山口城
山口城([黒野城 周辺城郭])
黒野城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「山口城」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
山口城の口コミ情報
2022年12月05日 前田利家猫耳メイド萌
岐阜県本巣市の権現山、祐向山の尾根上に山口城、法林寺城、祐向山城が連なるように築かれています。城下は谷汲街道と根尾街道が交差する要衝に当たり、山口城(標高345㍍)からは濃尾平野が一望できます。現在は文殊の森公園として整備され、尾根伝いに散策することができます。
江戸時代に書かれた「美濃国諸旧記」には、鎌倉時代に梶原景時が築城したとも書かれていますが、山口城の築城年代や築城主などの詳細は不明です。山頂には削平された曲輪や、それを取り巻く腰曲輪が残っており、それらの形状から16世紀前半の築城と考えられています。また山口城は戦国武将 古田織部の誕生の地とも伝わり、西麓には山口城主居館跡もあります。実際に織部がいたという確証はないものの、地元には伝承も残り、織部の名を冠した樽見鉄道の駅があります。
山口城御城印に添付された山口城のご説明より。
写真は、山口城主居館跡の南側辺りからの遠望です。
2021年02月02日 とんかつおやじND
山口城が建っていたこの山を権現山といいます。
「美濃国諸旧記」によると梶原景時が城主であったといいます。
また、麓には一町四方の「山口城主居館跡」があります。武将クラスの屋敷跡と考えられ、今も土塁、堀等がはっきりと残されています。戦国武将・茶人古田織部がこの地で誕生した説もあり、この居館に住んでいたかもしれません。
この山の標高は345mあり、曲輪、虎口等の跡が残されています。
山頂には平に整地された平場が残り、主郭跡の周りに幅2〜6mの腰曲輪があったと考えられます。
南東100mの場所には急激な起伏を超えて中ノ城があり、主郭と合わせて山口城であったと考えられます。
本巣市教育委員会現地看板より
正直言うと東の掛洞城、祐向山城と比べると見応えある遺構は少ないかな…。