黒野城外堀跡(多賀神社)
黒野城外堀跡(多賀神社)([黒野城 遺構・復元物])
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黒野城外堀跡(多賀神社)の口コミ情報
2024年07月05日 前田利家猫耳メイド萌
多賀神社
創建は800年程前と推定。城を守る宮になる。明治に多賀神社、諏訪神社、神明神社を合祀する。
樹齢750年の大杉(神木)は伊勢湾台風で倒木。祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)。
寛永十二年(1635)以来の棟札34枚が拝殿に掲げられている。
外堀跡
多賀神社の裏側に、幅約4〜5㍍、高さ約2㍍、東西に650㍍の空堀跡が残っている。
鳥居横にあった掲示物より、一部抜粋。
多賀神社 由緒及び沿革
祭神 伊弉諾尊建御名方尊天照大神 当神社は古来より延命長寿と農耕氏子安全の神として尊崇せられ、此の地に鎮めしめられしと伝へられる。
由緒 創設年月日は判然としないが、祭神は今より凡そ八百年程前に鎮座と推定されます。昭和三十四年秋の伊勢湾台風に倒れた大杉の御神木(圓周)二丈七尺余り。 黒野三大老木の一本で樹令、七百五拾年と言はれて居り、設立以来の長き歳月を物語て居ます。
沿革 明治□□年、諏訪神社・神明神社との合併を期に神殿・拝殿・渡り殿の造営に着手し完成。明治四拾参年春、折立北浦並に古町地区より、遷宮祭を修行せらる。以来、神饌□帛料供進指定神社となる。
本殿 間口壹間参尺四寸、奥行壹間四尺五寸
拝殿 間口四間八寸、奥行参間八寸余り
境内 面積八百壹坪、境外山林 参反弐畝拾四歩
石碑碑文より。
神社の裏側には、しっかり残る空堀が確認できます。