弥勒寺官衙遺跡群
弥勒寺官衙遺跡群([関城 寺社・史跡])
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弥勒寺官衙遺跡群の口コミ情報
2020年08月21日 とんかつおやじND
国指定史跡 弥勒寺官衙遺跡群は、関市池尻の長良川畔を中心に広がる、古代の寺院や役所などの遺跡群です。
1959(昭和34)年、弥勒寺跡は、美濃の伝統的な古代豪族ムゲツ氏の氏寺として、国史跡の指定を受けました。この際、美濃市大矢田に所在する丸山古窯跡が、「弥勒寺」に瓦を供給した窯跡の一つであることから、国指定史跡 弥勒寺跡附丸山古窯跡としてあわせて指定を受けています。
その後、公園整備事業の一環として実施した発掘調査により、弥勒寺東遺跡が武義郡衙(むぎぐんが=武義郡の役所)跡であることが明らかになりました。弥勒寺東遺跡は2007(平成19)年、弥勒寺官衙遺跡として追加指定を受け、同時に史跡の名称が国指定史跡 弥勒寺官衙遺跡群に変更となりました。
また、弥勒寺跡の西に所在する、池尻山の支尾根の裾に造られた池尻大塚古墳は、2011(平成23)年までの調査でムゲツ氏の築造と考えられることから、2016(平成28)年に国史跡の追加指定を受けています。
ムゲツ氏と弥勒寺官衙遺跡群
ムゲツ氏は、軍事的・祭祀的な役割を担ってヤマト王権と深く結びついた美濃の伝統的な地方豪族で、記紀などの史料には「牟義都」「牟下津」などさまざまな表記が見られます。672(天武1)年に起きた壬申の乱での「身毛君広(むげつきみひろ=大海人皇子の舎人)」の活躍が、武義郡を治める郡領としての地位を確実にしました。
弥勒寺遺跡群は、祭祀遺跡である弥勒寺西遺跡を含めて、古墳時代終末期から律令制下(奈良時代~平安時代)の寺院・郡衙・祭祀跡が一体で残り、寺院造営を契機とする在地支配の変容や、律令制下の地方官衙の営みの全てを考古学的に知ることができる、極めて稀な遺跡として注目されています。
関市HPより
円空入定塚、円空の墓、関市円空館、池尻大塚古墳も徒歩圏内にあります