大桑城(おおがじょう)
大桑城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 岐阜県山県市青波
旧国名
- 美濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 大桑又三郎
築城年
- 鎌倉時代
主な改修者
- 土岐定頼
主な城主
- 大桑氏、土岐氏
廃城年
- 天文16年(1547)
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- 市史跡(四国掘)
再建造物
- 模擬天守(ミニチュア)、説明板(古城山)
周辺の城
-
高富陣屋(岐阜県山県市)[7.7km]
黒野城(岐阜県岐阜市)[12.2km]
鷺山城(岐阜県岐阜市)[12.7km]
小倉山城(岐阜県美濃市)[12.9km]
岐阜城(岐阜県岐阜市)[14.4km]
北方城(岐阜県本巣郡)[15.7km]
関城(岐阜県関市)[16.0km]
相羽城(岐阜県揖斐郡)[16.9km]
神所城(岐阜県本巣市)[17.0km]
鏡島城(岐阜県岐阜市)[17.2km]
大桑城の解説文
[引用元:Wikipedia「大桑城」の項目]
大桑城(おおがじょう)は、岐阜県山県市大桑・青波・富永地区の境にあった鎌倉時代から戦国時代にかけての日本の城(山城)。標高408メートルの古城山(別名・金鶏山)の山頂付近に存在した[1]。
概要
美濃国守護・土岐氏の守護所が置かれた城。古城山の山頂付近が本丸であり、その南に二の丸・三の丸が続き、400メートルにわたって曲輪が連なっていたと推定される。現在も曲輪、土塁等の遺構が残る。南麓(現在の市場、椿野、市洞)には城下町があって栄えたという。城下町は越前国の朝倉氏の一乗谷城の城下町を参考にしたものであり、江戸時代まで残った。
歴史
『美濃国諸旧記』によれば、逸見義重が承久3年(1221年)の承久の乱での功績によって大桑郷を領地とし、子の大桑又三郎が大桑城を築いたとされる(1250年頃か)。また、守護・土岐成頼の3男の土岐定頼が明応5年(1496年)に改築し、大桑兵部大輔と名乗って一代限りで住んだともいう(後に大畑と改姓)。その後は土岐頼純・頼芸の兄弟が居城とした。1509年(永正6年)には守護代の斎藤氏が台頭してきた事もあり、土岐氏は拠点を川手城(現済美高等学校付近)から福光館(現岐阜市福光)に移し、さらに1532年(天文元年)に枝広館(現岐阜県立長良高等学校付近)に移す。
天文4年7月1日(1535年)、長良川の洪水で枝広館は流失したため、当主の土岐頼芸は拠点を稲葉山山麓に拠点を移した。また、土岐頼純は越前国の朝倉氏の協力で大桑城を拠点とし、城下町を開く。『美濃国諸旧記』によれば、1542年(天文11年)に斎藤道三に攻められ頼芸は城を出たが、尾張国の織田信秀の仲介で和睦し帰城した。しかし1547年に道三が再び侵攻すると落城して頼純は討死し、頼芸も本巣郡河内(現・本巣市)に逃れ、大桑城は道三によって焼かれた。
現在
古城山山頂からは岐阜の街を展望できるため、現在では古城山は登山・ハイキングコースとして親しまれている。
山麓の市指定史跡「四国堀跡」は、城下に造られた空堀と土塁からなる遺構で、尾張・伊勢・越前・近江の4ヵ国から加勢を受けて築造したと伝わる[2]。
1988年(昭和63年)、古城山山頂近くの大桑城本丸跡地近くにミニチュアの大桑城(模擬天守閣)が造られている。ミニ大桑城と呼ばれている[3]。
2020年(令和2年)12月、大桑城、および大桑城城下町の跡は、山県市教育委員会の手で発掘調査が進められており、巨石を用いた城門などが見つかっている[4][5]。2021年には台所と呼ばれる庭園があったことが判明した。池の跡とみられる窪地が発見されている。[6]
城の南西、富永字相原地区には、土岐氏が大桑城入城の際、越前の平泉寺白山神社を模して祀られた白山神社がある。平泉寺白山神社のように苔で覆われた参道を抜けると社殿(国の重要文化財)がある。
登場する小説
- 司馬遼太郎『国盗り物語』- 土岐頼芸の籠る大桑城を斎藤道三が攻めて追放すると書かれるなど、大桑城がたびたび登場している。
落城に関する言い伝え
- 斉藤道三の配下の者が大桑城への抜け道が無いかを、山のふもとに薪を拾いに来ていた青波村の餅屋の老婆に尋ねると、抜け道は無いと答えた。老婆はふと考えると、「ふもとから城の下へ向かって草木を刈り取り、枯れた枝で火道を作ればよい」と提案した。この提案により火道が作られ、老婆が刈った枝や草の乾き具合を確認し、乾いた頃合を見て火をつける合図をした。すると火はふもとから城の建物の西へ、あっという間に燃え移り大桑城は落城したという。その後、落城は青波村の老婆が関与したことを知った大桑村の住民は、青波村との嫁入り、婿取りを行わなくなったという[7]。
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大桑城の口コミ情報
2024年10月28日 樹信濃守義輝
大桑城
はじかみ林道登山口より登城。入り口には大桑城だけでなく、周辺の飲食店や見所のパンフレットが置いてありました。道はだいたい整備されていますが、急勾配かつ滑りやすい場所があり、張ってあるロープを頼りに登り降りする必要があります。所々に近所の小学生が作ったクイズが設置されています。春風亭昇太師匠の解説が見られるQRコードもあります。途中マムシに遭遇しました。注意が必要です。生憎の曇天でしたが、城下町を含む景色は素晴らしかったです。苦労して登ったかいがあるというものです。山頂のミニ天守もいい感じです。頂上まで行って帰ってくるのに1時間程かかりました。上り40分下り25分。古城山登山口の方も見てから、調べておいた近くのお店で御城印を購入しました。
2024年02月04日 みずきあかり 美濃守
大桑城
2月3日(土)美山中央公民館にて「大桑城跡デジタルジオラマコンテンツ体験会」が開催されました。体験会に先立ち大桑城跡調査検討委員会委員長の中井均先生による特別講演があり、パワーポイントを使った城郭の説明の合間に、20年程前に縄張図を作成された時の話とか、今は2年後に国史跡に指定されるよう準備をしていることなどのお話がありました。また司会進行の山県市生涯学習課の村田さんは先生の教え子で、大桑城PR動画で昇太師匠とも共演されています。講演の後はデジタルジオラマコンテンツの解説の他、香川元太郎先生作の遺構配置図の解説、イメージ図の解説、出力した土器や陶磁器類の解説がありました。デジタルジオラマコンテンツは3月22日まで山県市役所に展示され、その後横浜で開催されるお城エキスポ等に出張されるようです。
2023年09月18日 御影大膳大夫岳剣
大桑城
主郭から見下ろすと、四国堀が絶妙な位置にある事が分かる。また、小牧山城まで見通せるのには驚き❗️
2023年05月10日 在来線男右京進
大桑城
道路はガードレールがあり、舗装もたいへんいいです。道幅もなんとかすれ違えるくらいあります。はじかみ林道登山口の駐車場もたいへん広く20台くらい停めれます。ただちょっと歩きにくい道でした。枯れ葉がたくさん落ちていて滑りやすいです。道幅が狭く1人しか通れません。えらい急なところもあり、横に張ってあるローブに捕まりました。鹿の足跡もありました。郭がたくさんあるようですがよくわかりませんでした。石垣はところどころ残っています。駐車場にはたいへんきれいなトイレがあります。
2023年05月03日 土岐右兵衛佐頼芸
大桑城
本当に滑落しそうな山に登るのは疲れましたが途中には綺麗な絶景や古そうな石垣、色々想像してしまう跡地があり楽しかったです。やっと頂上に着くと、ものすごく小さい城が見えました。小学生の2、3人ぐらいの小さな城で写真で見たよりもずっと小さかったです。登るときも降るときもスーッと風が入り涼しいです。登山中面白いところもありました。マムシ注意という看板が立ててありそこにはマムシの絵と斎藤道三(マムシ)の絵が書いてあり思わずクスッと笑ってしまいました。登山といっても車で少し山を登って頂上まで行きました。登山家の人は麓から登って行くと思いますが山に登った経験が全然ない奴(自分)には途中まで車で行ってもそこから登って頂上に行くのだけでも疲れ果てます。ですが頂上に着いて丸太(休憩場所)で休憩しながら絶景を見ながら食べるお菓子は最高でした。最後にマッジで山は滑るのでロープを持ったりトゲが付いている靴を履いた方がいいです。自分は葉っぱで滑った時はマジで「死んだ〜」と思いました。
2022年12月07日 血圧高い系男子RED副将軍
大桑城
美濃国守護である土岐氏の守護所が置かれた城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
1250年頃に承久の乱での功績により大桑郷を領地としていた大桑又三郎により築城。1496年、美濃国守護である土岐成頼の三男の土岐定頼が改築し居城とし、その後は土岐頼純・土岐頼芸 兄弟の居城となりました。1542年に斎藤道三に攻められ土岐頼芸は城から脱出しましたが、織田信秀の仲介で和睦し帰城。1547年に斎藤道三が再び侵攻し落城。土岐頼純は討死し、土岐頼芸は本巣に逃れました。
見所
戦国時代には珍しい石垣が技術的には未熟ながらも見事に残っています。山頂の北西側にある谷筋に階段状の郭群を展開し、山頂を削平するのではなく、谷筋を天然の土塁として活用しています。山頂近くにあるミニチュア天守は愛らしいです。
2022年12月06日 雲如露絶兎
大桑城
かなりキツい山登りです。綱を手繰って登る場所もあります。
2022年11月07日 飛騨守とらさん
大桑城
古城山登城ルート(南口から左回り)はプチ登山です。距離もあります。だいぶ上に進むまでは遺構なく心折れそうな山道です。水分持参などお忘れなく。
2022年10月01日 竹中播磨守じゅん兵衛
大桑城
古城山登山口から登城、往復1.5時間かなりハードです。途中の竪堀はえげつない、目を見張ります。帰りに御城印を求めてインディアンビレッジに立ち寄り、「焼き」入りの御城印を購入。焼きは大桑城落城の逸話に由来するとのことです。
2022年09月30日 バカてら伊豆守
大桑城
下の駐車場から山頂まで1時間強でした。下りは別のルートへ、上の駐車場まで約30分、そこから車道を下の駐車場まで歩きました。全部で2時間ちょっとの行程でした。山頂から車停めた所見えました。
2022年09月02日 西倉木工助汝愚
大桑城
靴は普通の靴だと滑りやすいのでトレッキングシューズあたりで行くと安心かも
行きは良いのですが帰りが怖かったです
結構な傾斜の道を登るとミニ天守がお出迎え離れて見るといい感じです
近くによると・・・皆さん上手に撮影してるんだなぁとw
新登山口から30分程度で登れました
2022年05月05日 みつ
大桑城
山頂に小さな城があり、景色は最高です。真正面に岐阜城が見えて、斎藤道三の国取り物語りがよぎります。御城印は四国香りの森公園で購入できます。道三が山に火をかけて土岐家を滅ぼしたところから、御城印が焦がしてあります。レアです。
2022年03月21日 ともさお
大桑城
報道でもありましたが、大桑城跡で庭園の跡が発掘されて、山上の庭園として話題となりました。山頂から北西に伸びる尾根にも、写真の「大桑城庭園」の札が立っていますが、こちらの方は個人の方が勝手に立てたもので、信憑性がありませんので、ご注意を。本物は伝「台所」の方です。
2021年11月30日 くっしー治部大輔尚人
大桑城
登るには二つコースがあります。下から登る90分コースと途中まで車で行く40分コース。本来の道は90分コースなのかなと思いますが、かなりしんどいですよ。40分コースは主郭までロープが張られているので安心感があります。両方とも登城口には駐車場とトイレがあります。
主郭にはミニチュアの天守があります。写真なんかで見ると結構立派な天守に見えるのですが、4~5mしかありません。また、曲輪としての大きさが小さすぎるので、本当に主郭なのか疑わしいですね。ただ、ここからの眺めはめちゃくちゃ美しいですよ!土岐頼芸もここから金華山を眺めていたのでしょうね。
注目は主郭の下の曲輪です。伝台所とされていますが、発掘調査が行われており、庭園らしき遺構が見つかっています。また、その西側の谷部に曲輪群があります。この曲輪群の性格がよく分からないのですが、現在調査中ですので、今後新展開があるかもしれません。
それから、少し離れたところに四国堀跡があります。これも大桑城の遺構です。残っているのはほんの少しですが、それでもなかなか見応えがあります。
2021年09月07日 とんかつおやじND
伊自良城[大桑城 周辺城郭]
伊自良次郎左衛門の城址、又 土岐氏の臣 陰山掃部助一寿景も住んだ と山県郡誌にあります。 感想は 二つの小山があり その東側の山は竪堀らしき遺構が2本と大門古墳から登る大手らしき遺構がみられました。 が 西側の山は公園化の為か城址らしきは遺構みられなかった。
2021年08月01日 井伊主税頭直憲
大桑城
装備、体調はしっかりと。特に靴はトレッキングがいいと思います。岩が尖っていて滑りやすく、片側が崖の所も多いです。長袖必須です。あと、夏は獣やハチ等に注意してください。
2021年01月02日 とんかつおやじND
岸見砦[大桑城 周辺城郭]
大桑城を守備する砦の一つであったらしい?途中かなりの急坂あり 雪のため足を取られ苦戦しましたが 堀切と竪堀で疲れも忘れました
2020年12月07日 カズ@大高の信長
大桑城
訪問者のために、山城をしっかり整備され安全面に配慮されているのは素晴らしいです。城本体は険しく、それ程大きなものではありませんでしたが、遺構がよく残り見応えがあります。
本来麓の城下町と合わせて、美濃国守護土岐氏の居城として栄えていたかと思いますが、麓は道三と対抗するため四ヶ国の支援を受けて作った四国堀から内側の遺構は紹介されてませんでした。
一乗谷を模して作った城下町らしいので、いずれ発掘されると面白い遺跡になるかもしれませんか
2020年11月25日 M.I
大桑城
訪問すると大河ドラマの影響でしょうか、手すりのロープ、案内板が非常に充実しており、見所が一眼でわかります。お城からの眺望も素晴らしい。山の中腹まで車道があり比較的手頃にアクセスできます。
2020年10月24日 やまぴぃ
大桑城
大桑城のある古城山山頂までの道のりは険しいですが、頂上からの景色や抜け感はとても良かったです。近くに桔梗塚もあり、趣深いエリアでお薦めです。ぜひに🤗
2020年08月14日 わんこ
大桑城
ミニチュアの大桑城がかわいいです!
2020年08月14日 しげしげ主税頭信繁
大桑城
麓の大駐車場に駐めて『健脚コース』の方に挑みました。大河ドラマの効果かとても整備されており、歩きやすくて迷うこともなく山道を登って歩いて、途中見所の番所跡、曲輪、石垣、切井戸など観る事が出来ました。私場合約45分程で主郭跡に到着出来ました。ミニ大桑城が設置してあり記念写真をパチリ。かなりの達成感を得られました。
下りははじかみ林道コースを下って行きましたが、こちらは万人向けでロープで手摺りなど、簡易版ですが階段も整備されて、しかも駐車場からの歩く距離が約880mと短くお手軽に山頂まで行く事が出来ます。
私は麓の大駐車場に駐めて来たので、はじかみ林道コースの入り口からのアスファルト道路がめちゃくちゃ長かったです。
2020年08月13日 とんかつおやじND
十五社神社[大桑城 寺社・史跡]
室町時代、土岐頼芸が大桑城城主となると、石清水八幡宮を勧請、合祀して「十五社大権現」と改称し、以後土岐氏の氏神として保護された。元禄14年(1701年)、本殿を改築(現本殿)、文化9年(1812年)、岩倉具選により「十五社大神宮」と改称された。
ウィキペディアより
大桑城御城印あります
2020年06月09日 陸奥守たろす
インディアンビレッジ[大桑城 御城印]
美濃守護土岐氏最後の居館である大桑城が斉藤道三に攻められ落城するにあたり麓の老婆の助言で麓から火を放ちあっという間に城に燃え移ったとの逸話が残る
◆その逸話からか?御城印にあえてバーナーで焦げ目を付けるという一風変わった御城印です
◆先人様の口コミの他に麓のインディアンビレッジTWO-SPIRITSさん(革製品や銀細工)で入手可能
◆古銭で造ったオリジナル桔梗家紋ピンバッチもあります
2020年06月07日 尾張国の毬部
はじかみ林道登山口 説明板[大桑城 碑・説明板]
登山口には案内板あり。
観光パンフが、雨に濡れないように作られた棚に各種入っていて、登山と城郭の説明があるマップももらえました。
案内・整備されている方が登山口にいらして、2020年6月から開始した御城印の販売(200円)をしていて、登山道と周辺のことなども詳しく教えてくれました。
※その際に聞いた情報では、土日に限らず滞在していることもあり、また下の古城山登山口(けんきゃくコース)にいることはほぼない、とのことでした。
御城印は、美濃和紙でできており、1枚1枚バーナーで焼き目を入れた世界で一枚のもの。土岐市の菩提寺である南泉寺の印が入っています。枚数がどれほどか分かりませんが、その方から購入する以外に南泉寺、十五社神社、四国山香りの森公園カフェといった場所で授与があると聞きました。
2020年05月05日 【城郭道】たっきー
四国堀[大桑城 遺構・復元物]
大桑城下の谷筋をふさぎ止めるようにつくられた堀と土塁の跡があります。深さ5メートル、幅8メートルで長さは100メートルほどです。
尾張、伊勢、越前、近江の4ヶ国の加勢を受けてつくられたことから四国堀と呼ばれるようになったそうです。
2020年05月05日 【城郭道】たっきー
模擬天守[大桑城 関連施設]
1988年(昭和63年)に古城山山頂付近の大桑城本丸跡にミニチュアの大桑城天守(模擬天守)がつくられた。ミニ天守と言われている。
2020年04月19日 我流尾張守クール
大桑城
古城山登山口→山頂 約2.1㎞ 遺構等を確認しながら約80分 比高300m
何人もの方々が一筆で書き込みをされていましたが、軽い「登山」です。
トレッキングシューズ、トレッキングポールがあると便利です。
山頂→はじかみ林道登山口 約0.9㎞ →古城山登山口 約2.7㎞
約12,000歩です。
遺構は当然として特筆するのは新調された「ロープ」及び「ロープワーク」です。
切井戸への誘導ロープは本当に助かりました。
熊には出会いませんでしたが、大河ドラマに呼応したか?蝮がトグロを巻いていました。
2020年02月24日 国府左京大夫城介
戦死六萬墓[大桑城 碑・説明板]
斎藤道三との戦いで、戦死した者を弔った墓。なお、この六万という数字は、実際の数ではなく、沢山という意味のことです。
2020年02月15日 蘭来⑦(¬_¬)河内守蘭丸
大桑城
はじかみ林道側からの登城
令和2年2月17日〜21日の間、大桑城登山道が整備のため通行止になります。
お越しの際は椿野広場方面から登城可能か問い合わせの上お越しください。
2020年02月05日 陸奥守たろす
伝「切井戸」[大桑城 遺構・復元物]
先人のリア攻めマップに説明等補足させて頂きます。
【アクセス】
古城山登山口から登城すると細長い曲輪を抜け主郭に登る手前位に「国盗り物語ゆかりの地 霧井戸入口 →」の看板が現れます。
(本来は立て看板だったのが破損したまま置かれてます。無くならなければ良いが…)
矢印に従い右に向かうと、すぐに両脇に白ロープが張られてますので、それに従い急斜面を降りると切井戸に着きます。
途中に分岐点がありましたが、これははじかみ林道登山口からのルートでしょうかね?
この急斜面の道、登山道も含め多分この城を散策する中で一番険しい道で、帰りは四つん這いになるような所もある道でしたのでご注意を!
切井戸の下にはこの城で一番高い(と思われる)石垣もあります。
【切井戸】
古城山服に位置し、現在も水をたたえている。土岐頼芸が斉藤道三との戦いに敗れ逃れる際、家宝の「金色の鶏」をこの井戸に隠したといわれ、元日の朝にこの井戸から鶏の鳴く声を聞いた者は、長生きできるという言い伝えがある〈金鶏伝説〉
2020年01月14日 しょう備中守
大桑城
登山口は、二つありますが、遺構を見るなら、古登山口がお奨めです。
たまたま、係員がパトロールしてて、パンフレット頂きました。
2020年01月11日 やすBJ
大桑城
ミニ天守が見たくて登ってみたけど、結構大変(*_*)景色は凄く綺麗です😄
2019年06月13日 庄内尾張守矢田
大桑城
素晴らしい眺望でも左側のミニ模擬天守はダメ‼登城道普請は感謝!模擬天守撤去し石柱表示等にしてm(__)m
2011年02月28日 シャア専用ゲルググ尾張守
大桑城
登山40分で山頂のミニチュア大桑城を拝めます!
堀切や番所跡もありました
大桑城の周辺スポット情報
伝「切井戸」(遺構・復元物)
四国堀(遺構・復元物)
曲輪群(遺構・復元物)
伝猿馬場(遺構・復元物)
石垣(遺構・復元物)
伝 台所(遺構・復元物)
大桑城庭園(遺構・復元物)
帯曲輪(遺構・復元物)
石垣(遺構・復元物)
番所跡(遺構・復元物)
戦死六萬墓(碑・説明板)
はじかみ林道登山口 説明板(碑・説明板)
古城山登山口(けんきゃくコース)案内板(碑・説明板)
この石何の石気になる石(碑・説明板)
北城戸跡(碑・説明板)
岸見砦(周辺城郭)
伊自良城(周辺城郭)
十五社神社(寺社・史跡)
土岐頼純公墓所(寺社・史跡)
南泉寺(御城印)
十五社神社(御城印)
インディアンビレッジ(御城印)
カフェハーブレンド(御城印)
はじかみ林道登山口 公衆トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
はじかみ林道駐車場(駐車場)
模擬天守(関連施設)
城山展望台(関連施設)
はじかみ林道、椿野広場分岐(その他)
本丸(その他)