加治田城(かじたじょう)

加治田城の基本情報

通称・別名

却敵(きゃくてき)城、加治田山城、古城山

所在地

岐阜県加茂郡富加町加治田

旧国名

美濃国

分類・構造

山城

天守構造

二重櫓[2重2階/築年不明/破却]

築城主

佐藤忠能、佐藤忠康

築城年

永禄年間(1558〜1570)

主な改修者

斎藤利治、斎藤利堯

主な城主

佐藤氏、斎藤氏、森氏

廃城年

天正11年(1583)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、堅堀、堀切、切岸、虎口

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

堂洞城(岐阜県美濃加茂市)[1.6km]
関城(岐阜県関市)[6.8km]
猿啄城(岐阜県加茂郡)[8.6km]
小倉山城(岐阜県美濃市)[9.5km]
金山城(岐阜県可児市)[10.5km]

加治田城の解説文

加治田城(かじたじょう)は、美濃国(現在の岐阜県加茂郡富加町加治田)にあった日本の城。別名、却敵城きゃくてきじょう・加治田山城。また、山の名前としては、加治田山や古城山と呼ばれた。

美濃国と飛騨国の入口(現:下呂市金山町)の道をつなぐ重要な街道で中濃に位置し、西濃(岐阜城)・東濃(苗木城)・奥美濃(郡上八幡城)の中間位置としての要所であった。濃尾平野の北に位置する。

歴史
加治田城は、築城時期は不明であるが、戦国時代の永禄年間(1558年 - 1570年)には、美濃佐藤氏の居城であった。佐藤忠能・忠康父子が築城したとも伝えられている。

佐藤氏は初め美濃斎藤氏に従っていたが、のちに尾張国の織田氏に内応。そのため永禄8年(1565年)に、堂洞合戦や関・加治田合戦において斎藤氏に攻め込まれるが、織田氏の支援も得ていずれも撃退している。しかし、関・加治田合戦において佐藤忠康が戦死したため、織田信長の命により斎藤道三の末子・斎藤利治が城主となった。

天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変において利治が死去すると、斎藤利堯が跡を継ぎ織田信孝の家老となった。しかし、同年7月には東美濃での勢力拡大を狙う森長可との間で加治田・兼山合戦が起こり、奮闘し城を死守。しかし、利堯の動向により(1582年~1583年)にかけて領土は森氏が統合した。

その後、東美濃全域並びに中濃の一部にまで版図を拡大した森氏は、領内に多すぎる城の保全の煩雑さを考慮し加治田城を廃城にした。廃城後、城下町は宿場町として昭和初期まで栄えた。

現在
一の丸、二の丸、三の丸、四の丸まであり、石積み(石垣)、土塁、竪堀、横掘、切岸、虎口が残る。城域が梨割山から津保川、川浦川辺りまであった(衣丸や捨掘、馬場、出丸、御殿、武家屋敷も含む)。(加治田・兼山合戦に至る加治田城改築最大規模まで。)

東公民館辺りが城主屋敷跡。絹丸(衣丸)の神社の横道より山に登る道があり、上まで行くと見晴らしがいい岩がある。昔はそこまで馬車で兵糧米を運び、そこから城へ人間が担いで運んでいた。岩は狼煙台としても使われていた。三徳岩は今でもあり、旗を立てていた穴が空いている。

東海環状自動車道で通過するトンネルの真上が加治田城跡になり、向側のトンネルは長尾丸山(堂洞城長尾丸)の真下を通り、そこは佐藤忠能の娘・八重緑が串刺しにされた場所である。(正確には、富加町役場東児童館(旧わかくさ保育園)の真北に堂洞城長尾丸がある。)

金華山、恵那山、御嶽山、伊吹山、白山、中央アルプス、南アルプス、鳩吹山、各務原アルプス、鈴鹿山脈、飛騨山脈、板取川源流高賀山方面、名古屋の駅ビル(JRセントラルタワーズ)等と遠くは伊勢湾まで見え、中濃全域(濃尾平野・美濃国)が一望できる。現在でも城下町の面影が残る。富加町の龍福寺・郷土資料館・役場に城の資料が保管されている。...

加治田城の口コミ情報

カーネル様[2017年04月14日]
堂洞城の南にある給水塔の十字路から西へ下り、最初の交差点で右折して北上します

県道97号で右折して、東海環状道をくぐり、城の南東麓にある清水寺を目指します

二天門をくぐり階段を登ると清水寺に至り、境内には梨割山→の看板があるので辿ります
林道にぶつかったら左折して進むと梨割山遊歩道の看板があり、ここから山道になります

案内が多数あるので、それに従うと山頂の本丸。堂洞城から1時間20分でした

反対側に降りると、曲輪、石積、竪堀が多数ありました。標識が付けられてるのが嬉しい

富加駅に向かうには、梨割山を経て龍福寺に降りると近いですが、もう登り坂は嫌なので清水寺に戻り、富加駅に向かいました

美濃太田-堂洞城-加治田城-富加駅で4時間半
バテました

内匠助良澤様[2016年07月06日]
富加町郷土資料館に解説パンフレットがあるぞ。堂洞城との合戦のことも載ってるぞ。寄ると良い!

三河守コーキしゃん様[2013年02月10日]
登城口のある「清水寺」にトイレと駐車場があります。

登城口からおよそ20分程山道を歩き、5分程山を登ると城域に入ります。(各所に標識あり)

東のニノ曲輪の虎口には石積みがあり、堀切や曲輪等、結構残ってました。

麓の東公民館の東側に、今はコンクリートで固められていますが、当時捨堀だった溝が残っています。

日光人様[2012年10月31日]
清水寺二天門から登山道(加治田城登城口)があり登り口100㍍程迄は舗装されていましたが、それ以降は殆ど手付かずの山道‥
中腹辺りから倒木や岩がが多く道も分かりづらいので注意!目印のリボンが有るので見失わない事。
日が高いうちに登城する事をお勧めします。

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