黒野城(くろのじょう)

黒野城の基本情報

通称・別名

所在地

岐阜県岐阜市黒野388

旧国名

美濃国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

加藤貞泰

築城年

文禄3年(1594)

主な改修者

主な城主

加藤貞泰

廃城年

慶長15年(1610)

遺構

曲輪、土塁、横堀(水堀)

指定文化財

市史跡(黒野城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

鷺山城(岐阜県岐阜市)[2.7km]
北方城(岐阜県本巣郡)[3.9km]
鏡島城(岐阜県岐阜市)[5.2km]
岐阜城(岐阜県岐阜市)[6.0km]
高富陣屋(岐阜県山県市)[7.1km]
軽海西城(岐阜県本巣市)[7.1km]
加納城(岐阜県岐阜市)[7.4km]
川手城(岐阜県岐阜市)[8.0km]
相羽城(岐阜県揖斐郡)[8.0km]
伏屋城(岐阜県羽島郡)[10.5km]

黒野城の解説文



黒野城(くろのじょう)は、現在の日本の岐阜県岐阜市に、戦国時代から江戸時代にかけて存在した日本の城である。

美濃国方県郡黒野の地に豊臣秀吉の命で加藤貞泰が築城。徳川家康の時代まで1代わずか16年間の存在だった。

概要 

黒野城は平城で本丸を中心に二の丸、三の丸と三重の堀に囲まれた輪郭式の曲輪。 規模は東西約1,000m、南北約800m。

外堀の土塁は防御に適した凹凸形状の横矢構造で、要所には門、神社や寺院が風水思想で配置されていた。 郭内は二ノ丸・広小路・役所・道場・馬場・蔵屋敷など城の施設と、家臣196家の屋敷などが並んだ。

主な屋敷は土塁・堀に囲まれ、外敵に備えた環濠集落に似た構造である。南西側には、15の町屋敷が整然と配置されていた。

本丸の規模は約110m四方の方形。その土塁は高さ約5m、幅約15mの堀に囲まれていた。 入口は枡形虎口で織豊系城郭の特徴があり、現在の城址碑付近に石垣に囲まれた城門と橋があった。 本丸土塁上の北西と南東隅には櫓が設けられていた。

歴史 

1594年(文禄3年)、加藤貞泰により築城される。

加藤景泰(貞泰の祖父)は土岐氏に仕え、美濃国橋詰庄で70貫の地を領していたが、加藤光泰(加藤貞泰の父)は斎藤龍興、豊臣秀吉に仕え、甲斐国24万石を与えられている。光泰は文禄の役に出陣したが、朝鮮で1593年(文禄2年)に病死する。

子供の貞泰は幼少であるという理由で、美濃国厚見郡・方県郡4万石に削封されてしまった。加藤貞泰は領内の寺院を仮の住居とし、黒野城の築城に着手した。

1600年(慶長5年)、石田三成と徳川家康が対立すると加藤貞泰は西軍側の岐阜城城主織田秀信につき、竹中重門(正室は貞泰の姉)ら美濃の武将らと共に犬山城の加勢に入った。また、弟の平内を江戸の徳川家康の下に人質として差し出した。 しかし、貞泰らは以前から石田三成に恨みがあり[1]、貞泰は加勢衆を東軍に味方するように説得し開城させた。この働きは家康から貞泰宛の5通の書状[2]から、関ヶ原前哨戦での重要性を伺うことができる。 岐阜城が落城すると貞泰は西軍の大垣城の押さえとして本田(ほんでん)村に布陣した。

関ヶ原の戦いでは黒田長政、竹中重門と共に岡山(丸山)烽火場に布陣し、本戦では島津隊と戦う。貞泰は戦後、家康より黒野城と4万石は安堵された。また、加藤家の働きに対して弟平内は美濃国内で3,641石を賜り加増された。[3]

加藤貞泰は城下町を整えると共に治水事業を行い領内の生産を高め、1610年(慶長15年)正月に楽市の免許を町屋敷に出した。また町人に対して土地の年貢と諸役を向こう5年間免除するとした。

1610年(慶長15年)、加藤貞泰は伯耆米子藩6万石へ加増移封され、4万石の領地は加納奥平氏領となり黒野城は廃城となる。前述の政策もわずか半年の実施となった。

一説によれば、貞泰が長良川右岸の堤防整備を行った結果、長良川左岸の加納領が浸水したと、加納藩主奥平信昌の正室・亀姫が実父・徳川家康に訴えたため、貞泰は米子へ国替となったという。

現状 

  • 黒野城跡地は岐阜市史跡に指定されており[4]、公園として整備されている。
  • 本丸跡地はグラウンドとなっており、幅約15mの水堀、高さ5m傾斜45度の土塁、石垣などに使われた石材が残っている。
  • 現在の南側土塁は削られていた物を昭和時代に再造成されたもので、造成の際に南側に橋、南西部は遊具が設置され虎口の原形の面影は少ない。
  • 本丸北の多賀神社裏手に、東西に650m、幅約4~5m、高さ約2mの空堀跡が残っている。さらに西約400mには土塁がL字形状に現存している。
  • 古図の外堀は現在では水路となっている場所が多数ある。また周囲には「二の丸」「惣門口」といった地名も残っている。
  • 2013年から発掘調査が進められており、2014年、入り口部分にて黒野城ではじめて石垣列が出土し、枡形虎口が確認された。[5]
  • 2015年の調査では石垣列の南で瓦の破片が出土し、城門などの建造物が存在したことが明らかになった。[6]

交通機関 

岐阜バス黒野線「黒野城跡前」下車、徒歩約5分

  • JR岐阜駅バスターミナル(岐阜駅北)
8番のりば「御望野」「宝珠ハイツ」「西秋沢」「本巣市役所」行き
  • 岐阜バスターミナル(名鉄岐阜駅南)
Eのりば「御望野」「宝珠ハイツ」「西秋沢」「本巣市役所」行き

黒野城の口コミ情報

2022年12月05日 ▷☽◁猫耳萌え▷☾◁
山口城[黒野城  周辺城郭]



岐阜県本巣市の権現山、祐向山の尾根上に山口城、法林寺城、祐向山城が連なるように築かれています。城下は谷汲街道と根尾街道が交差する要衝に当たり、山口城(標高345㍍)からは濃尾平野が一望できます。現在は文殊の森公園として整備され、尾根伝いに散策することができます。
江戸時代に書かれた「美濃国諸旧記」には、鎌倉時代に梶原景時が築城したとも書かれていますが、山口城の築城年代や築城主などの詳細は不明です。山頂には削平された曲輪や、それを取り巻く腰曲輪が残っており、それらの形状から16世紀前半の築城と考えられています。また山口城は戦国武将 古田織部の誕生の地とも伝わり、西麓には山口城主居館跡もあります。実際に織部がいたという確証はないものの、地元には伝承も残り、織部の名を冠した樽見鉄道の駅があります。
山口城御城印に添付された山口城のご説明より。

写真は、山口城主居館跡の南側辺りからの遠望です。

2022年12月05日 ▷☽◁猫耳萌え▷☾◁
山口の条里跡[黒野城  寺社・史跡]



大化の改新(645)で口分田を公民にあてがうための地割として、条里制が実施された。山口を起点として十九条(穂積町)まで、条里の跡を見ることができる。
石碑裏面の碑文より。

道の駅 織部の里『もとす』駐車場(道路を挟んだ東側)の南側片隅に石碑があるのみ。

2022年05月21日 とんかつおやじND
鵜飼山城[黒野城  周辺城郭]



御望山 鵜飼山城があったとされてます。 土岐頼芸の嫡男太郎法師の傅役の村山芸重が居城としていた。芸重は 中島監物政重、国島相模守隆重と共に 土岐の三将と称された重臣
 
鵜飼山城 

①斎藤利政との争いの際に 籠城。

②斎藤龍興が竹中半兵衛や安藤守就らによって稲葉山城を占拠された時に 鵜飼山城、祐向山城、揖斐城と逃走。その後 鵜飼山城に兵を集め 稲葉山城奪回の機会を窺う…が 半兵衛らに稲葉山城は返還された。

の2回歴史に登場しています。

山頂西側に堀切らしき遺構と東側に竪堀らしき遺構がみられました。稲葉山城はよく見え 中々の景観…監視できます。

2022年04月14日 テツロ
黒野城



里山環境でもなかなかみられなくなったニホンタンポポですが「城域」という空間にて自生が認められることがあります。

黒野城址においては、地元有志の方々の城愛と土塁によって、トウカイタンポポの自生が確保されています。なお、写真案内板「黒野城に咲くタンポポの物語」によると、城主であった加藤貞泰公の国替え先の鳥取:米子城や愛媛:大洲城にも、その時持ち込まれたトウカイタンポポが自生しているとか、、

「殿、黒野のタンポポがずっと御供いたしますぞ」歴史的記録のない妄想ですが「ういやつめニヨニヨ、、」と返したくなるお話かな 、、、

2022年04月05日 とんかつおやじND
岩利城[黒野城  周辺城郭]



「美濃國諸舊記」によると方縣郡岩利の城主は 大岡左馬助家師とあります

天正十二年四月徳川家康は、豊臣秀吉の兵を尾張・長久手で破った。この時池田元助は豊臣方に味方して戦死 岩利城の兵も破れて、岩利まで逃げ帰り北洞の山中に隠れた。家康方は岩利城と、その館・安楽寺を焼き払った。

安楽寺東側用水路の東脇道を北へ 裏山を回り込み西側尾根切通から南直ぐに 堀切あり両側は竪堀となって 土橋右手に土塁で左虎口 尾根南先端に虎口らしき竪堀風遺構あり

2021年11月06日 はっとにんにん右近衛中将
黒野城



本丸跡は草野球にぴったりなグラウンドになっているんですね^_^ 近くの支留琵亜(喫茶店)で入手した黒野城のパンフレットによると、城主だった加藤氏は施策に優れていたようですね。その後、米子→大洲へと渡り歩かれたとあります。

2021年07月31日 【城郭道】たっきー
山口城主居館[黒野城  周辺城郭]



織部駅より西の木々が生い茂っている場所が守護クラスの人間の居館だったと言われる山口城主居館です。一辺100メートル四方で土塁、堀が確認できます。フェンスの付近には石碑があります(我は確認できず)。

中に入りたいですが、獣道となっていて、虫もたくさんいそうでしたし、何より暑かったので断念しました。冬に挑戦すると良いです。と言っても、中に勝手に入ることはできないんですけどね。居館西南あたりにはには鉄宰(スラッグ)が散乱しているそうです。勝手に持ち帰らないでくださいね。

一説では、ここで茶人・古田織部が探していたのではないかと言われています。道の駅には、古田織部に関する展示や資料があるので、是非見ていってください。

今度は北東にある山口城行きたいですね。蜂、熊、蛇の城攻め三大要注意生物がいる可能性が低い冬が山城に行くには、一番ですかね。

2021年07月31日 【城郭道】たっきー
山口城御城印[黒野城  御城印]



道の駅織部の里には山口城の御城印が販売されています。ちなみに、道の駅の北東の山が山口城で、西の木々が生い茂っているところが山口城主居館です。
一枚300円。道の駅の商品棚に引換券があるのでレジは持ってってください。

2021年02月04日 とんかつおやじND
祐向山城[黒野城  周辺城郭]

祐向山城(いこやまじょう)は岐阜県本巣市に存在した中世の日本の城(山城)。

城の位置する法林寺集落の北側には3つの山があり、地元では東の城、中の城、西の城と呼んでいた。このうち東の城・中の城の山は祐向と呼ばれ、東の城を文殊城、中の城を祐向山城、西の城を山口城に比定する説もある。このうち文殊城の西の城を祐向山城といい、土岐氏の砦であるともされる。また文殊城の別名が祐向山城であり、同一の城だという説もあるが真偽は不明。

弘安年間頃には、藤崎行長の次男で美濃国守護代の藤崎泰綱がこれらの城の城主だったとされる。戦国時代には斎藤家の家臣・長井利安が居城とし、また斎藤道三も一時は拠点とした。道三の孫・斎藤龍興は1564年(永禄7年)に稲葉山城を一時退去し、この際に祐向山城を経て揖斐城に移ったという。1568年(永禄10年)、織田信長の美濃侵攻に伴って祐向山城は滅ぼされた。
ウィキペディアより

2021年02月02日 とんかつおやじND
山口城[黒野城  周辺城郭]

山口城が建っていたこの山を権現山といいます。
「美濃国諸旧記」によると梶原景時が城主であったといいます。
また、麓には一町四方の「山口城主居館跡」があります。武将クラスの屋敷跡と考えられ、今も土塁、堀等がはっきりと残されています。戦国武将・茶人古田織部がこの地で誕生した説もあり、この居館に住んでいたかもしれません。
この山の標高は345mあり、曲輪、虎口等の跡が残されています。
山頂には平に整地された平場が残り、主郭跡の周りに幅2〜6mの腰曲輪があったと考えられます。
南東100mの場所には急激な起伏を超えて中ノ城があり、主郭と合わせて山口城であったと考えられます。
本巣市教育委員会現地看板より

正直言うと東の掛洞城、祐向山城と比べると見応えある遺構は少ないかな…。

2021年01月27日 とんかつおやじND
祐向山城[黒野城  周辺城郭]

この城で一番知られているのは 永禄七年に竹中半兵衛に稲葉山城を占領された際に、城主斎藤龍興が逃れた城として挙げられている。

2021年01月27日 とんかつおやじND
掛洞城[黒野城  周辺城郭]



掛洞城、祐向山城、法林寺城、山口城は尾根続きになります。起伏はかなりあり
遺構は掛洞城が見応えあり
掛洞城と祐向山城は15分ほどしか離れてませんが あとは…

2021年01月27日 とんかつおやじND
龍峰寺[黒野城  寺社・史跡]



龍峰寺は岐阜県岐阜市奥にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は廣徳山。北方城主安藤守就の菩提寺である。

戦国時代に北方城主の安藤守就が、弟の湖淑を開山として一族の菩提寺として北方に建立した。正確な創建年は不明で、湖淑の法系も伝わっていない。その後、天正10年(1582年)に北方城が稲葉良通により攻められた際に城と共に兵火により焼亡した。湖淑は本巣郡の奥村まで逃れ、安藤守就の菩提を弔い寺院を再興した。湖淑和尚の没後は住持を欠くが、明暦年間に越前国報恩寺の別川和尚が住持となる。その法嗣、蜜外和尚は人里離れた山上から麓に寺を移した。天和3年(1683年)に乙津寺の鉄錐和尚を住持に招いたのちその法が受け継がれた。寺宝として湖淑和尚の肖像を所蔵し、安藤守就の墓が本堂裏手の山に建っている。
ウィキペディアより

裏手の山麓にお墓あります
掛洞城へ登城できますが、すぐに道は無くなり 足場を探しながらの急登になり おすすめはできません

2021年01月26日 とんかつおやじND
掛洞城[黒野城  周辺城郭]



東から登り城域を最初に感じる 土塁
今山頂につき 詳しくは後ほど

2020年10月11日 くっしー主計頭尚人
黒野城



土塁が美しいお城です。本丸だけではなく北側の外堀が用水路として残っていますし、北東の端っこには土塁も残っています。
何より地元の黒野城と加藤貞泰公研究会が積極的に活動されており、地元の尽力によって維持されている史跡です。
駐車場はないので注意して下さい。

2020年08月26日 VTR美濃守シゲ楽々有子
黒野城



駐車場
土曜、日曜は近所の会社駐車場に停めることが出来ます、本丸まで行くと手作りの案内板あり

本丸は土塁に囲われていて土塁の上をぐるっと一周出来、水堀と土塁を楽しめます

本丸に有る説明板と地図を頼りに外堀と土塁を見に、宅地化した中に残る空堀とL字の土塁、当時の城域の大きさを感じました

2020年05月23日 【城郭道】たっきー
トイレ[黒野城  トイレ]



黒野城本丸西にあります。隣には石碑や説明板、パンフレットがあります。

2019年11月04日 マサキ兵部大輔
黒野城



近くに個人で開いている資料館があり、手作りながら見応えがありました。

2019年08月27日 W杯関白キッカーは晃司
黒野城

北西から本丸の土塁と水堀を眺めて撮影しました。

こぢんまりとした城で、本丸はグラウンドになってますが、遺構は良好に残ってる方だと思います。

2019年05月04日 しげぽん
黒野城



本丸を囲む土塁。本丸内はグラウンドとして解放されている。
駐車場は特にないが、公園入り口の隅に駐車しました

2017年06月20日 青コアラ美濃守
黒野城

本丸虎口には石垣が使われていたようで、説明板の裏にある石材には矢穴があるものも見られました。
今は虎口に2本の橋が架かっていますが、南側の橋は昭和に新設されたものです。

僅か16年しか存在しなかった割には外郭の遺構までよく残っています。外堀の跡はそのまま水路として随所に残り、特に多賀神社の裏の堀は水こそありませんが深くて見応えがあります。また、ここから東へ300m程の所に屈折した土塁も残っています。(説明板あり)

休日の駐車場については先人が書かれている通りですが、平日は本丸の西南、二ノ丸資料館の駐車場が利用できます。どちらもご厚意によるものですので、マナーを守って使わせて頂きましょう。


2016年08月11日 永久楽武蔵守マクシミリアン
黒野城

1.5キロまで近寄らないと取れず「どうして?」と思い、どうせならとリア攻めした。いやー良い城跡でした。本丸とか二の丸とか住民?による手作り感のある表示看板があちこちに。本丸跡は内堀跡に囲まれ、土日は脇の会社の駐車場が使えます。トイレもきれい(妻談)でした。住民に大事にされてる感があり、パンフレット(本丸跡にあり)によると、城主の加藤貞泰の善政を慕ってのことらしい。

2016年02月12日 まるき〜
黒野城

どーぞ見ていって下さいと
アピール感を感じる城跡
城内に野球のユニフォームを着た人達が…かつて本丸のあった所はグラウンドに虎口には遊具が設置されており小さいお子さんが遊ぶ空間に
本丸(グラウンド)を土塁で囲う形になっていて土塁上の二ヶ所に櫓跡の案内板が設置されていました。堀はやや埋められて浅くなってしまっているが土塁も立派です
城内のあちこちに手書きの案内があったりと、近隣の方々が自分達の手でこの城を守っている!という感じが伝わってきます
近所に私設の資料館があるらしいのですがパンフレットを読むと事前予約が必要みたいです
武家屋敷跡や馬出し、広小路跡等お手製のプレートで案内されており当時の場所を想像しながら楽しめる城跡、城下だと思います。
パンフレットは城址案内板の所のポスト内にセルフサービスで
駐車場は土日祝のみ城址の奥 南西にある平成医療専門学院の駐車場が使用できるようです
フラっと立ち寄りサクッとみて回れる城址跡でした。

2011年01月25日 June02
黒野城

住宅地にある平城としては、堀も残っており自治体に感謝です。
内堀周囲と土塁上を歩くだけでも、土塁の美しさと迫力を、また、高さをそれぞれ感じる事ができました。また、土塁上は隅櫓台跡を想わせる場所が2ヶ所あり、本丸跡入口では、桝形?虎口を想像してしまいました。
さらに、多賀神社裏手(北に徒歩5分以内)には、外堀と教えて頂いた水路?があり、神社を中心に東西に延びていました。
その外堀一部の写真をアップさせて頂きました。私見ですが、散策より探索の方が楽しめる城郭かも知れません。

黒野城の周辺スポット情報

 はつり仕上げの残る石材(遺構・復元物)

 南東櫓跡(遺構・復元物)

 北西櫓跡(遺構・復元物)

 山口城主居館説明板(織部駅)(碑・説明板)

 城趾碑、説明板(碑・説明板)

 掛洞城(周辺城郭)

 祐向山城(周辺城郭)

 法林寺城(周辺城郭)

 山口城(周辺城郭)

 山口城主居館(周辺城郭)

 文殊城(周辺城郭)

 鵜飼山城(周辺城郭)

 岩利城(周辺城郭)

 黒野城(周辺城郭)

 文殊陣屋(周辺城郭)

 龍峰寺(寺社・史跡)

 山口の条里跡(寺社・史跡)

 祐國寺(寺社・史跡)

 山口城御城印(御城印)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(道の駅織部の里)(駐車場)

 山門ギャラリー(関連施設)

 織部展示館(関連施設)

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