関城(せきじょう)

関城の基本情報

通称・別名

安桜山城

所在地

岐阜県関市山ノ手

旧国名

美濃国

分類・構造

山城

天守構造

なし

築城主

長井長弘

築城年

享禄元年(1528)

主な改修者

主な城主

長井道利

廃城年

遺構

曲輪、竪堀

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

加治田城(岐阜県加茂郡)[6.8km]
小倉山城(岐阜県美濃市)[7.0km]
堂洞城(岐阜県美濃加茂市)[7.4km]
猿啄城(岐阜県加茂郡)[8.1km]
野口館(岐阜県各務原市)[9.4km]
犬山城(愛知県犬山市)[11.2km]
伊木山城(岐阜県各務原市)[11.5km]
高富陣屋(岐阜県山県市)[11.8km]
更木陣屋(岐阜県各務原市)[11.9km]
岐阜城(岐阜県岐阜市)[13.8km]

関城の解説文



関城(せきじょう)は、美濃国武儀郡(岐阜県関市)にあった日本の城(山城)。別名安桜山城

概要 

安桜山(標高152メートル)に築かれた山城。山頂付近には、かつての本丸跡と思われる平地が残り、山の南側は急峻な岩壁、北側の斜面には複数の曲輪が造られている。関市黒屋から流れてきた用水が城の北で東西に分かれ、東は吉田川、西は関川となって城を巡り、南で津保川に注いでいるが、これらは築城後に掘られたもので、津保川と合わせて惣構の機能を持っていたと見られる。北の山麓には、城前という小字が残る[1]

歴史 

享禄元年(1528年)に、長井長弘が築いたと伝えられる。その後城主は斎藤龍興の重臣長井道利になり、中濃から東濃可児郡あたりまでを勢力下においていたと考えられる。織田信長の美濃侵攻の中で、急遽防御施設が作られたと見られる。

永禄8年(1565年)には、長井道利が城主を務めており、道利と近隣の加治田城主佐藤忠能、堂洞城主岸信周は同盟を結んでいたが、忠能が信長に内通。同年8月28日に、信長と忠能は堂洞城を攻め落とした(堂洞合戦)[2]。その翌日、道利は加治田城を攻撃したが、信長が派遣した斎藤利治に攻められ関城に退却。9月1日に利治に包囲されると、道利は開城して立ち退き、関は信長の手に落ちた(関・加治田合戦)[3]

その後、関に城主は置かれず、信長は代官を派遣し直轄統治したと見られる[4]

現況 

本丸跡は安桜山御嶽神社の境内となっており、麓には安桜山公園や宗休寺がある。山には遊歩道が設けられ、市街地の南北を結ぶわかくさトンネルと安桜山トンネルの二本が貫通している。

関城の口コミ情報

2025年08月31日 樹美濃守義輝
関城



安桜山公園の南西にある関市安桜山駐車場から登りました。この駐車場は段々畑の様になっていて最上段に案内図と登山口があります。展望台と山頂を廻ってリア攻め。車を下段の駐車場に移動後、地元の老舗 うなぎの辻屋で消費したカロリーを補いました。

2025年08月20日 猫耳感謝感激雨霰萌え
説明板(関城の由来)[関城  碑・説明板]



関市の中心部にある安桜山は、標高152米の稜線のなだらかな山である。山頂には、長井藤左衛門長弘が享禄元年(1528年)に安桜山城(関城)を築いたと伝えられている。その後、城主は長井隼人佐道利に移り、戦国時代に織田信長によって攻められた事は、あまり知られていない。
長井隼人は中濃地区から東濃可児郡あたりまで勢力を持ち、斉藤道三とは義弟にあたるので斉藤家が最も信頼する武将で、信長との数度の合戦には総大将格で出陣していた。
永禄年間の中濃地方は、堂洞城(現・美濃加茂市蜂屋)加治田城(現・富加町加治田)安桜山城とが互いに同盟を結び、信長の侵略に備えていた。
永禄八年(1565年)信長は中濃に大軍を率いて、侵攻してきたが加治田城主が同盟を破り信長に通じたため堂洞城は孤立し、遂に落城した。
長井隼人は智勇にすぐれた武将で、神出鬼没の迎撃戦の末、撃退したりした。ついで中濃の要であった安桜山城も三方から攻め寄せられ、これに抗いきれず退去し、以来廃城となった。
永禄十年(1567年)稲葉山城(岐阜城)が落城すると美濃一円は信長の支配下になった。乱世にあって終始一貫節度を貫いた長井隼人は戦国の武将として高く評価されている。 
後援 関市教育委員会
監修 東海古城研究会

説明板より。かなり経年劣化し、読み難くなっている。

写真③は、説明板周辺から見た安桜山(関城)。

久方ぶりに、関市の模型店まで買物…。

2024年02月04日 大膳大夫与助
関城



今朝、「そうだ、関へ行こう!」と思い立って出かけました。観光マップを参考に長良川鉄道せきテラス駅から春日神社を経由して、城址がある安桜山(あさくらやま)へ。頂上には櫓を模した展望台があり、今日は好天で北に御嶽と乗鞍を拝むことができました。

2022年07月05日 尼崎城信濃守一口城主
関城



6月4日犬山城下城後にJR高山線と長良川鉄道を乗り継ぎ関駅から徒歩にて登城。本来の目的としては関善光寺のお参りでしたがお参りは出来たものの御朱印は受付終了とのことでまさかや〜😭という気持ちに⤵️
しかしながら、関善光寺のMAPを眺めていると安桜山という山がありどうやら関城跡らしいことが分かったので気持ちを切り替えて関城のリア攻めに向かいました。進軍していくと展望台があり、上がってみると関城跡の説明板がありました。(下山した際、関善光寺の駐車場でも同じ説明板を発見)展望台から関市を見渡した後、もう少し進んで安桜山山頂に到達!
翌日、再度関善光寺をお参りして御朱印を頂いた後、帰路に<本町2>という交差点で安桜山を撮影📷初日、予定通りにいかなかったお陰で関城を色んな角度で見ることが出来たし、松尾芭蕉翁の弟子の広瀬惟然さん縁の弁慶庵にも寄れたので嬉しい誤算と思うことにします。

2021年10月27日 摂政
関城

前泊したホテルより出陣のため北からの城攻めとなりました。わかくさトンネル北側手前に右手に入る道があり、すぐに左手に分かれた道から登城開始。

舗装区間はほどなく終了しましたが広くて緩やかな道が続きます。その分、右に左に遠回りしますが行先表示に従うことで迷うこともなく、登り始めて10分程度で山頂です。展望台に登れば茂った樹々に邪魔されずに関の街並みや遠方の山々が楽しめます。

金華山や伊吹山も確認できました。長良川鉄道の上り列車が刃物会館前駅を発車してすぐに小半径で90度近く曲がる様は鉄道模型のジオラマのようで可愛らしいです。

2021年09月08日 とんかつおやじND
明神山城[関城  周辺城郭]



明神山城 山縣村三輪神社山上に在り、山縣三郎國直の城址なり…と山県郡誌にあり行ってきました。
山縣三郎國直は清和源氏頼光流多田頼綱の三男であった源国直が美濃に居住し「山県」を名乗り始まった…室町時代中期に勢力を弱め 甲斐武田氏を頼って落ちていった。これにより美濃山県氏は滅亡したが それ以前に安芸国と甲斐にながれた山県氏が繁栄したらしいです。

美濃では 古い貴重な城址遺構だと思います。 

2021年07月26日 【城郭道】たっきー
櫓風展望台[関城  関連施設]



関城本丸付近にある城郭風建造物である展望台。階段を登ると美濃の盆地、山々、城跡を望むことができます。
駐車場から徒歩10分と少し。暑い中でも登る価値は充分あります。一番上のところには関城の説明板もあります。

2021年05月06日 とんかつおやじND
大雲寺[関城  寺社・史跡]



大雲寺(だいうんじ)は岐阜県関市伊勢町の安桜山東南麓にある日蓮宗の寺院で、山号は妙興山。関藩主大島光義の菩提寺である。

慶長6年(1601年)、大島光義が元家臣で日蓮宗の僧侶となった真如山日昌(俗名矢島定昌)を開山として建立した。建立時は妙興庵という名の小庵であったが、後に現在地に移されて現在の山号寺号となった。

寺宝として大島光義の肖像やその所用の甲冑、書状などゆかりの品を所蔵している。また、大島家歴代の墓が所在する。

大島 光義(おおしま みつよし)は、戦国時代の武将、安土桃山時代から江戸時代初期の大名。弓の名手。美濃国関藩初代藩主。姓は大嶋とも記される。通称は複数伝わるが、大島 雲八(おおしま うんぱち)の名で知られる。

ウィキペディアより

大嶋雲八公の自作武将印制作にあたり訪問しました。


2020年08月22日 VTR美濃守シゲこのへん行
関城



駐車場
先人さんが書き込んでみえますように何箇所かあります、私はいつも関善光寺の駐車場に止めさせて頂いてます。長良川鉄道関駅方向より参道に入り突き当たりを左方向少し登ると右手方向下土の駐車場です。

トイレ
駐車場に小さいものが有ります。関善光寺迄上がり本堂右手奥まで入ると関善光寺のトイレ有ります。

登山口は駐車場から上がってそのまま真っ直ぐ階段を進みます。

そのまま真っ直ぐ尾根筋まで上がり尾根を右尾根筋外さないように進めば関城ですいくつか遊歩道有りますので道迷いなき様に。

遺構
本丸の北東に段曲輪と埋もれて浅くなってますが一条の竪堀有り。

本丸越えて鳥居方向おりて一段下がった左手遊歩道入ると下側に段曲輪、竪堀、ほぼ整備されてないので藪になってます。

本丸向かう途中に櫓風展望台有り上まで登ると関の街が一望できます。南は各務原アルプスの山々、南西に岐阜城、北東は澄んでいれば御嶽山、東は可児市、美濃加茂市を見渡せます。

関城は織田信長公の美濃侵攻の足がかりとなる堂洞合戦、関加治田合戦で美濃方斎藤道利の城、加治田城が織田方に落ちたことにより斎藤家は東美濃の武田方と連絡出来ず。関城も加治田城主となった斎藤利治(斎藤道三の末子と言われる)に攻められ落城、以後関城は廃城となり関の町には代官が置かれて統治された。

関市は鰻屋が多く有ります、名の売れた店から地元民御用達まで、探してみて下さい。

関鍛治伝承館、刀、日本刀に興味ある方は是非訪れて下さい、有料ですが月一回打ち初め見学出来ます、詳しくはHPで。

関でオムライスなら、トキワ1921かコックさん コックさんの平日ランチもお得でーす。

2020年08月21日 とんかつおやじND
弥勒寺官衙遺跡群[関城  寺社・史跡]



国指定史跡 弥勒寺官衙遺跡群は、関市池尻の長良川畔を中心に広がる、古代の寺院や役所などの遺跡群です。

1959(昭和34)年、弥勒寺跡は、美濃の伝統的な古代豪族ムゲツ氏の氏寺として、国史跡の指定を受けました。この際、美濃市大矢田に所在する丸山古窯跡が、「弥勒寺」に瓦を供給した窯跡の一つであることから、国指定史跡 弥勒寺跡附丸山古窯跡としてあわせて指定を受けています。

その後、公園整備事業の一環として実施した発掘調査により、弥勒寺東遺跡が武義郡衙(むぎぐんが=武義郡の役所)跡であることが明らかになりました。弥勒寺東遺跡は2007(平成19)年、弥勒寺官衙遺跡として追加指定を受け、同時に史跡の名称が国指定史跡 弥勒寺官衙遺跡群に変更となりました。

また、弥勒寺跡の西に所在する、池尻山の支尾根の裾に造られた池尻大塚古墳は、2011(平成23)年までの調査でムゲツ氏の築造と考えられることから、2016(平成28)年に国史跡の追加指定を受けています。

ムゲツ氏と弥勒寺官衙遺跡群
ムゲツ氏は、軍事的・祭祀的な役割を担ってヤマト王権と深く結びついた美濃の伝統的な地方豪族で、記紀などの史料には「牟義都」「牟下津」などさまざまな表記が見られます。672(天武1)年に起きた壬申の乱での「身毛君広(むげつきみひろ=大海人皇子の舎人)」の活躍が、武義郡を治める郡領としての地位を確実にしました。

弥勒寺遺跡群は、祭祀遺跡である弥勒寺西遺跡を含めて、古墳時代終末期から律令制下(奈良時代~平安時代)の寺院・郡衙・祭祀跡が一体で残り、寺院造営を契機とする在地支配の変容や、律令制下の地方官衙の営みの全てを考古学的に知ることができる、極めて稀な遺跡として注目されています。

関市HPより

円空入定塚、円空の墓、関市円空館、池尻大塚古墳も徒歩圏内にあります

2020年04月02日 青コアラ美濃守
関城

山頂の展望台の上に、縄張り図付きの説明板があります。遺構として認定されているのは狭い主郭に三段の腰曲輪、一番下の腰曲輪を分断するように入る1本の竪堀ぐらいのようです。ただその竪堀もかなり埋もれてしまっていて、分かりにくいです。

2020年04月02日 青コアラ美濃守
関市安桜山駐車場[関城  駐車場]



無料。4面あり、かなりの台数駐車可。主郭まで12~3分。

2019年11月11日 あきおこ
十六所山砦[関城  周辺城郭]



関城の南西にある砦で、岐阜県調査報告書によると、天正10年(1575)に森長可が中濃攻略の際に築いた陣城とある。

どこかの文献で斎藤時代に長井隼人が築いた関城を守る複数の砦のひとつと書いてあったと思うが、どうやら違う様だ。

登り口は自動車学校東の舗装路で神社に至ります。神社から先は頂上に向かい踏み跡を辿ります。

頂上付近に電波塔の様なコンクリ建物があり、そこから先が砦。主郭には祠があり、緩い切岸、帯曲輪、虎口状の通路が確認できます。全体の印象としては鬼武蔵が手掛けた割にはかなり緩い。

駐車場はありません。


2019年05月06日 VTR美濃守シゲこのへん行
櫓風展望台[関城  関連施設]



関城山頂近くにある展望台です
南は猿啄城方面の迫間城址(猿啄城は見えないです)、南西は遠くに岐阜城、北は美濃市の古城山、当時狼煙が上がるのは良く見えたのだろうと思う。



2019年05月06日 VTR美濃守シゲこのへん行
関善光寺駐車場[関城  駐車場]



関善光寺駐車場です、ここから関城までゆっくり登って30分程。ここにもトイレありますが、善光寺内にもあります、
関善光寺は五郎丸ポーズで有名になった所です

2018年10月26日 まるき〜出羽守
関城

関城 安桜山頂に怪しい建物がポツンと見えたので行ってみました
関善光寺の鐘のある方向へ約10分くらい登ると山頂です。城跡付近に前回無かった建物、物見櫓風?の展望台が作られていました。まだ立ち入りできませんが11月のウォーキングイベントの時に開放されるようです。
関善光寺の五郎丸ポーズの仏像、ブームの時はたくさんの人が参拝?見学に来ていましたがブームが去って人も少なく駐車場も空いていて行きやすくなってました。
日本でここだけ!という卍戒壇もあります。まっ暗闇の中の迷路をドキドキしながら歩く体験?歩いて来た感じ実際卍じゃないと思うけど、見えなかったから良しとしよう…。

2017年05月16日 あきおこ
関城

【アクセス】関市の中心にある安桜山山頂に位置し、わかくさトンネル南口右側、各所に遊歩道があります。長良川鉄道関駅西側に有料駐車場があります。
【見どころ】主郭や東西の郭、北側に帯郭がありますが北側帯郭は城跡の雰囲気を残しています。かなり埋もれていますが竪堀が一条確認できます。西山麓には善光寺のミニチュア版、関善光寺があり、五郎丸ポーズの仏像を拝む事ができます。また関は、うなぎの名店が多く、しげ吉などはお薦めです。

2014年03月16日 とも
関城

安桜山の南西、孫六町に安桜山駐車場(無料)があります。
山頂へ登る道は何ヶ所かあり、駐車場の奥にもあります。
関城の由来が書いてある看板は、若草トンネルの南口脇に立っています。


2010年08月21日 傾奇揚げ仙兵衛
関城

関城からR248を東海北陸道をくぐり抜けた町外れに白神ってラーメン屋の軟骨海老そばが旨い。東海テレビの番組で柴田理恵が絶讚していた。

関城の周辺スポット情報

 竪堀(遺構・復元物)

 説明板(関城の由来)(碑・説明板)

 かな(碑・説明板)

 十六所山砦(周辺城郭)

 明神山城(周辺城郭)

 広見城(周辺城郭)

 田原城(周辺城郭)

 千疋城(周辺城郭)

 弥勒寺官衙遺跡群(寺社・史跡)

 安櫻講社(寺社・史跡)

 大雲寺(寺社・史跡)

 弁慶庵(寺社・史跡)

 関善光寺(宗休寺)(寺社・史跡)

 春日神社(寺社・史跡)

 刀工 孫六兼元の墓所(寺社・史跡)

 円空入定塚(寺社・史跡)

 円空の墓(寺社・史跡)

 源頼政の首塚(蓮華寺)(寺社・史跡)

 関善光寺駐車場(駐車場)

 関市安桜山駐車場(駐車場)

 櫓風展望台(関連施設)

 登城口(その他)

 関鍛治伝承館(その他)

 関市円空館(その他)

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