鷺山城(さぎやまじょう)
鷺山城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 岐阜県岐阜市鷺山
旧国名
- 美濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- 不明
築城主
- 佐竹秀義
築城年
- 文治年間(1185〜1190)
主な改修者
- 斎藤義龍
主な城主
- 土岐氏、斎藤氏
廃城年
- 弘治2年(1556)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
黒野城(岐阜県岐阜市)[2.7km]
岐阜城(岐阜県岐阜市)[3.3km]
鏡島城(岐阜県岐阜市)[5.0km]
北方城(岐阜県本巣郡)[5.6km]
加納城(岐阜県岐阜市)[5.6km]
川手城(岐阜県岐阜市)[6.1km]
高富陣屋(岐阜県山県市)[6.2km]
更木陣屋(岐阜県各務原市)[7.9km]
伏屋城(岐阜県羽島郡)[8.2km]
軽海西城(岐阜県本巣市)[9.0km]
鷺山城の解説文
[引用元:Wikipedia「鷺山城」の項目]
鷺山城(さぎやまじょう)は、岐阜県岐阜市にあった平安時代末期または鎌倉時代から戦国時代にかけての日本の城。標高68メートルの鷺山の山頂にある。麓には福光御構(蝉土手城館)が築かれていた。
歴史
鎌倉時代の文治年間(1185年 - 1190年)、佐竹常陸介秀義が築城する。
室町時代、美濃国守護大名である土岐氏が文和2年(1353年)に川手城を築城するとその支城となったとされる。
永正6年(1509年)土岐政房の命で斎藤利綱が福光御構の普請を行っており、川手城から鷺山城に美濃守護所が移された。
永正16年(1519年)に土岐政房が死去すると、政房により追放されていた土岐頼武と守護代・斎藤利良は越前国の大名朝倉孝景の支援を受けて、福光御構、鷺山城、池戸城を落とし、福光御構に入った。大永5年(1525年)には、頼武の弟・土岐頼芸に鷺山城が占拠され、翌年迄に頼武は鷺山城を奪い返している。この内訌は享禄3年(1530年)まで続いたが、長井長弘や長井新左衛門尉(斎藤道三の父)に支援された頼芸方が勝利し、頼武は大桑城に入っている。
天文元年(1532年)頼芸は枝広館(現:長良公園)に移ったが、天文4年(1535年)の大洪水により枝広館は流された。
なお、同年には斎藤道三と小見の方(明智光継の娘)との間に濃姫が生まれて[1]、1548年(天文17年)、道三が家督を息子の斎藤義龍に譲ると鷺山城に隠居し、濃姫は天文18年(1549年)2月24日にここから尾張国の織田信長に嫁いだので、鷺山殿と呼ばれている。
しかし義龍は、道三が義龍の弟(斎藤龍定)に名門一色姓を名乗らせたことから、弟に家督に譲るつもりと思って、1555年(弘治元年)、道三を鷺山城から追放する[2]。翌1556年(弘治2年)、義龍は道三を攻め滅ぼし、これを討ち取った(長良川の戦い)。この戦いの後、鷺山城は廃城となったとされる。
歴代城主
佐竹氏
- 佐竹秀義
土岐氏
- 土岐政房:美濃守護。父土岐成頼と弟土岐元頼を倒し家督を継いだ(船田合戦)。
- 土岐頼武:政房の子。越前朝倉氏の支援により、父の政房や弟の頼芸と争った。
- 土岐頼純:頼武の子。頼武と頼芸の和睦により守護に就任したが1年で死去した。
- 土岐頼芸:政房の子。兄・土岐頼武に勝利し守護に就任したが、斎藤道三に下克上された。
斎藤氏
- 斎藤道三:頼芸の家臣。長良川の戦いにより、嫡子斎藤義龍に敗れ戦死した。
現状
1964年(昭和39年)、東海道新幹線や名神高速道路の建設用土砂の採取のため鷺山城があった鷺山の一部は削り取られ、この時鷺山城の礎石と思われる石が発見されている。
一部は削り取られたが、城跡は保存され、土塁、堀等がある。岐阜市鷺山水門社宅2棟傍に、山から伸びた土塁の一部が残る。館跡の物と思われる。
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鷺山城の口コミ情報
2024年08月04日 図書頭RedKing
鷺山城
長良川の対岸に高く大きく見えるのが岐阜城です。倅に家督を譲り、毎日、日の出の方角を仰ぎ見てマムシの道三は何を思ったのでしょう。登城口はこちらの鷺山公園からモックンもした北野神社を参拝してから。
長良鷺山と言うと、地元では川島紡績と言う行幸啓もあった大工場がショッピングモールに大変身をしています。登城する便益施設はこちらにお世話になった方が安心です。太陽光発電設備越しに見える立体大駐車場です。
標高も周辺住宅地からの比高も二桁の低山ですが、分類は中世の山城ですからお覚悟の上、登城下さい。獣、水はありませんが、この時期は対熱のみならず対日射もご注意下さい。
2024年07月06日 前田利家猫耳メイド萌
土居城[鷺山城 周辺城郭]
築城時期、来歴等は不明。
城主は、土居駿河守頼継と伝えられる。
城田寺城の戦いの際に、石丸利光が杉山氏を率いて陣していたが、戦況が不利と判断し土居の陣を焼払い、城田寺城に撤退、その後、土居には村山氏が入ったとされる。
土居城は、青山中学校の西側辺りに築かれていたとされるが、現在は店舗、宅地、畑地となり、遺構は残っていない。
上土居城については不明だが、城田寺城の周辺には、小山城があり、更に東側の鶴山に城田寺城の戦いの際に、鶴山城(鶴ヶ峰砦)が築かれたらしい。
写真④が、土居城から上土居城方面を望む。
2024年03月08日 とんかつおやじND
上土居城[鷺山城 周辺城郭]
土岐頼康が川手城を築き長森城から守護所を移す時 守護所を守る支城として土居(大野)宮内少輔直氏が土居城を築いたらしいが その子 土居詮直は応永の乱 の時 謀反側につき 討ち取られた
その後 土岐成頼の口利きで日野等四家をして通繁・繁直兄弟を土居城主にして家名を再興
土岐氏の跡目争いである船田合戦で石丸方の杉山光俊が土居城を陣として使用
城主は「美濃國稲葉郡志」によれば 土居駿河守頼継(原右京亮とも称す)
と書きましたが これは全て 土居城または下土居城と 土居氏に纏わる話で 上土居城に関して文献等にはでてい無い
が…
遺構は残っている
土居城の詰城だとの説が有力 時期に関しては 勿論 船田合戦の 特に城田寺城の戦いに使用されたのではないのか❓と思う 城ヶ峰の上城田寺城 麓の城田寺城と舎衛寺 小山城 上土居城 土居城この辺りを全て利用しても まだ足りない位かも
城田寺城から上土居城までは尾根伝に6〜700m程の距離
登城
南側の熊野神社西側の林道を100m位登ると西側の尾根から竪堀状の窪みが落ちてる この堀底を登り尾根にでて北西側ピークを目指して100m程登ると虎口にでます
曲輪は二段になり奥が主郭らしきで祠がありすぐ裏に浅い土塁 その北側斜面に竪堀風地形となってました 二段の曲輪東側は武者走り風に通路が通り北尾根に続く 北尾根には二条の微妙な堀切がある 城と言うよりは見張り砦といった感じか 下段の曲輪からは岐阜城が見えます
画像は 上土居城の下段曲輪から見た岐阜城
2024年01月07日 伊東内蔵頭胤康
鷺山城
鷺山城は鷺山という山に築かれました。頂上までかなりではありませんが大変でした。中級者〜上級者レベルしかし登山道は整備されていて歴史を感じるところだったので体力に自信のある方は行ってみて下さい。
2023年04月11日 尼崎城駿河守一口城主
鷺山城
4月9日、18きっぷで岐阜駅に移動し🚃岐阜駅から昔のアルバイト先の方に連れて行ってもらいました🚙北側の石碑や説明板(写真①②)のあるところから登山開始。標高68mの小山だったので約10分で<鷺山城跡>(写真③)の石碑や説明板(写真④)のある所に到達しました。道中、地元の小学生が描いてくれたと思われるメッセージ付きの絵🎨があり「あと少しで山頂です。がんばってください❗️」という絵にホッコリしました🍵
山頂の石碑から東屋方向を見るとまだ桜🌸が散らずに残っており(写真⑤)行ってみたところ、東屋からは岐阜城🏯⛰や金華山ロープウェイ🚡がよく見えました(写真⑥)岐阜城の下の方に見える照明設備のある所が長良川球場⚾️だと教えてもらいました。東屋付近にも説明板(写真⑦)があり道三が岐阜城を子の義竜に譲って隠居城にしたとありましたが、現地で岐阜城方面を眺めてみると岐阜城との距離感がよく分かり、私的には近く感じました。
城山からは伊吹山方面も見渡せて(写真⑧)説明板にあったように展望の良いお城だったことが感じられます。
山頂への階段が何ヵ所か見受けられ登山ルートは複数箇所ある城山のようでした。
2022年10月05日 RED副将軍
鷺山城
斎藤道三、濃姫、土岐氏ゆかりの城跡🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
文治年間(1185年〜1190年)に佐竹秀義により築城されたと云われます。
1353年には美濃国守護の土岐氏が川手城を築城するとその支城となりました。
1509年、土岐政房の時代には川手城から鷺山城に美濃守護所が移されます。
1519年に土岐政房が没すると、家督を承継した次男の土岐頼芸と、土岐政房により追放されていた嫡男の土岐頼武との内紛が勃発。
土岐頼武と守護代の斎藤利良は越前国の朝倉氏の支援を受けて鷺山城と周辺の城を落とします。
1525年には土岐頼芸が鷺山城を占拠し、更に翌年迄に土岐頼武は鷺山城を奪い返します。
1530年まで一族の内紛が続きましたが、長井長弘や長井新左衛門尉に支援された土岐頼芸が勝利。土岐頼武は越前へと逃れました。
この支援をした長井新左衛門尉は斎藤道三の父です。
しかし1530年、斎藤道三により土岐頼芸は追放され、斎藤道三は稲葉山城に拠点を移したことにより鷺山城は衰退しました。
1548年に斎藤道三に濃姫が生まれ、家督を嫡男の斎藤義龍に譲ると鷺山城に隠居しました。
濃姫は1549年に織田信長に嫁ぎますが、鷺山城から嫁いだため鷺山殿と呼ばれました。
1555年、斎藤義龍は弟の斎藤龍定に家督を渡すつもりと考え、斎藤龍定を殺害し斎藤道三を鷺山城から追放。
更に翌1556年には斎藤義龍は斎藤道三を長良川の戦いで討ち取りました。
鷺山城はその後、廃城となったとされます。
見所
現在は鷺山公園として整備されています。
南北二つのピークに郭が配され、中央を空堀で分断されています。
城域の西側には竪堀を張り巡らせています。
麓には一部土塁も残ります。写真⑦
公園化により改変されている上に、公園整備がされておらずヤブが酷く、藪蚊が多かったです。駐車場もありません。
歴史的には有名ですが上記理由で★2としました。
2022年08月16日 ばらく~だ
鷺山城
斎藤道三ゆかりの城で、主郭下の東屋から岐阜城はじめ、岐阜市の街並みがよく見えます。ただし、夏季は蚊の襲撃がスゴいので、虫除けはしっかりしましょう。
2022年05月05日 長谷川兵部丞平蔵
鷺山城
斎藤道三の隠居で有名な鷺山城跡です。比較的道も整備されており、主郭まですぐに到達できますよ。麓の北野神社の西側に位置していますので参拝してからの攻城をおススメします。主郭から一段下がった曲輪から岐阜城がよく見えますが、主郭は木々で視界は不良です。堀切と土塁などが確認できますよ。
2021年08月04日 井伊治部少輔直憲
鷺山城
駐車場は無いと思ってください。コインパーキングも見つかりませんでした。公共交通機関がオススメです。バスに信長様のイラストが描かれてました。
2021年07月06日 北風
鷺山城
対岸の岐阜城から望む鷺山は丸い森です。登城口は色々あるようです。東側の神社から延びる集落道はいかにもの緩やかにくねくねしながら、道三町、養老町、織田町と続いて長楽橋詰の鵜飼屋へ出ます。神社本殿前の鳥居南に城跡の記念碑と山頂案内や幟が並びます。ハイキングコースは階段や手摺で整備されています。登って気付くのは、周囲が宅地化され廃屋の市営住宅もあります。駐車場は入りにくく便所等もありませんが鷺山公園だそうです。西隣の巨大ショッピングモールの方が安全かと思います。
2021年04月04日 野良犬しろチロ丸
鷺山城
鷺山から金華山の岐阜城がちいさいですが、しっかり見えます。
2020年10月12日 播磨屋大蔵卿
鷺山城
公共交通機関では岐阜バス市内ループ線の緑ヶ丘バス停が最寄り。登山口のある鷺山公園まで300mほど(2020年9月現在)
2020年09月19日 JC遠江守VD
蝉土手城館[鷺山城 周辺城郭]
Google Mapで「蝉土手城館跡」となっている地点に、スポットを置かせていただきました。1509年ころに守護所が川手城から福光御構に移転ました。蝉土手城館は、その福光御構に関連するものだそうです。
2020年09月15日 幸畑相模守辰之助
鷺山城
岐阜城をこちらから眺めたくて登城。雲掛かっていて残念。城山の周囲は、かつての城下が想像出来そう。
2020年08月31日 とんかつおやじND
船田合戦終焉の地・舎衛寺[鷺山城 寺社・史跡]
舎衛寺(しゃえいじ)は岐阜県岐阜市城田寺にある真言宗御室派の寺院。船田合戦終焉の地の碑がある。
船田合戦(ふなだがっせん)は、戦国時代前期に発生した、美濃守護土岐成頼の後継者を巡る斎藤妙純と石丸利光の合戦。近隣の近江・越前・尾張も巻き込んでの争乱となった。利光は29日に自分の切腹と引き換えに成頼と毘沙童の助命を書いた降伏の書状を包囲軍に送り、承諾の返書を受け取ると翌30日に利高と共に切腹した。毘沙童は13歳という幼少だったため罪を許され、後に出家、日運と改名した。成頼は元頼と共に城を出ると言って聞かなかったが、政房の説得を受けて6月16日に単独で城を出た。そして20日に成頼を加納城に奉じる一方で城田寺城に火が放たれ、残された元頼は観念して自殺、1年に渡る合戦は終結した。
ウィキペディアより抜粋
遺構は微妙です。鷺山と鳥羽川を挟んだ北側にあります
2020年08月25日 VTR美濃守シゲ名城オフ会
鷺山城
今回は心洞寺さんに声を掛けて車を止めさせていただきました。本堂と反対側に登城口有り、鷺山城説明板有ります。
登り始めて直ぐの竹藪に竪堀、登城路はそのまま堀切になっていて北郭と南郭に分けてます。北郭は立木も有り展望は望めず、夏は下草に覆われてます。
堀切より山頂本丸は、駐車場より10分程で到着。三角点有り。そのまま一段下がると南側の展望良い所に東屋有り、東側に金華山岐阜城を望めます。
30分程有ればグルリと一回り出来ます。
東側麓に館跡の土塁有りですが、市の閉鎖中建物内なので立ち入り禁止となってます、道路から眺めると言った所でしょうか。
2020年08月06日 【城郭道】たっきー
鷺山城
冬の少し暖かい時期に心洞寺より登りました。歩くと土塁と曲輪が見れます。その奥には墓地があり、さらにその奥へ行くと山頂への登城路があります。上へ行くと堀切や虎口などの遺構が見られ、山頂の主郭に着きます。
主郭には石碑や説明板などがあり、主郭から土橋を渡って行くと屋根付きベンチがあります。そこからは斎藤道三の稲葉山城(岐阜城)を臨むことができます。
斎藤道三ゆかりの地である鷺山城。
岐阜城に行ったついでにやってみてはいかがでしょうか?
2020年04月19日 我流尾張守クール
登山口[鷺山城 その他]
鷺山小学校の隣に鷺山公民館が在り、道路を挟んだ向かい側に説明板があります。私は公民館駐車場に車を止めさせてもらいました。
2020年03月18日 青コアラ美濃守
鷺山城
登城路は複数ありますが、鷺山南麓の北野神社から登りました。神社用の駐車場が1~2台分。隣の鷺山公園にも駐車場があるみたいですが未確認です。
山といっても低山なので10分もあれば登れます。山頂近くの説明板に、「遺構は無い」と断言されていますが、それを信じて退却するのはあまりにもったいない気がします。
石碑がある曲輪(主郭?)と北側の曲輪の間の地形は堀切にしか見えないし、主郭の西側斜面には畝状竪堀と呼んでもいいぐらい、何条も竪堀が入っています。(あくまで素人の見立てですが)
また、北野神社の北、今は閉鎖されている社宅の北側の棟の裏に、館跡の土塁の一部が残っています。
鷺山城の周辺スポット情報
居館跡土塁(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
説明板(碑・説明板)
鷺山城址(碑・説明板)
斎藤道三公慰霊之碑(碑・説明板)
蝉土手城館(周辺城郭)
鵜飼山城(周辺城郭)
上城田寺城(周辺城郭)
土居城(周辺城郭)
上土居城(周辺城郭)
岩崎陣屋(周辺城郭)
鶴山城(鶴ヶ峰砦)(周辺城郭)
小山城(周辺城郭)
船田合戦終焉の地・舎衛寺(寺社・史跡)
上城田寺第1古墳群(寺社・史跡)
上城田寺第2古墳群(寺社・史跡)
上城田寺第3古墳群(寺社・史跡)
上城田寺第4古墳群(寺社・史跡)
とんかつ倶楽部よこ家 長良店(御城印)
心洞寺駐車場(駐車場)
北野神社駐車場(駐車場)
登山口(その他)
登城口(その他)
登山口(その他)