金山城(かねやまじょう)

金山城の基本情報

通称・別名

美濃金山城、兼山城、烏峰城

所在地

岐阜県可児市兼山町古城山

旧国名

美濃国

分類・構造

山城

天守構造

複合式層塔型[2重2階/築年不明/解体]

築城主

斎藤正義

築城年

天文6年(1537)

主な改修者

主な城主

斎藤氏、森氏、石川氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、井戸、移築門

指定文化財

国史跡(美濃金山城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

明智長山城(岐阜県可児市)[4.1km]
久々利城(岐阜県可児市)[6.0km]
堂洞城(岐阜県美濃加茂市)[9.3km]
加治田城(岐阜県加茂郡)[10.5km]
根本城(岐阜県多治見市)[11.5km]
猿啄城(岐阜県加茂郡)[12.7km]
多治見国長邸(岐阜県多治見市)[14.1km]
土岐高山城(岐阜県土岐市)[14.1km]
犬山城(愛知県犬山市)[16.2km]
関城(岐阜県関市)[16.5km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)143 美濃金山城

設置場所

可児市観光交流館[地図

金山城の解説文

美濃金山城は、建物礎石、高石垣、瓦という3つの要素を併せ持っていたことが発掘調査から判明し、平成25年に国史跡に指定され、平成29年には日本城郭協会が選ぶ「続日本100名城」にも選定されました。

概要 

天文6年(1537)に斎藤大納言妙春により築城され、烏峰城という名で呼ばれていました。

その後、永禄8年(1565)織田信長の美濃侵攻により家臣である森可成が城主となり、金山城と改称されました。その後、長可・乱丸・忠政と森家が城主となりました。

慶長6年(1601)頃に城が破却されたのでは、と考えられています。

特徴 

美濃金山城は、木曽川中流域の左岸、可児市兼山の古城山にある戦国期から織豊期にかけて営まれた山城です。

山上の最高所(標高276m)に主郭を設け、その東・南・西に続く尾根筋に曲輪群を配置し、北麓部には米蔵跡と伝承される曲輪が存在します。

発掘調査の結果、4棟の礎石建物が検出された主郭をはじめ、各曲輪に川原石を用いた礎石建物が存在することが明らかとなりました。

出土遺物には土師器(かわらけ)、瀬戸美濃産陶器(碗・皿・鉢等)、中国製磁器、瓦等があり、最盛期とかんがえられる16世紀後半には10の曲輪に礎石建物があり、主郭には瓦葺の建物が存在していたと考えられます。

美濃金山城は後世の改変があまり加わらず、破城の様子をよくとどめている点でも価値が高く、瓦の導入や石垣の構築等、織豊系城郭の特徴をよく示し、山城の変遷を考えるうえで重要な遺跡として、平成25年に国史跡に指定されました。

景観 

美濃金山城は、近隣の城や北を流れる木曽川を見渡せる高所に築造されています。本丸跡の標高は276m、城下町とは約170mの比高差があります。

構造 

本丸

天守があった場所です。本丸を囲む斜面には石垣が見られます。多くの礎石から大きな建物があったと思われます。

二の丸

礎石の形状から、渡り廊下のある建物があったと考えられます。南側と西側に石垣があります。

二の丸西面石垣

この石垣は加工していない石を積む野面積みという積み方で造られています。隙間には間詰め石が詰められています。

三の丸

北・西・南の3方向に石垣が築かれています。礎石から建物があったことがわかります。岩盤を加工して虎口が造られています。

枡形虎口

3方向を石垣に囲まれた虎口で、門の礎石が見られます。左側が本柱の礎石、右側が控柱の礎石になります。

東腰曲輪/南腰曲輪/西腰曲輪

東腰曲輪は井戸跡があったといわれる場所です。ここでは破城の際に捨てたと思われる礎石や瓦が見られます。南腰曲輪、西腰曲輪では礎石が見つかっています。

左近屋敷

細野左近という武将の屋敷があったとされる場所です。北側に二段の石垣が築かれています。破城の際に石垣の天端(一番上端の石)の石や隅石を壊した状態が残っています。

米蔵跡

美濃金山城の米蔵があったといわれる場所です。北側に壮大な石垣が見られます。この場所から三の丸へ登ったと思われます。

発掘調査と出土遺物 

平成18年度から22年度にかけて5回の発掘調査を行いました。発掘調査では、天守や門に使用された瓦などの出土遺物や建物礎石が見つかりました。また、茶碗や素焼きの皿・すり鉢などの陶器や古銭、製鉄に使用されたと思われる羽口や石製の容器も出土しています。

情報提供:可児市教育委員会


金山城の口コミ情報

2024年01月29日 近江守フロクニ
可成寺[金山城  寺社・史跡]



可成の名を冠する森氏の菩提寺。寺の道路向かいに駐車場有り。

2023年12月04日 ああ福島県大膳大夫城弾正
金山城

天守を犬山城天守に移築したとする金山越について見解を述べてみた。
移築を否定する根拠は何も釘穴だけではない。移築であれば継手や仕口などにも痕跡が残る。また、日本建築において釘を使用するのは主に垂木や床板など、造作部分のみで、無数にある床板や垂木をわざわざ同じ位置に戻す必要があろうか?ましてや全て同じ釘穴に打ち付けるのは不可能に近い。例え神業だとしても手間をかけてまで神業的な工事をする理由もない。
また、天正地震を理由に移築の根拠としているが逆に年輪年代法による伐採時期の判明(因みに伐採後直ちに柱に加工する事はなく必ず寝かせてから加工する)とを無理矢理結びつけている様にも見え、当然一次史料裏付けは無い。
「金山越」も一次史料裏付けはなく、約半世紀も下った伝記物などの二次史料では信憑性に欠けると言わざるを得ない。
むしろ肯定する根拠が見つからないのである。
また高木氏は、本丸の輪郭を復原し、犬山城天守一階平面が一致すると発表されたが、その後の美濃金山城発掘調査(第6次〜9次)の成果を元に犬山城一階平面を改めて重ねた場合、規模など一致しない事が判明。少なくとも金山城天守をそのままの形で移築した訳ではない。規模を変えて移築したなら大工の腕云々ではなく痕跡が残らないのは疑問である。
また、横山氏が根拠として示された同じ文様の瓦に関して、これは同笵瓦ではなく移築の根拠としては難しく、桐紋瓦に関しては犬山城で発見された物は棟瓦に埋め込む菊丸瓦で金山城の場合は軒丸瓦であり種類が全く異なる。
金山越を全て否定するつもりは無いが(むしろ天守以外の施設に金山越の旧材を利用、若しくは移築した可能性はありうる)、また、この様な伝承から見て金山城と犬山城とは深い関係性も指摘できよう。しかし旧材を使用する場合、手間と時間をかけて痕跡をわざわざ残らない組み方をする理由も無く、時代背景から見ても痕跡が残ってもそのまま再利用する方が自然に思われる。

2023年12月02日 ともさお
金山城



本丸下で動くものがあったので、少し下った場所で見つけました。山城では定番動物ですが、何か守り獣としての風格がありました。運が良ければ会えるかも。

2023年11月13日 小太郎左衛門督南海道22國守
金山城



可児市交流館で情報を得て、時間の関係から最短時間の出丸駐車場に自己責任で到着。対抗できない狭道もあり譲り合いが必要。トイレもあり登り口には杖もあります。案内には12分との表示あり。まさに天然の要害です。令和5年11月11日訪問。

2023年11月09日 コナン遠江守
水の手[金山城  遺構・復元物]

水の手に通じる虎口という伝承が残っています。水の手は平右衛門谷と称する断崖上にあり、年中湧水が湧出していたということです。
虎口の右側は三の丸北曲輪により見下ろすことができ、左側は自然の岩盤を削って壁にしてあります。
麓の城下町からの登り口がここに通じていたようです。
この先は危険ということで閉鎖されています。

2023年11月03日 コナン遠江守
東腰曲輪[金山城  遺構・復元物]



東腰曲輪から本丸を見ると自然岩盤を利用して、周囲に石垣を築いたことがわかります。右側が自然石、左側が野面積みの石垣です。
金山城は自然の岩山をうまく利用して、築城されています。

2023年11月03日 コナン遠江守
信長の休み石への登り口[金山城  その他]

信長の休み石、可成寺跡へ向かう入口が新たにできていました。整備されていて、別の入口よりも登りやすいです。

2023年10月16日 山城守さとぴ~
金山城



本丸の近くまで車で行けますが、途中車の離合が出来ない所が長い距離あるので、注意が必要です

2023年10月10日 このた弾正小
金山城

本丸の南側にスズメバチがいるとのことで要注意です。

2023年09月25日 マークⅡ弾正大弼政宗
金山城



公共交通機関を利用して、JR、名鉄、YAO(やお)バスを乗り継ぎ、本丸を目指しました。可児市の観光交流館の続百名城スタンプは、インク補充もしっかりしており、大変綺麗に押せました。本丸への道も、随所に案内板が置かれ、迷う事なく素晴らしい眺望の本丸のある山頂に行けました。

2023年09月20日 右近衛少将与助
金山城



以前に、公共交通機関を利用して城山のふもとからリア攻めしたので、今回は一番上の駐車場まで車で行ってしまった^^; 説明板には破城の様子が説明してあり、遺構の調査が進んでいると思いました。この城の立地は実にいいですね。

2023年05月06日 ともさお
金山城

各郭の基礎となる石垣部分の発掘が進んでいました。大きな石が1~2段積まれているのが確認できますが、肝心の案内看板がありません。足場ができてからの公開になるかも知れません。

2022年12月26日 尼崎城阿波守一口城主
金山城



12月17日妻木城下城後にバスで多治見駅に戻りJR太多線と名鉄広見線に乗り継ぎ名鉄明智駅から徒歩にて進軍。天気予報通り雨が降ってきましたが小雨程度で進軍には影響なく無事に登山口に到着🥾写真①、②の案内板付近から本丸跡(頂上)まで35分とありました。この口コミを書きながら案内板に表示されていた蘭丸広場を通らないルートを選択して登城したことに気付いてしまいました😣蘭丸産湯の井戸、見学したかったので残念です😫

本丸直前の大手枡形で説明板に「登城する武士はここで呼吸や服装を整えていた」旨が書いてあったので、武士ではないものの私も一旦呼吸を整えました😌本丸には<金山城跡>の石碑とかつての建物の礎石がありました。建物の材料は犬山城🏯建築の材料にしたという伝承も残っているとのことでした。

帰路は米蔵跡の石垣を見たかったので、往路とは反対側のうらじろの小径から下山。この選択が幸運を招くことに‼️米蔵跡の石垣を撮影していると、偶々作業されている方達が居られて声をかけられました。東濃の山城巡りをしていると回答した所、次はどこに行くんだと聞かれ久々利城と答えたら、丁度今日の仕事も終わったでワシの帰り道だで連れてってやるでと言って頂いたのでご厚意に甘えることに。ワシ、見た目は詐欺師やけど実は庭師🌳やという面白いお父さんでした。久々利城に行く前に続100名城スタンプを可児市観光交流館で押し、御城印を交流館隣の山城ミュージアムで購入したのち送って頂きました🚙久々利城までの道中、可児の歴史について古代は古墳が沢山あり、戦国時代は城があちこちにあり、近代は炭鉱で栄えた地域なんだと教えてもらいました。

2022年12月16日 在来線男右京進
金山城



かなり立派な公園になっていました。登城する道は歩きやすく駐車場にはトイレが完備されています。東屋はしっかりしていて丈夫です。

2022年12月10日 とんかつおやじND
上之郷城(仮称)[金山城  周辺城郭]



御嵩の(仮称)上之郷城
森本氏が岐阜県CS立体図にて発見確認された城址となります。 主郭の北側尾根は 二重堀切にて防御 主郭北側から東側にL城に土塁で間に虎口あり 下段に腰曲輪 一部 東側が横堀土塁となる

城の城主等は不明 今後の調査が待たれる 

仮称につき 削除されたら 👍頂いた方 ごめんなさい

2022年11月12日 蘭丸「右兵衛佐
金山城



可児市の公式のYoutubeの紹介を見て訪ねてみたら5回目の登城になりますが新しい発見があり感慨深かったです。いつもきちんと整備されていて整えられている方々に感謝です。

2022年11月10日 RED副将軍
顔戸城[金山城  周辺城郭]



住宅地の中に良好に空堀と土塁が残存する中世平城✨

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

顔戸城(ごうどじょう)と読みます。

応仁年間(1467年〜1469年)に斎藤妙椿により築城。
斎藤妙椿は美濃国守護代の斎藤宗円の子。出家し善恵寺の住職となっていましたが兄の斎藤利永が急死したことにより還俗し地頭となりました。
応仁の乱では西軍に属し篠脇城の東氏を攻略し活躍した武将である反面、和歌を残した文化人でもありました。

見所
可児川北側の河川段丘先端に築かれ、東西150m、南北167mの広い城域は南は可児川、東、北、南側は土塁と空堀が巡ります。
特に東南部の空堀と土塁がキレイに整備され案内板も立ちます。
西側はヤブ化しており、北側は立入禁止でした。

2022年10月16日 ともさお
金山城



以前は気付きませんでしたが、本丸の北側(西腰曲輪の北端より確認)、南側(南腰曲輪の東端より確認)にも石垣がよく残されていました。上側が無いのは破城時や金山越での転用、自然崩落でしょうか。自然石も多用している城ですが、まだまだ眠っている箇所も多そうです。

2022年10月02日 黒はんぺん中務卿
金山城



本丸からの眺めが素晴らしい。戦国山城ミュージアムで情報収集してからのリア攻めがおすすめです。

2022年09月18日 副将軍ナンバー【7】讃常美
金山城

車で山上駐車場まで行けますが、途中の大堀切をお見のがし無く。

2022年07月26日 はちもく
金山城



月曜日は山城ミュージアムが休みなので月曜日訪城は避けたほうがよいです。築城技術と破城作法を学びました🏯

2022年06月20日 真田美濃守十兵衛
金山城



頂上本丸跡地までの登山道はきちんと整備されており、途中で各遺構なども見ることができます。本丸からの眺めは最高で、風も涼しく、まさにご褒美といったものでした。

2022年01月21日 西倉右馬助汝愚
金山城



綺麗に整備されていて歩いても登りやすい。出丸まで来るまで行けるので時間がなくとも本丸まで行きやすいです。また、トイレも各駐車場にあり綺麗に清掃されてます

2021年07月30日 最上修理大夫一輝
金山城



たそがれ時の金山城からの景色がいい。居城の跡、礎の石がいまも残されている。麓の資料館では甲冑などの展示も。

2021年04月13日 くっしー民部大輔尚人
金山城



何カ所か駐車場がありますが、本丸に一番近い駐車場は出丸跡です。

駐車場なのに、県の史跡になってるみたいですよ。石垣は野面積みで見映えしますからね。

そこから本丸までは15分ぐらいです。途中に破城の痕跡が残る石垣や舛形虎口なんかがあります。

山城にしては本丸が大きいですね。眺めも最高でした。搦め手も行きたかったのですが、駐車場に戻れないと看板が立っていたので諦めました。

2021年04月13日 青コアラ美濃守
今峰城[金山城  周辺城郭]



鎌倉時代の城塞で、山田大隅守重久の築城。後藤氏を経てのち土岐氏一族の今峰又太郎氏光の居城となる。丸山城とも。
丸山ダムの下流、木曽川が北に大きく蛇行する地点の山上に位置します。

約20年振りに訪れた城跡はすっかり荒れ果てて自然に還りつつありました。ネット検索しても数件しかヒットしないマイナー物件で、訪れる人もほとんどいない様子です。

民家の脇に登城口の標柱が立っていますが、その先は案内が全くありません。登り始めるとすぐに鉄塔がありますが、そこまで行くと行き止まりなのでその下で左に曲がります。道は草ボーボーですが、何となく踏み跡がある方へ進んで行くと遠くにもう一本鉄塔が見えるので、そこを目指します。頭が赤く塗られた石柱が見えたらその奥の道に入ります。少し登ると足元にほとんど埋もれかけた階段が現れます。これがかつての遊歩道ですので、これを辿って行きます。
階段は鉄塔の手前で右に上がり、尾根に出たら右へ。(行き過ぎて鉄塔の上まで行って右に進んでも同じです)
尾根を歩くとすぐに城跡に着きます。かつてはベンチなんかも置いてあって眺めも良い所でしたが、今はジャングルと化していて平場がある事すら分かりません。背丈以上の深い藪を掻き分けて奥まで行くと説明板があります。

古い時代の城ですし遺構は無いと思います。(あったとしても藪で探索どころではありませんが…)

駐車場はありません。登城口近くは民家やお店があるので少し離れた所に停めて歩きました。登城口から説明板まで15分ほどです。

2021年04月06日 大宰大弐たろすけ
金山城



春は桜がとても綺麗です、短命な城だったようで、破城の痕跡が見られます。

2021年03月27日 crea式部卿
金山城



蘭丸ふるさとの森第一駐車場から、本丸迄歩いて20分、さすが東美濃の拠点、眺めが抜群でした。

2021年01月05日 とんかつおやじND
下麻生城[金山城  周辺城郭]



詳しくは、しろめぐイベントの[鬼武蔵電光石火の東美濃制圧戦]を見てください。現在は高山本線が潜れる様にトンネル通路が作られています。🅿️は北部公民館が指定されています。

画像最後から2.3枚目 下から見た断崖の窪んだ部分が出丸?側への唯一の通路 と 対岸から見たところ 向こう側までは約30m弱位?私は渡る勇気はありませんでした。

2020年12月24日 【城郭道】たっきー
三の丸門跡[金山城  遺構・復元物]



三の丸にあった門。現在は礎石が残り、周辺には石垣が所々にあります。
三の丸門を示す看板もあります。

2020年12月21日 能登守さとみっくす
米蔵跡[金山城  遺構・復元物]



戦国山城ミュージアムから車で1、2分のところに米蔵があります。立派な石垣が残っているので是非、行ってみてください。
ちなみにここから金山城本丸まで登れます。

2020年12月19日 【城郭道】たっきー
戦国山城ミュージアム[金山城  その他]



美濃金山城の麓にあるミュージアム。ここは美濃金山城をはじめとする可児市の山城などについてのミュージアムとなっています。御城印やクリアファイルなどのお土産も販売されています。

美濃金山城リア攻めの前に行ってみてはいかがですか。ちなみにここから車で1、2分のところに米蔵跡があります。

2020年12月17日 能登守さとみっくす
展望台[金山城  その他]

金山城展望台からは綺麗な景色を見ることができます。金山城リア攻めの際に、ここから明智荘を見ていってください。

2020年12月14日 【城郭道】たっきー
二の丸[金山城  遺構・復元物]



二の丸には有名な破城石垣があります。他にもところどころ石垣などが残っていて、楽しめるところだと思います。それなりの広さがあるのでふちまでも多少距離があります。縄張としては出丸からの敵を本丸に侵入しないような配置となっています。出丸側から登ってそれを感じることができます。本丸ばかり目が行きがちですが、二の丸もゆっくり見てみてください。

2020年12月13日 【城郭道】たっきー
顔戸城址碑[金山城  碑・説明板]



顔戸城址にある石碑。ここには顔戸城に関する出来事などについて書かれています。顔戸城リア攻めの際に是非、確認してみてください。

2020年12月13日 【城郭道】たっきー
可児市観光協会[金山城  関連施設]



つい最近、日本の山城100名城カードを買うと一袋360円でした。前より安くなっていました。

2020年12月13日 【城郭道】たっきー
展望台[金山城  その他]



美濃金山城登場口付近にある展望台からは可児市や明智荘を望むことができます。
ベンチもあるのでここで休むこともできます。

2020年12月13日 【城郭道】たっきー
顔戸城[金山城  周辺城郭]



美濃金山城から車で10分程のところに顔戸城跡があります。土塁、堀が綺麗に残り、石碑や旗もあって綺麗に保存、整備がされています。
リア攻めしてみてはいかがですか。

2020年12月13日 【城郭道】たっきー
駐車場17台[金山城  駐車場]



美濃金山城出丸跡に駐車場があります。この駐車場では車は十数台とめることができます。美濃金山城を車でリア攻めする方は利用してみてください。

2020年12月09日 とんかつおやじND
米田城[金山城  周辺城郭]



標高268メートルの愛宕山にあった米田城は、山麓に本城が設置され、山頂には物見櫓程度の支城があった。
築城は永正二年で、初代城主は肥田小軌軌吉であり、玄蕃允軌休の父にあたる。しかし、築城以前にも既に小規模の城塞はあったと思考される。
室町時代には美濃守護職土岐政房が後継者問題の内紛から一時この城に移住したとの記述もある。
天正十年六月に米田城は金山城主森長可の急襲にあって落城し、肥田一族は加治田城に逃れ、以後この城は廃城となった。肥田玄蕃の長男長寿丸は米田合戦の折に馬串山にあって米田城の急変を聞き救援に赴いたが、比久見地内にて戦死した。
現地看板より

加茂神社脇の竪堀は深さ1〜3m程ありますが藪藪でした。
見所は本丸北側下段の切岸と土塁かな…
小さな曲輪が数カ所ありますがこれまた藪藪
麓の地 「福島は武将正則先祖の地」と看板ありましたが?

2020年12月07日 【城郭道】たっきー
可児市観光協会[金山城  関連施設]



可児市観光協会で日本山城100名城カードが販売されています。1セットに5枚入ってお菓子付きで500円で、美濃金山城などの周辺の城のイラストがデザインされている箱に入っています。金山城リア攻めの際に是非購入してみてください。美濃金山城のカードは購入した際についてきました。
ちなみに自分は2セット購入しました。

2020年12月07日 青コアラ美濃守
浄音寺[金山城  寺社・史跡]



金山城の前身である烏峰城を築いた斎藤正義の墓所がある。また、山門は金山城の裏城戸門を移築したものと伝わる。

2020年11月27日 【城郭道】たっきー
戦国山城ミュージアム[金山城  その他]



戦国山城ミュージアムで美濃金山城の御城印を一枚三百円で購入することができます。季節によって少し違います。旅の記念にどうぞ。

2020年09月29日 青コアラ美濃守
米蔵跡[金山城  遺構・復元物]



最近整備が完了し、石垣前面を覆っていた藪が整地され、綺麗な広場になりました。
これにより石垣がよく見えるようになり、また土に埋まっていた石垣の基部が掘り下げられ、従来より1メートルほど見える部分が広がっています。
この城最大規模の石垣遺構で、山城ミュージアムまたは観光交流館から歩いて5分ほどなので、是非行かれることをお勧めします。

2020年09月09日 青コアラ美濃守
和知城[金山城  周辺城郭]



通称稲葉城。美濃金山城の北東2キロほど、木曽川の上流にある城。天正18年(1590)、稲葉一鉄の四男方通によって築かれた。木曽川の支流石川が木曽川に合流する地点に、半島状に突き出す形で築かれた天然の要害である。

現在は稲葉城公園として整備され、広い駐車場、トイレもあります。
模擬門をくぐった先の集会場の裏(右後方)に土塁の一部が残っており、この辺りが大手門跡とされています。
集会場から主郭の方へ向かう時に空堀を渡りますが、この堀が深さも幅もありこの城一番の見所です。
主郭は芝生広場となっていて、天守や兜を模した遊具が脱力感を誘いますが、しっかり稲葉家の家紋が入っていて意外と芸の細かさを感じさせます。
木曽川に面した部分は断崖になっているようですが、下の様子が見えない為、要害感はあまり感じられません。

2019年05月01日 那古野尾張守きんきん
出丸跡石垣[金山城  遺構・復元物]



出丸には無料駐車場とトイレがあり、すぐ近くに登城口があります。1番近くの駐車場だったと思いますが、出丸の案内板のすぐ後ろにも戦国時代末期の創建当時の野面積みが残っています。

2019年05月01日 那古野尾張守きんきん
可児市戦国山城ミュージアム[金山城  スタンプ]



こちらは御城印を扱っており、令和元年5月6日までは通常は朱色の森家の家紋が金色になっています。また続100名城スタンプは、すぐ隣にある可児市観光交流館に置いてありました。最近訪れる人が多いとのことで、スタンプがかすれてしまいました(涙)。時々インクを補充してくださるようですが、スタンプ帳の前に是非とも『試し押し』を…。

2019年04月30日 兵部大輔あきまろ
金山城



所々に点在する石垣跡です!
これから訪れる人は、あまり近寄ったり触れたりしないで欲しいです!これ以上崩れない事を祈るばかりです!

2019年04月30日 兵部大輔あきまろ
金山城



天守の石垣も、破城跡と崩れ落ちたりして、ほとんど残っておりません。
ここが本当に石垣だらけの山城だったのかな?と疑う位に荒れ果てております!

2019年03月22日 ホテルモスクワ左大臣
金山城

城朱印、山城M金曜日休み為、入手不可。

2019年02月04日 墨塗られた!
金山城

観光交流館にて続100名城のスタンプを押してきましたが、御城印は山城ミュージアムで販売とのこと。本日、山城ミュージアムは月曜日でおやすみ。残念

2018年09月11日 ( *¯ ³¯)っ旦
金山城

地元の70歳を越えた研究家の方に聞いた話では金山城の今の天守台にある礎石は天守ではなく、明治になって尾張藩より払い下げになった土地に百年くらい前に神社の拝殿、本殿を作った跡だそうです。出丸から登ってきて直ぐに本丸に入ってしまい、出丸というより曲輪のように思えますが、実は出丸の駐車場のところは堀切になっていて本丸には直接行けなかったそうです。それが廃城になって400年の間に出丸方面の天守台を含めてかなり崩れたりして土が流されて堀切が埋まってしまったそうです。しかし調査することなく出丸の礎石を1〜数個残して あとは取ってしまってアスファルトしてしまったそうです。

それと大事なことですが、今は公園のところに学校がありますが、元々は稲荷山という小高い丘があり、防御施設があった可能性が非常に高いそうです。
しかし潰して学校を建ててしまったので、今の研究家は丘があったことを念頭に入れずに今の地形だけをみてあれこれと言うそうです。

2018年09月06日 陸奥守たろす420九州断念
金山城

可児市観光交流館にて「可児市山城攻略図」や同市内の金山城・久々利城・大森城・今城等のパンフレット、金山城登城御朱印、缶バッジ等が入手できます。
また、センゴクキャラが描かれた期間限定団扇?(山城へ行こう!2018PRで森長可 & 明智光秀)の入手も可能!

2018年09月05日 森三右衛門
金山城

新名城100スタンプがある可児市観光交流館は年中無休(防災上の臨時休業あり)で、なんと22時まで開いてます。

2018年09月03日 森三右衛門
金山城

山城ミュージアムの隣に出来た可児市観光交流館。甲冑着て写真撮って遊べます。陣羽織は無料で着て写真撮れます!マネキンがユルイ感じで働いてる。気楽に行ける場所ですね。

2018年06月22日 あきおこ
金山城

長らく休館中だった兼山歴史民俗資料館が「戦国山城ミュージアム」として6月30日よりリニューアルオープンします。可児の山城なども紹介される様で楽しみです。

2018年01月29日 あきおこ
金山城

金山城北の街道にある兼山生き生きプラザで、香川元太郎氏が描いた可児市の山城クリアファイル4種類が手に入ります。金山城、今城、大森城、久々利城(金山城以外は城めぐ未登録)でカラー鳥瞰図の裏は縄張り図になっており、かなりクオリティ高いです!(1部300円)。他にもグッズありました。金山城立ち寄られた際は是非お立ち寄りください!。

兼山生き生きプラザ近くには金山城御殿跡と考えられる大迫力の米蔵城壁もあります。

耐震工事で休館中の兼山歴史民族資料館は、明治築の旧兼山小学校を流用した3階建懸造りの珍しい建築です。展示物も森氏関係の資料の他、旧名鉄八百津線の資料なども展示してあり、訳ありの1点を除いて全て撮影可という大盤振る舞いでした。今現在開館時期は未定。


2017年09月24日 織田上総介晃司
金山城

駐車場は麓から順に第一、第二、蘭丸広場、出丸とあります。

城の破却のため残っている石垣は多くないですが、河原石など自然石を利用した石垣は、土塁から石垣への築城転換期としての特徴を色濃く残しています。
2017/9/23現在、本丸において発掘調査が行われている。

森家の城として蘭丸が生まれた城と云われる。
森可成には6人の男子がいたが、最終的に森家を長らえたのは末子の忠政(岡山・津山城主)である。(兄たちは戦死)

蘭丸広場脇の大岩はネバーエンディングストーリーの岩を食べるキャラの雰囲気がする。(あくまで個人的な感想です)

2017年08月14日 左近衛中将あさよし
金山城

金山城麓の民族資料館は自然災害により閉館中ですが、2階に山城委員会?(みたいな感じでした)の事務所があり、丁寧に色々と教えてもらえます。資料もたくさんいただけます。

2017年05月01日 まるき〜出雲守
金山城

金山城の麓の兼山歴史民俗資料館から300mほどの所にある伝米蔵跡の石垣が最近木を伐採したという事でとても見やすくなっていました。

こちらの米蔵で蓄えられたお米を船で木曽川を下り桑名まで運び、そこから江戸へ運び入れていたそうです。

民俗資料館内には金山城の他近隣の城跡の資料の他

「発見!ニッポン城めぐり」

のフライヤーも置いていましたよ〜

(=゚ω゚)ノ笑




2016年10月08日 野呂利左衛門督休三
金山城

大手は現在、南側の蘭丸ふるさとの森に設定されていますが、本来は三の丸の水の手門から下る道(立入禁止)とする見解もあります。
古い町は城の北側で永正二(1505)年創建の大通寺や斎藤正義(近衛稙家の落胤で斎藤道三の養子とも)の肖像を蔵する浄音寺などがあります。ただ森家ゆかりの森立寺や可成寺(可成や蘭丸らの墓)、常照寺もありますが、これらは元は別の場所にありました。可成寺は城と大堀切で隔たった場所にありました(整備されていないので見学は自己責任)。

町中に兼山歴史民俗資料館がありますが現在耐震工事で休館中。元は学校の校舎で掛け造り三階建ての珍しい建物です。
資料はもらえます。金山城、久々利城のリーフレット、可児市山城攻略図(地図)です。

城と町の間に小高い土盛りがありますが2001年に廃線になった名古屋鉄道八百津線の線路跡です。駅跡は広場になっています。

2016年10月07日 蓬左の武将尾張守⚡️晋作
金山城

道三の命により斎藤正義が烏峰城として築城。
しかし、土岐悪五郎頼興が正義を久々利城に招いて殺害。
十数年後、信長の命により森可成が入城。可成の戦死後は次男の長可、長可が川中島に移封されると三男の蘭丸、蘭丸が戦死すると再び長可、長可が戦死すると六男の忠政、忠政が川中島に移封されると石川貞清と変遷を辿って廃城。

斎藤正義を暗殺した土岐頼興は信長に降伏したのち、森可成・長可に仕えるものの、本能寺後、森家に対して反乱を起こし和睦。
和睦条件として長可は弟の忠政を久々利城に人質に出す。

翌年正月、金山城に新年の挨拶に出向いた土岐頼興は帰途暗殺される。殺したのは斎藤正義の孫にあたる加木屋正則。
同日深夜、長可は久々利城を急襲し、一晩で攻略する。
実は人質に出されていた忠政はニセモノ。
すなわち、頼興暗殺による久々利土岐悪五郎家の滅亡の黒幕は長可自身であった。

さらに、その長可は翌年、長久手で戦死する。

なお、長可の弟、蘭丸・坊丸・力丸が本能寺で戦死したのは有名だが、実は同じく戦死した久々利亀は頼興の一族らしい。

2013年02月20日 はせちゃん弾正忠
金山城

3/9 13:30〜
金山城と城下町の説明会が実施されるとのことです

2011年02月08日 マリオ左衛門督66
金山城

地元民は、城山という愛称で呼んでいる。

2010年11月07日 三河守コーキしゃん
金山城

各所に説明板があって親切です石垣などが結構残っていて何より枡形虎口があるのがいいです

2010年10月10日 傾奇揚げ仙兵衛
金山城

この地区で有名な八百津せんべいは群馬の磯部せんべいと同じヤーツ

金山城の周辺観光情報

常照寺

森家の家老であった林長兵衛為忠によって建立されました。開山は妙向尼の末子暮久と言われています。有髪と法体の二幅の妙向尼の画像や、蘭丸が愛用したといわれる槍の穂先が残されています。

妙向尼は金山城主森可成の妻であり、蘭丸の毋でもある人物で、信長と石山本.願寺との和睦に尽力したことでも知られています。また、 妙向尼画像(法体・有髪)各一幅と妙向尼墓所は、市指定文化財に登録されています。

お問い合わせ:常照寺
電話:0574-59-2346

【可児市】可成寺

森家の菩提寺。蘭丸をはじめ、可成、長成、坊丸、力丸の墓があります。また、森武蔵守長可の画像や着用したと言われる脛当が残されています。

所在地 :岐阜県可児市兼山596
駐車場 :5台
問合せ :可児市役所観光交流課
お電話 :0574-62-1111(内線2313,2314)
サイト :ぎふの旅ガイド[外部サイトへ移動します]

情報提供:可児市観光交流課
情報提供:一般社団法人 岐阜県観光連盟

金山城の周辺スポット情報

 出丸跡石垣(遺構・復元物)

 桝形虎口(遺構・復元物)

 本丸跡(遺構・復元物)

 左近屋敷跡(遺構・復元物)

 米蔵跡(遺構・復元物)

 曲輪跡?(遺構・復元物)

 腰曲輪(遺構・復元物)

 搦手門礎石(遺構・復元物)

 東腰曲輪(遺構・復元物)

 水の手(遺構・復元物)

 大堀切(遺構・復元物)

 三の丸門跡(遺構・復元物)

 二の丸物見櫓跡(遺構・復元物)

 大堀切(遺構・復元物)

 搦手道(遺構・復元物)

 南腰曲輪(遺構・復元物)

 二の丸(遺構・復元物)

 出丸跡(碑・説明板)

 古城山払下げ記念碑(碑・説明板)

 小関の清水(碑・説明板)

 顔戸城址碑(碑・説明板)

 金山城址説明板(碑・説明板)

 城址碑(碑・説明板)

 登城口案内板(碑・説明板)

 顔戸城(周辺城郭)

 和知城(周辺城郭)

 米田城(周辺城郭)

 下麻生城(周辺城郭)

 今峰城(周辺城郭)

 馬串山砦(周辺城郭)

 上之郷城(仮称)(周辺城郭)

 貴船神社(寺社・史跡)

 兼山湊跡(寺社・史跡)

 森家三代の墓(寺社・史跡)

 可成寺(寺社・史跡)

 常照寺(寺社・史跡)

 妙向尼と林新右衛門の墓(寺社・史跡)

 西念寺(寺社・史跡)

 浄音寺(寺社・史跡)

 森立寺(寺社・史跡)

 専養寺(寺社・史跡)

 信長休み石(寺社・史跡)

 可成寺跡(寺社・史跡)

 六角堂(寺社・史跡)

 願興寺(可児大寺)(寺社・史跡)

 神照寺(寺社・史跡)

 大通寺(寺社・史跡)

 貴寺薬師堂(寺社・史跡)

 星宮神社(寺社・史跡)

 津嶋神社(寺社・史跡)

 八幡神社(寺社・史跡)

 華蔵寺(寺社・史跡)

 大仙寺の宮本武蔵坐禅石(寺社・史跡)

 可児市戦国山城ミュージアム(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 蔵風デザインの公衆トイレ(トイレ)

 駐車場17台(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 第一駐車場(駐車場)

 大堀切前の駐車場(駐車場)

 可児市観光協会(関連施設)

 うらじろの径入り口(その他)

 展望台(その他)

 蘭丸産湯の井戸(その他)

 展望台(その他)

 戦国山城ミュージアム(その他)

 森蘭丸の銅像(その他)

 金山城デザインの自販機(その他)

 可成寺跡・信長休み石への入口(その他)

 今峰城登り口(その他)

 みんなの駅ひろば(兼山駅跡)(その他)

 下麻生城跡登城口(その他)

 今渡の渡し場跡(その他)

 太田の渡し場跡(その他)

 伝宮本武蔵修行の五宝滝(その他)

 伝可児才蔵の生誕地(その他)

 信長の休み石への登り口(その他)

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