船田合戦終焉の地・舎衛寺
船田合戦終焉の地・舎衛寺([鷺山城 寺社・史跡])
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船田合戦終焉の地・舎衛寺の口コミ情報
2020年08月31日 とんかつおやじND
舎衛寺(しゃえいじ)は岐阜県岐阜市城田寺にある真言宗御室派の寺院。船田合戦終焉の地の碑がある。
船田合戦(ふなだがっせん)は、戦国時代前期に発生した、美濃守護土岐成頼の後継者を巡る斎藤妙純と石丸利光の合戦。近隣の近江・越前・尾張も巻き込んでの争乱となった。利光は29日に自分の切腹と引き換えに成頼と毘沙童の助命を書いた降伏の書状を包囲軍に送り、承諾の返書を受け取ると翌30日に利高と共に切腹した。毘沙童は13歳という幼少だったため罪を許され、後に出家、日運と改名した。成頼は元頼と共に城を出ると言って聞かなかったが、政房の説得を受けて6月16日に単独で城を出た。そして20日に成頼を加納城に奉じる一方で城田寺城に火が放たれ、残された元頼は観念して自殺、1年に渡る合戦は終結した。
ウィキペディアより抜粋
遺構は微妙です。鷺山と鳥羽川を挟んだ北側にあります