前野渡船場跡(前野の渡し)
前野渡船場跡(前野の渡し)([鏡島城 寺社・史跡])
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前野渡船場跡(前野の渡し)の口コミ情報
2022年11月04日 前田利家猫耳メイド萌
江戸 宝暦時代 前野村(現瑞穂市)が、加納藩の所有から幕府領になったころ、行政上の関係で開設されたと言われている。長良川にかかる橋の無い時代、前野村・只越村から対岸江崎・岐阜方面に向かう交通手段として利用された。明治初年の記録によると、「只越村・前野村・別府村・上穂積村・下穂積村の立合にて、船頭を各村より一人ずつ相立置候」とあり、五人の船頭により二隻の舟で、人馬を渡していた。
料金は、明治時代 人一人五厘・車壱輌一銭くらいでした。ただ、立合村の人々は無料で利用できた。
時代と共に、渡船料もあがっていったが、徒歩で岐阜方面へ向かう人が減少し、東海道線を利用する人が増え、村営では運営困難となり、昭和28年に県営に移管されることになった。その後も、利用者は減少して細々と運営されていたが、昭和40年 岐大バイパスが開通して穂積大橋が完成したのを境として、昭和41年遂に渡船は廃止となった。
瑞穂市教育委員会
説明板より。
別府城跡から只越城跡へ歩いていた時、見つけた渡船場跡。説明板の先に高い堤防があり、川は見えない。