猿啄城(さるばみじょう)

猿啄城の基本情報

通称・別名

猿飛城、勝山城、根尾山城

所在地

岐阜県加茂郡坂祝町勝山934-1

旧国名

美濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

西村善政

築城年

応永年間(1394〜1428)

主な改修者

主な城主

西村氏、田原氏、多治見氏、河尻氏

廃城年

天正2年(1574)

遺構

石垣

指定文化財

町史跡(猿啄城跡)

再建造物

城郭風建築物(展望台)、石碑、説明板

周辺の城

犬山城(愛知県犬山市)[4.5km]
伊木山城(岐阜県各務原市)[5.8km]
堂洞城(岐阜県美濃加茂市)[7.6km]
羽黒城(愛知県犬山市)[8.0km]
関城(岐阜県関市)[8.1km]
加治田城(岐阜県加茂郡)[8.6km]
野口館(岐阜県各務原市)[8.8km]
小口城(愛知県丹羽郡)[10.2km]
楽田城(愛知県犬山市)[10.8km]
明智長山城(岐阜県可児市)[11.0km]

猿啄城の解説文



猿啄城(さるばみじょう)は、岐阜県加茂郡坂祝町勝山にあった室町・戦国時代の日本の城。別名猿ばみ城、猿飛城、勝山城。標高275.3mの勝山(城山)の山頂付近にある。猿啄城跡は、坂祝町指定史跡となっている[1]

岐阜県と愛知県の境の木曽川の北に位置する日本の城。この付近の木曽川(日本ライン)は急流であり、周辺は山となっている。このため飛騨国、東濃から美濃国、尾張国への重要な地点であった。標高265 mの城山頂上には、展望台が設定されている。

歴史 

  • 築城時期は不明であるが、応永年間(1400年頃)、西村豊前守善政が築城する
  • 1441年(嘉吉元年)、西村豊前守善政が祖母の法要の為城を留守にした際に、田志見の城主修理大夫頼吉が城を略奪する。
  • 1530年(享禄3年)田原左衛門城主となる。
  • 1539年(天文8年)城の鬼門寺として深萱村梅替地内に「大洞山 見城寺」(現:覚専寺)を建立する。
出典:山田右馬之尉正澄由緒の写には田原左衛門尉頼義の名はない。 「竜泰寺二十五世住職肝銘記・無極由緒之事に・・・・嘉吉元年酉正月・・・・田原左衛門頼吉・・・・云々」とあるが、この記録は末尾に堂洞軍記に詳也とあり、1700年以降に書かれたので信憑性はないとした。また田志見の城主修理大夫頼吉と田原左衛門頼吉とを同一人物とすることには無理がある。
  • 1547年(天文16年)、多治見修理が城を略奪する。
  • 1565年(永禄8年)、織田信長が丹羽長秀を総大将として東美濃攻略を開始。丹羽長秀の先鋒であった河尻秀隆が猿啄城を攻略し、落城。城主多治見修理は斎藤氏に属する堂洞城の岸信周の下へ落ち延びた(堂洞合戦)。河尻秀隆が猿啄城城主となり、城名を「勝山城」と改称する。
  • 1575年(天正2年)、河尻秀隆が岩村城に移り、廃城。

現在 

  • 1997年(平成9年)12月、坂祝町が誕生100周年を記念し、二層城郭風の展望台が造られ、ハイキングコースとして整備されている。展望台からは日本ラインが見渡せる。

猿啄城の口コミ情報

2023年10月05日 yumi美濃守
猿啄城

猿啄城展望入口の看板があるのでわかりやすいです

2023年04月30日 さきこ
猿啄城



軽登山なのでそれなりの装備が必要です。頂上の見晴らしがとても良かったです。

2022年07月04日 勝幡修理大夫絵振之助㊉
猿啄城

登山道は途中で二股に分かれています。案内はありませんがどちらも山頂展望台につながっています。印象では、左は比較的緩やかで長い道、右は急で短くやや道が悪いです。

2022年05月01日 しげしげ主税頭信繁
猿啄城



駐車場は登城口近くに10台弱は停められます。手前にもありましたが少し距離が離れてます。登城口に男女共用のトイレ有りますが女性の方は躊躇するかもしれません。登城口からはほとんどが手作りの木製階段が整備されてますので歩きやすく、20〜30分程で主郭跡に辿り着きます。

2022年03月14日 billybob
猿啄城



眺望良好です!最初の赤い橋の登山口から、比高約200mの連続急登を一気に上がります。

2021年10月19日 いち近江守
土岐頼益・斎藤利永の墓[猿啄城  寺社・史跡]



大安寺 1396年(応永3年)美濃守護・土岐頼益が建立。
1414年(応永21年)土岐頼益が没するとその墓所が寺内に設けられ、美濃守護代・斎藤利永(文安2年 1445年 前期加納城を築城したと伝わる)墓所が頼益の右隣りに設けられる。岐阜県史跡。

2021年09月08日 青コアラ美濃守
長蔵寺(河尻秀隆墓所)[猿啄城  寺社・史跡]



河尻秀隆の菩提寺。織田信長の猿啄城攻めに功のあった河尻秀隆は猿啄城改め勝山城主となり、この地を治めます。その後岩村城主を経て甲斐22万石の領主となるも、本能寺の変直後に一揆勢に襲われ敗死。

現在お寺の西に、享保年間に子孫によって建てられたお墓があり、子の秀長(直次)・鎮行・家臣のお墓と伴に並んでいます。

2021年09月01日 とんかつおやじND
のべぶり岩[猿啄城  寺社・史跡]



尾張の小牧山より旗信号を美濃や飛騨へ中継伝達した岩らしい

2021年05月09日 きむし美濃守
猿啄城

麓にトイレ、駐車場もあり山城の割には訪問しやすいと思います。また登山道も整備されており、城マニアだけではなく、トレッキング、ちょい登山な方にもオススメです。
ただ、城の西側の主郭の石垣、堀切、断崖絶壁にあり危険なのはわかりますが、アピール不足かもしれませんね。
信長公記にある『おおぼて山』堀切西の峰続きの山のひとつと推測しますが、城攻め目線の案内があると面白いかな。
登山道整備が行き届いている分、勿体ないなと個人的には思いました。
その分城好き以外の方も訪れやすいスポットであることは間違いないです。
何しろ展望台からの景色は最高です♪

2021年02月22日 くっしー民部大輔尚人
猿啄城



遺構は山頂付近にわずかに残る石垣のみ。(展望台から迫間城跡方向に降りてすぐの所)

でも山頂の展望台からの眺望は最高です。それを目的に登る価値ありです。

駐車場は2か所あって、登城口近くの第1駐車場には10台程度、5分ほど歩いたところの第2駐車場には5台程度駐車できます。

登城口にはトイレも設置されてます。

登城口から展望台までは約30分。結構、急峻でしんどかったです。

2021年01月17日 我流尾張守クール
猿啄城

勝山(城山)登山口から山頂展望台まで僅か750mですが、最初の500mは急峻な登山道です。比高220m、鈍った体にはキツイです。

展望台から迫間城に向かい、少し降りた辺りで振り返ると石垣が確認出来ましたが、ロープがあり、近寄ることは叶いませんでした。更に少し進むと土橋が表れます。
先達の城友さんによれば、迫間城までは20分程度のようです。

一帯は各務原アルプスと呼ばれていて、週末は登山やトレイルランナーの方々で賑わうようです。9時で第1駐車場は満車の為、第2駐車場に止めました。

地図アプリだと坂祝バイパスを指しますので、リア攻めマップの駐車場を参考にしていただくと幸甚です。


2021年01月17日 我流尾張守クール
第2駐車場[猿啄城  駐車場]



迫間川沿いに10台程度駐車することが可能です。

2021年01月17日 我流尾張守クール
第1駐車場[猿啄城  駐車場]

登山口手前の道路両側に20台程度駐車可能です。

2021年01月10日 マイロ
猿啄城

猿ばみ城駐車場からゆっくり登って40分くらいかかりました。

鍛えてないのもありますが、思ったより傾斜がきつく、うっすら積もった雪でずるっとなりそうでした。相方は何度かストックのお世話になってました。

駐車場すぐから、山への登り口がありますが、猿ばみ城へは舗装された道をそのまま進んで行くと左手に曲がる案内があるので、それに従った方が、良いと思います。 駐車場すぐの登り口からでも行けるかもしれませんが、凄く大回りになりそう。

2019年11月20日 あきおこ
迫間城[猿啄城  周辺城郭]



猿啄城の西尾根続きにある標高312m(比高220m)の山上にあります。私は猿啄城駐車場に車を停め、猿啄城から尾根伝いに続く縦走路から訪れました。駐車場には10台ほど停められます。

城は不動尊が祀られる八方拝殿の奥にあり、小規模ながら土橋、堀切、竪堀、複数の帯曲輪があります。何よりも素晴らしいのは主郭からの関市方面の眺望で御嶽山も見えます。

城主は大島氏と伝わり、北山麓の集落には
大島光俊が建立した白華山大雲寺があります。

この周辺の山塊は各務原アルプスと呼ばれ低山登山が盛んで、多くの登山客で賑わいます。なので駐車場はすぐ満車になるかもしれないのでご注意を。

登山道は他にも多数あります。
迫間不動尊の入り口に広い駐車場があり、そこから舗装路を登ると素掘りのトンネル前にも登山道があります。

2018年07月03日 カーネル
猿啄城

高山線 坂祝駅から

駅の南側のローターリーから右に歩行者専用道があり、ここに「→猿啄城展望台」の文字。うれしい

また、そこには観光案内地図もあり、駅から登山口まで徒歩20分と、記載ありました

線路沿いに西へ向かい、正面の山の山頂をデジカメの望遠で見ると展望台がみえるので、あそこへ行けばいいのか。と覚悟を決めます

覚専寺の少し南に「登り口」と書かれた大きな看板もあるなど、案内が充実しています。猿啄城の駐車場を抜けて山道を登ります

傾斜が急で、階段の段差も大きいので、きつ目の坂を登ると平場にでて、その先が展望台です。思ったより広い。眺めがよいです

展望台から、反対側に下ると石垣と土橋があります

しばらく下ってから、展望台に戻り、来た道を下って駅に戻りました。90分でした


猿啄城の周辺スポット情報

 堀切跡(遺構・復元物)

 石垣(遺構・復元物)

 城趾石碑(碑・説明板)

 猿啄城説明板(碑・説明板)

 迫間城(周辺城郭)

 栗栖砦(周辺城郭)

 のべぶり岩(寺社・史跡)

 長蔵寺(河尻秀隆墓所)(寺社・史跡)

 土岐頼益・斎藤利永の墓(寺社・史跡)

 土田北割田3号墳(土田北割田古墳群)(寺社・史跡)

 太田代官所(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 第2駐車場(駐車場)

 第1駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

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