跡があったといわれる場所です。ここでは破城の際に捨てたと思われる礎石や瓦が見られます。南腰曲輪、西腰曲輪では礎石が見つかっています。

左近屋敷

細野左近という武将の屋敷があったとされる場所です。北側に二段の石垣が築かれています。破城の際に石垣の天端(一番上端の石)の石や隅石を壊した状態が残っています。

米蔵跡

美濃金山城の米蔵があったといわれる場所です。北側に壮大な石垣が見られます。この場所から三の丸へ登ったと思われます。

発掘調査と出土遺物 

平成18年度から22年度にかけて5回の発掘調査を行いました。発掘調査では、天守や門に使用された瓦などの出土遺物や建物礎石が見つかりました。また、茶碗や素焼きの皿・すり鉢などの陶器や古銭、製鉄に使用されたと思われる羽口や石製の容器も出土しています。

情報提供:可児市教育委員会


金山城の口コミ情報

2022年06月20日 真田治部少輔十兵衛
金山城



頂上本丸跡地までの登山道はきちんと整備されており、途中で各遺構なども見ることができます。本丸からの眺めは最高で、風も涼しく、まさにご褒美といったものでした。

2022年01月21日 西洞兵庫允久郷
金山城



綺麗に整備されていて歩いても登りやすい。出丸まで来るまで行けるので時間がなくとも本丸まで行きやすいです。また、トイレも各駐車場にあり綺麗に清掃されてます

2021年07月30日 最上中務少輔一輝
金山城



たそがれ時の金山城からの景色がいい。居城の跡、礎の石がいまも残されている。麓の資料館では甲冑などの展示も。

2021年04月13日 くっしー左馬頭尚人
金山城



何カ所か駐車場がありますが、本丸に一番近い駐車場は出丸跡です。

駐車場なのに、県の史跡になってるみたいですよ。石垣は野面積みで見映えしますからね。

そこから本丸までは15分ぐらいです。途中に破城の痕跡が残る石垣や舛形虎口なんかがあります。

山城にしては本丸が大きいですね。眺めも最高でした。搦め手も行きたかったのですが、駐車場に戻れないと看板が立っていたので諦めました。

2021年04月13日 青コアラ美濃守
今峰城[金山城  周辺城郭]



鎌倉時代の城塞で、山田大隅守重久の築城。後藤氏を経てのち土岐氏一族の今峰又太郎氏光の居城となる。丸山城とも。
丸山ダムの下流、木曽川が北に大きく蛇行する地点の山上に位置します。

約20年振りに訪れた城跡はすっかり荒れ果てて自然に還りつつありました。ネット検索しても数件しかヒットしないマイナー物件で、訪れる人もほとんどいない様子です。

民家の脇に登城口の標柱が立っていますが、その先は案内が全くありません。登り始めるとすぐに鉄塔がありますが、そこまで行くと行き止まりなのでその下で左に曲がります。道は草ボーボーですが、何となく踏み跡がある方へ進んで行くと遠くにもう一本鉄塔が見えるので、そこを目指します。頭が赤く塗られた石柱が見えたらその奥の道に入ります。少し登ると足元にほとんど埋もれかけた階段が現れます。これがかつての遊歩道ですので、これを辿って行きます。
階段は鉄塔の手前で右に上がり、尾根に出たら右へ。(行き過ぎて鉄塔の上まで行って右に進んでも同じです)
尾根を歩くとすぐに城跡に着きます。かつてはベンチなんかも置いてあって眺めも良い所でしたが、今はジャングルと化していて平場がある事すら分かりません。背丈以上の深い藪を掻き分けて奥まで行くと説明板があります。

古い時代の城ですし遺構は無いと思います。(あったとしても藪で探索どころではありませんが…)

駐車場はありません。登城口近くは民家やお店があるので少し離れた所に停めて歩きました。登城口から説明板まで15分ほどです。

2021年04月06日 治部大輔たろすけ
金山城



春は桜がとても綺麗です、短命な城だったようで、破城の痕跡が見られます。

2021年03月27日 crea蔵人頭
金山城



蘭丸ふるさとの森第一駐車場から、本丸迄歩いて20分、さすが東美濃の拠点、眺めが抜群でした。

2021年01月05日 とんかつおやじND
下麻生城[金山城  周辺城郭]



詳しくは、しろめぐイベントの[鬼武蔵電光石火の東美濃制圧戦]を見てください。現在は高山本線が潜れる様にトンネル通路が作られています。🅿️は北部公民館が指定されています。

画像最後から2.3枚目 下から見た断崖の窪んだ部分が出丸?側への唯一の通路 と 対岸から見たところ 向こう側までは約30m弱位?私は渡る勇気はありませんでした。

2020年12月24日 【城郭道】尾張守たっきー
三の丸門跡[金山城  遺構・復元物]



三の丸にあった門。現在は礎石が残り、周辺には石垣が所々にあります。
三の丸門を示す看板もあります。

2020年12月21日 能登守さとみっくす
米蔵跡[金山城  遺構・復元物]



戦国山城ミュージアムから車で1、2分のところに米蔵があります。立派な石垣が残っているので是非、行ってみてください。
ちなみにここから金山城本丸まで登れます。

2020年12月19日 【城郭道】尾張守たっきー
戦国山城ミュージアム[金山城  その他]



美濃金山城の麓にあるミュージアム。ここは美濃金山城をはじめとする可児市の山城などについてのミュージアムとなっています。御城印やクリアファイルなどのお土産も販売されています。

美濃金山城リア攻めの前に行ってみてはいかがですか。ちなみにここから車で1、2分のところに米蔵跡があります。

2020年12月17日 能登守さとみっくす
展望台[金山城  その他]

金山城展望台からは綺麗な景色を見ることができます。金山城リア攻めの際に、ここから明智荘を見ていってください。

2020年12月14日 【城郭道】尾張守たっきー
二の丸[金山城  遺構・復元物]



二の丸には有名な破城石垣があります。他にもところどころ石垣などが残っていて、楽しめるところだと思います。それなりの広さがあるのでふちまでも多少距離があります。
縄張としては出丸からの敵を本丸に侵入しないような配置となっています。出丸側から登ってそれを感じることができます。本丸ばかり目が行きがちですが、二の丸もゆっくり見てみてください。

2020年12月13日 【城郭道】尾張守たっきー
顔戸城址碑[金山城  碑・説明板]



顔戸城址にある石碑。ここには顔戸城に関する出来事などについて書かれています。顔戸城リア攻めの際に是非、確認してみてください。

2020年12月13日 【城郭道】尾張守たっきー
可児市観光協会[金山城  関連施設]



つい最近、日本の山城100名城カードを買うと一袋360円でした。前より安くなっていました。

2020年12月13日 【城郭道】尾張守たっきー
展望台[金山城  その他]



美濃金山城登場口付近にある展望台からは可児市や明智荘を望むことができます。
ベンチもあるのでここで休むこともできます。

2020年12月13日 【城郭道】尾張守たっきー
顔戸城[金山城  周辺城郭]



美濃金山城から車で10分程のところに顔戸城跡があります。土塁、堀が綺麗に残り、石碑や旗もあって綺麗に保存、整備がされています。
リア攻めしてみてはいかがですか。

2020年12月13日 【城郭道】尾張守たっきー
駐車場17台[金山城  駐車場]



美濃金山城出丸跡に駐車場があります。この駐車場では車は十数台とめることができます。美濃金山城を車でリア攻めする方は利用してみてください。

2020年12月09日 とんかつおやじND
米田城[金山城  周辺城郭]



標高268メートルの愛宕山にあった米田城は、山麓に本城が設置され、山頂には物見櫓程度の支城があった。
築城は永正二年で、初代城主は肥田小軌軌吉であり、玄蕃允軌休の父にあたる。しかし、築城以前にも既に小規模の城塞はあったと思考される。
室町時代には美濃守護職土岐政房が後継者問題の内紛から一時この城に移住したとの記述もある。
天正十年六月に米田城は金山城主森長可の急襲にあって落城し、肥田一族は加治田城に逃れ、以後この城は廃城となった。肥田玄蕃の長男長寿丸は米田合戦の折に馬串山にあって米田城の急変を聞き救援に赴いたが、比久見地内にて戦死した。
現地看板より

加茂神社脇の竪堀は深さ1〜3m程ありますが藪藪でした。
見所は本丸北側下段の切岸と土塁かな…
小さな曲輪が数カ所ありますがこれまた藪藪
麓の地 「福島は武将正則先祖の地」と看板ありましたが?

2020年12月07日 【城郭道】尾張守たっきー
可児市観光協会[金山城  関連施設]



可児市観光協会で日本山城100名城カードが販売されています。1セットに5枚入ってお菓子付きで500円で、美濃金山城などの周辺の城のイラストがデザインされている箱に入っています。金山城リア攻めの際に是非購入してみてください。美濃金山城のカードは購入した際についてきました。
ちなみに自分は2セット購入しました。

2020年12月07日 青コアラ美濃守
浄音寺[金山城  寺社・史跡]



金山城の前身である烏峰城を築いた斎藤正義の墓所がある。また、山門は金山城の裏城戸門を移築したものと伝わる。

2020年11月27日 【城郭道】尾張守たっきー
戦国山城ミュージアム[金山城  その他]



戦国山城ミュージアムで美濃金山城の御城印を一枚三百円で購入することができます。季節によって少し違います。旅の記念にどうぞ。

2020年09月29日 青コアラ美濃守
米蔵跡[金山城  遺構・復元物]



最近整備が完了し、石垣前面を覆っていた藪が整地され、綺麗な広場になりました。
これにより石垣がよく見えるようになり、また土に埋まっていた石垣の基部が掘り下げられ、従来より1メートルほど見える部分が広がっています。
この城最大規模の石垣遺構で、山城ミュージアムまたは観光交流館から歩いて5分ほどなので、是非行かれることをお勧めします。

2020年09月09日 青コアラ美濃守
和知城[金山城  周辺城郭]



通称稲葉城。美濃金山城の北東2キロほど、木曽川の上流にある城。天正18年(1590)、稲葉一鉄の四男方通によって築かれた。木曽川の支流石川が木曽川に合流する地点に、半島状に突き出す形で築かれた天然の要害である。

現在は稲葉城公園として整備され、広い駐車場、トイレもあります。
模擬門をくぐった先の集会場の裏(右後方)に土塁の一部が残っており、この辺りが大手門跡とされています。
集会場から主郭の方へ向かう時に空堀を渡りますが、この堀が深さも幅もありこの城一番の見所です。
主郭は芝生広場となっていて、天守や兜を模した遊具が脱力感を誘いますが、しっかり稲葉家の家紋が入っていて意外と芸の細かさを感じさせます。
木曽川に面した部分は断崖になっているようですが、下の様子が見えない為、要害感はあまり感じられません。

2019年05月01日 那古野尾張守きんきん
出丸跡石垣[金山城  遺構・復元物]



出丸には無料駐車場とトイレがあり、すぐ近くに登城口があります。1番近くの駐車場だったと思いますが、出丸の案内板のすぐ後ろにも戦国時代末期の創建当時の野面積みが残っています。

2019年05月01日 那古野尾張守きんきん
可児市戦国山城ミュージアム[金山城  スタンプ]



こちらは御城印を扱っており、令和元年5月6日までは通常は朱色の森家の家紋が金色になっています。また続100名城スタンプは、すぐ隣にある可児市観光交流館に置いてありました。最近訪れる人が多いとのことで、スタンプがかすれてしまいました(涙)。時々インクを補充してくださるようですが、スタンプ帳の前に是非とも『試し押し』を…。

2019年04月30日 右近衛少将あきまろ
金山城



所々に点在する石垣跡です!
これから訪れる人は、あまり近寄ったり触れたりしないで欲しいです!これ以上崩れない事を祈るばかりです!

2019年04月30日 右近衛少将あきまろ
金山城



天守の石垣も、破城跡と崩れ落ちたりして、ほとんど残っておりません。
ここが本当に石垣だらけの山城だったのかな?と疑う位に荒れ果てております!

2019年03月22日 ホテルモスクワ権大納言
金山城

城朱印、山城M金曜日休み為、入手不可。

2019年02月04日 墨塗られた!
金山城

観光交流館にて続100名城のスタンプを押してきましたが、御城印は山城ミュージアムで販売とのこと。本日、山城ミュージアムは月曜日でおやすみ。残念

2018年09月11日 ( *¯ ³¯)っ旦
金山城

地元の70歳を越えた研究家の方に聞いた話では金山城の今の天守台にある礎石は天守ではなく、明治になって尾張藩より払い下げになった土地に百年くらい前に神社の拝殿、本殿を作った跡だそうです。出丸から登ってきて直ぐに本丸に入ってしまい、出丸というより曲輪のように思えますが、実は出丸の駐車場のところは堀切になっていて本丸には直接行けなかったそうです。それが廃城になって400年の間に出丸方面の天守台を含めてかなり崩れたりして土が流されて堀切が埋まってしまったそうです。しかし調査することなく出丸の礎石を1〜数個残して あとは取ってしまってアスファルトしてしまったそうです。

それと大事なことですが、今は公園のところに学校がありますが、元々は稲荷山という小高い丘があり、防御施設があった可能性が非常に高いそうです。
しかし潰して学校を建ててしまったので、今の研究家は丘があったことを念頭に入れずに今の地形だけをみてあれこれと言うそうです。

2018年09月06日 陸奥守たろす
金山城

可児市観光交流館にて「可児市山城攻略図」や同市内の金山城・久々利城・大森城・今城等のパンフレット、金山城登城御朱印、缶バッジ等が入手できます。
また、センゴクキャラが描かれた期間限定団扇?(山城へ行こう!2018PRで森長可 & 明智光秀)の入手も可能!

2018年09月05日 森三右衛門
金山城

新名城100スタンプがある可児市観光交流館は年中無休(防災上の臨時休業あり)で、なんと22時まで開いてます。

2018年09月03日 森三右衛門
金山城

山城ミュージアムの隣に出来た可児市観光交流館。甲冑着て写真撮って遊べます。陣羽織は無料で着て写真撮れます!マネキンがユルイ感じで働いてる。気楽に行ける場所ですね。

2018年06月22日 あきおこ
金山城

長らく休館中だった兼山歴史民俗資料館が「戦国山城ミュージアム」として6月30日よりリニューアルオープンします。可児の山城なども紹介される様で楽しみです。

2018年01月29日 あきおこ
金山城

金山城北の街道にある兼山生き生きプラザで、香川元太郎氏が描いた可児市の山城クリアファイル4種類が手に入ります。金山城、今城、大森城、久々利城(金山城以外は城めぐ未登録)でカラー鳥瞰図の裏は縄張り図になっており、かなりクオリティ高いです!(1部300円)。他にもグッズありました。金山城立ち寄られた際は是非お立ち寄りください!。

兼山生き生きプラザ近くには金山城御殿跡と考えられる大迫力の米蔵城壁もあります。

耐震工事で休館中の兼山歴史民族資料館は、明治築の旧兼山小学校を流用した3階建懸造りの珍しい建築です。展示物も森氏関係の資料の他、旧名鉄八百津線の資料なども展示してあり、訳ありの1点を除いて全て撮影可という大盤振る舞いでした。今現在開館時期は未定。


2017年09月24日 織田上総介晃司
金山城

駐車場は麓から順に第一、第二、蘭丸広場、出丸とあります。

城の破却のため残っている石垣は多くないですが、河原石など自然石を利用した石垣は、土塁から石垣への築城転換期としての特徴を色濃く残しています。
2017/9/23現在、本丸において発掘調査が行われている。

森家の城として蘭丸が生まれた城と云われる。
森可成には6人の男子がいたが、最終的に森家を長らえたのは末子の忠政(岡山・津山城主)である。(兄たちは戦死)

蘭丸広場脇の大岩はネバーエンディングストーリーの岩を食べるキャラの雰囲気がする。(あくまで個人的な感想です)

2017年08月14日 大宰大弐あさよし
金山城

金山城麓の民族資料館は自然災害により閉館中ですが、2階に山城委員会?(みたいな感じでした)の事務所があり、丁寧に色々と教えてもらえます。資料もたくさんいただけます。

2017年05月01日 まるき〜主殿助
金山城

金山城の麓の兼山歴史民俗資料館から300mほどの所にある伝米蔵跡の石垣が最近木を伐採したという事でとても見やすくなっていました。

こちらの米蔵で蓄えられたお米を船で木曽川を下り桑名まで運び、そこから江戸へ運び入れていたそうです。

民俗資料館内には金山城の他近隣の城跡の資料の他

「発見!ニッポン城めぐり」

のフライヤーも置いていましたよ〜

(=゚ω゚)ノ笑




2016年10月08日 野呂利左衛門督休三
金山城

大手は現在、南側の蘭丸ふるさとの森に設定されていますが、本来は三の丸の水の手門から下る道(立入禁止)とする見解もあります。
古い町は城の北側で永正二(1505)年創建の大通寺や斎藤正義(近衛稙家の落胤で斎藤道三の養子とも)の肖像を蔵する浄音寺などがあります。ただ森家ゆかりの森立寺や可成寺(可成や蘭丸らの墓)、常照寺もありますが、これらは元は別の場所にありました。可成寺は城と大堀切で隔たった場所にありました(整備されていないので見学は自己責任)。

町中に兼山歴史民俗資料館がありますが現在耐震工事で休館中。元は学校の校舎で掛け造り三階建ての珍しい建物です。
資料はもらえます。金山城、久々利城のリーフレット、可児市山城攻略図(地図)です。

城と町の間に小高い土盛りがありますが2001年に廃線になった名古屋鉄道八百津線の線路跡です。駅跡は広場になっています。

2016年10月07日 蓬左の武将尾張守⚡️晋作
金山城

道三の命により斎藤正義が烏峰城として築城。
しかし、土岐悪五郎頼興が正義を久々利城に招いて殺害。
十数年後、信長の命により森可成が入城。可成の戦死後は次男の長可、長可が川中島に移封されると三男の蘭丸、蘭丸が戦死すると再び長可、長可が戦死すると六男の忠政、忠政が川中島に移封されると石川貞清と変遷を辿って廃城。

斎藤正義を暗殺した土岐頼興は信長に降伏したのち、森可成・長可に仕えるものの、本能寺後、森家に対して反乱を起こし和睦。
和睦条件として長可は弟の忠政を久々利城に人質に出す。

翌年正月、金山城に新年の挨拶に出向いた土岐頼興は帰途暗殺される。殺したのは斎藤正義の孫にあたる加木屋正則。
同日深夜、長可は久々利城を急襲し、一晩で攻略する。
実は人質に出されていた忠政はニセモノ。
すなわち、頼興暗殺による久々利土岐悪五郎家の滅亡の黒幕は長可自身であった。

さらに、その長可は翌年、長久手で戦死する。

なお、長可の弟、蘭丸・坊丸・力丸が本能寺で戦死したのは有名だが、実は同じく戦死した久々利亀は頼興の一族らしい。

2015年09月24日 尾張守だもんで
金山城

ここはすごいです。まさに信長の見せる城だったわけですが、破城によって犬山に天守等がことごとく移築され、さらに昭和の時代に石垣のほとんどが取り出されてしまったものの、虎口や天守台の石垣はしっかりと残っています。特に本丸の桝形虎口は見事。天守の神社右裏手の虎口を出ると立派な天守台の石垣を確認できます。少し歩きますが大堀切も立派です。出丸との間にも堀切があったのでしょうが、今は埋められてトイレになってしまっています。岐阜や小牧山だけでなく、ここにも財源を充分に与え、さらなる発掘調査を進めてほしいものです。

2013年02月20日 はせちゃん弾正忠
金山城

3/9 13:30〜
金山城と城下町の説明会が実施されるとのことです

2011年02月08日 マリオ左衛門督66
金山城

地元民は、城山という愛称で呼んでいる。

2010年11月07日 三河守コーキしゃん
金山城

各所に説明板があって親切です石垣などが結構残っていて何より枡形虎口があるのがいいです

2010年10月10日 傾奇揚げ仙兵衛
金山城

この地区で有名な八百津せんべいは群馬の磯部せんべいと同じヤーツ

金山城の周辺観光情報

常照寺

森家の家老であった林長兵衛為忠によって建立されました。開山は妙向尼の末子暮久と言われています。有髪と法体の二幅の妙向尼の画像や、蘭丸が愛用したといわれる槍の穂先が残されています。

妙向尼は金山城主森可成の妻であり、蘭丸の毋でもある人物で、信長と石山本.願寺との和睦に尽力したことでも知られています。また、 妙向尼画像(法体・有髪)各一幅と妙向尼墓所は、市指定文化財に登録されています。

お問い合わせ:常照寺
電話:0574-59-2346

【可児市】可成寺

森家の菩提寺。蘭丸をはじめ、可成、長成、坊丸、力丸の墓があります。また、森武蔵守長可の画像や着用したと言われる脛当が残されています。

所在地 |岐阜県可児市兼山596
駐車場 |5台
問合せ |可児市役所
お電話 |0574-62-1111
サイト |ぎふの旅ガイド [外部サイトへ移動します]

情報提供:可児市観光交流課
情報提供:一般社団法人 岐阜県観光連盟

金山城の周辺スポット情報

 出丸跡石垣(遺構・復元物)

 桝形虎口(遺構・復元物)

 本丸跡(遺構・復元物)

 左近屋敷跡(遺構・復元物)

 米蔵跡(遺構・復元物)

 曲輪跡?(遺構・復元物)

 腰曲輪(遺構・復元物)

 搦手門礎石(遺構・復元物)

 東腰曲輪(遺構・復元物)

 水の手(遺構・復元物)

 破城の痕跡の残る石垣(遺構・復元物)

 大堀切(遺構・復元物)

 三の丸門跡(遺構・復元物)

 二の丸(遺構・復元物)

 出丸跡(碑・説明板)

 古城山払下げ記念碑(碑・説明板)

 小関の清水(碑・説明板)

 顔戸城址碑(碑・説明板)

 顔戸城(周辺城郭)

 和知城(周辺城郭)

 米田城(周辺城郭)

 下麻生城(周辺城郭)

 今峰城(周辺城郭)

 釜ヶ洞城(周辺城郭)

 貴船神社(寺社・史跡)

 兼山湊跡(寺社・史跡)

 森家三代の墓(寺社・史跡)

 可成寺(寺社・史跡)

 常照寺(寺社・史跡)

 妙向尼と林新右衛門の墓(寺社・史跡)

 西念寺(寺社・史跡)

 浄音寺(寺社・史跡)

 森立寺(寺社・史跡)

 専養寺(寺社・史跡)

 信長休み石(寺社・史跡)

 可成寺跡(寺社・史跡)

 六角堂(寺社・史跡)

 可児市戦国山城ミュージアム(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 蔵風デザインの公衆トイレ(トイレ)

 駐車場17台(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 第一駐車場(駐車場)

 大堀切前の駐車場(駐車場)

 可児市観光協会(関連施設)

 うらじろの径入り口(その他)

 展望台(その他)

 蘭丸産湯の井戸(その他)

 展望台(その他)

 戦国山城ミュージアム(その他)

 森蘭丸の銅像(その他)

 金山城デザインの自販機(その他)

 可成寺跡・信長休み石への入口(その他)

 今峰城登り口(その他)

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