長森城(ながもりじょう)

長森城の基本情報

通称・別名

(切通陣屋)

所在地

岐阜県岐阜市切通6-12-1

旧国名

美濃国

分類・構造

平城、(陣屋)

天守構造

築城主

渋谷金王丸

築城年

文治元年(1185)

主な改修者

土岐頼遠、安藤信成(陣屋)

主な城主

渋谷氏、土岐氏、安藤氏(陣屋)

廃城年

不明

遺構

消滅

指定文化財

市史跡(切通陣屋)

再建造物

石碑、説明板(切通陣屋)

周辺の城

伏屋城(岐阜県羽島郡)[1.5km]
更木陣屋(岐阜県各務原市)[3.1km]
川手城(岐阜県岐阜市)[3.1km]
加納城(岐阜県岐阜市)[3.4km]
岐阜城(岐阜県岐阜市)[4.1km]

長森城の解説文

長森城(ながもりじょう)は、現在の岐阜県岐阜市切通6丁目にあった、平安時代、鎌倉時代から戦国時代にかけての日本の城である。廃城後には同じ地に切通陣屋が築かれる。

長森城の歴史
文治年間1185年、長森庄(現岐阜市長森)の地頭の渋谷金王丸が長森城を築城する。

南北朝時代の1339年(暦応2年)、美濃国守護職の土岐頼遠が土岐郡(現土岐市)からこの長森城に移り、城郭としての整備をする。その後代々土岐氏が城主となる。

1353年(文和2年)長森城が手狭になったため、土岐頼康は川手城を築城、本拠地を川手城に移す。長森城は土岐氏の土岐直詮が城主となる。土岐氏は以後川手城を本拠地とする。

廃城時期は不明だが、斎藤道三が美濃国を支配し、拠点を稲葉山城に移した頃と思われる。

切通陣屋の歴史
1755年(宝暦5年)、安藤信成が加納藩藩主となるが、翌年陸奥国磐木平に移封される。安藤信成は平藩藩主となるが、やがて老中となる。この実績により、美濃国1万8千石が増やされる。この地を治めるために、1803年(享和3年)11月、かつての長森城址に切通陣屋が築かれる。以後、安藤氏が治めることとなる。

明治時代となり、廃藩置県が行われ、切通陣屋は廃止され笠松県の一部となる。

現在
長森城、切通陣屋の形跡は全くない。旧中山道の近くにある切通観音とその周辺が址である。石碑等が残っている。

長森城の口コミ情報

青コアラ美濃守様[2016年08月04日]
名鉄切通駅南方、かつての中山道沿いの長谷川鍼灸院脇の道を入ると切通観音があり、そこが切通陣屋(=長森城)跡です。陣屋跡の石碑はありますが、城跡の石碑はありません。ただし陣屋の由来が刻まれた石板に、長森城の事も少し触れてあります。

周辺は道が狭く、駐車場はありません。
また、近くの岐阜信用金庫切通支店の前にも長森城について書かれた説明板があります。

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