高富陣屋(たかとみじんや)
高富陣屋の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 岐阜県山県市高富1287
旧国名
- 美濃国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 本庄道昌
築城年
- 文化3年(1806)
主な改修者
- -
主な城主
- 本庄氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑(陣屋の跡)
周辺の城
-
鷺山城(岐阜県岐阜市)[6.2km]
岐阜城(岐阜県岐阜市)[6.9km]
黒野城(岐阜県岐阜市)[7.1km]
大桑城(岐阜県山県市)[7.7km]
更木陣屋(岐阜県各務原市)[9.8km]
加納城(岐阜県岐阜市)[11.0km]
北方城(岐阜県本巣郡)[11.0km]
鏡島城(岐阜県岐阜市)[11.2km]
川手城(岐阜県岐阜市)[11.4km]
野口館(岐阜県各務原市)[11.5km]
高富陣屋の口コミ情報
2024年08月18日 VTR美濃守シゲ名城オフ会
高富陣屋
高富小学校北 公民館内に石碑有りますが遺構は残ってません
グルメ直ぐ側にある松月さん ボリューム満点お得なランチ有り私のオススメはしょうが焼き又は唐揚げ
2024年07月19日 ぺこたん副将軍
高富陣屋
細道を走ると、民家の合間にあります。神聖な場所です。
2023年02月14日 あだち西市正
高富陣屋
高富陣屋跡は今は何も無い状態です。高富小学校北にある美里会館駐車場内に石碑が建っているだけです。
2022年02月23日
高富陣屋
美里会館の敷地の片隅に「陣屋の跡」の石碑が1つあるのみです。高富陣屋と高富藩については、旧山県郡高富町が発行した『高富町史 通史編』に詳しい記載があります。
2022年02月13日 西倉木工助汝愚
高富陣屋
休日だと美里会館の駐車場が利用できました(平日に行ったら当たり前ですが美里会館の利用者さんの車で一杯)住宅地の中で道幅も狭く路駐はオススメ出来ません
2022年01月20日 オーイ!テツロ
高富陣屋
八百屋の娘が本庄家養女を経て大奥へ、、5代目将軍綱吉の生母・桂昌院。よもやよもやの玉の輿~!にあやかった本庄道章は6000石加増の1万石大名に取り立てられ、宝永2年(1705年)「高富藩」が立藩します。
高富本庄家は、幾度も継子に末期養子を迎えながらも蛍大名、いや、定府大名としての家格を繋ぎます。しかし、その格式を維持するがために藩財政は困窮し、、幕末の10代目までに20万7400両もの借財を抱えて破綻します。
ここの陣屋は簡素な建屋ながら、松の大木と土塁が囲み、街道と堀で防衛されていたと云われます。質素・倹約をみせながらもその城構えは、負担を強い続けた領民からの一揆反乱を恐れてのものだったのでしょうか?、、
土塁は残りませんが、領民との心の土塁も取り除けれたのでしょうか、、解説も顕彰もない陣屋址の石碑は何も語らず、、、
2021年09月27日 左近衛少将桜姫
高富陣屋
美里会館内に石碑があるのみ。しかし、道は狭くてカクカク折れ曲がっていて用水路が巡っているし、南に高富小学校があって、かつての陣屋を妄想できます。
城めぐ二ヶ月目にしてようやく、地形からここに城がありそうだな〜と考えれるようになりました。ニヤニヤ。石碑に蓑虫がひっついてて、和みました。
2021年03月03日 野良犬しろチロ丸
高富陣屋
公共施設の中にあります。
駐車場はないですが、田舎なので少しなら路上駐車できます。
2021年01月22日 とんかつおやじND
跡部城[高富陣屋 周辺城郭]
跡部城は、戦国時代跡部将監頼利が天文十年築城し、永禄五年まで居城していた。美濃源氏、土岐氏の流れをくむ跡部将監頼利は、美濃国守護土岐頼芸に属していたが、大桑城落城とともに土岐氏は滅亡し、その後斎藤道三に従った。弘治二年斎藤道三とその子義龍との長良川合戦には、義龍方に加わり、子、貞頼と共に功をたてたという。永禄七年織田信長の美濃攻めにより、跡部城は恵利寺とともに焼失した。跡部城は中世の地方豪族の館と思われ、城の遺構は今は何もないが、宅地造整されるまでは、この付近を地元ではお屋敷と呼んでいた。なお、恵利寺を再興した大和尚物堂宗接禅師は跡部将監頼利の曽孫である。
武芸川町教育委員会設置看板より
2020年09月14日 とんかつおやじND
大龍寺[高富陣屋 寺社・史跡]
大龍寺(だいりゅうじ)は、岐阜県岐阜市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は金粟山(きんぞくさん)。
通称「だるま観音」。岐阜市の北端にあり山県市高富と隣接することから「高富大龍寺」とも呼ばれる。
土岐氏、稲葉一鉄ゆかりの寺である。
永禄年間(1558年 - 1570年)、別伝の乱(美濃国で起きた禅宗の宗派の争い)の折、大龍寺の五世龍谷は斎藤義龍に加担し、快川和尚をはじめとする多くの禅家と争うが敗北し、本山妙心寺から除籍される。その為一時廃れたが、天正年間(1573年 - 1592年)、再興される。
ウィキペディアより
稲葉一鉄関連の所蔵品多数
一般公開は年に何度かあるようです
高富陣屋から近く達磨観音が画像映えします
2020年08月16日 美濃守やすのすけ
高富陣屋
猛暑の中、リア攻めしました。美里公民館の敷地内にあります。公民館の駐車場を利用させていただきました。石碑があるのみです。
先人の方々の投稿写真と違い石碑の周りの草木は綺麗に剪定されていました。
2016年08月24日 青コアラ美濃守
高富陣屋
高富小学校北の美里会館に石碑があるのみです。駐車場もあります。ま、一瞬で見終わりますが…