久々利城(くくりじょう)
久々利城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 岐阜県可児市久々利1655
旧国名
- 美濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 土岐行春
築城年
- 応永年間(1394〜1428)
主な改修者
- -
主な城主
- 土岐氏、林氏(森氏家臣)
廃城年
- 天正12年(1584)以降
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、堀切、切岸、枡形虎口
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
明智長山城(岐阜県可児市)[3.2km]
金山城(岐阜県可児市)[5.9km]
根本城(岐阜県多治見市)[6.7km]
多治見国長邸(岐阜県多治見市)[8.2km]
堂洞城(岐阜県美濃加茂市)[13.6km]
猿啄城(岐阜県加茂郡)[13.9km]
鶴ヶ城(岐阜県瑞浪市)[14.0km]
妻木城(岐阜県土岐市)[14.5km]
加治田城(岐阜県加茂郡)[15.1km]
羽黒城(愛知県犬山市)[15.9km]
久々利城の解説文
久々利城の口コミ情報
2022年06月19日 特にありません
久々利城
結構簡単に登城できます。他の名勝を圧倒する幟旗の多さに、観光への意気込みを感じます。明智と繋げたい気持ちはわかりますが、もう少し根拠を見つけてください。
2021年06月04日 だるまん
久々利城
本丸、二の丸、三の丸がとてもわかりやすく残っていて、堀切も見応えありました。可児強度歴史館に車を停めさせていただきました。
2021年04月26日 スーさん
久々利城
可児郷土歴史館に車を止め、道路をわたって、登りました。草がきれいにかってくれてあり、切岸や虎口の形がくっきり。降りるときは千村家墓所のある東禅寺の方へ。
道路に出ると千村家の回遊庭園"春秋園" があります。 手入れされてないのが残念ですが…⤵️
少し歩くと古代の恋の舞台"泳宮(くくりのみや)もあります。
2021年04月11日 くっしー左馬頭尚人
久々利城
初心者でも中世の山城とはどの様なものだったか理解できる城です。
切岸、舛形虎口、横矢を意識した曲輪、堀切、土橋などが遺構を壊さずに整備されています。
また、パンフレットも設置してあるので、縄張図を見ながら城を観ることができますよ。
すぐ横に資料館があり、車を駐車することができます。時間があればこちらの展示も見れば可児の歴史について学ぶことができます!
2020年12月28日 とんかつおやじND
小原城[久々利城 周辺城郭]
この城は、小原集落の中央部に位置する白山神社の奥山一帯を利用し、戦国時代に構築された山城で、石組みによる構造物(石塁など)の使用が見られない古い形式の城址と伝えられている。
中央部ある標高二九七メートルの主郭の地(本丸跡)を中心に、周囲に約二〇〇メートルの規模で構築されており、構造は小規模ながらも竪堀を多用する特徴をもつ山城であった。
主郭が三段程からなる平坦地によって形成されており、その南端の一段高くなった場所には櫓台、東南部には出丸、西南方には大手筋(虎口)の防御の構え(空堀や土塁など)がなされている。
小原城主とされる小倉織部については、詳細は定かではないが、天分二十一年(1552)、御嵩城主であった小栗信濃守とともに土岐郡の高山城を攻めたときに、最終的には武田晴信(信玄)の幕下に属したと「濃州小里記」に記されている。
また、この小原集落を含む周辺の謡坂・西洞地区では、キリシタン信仰にまつわる様々な遺物が発見されており、いつの時代から始まったかは定かではないが、この地が密かにキリシタン信仰をしていた
「隠れキリシタンの里」であったようで、城主小倉氏一族がこれに深く関わったとも言われている。
小原城址 御嵩町観光協会 看板より
小技の効いたテクニカルな遺構がみられます。
2020年12月26日 つぼすけ
久々利城
登城口の近くに駐車場があり、見学しやすい山城。2019年度の都市景観大賞にも選ばれました。
かつては「草木に埋もれ、足を踏み入れることもままならない」状態だったそうですがここまで整備されたのは見事。しっかりと残ってる虎口や切岸、堀切を見られるのも、地元の方が丁寧に手入れているおかげということがよくわかります。
ふもとの久々利地区センターで御城印をいただけます。
地元企業のパロマ模型部が作成した圧巻のジオラマは車で15分ほどの戦国山城センターにあります。
2020年10月07日 VTR美濃守シゲ
久々利城
可児市の山城に行こうイベントでおなじみの山城ですので、訪れた方多いと思います
まずは駐車場ですが登城口道路向かいの可児郷土歴史館に停めれます。トイレもここに有ります、定休日は月曜日。祝日の時は翌日、年末年始です
登城口は看板もありわかりやすですが、道路を渡る時、通過する車両に細心の注意を‼️
登城始めて五分足らずで桝形虎口がお出迎えです、三の丸、二の丸、本丸と段曲輪になっており高い切岸を楽しんで下さい
本丸から土橋の細尾根を通り、見晴らしの良い山頂部の曲輪で景色を‼️
本丸から山頂部に向かわず、北方面に向かうと二重の堀切、そこを超えて西尾根方面に向かうと武者走り有り、その尾根には堀切が二つ有ります、そのまま下るとお寺迄降りられます。
久々利城の周辺スポット情報
「天空の見張台」(遺構・復元物)
二重堀切(遺構・復元物)
武者走り(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
堀底道?(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
土橋(遺構・復元物)
本丸跡(遺構・復元物)
二の丸跡(遺構・復元物)
三の丸跡(遺構・復元物)
枡形虎口(遺構・復元物)
三河への道の監視(碑・説明板)
久々利城総合案内(碑・説明板)
権現山城(周辺城郭)
本陣山城(周辺城郭)
小原城(周辺城郭)
千村氏屋敷跡(寺社・史跡)
久々利八幡神社(寺社・史跡)
円明寺(寺社・史跡)
登り口(その他)
遠望ポイント(その他)
東禅寺道入り口(その他)
久々利城は東側尾根と西側尾根という二つの尾根をまたいだ城跡で、東側尾根は曲輪を階段状にした城郭部分、西側尾根は方形に区画した居館部分となっている。
東側の城郭は約10か所の曲輪から構成されている。標高190メートルの頂部に設けられている曲輪は幅10メートルもないことから主郭ではなく、南方面にある大きな曲輪が主郭でそれを防御する施設と考えられる。頂部の曲輪の北側の曲輪までに堀切を二本設けている。その最北部の曲輪の北側には巨大な堀切を設けて完全に尾根筋を遮断している。北からの進入は西側へ折れなければならず、横矢(敵の側面から矢を射ること)が可能である。
主郭と考えられる曲輪が二つあり、その間の谷筋に曲輪が設けられている。切岸は高く急勾配で、その下段には虎口がある。そこからのスロープは横矢が可能な曲輪が設定されている。
虎口は土塁が発達している。そのまま進入すると東端にL字状の土塁を設けていることから、曲輪全体が枡形虎口のようになっている。そして曲輪Ⅷの西側に横堀、その北端には二本の竪堀を設けて進入を一本化させている。
西側の居館部分は、頂部に曲輪を設け、その背後は巨大な堀切を設けている。周りは曲輪もなく堀切が設けられているため、監視機能を有する施設であった可能性が高い。居館部分と考えられる曲輪があり、機能的な側面から区画を意識して土塁や段を設けたようで、居館施設的性格を強く感じさせる。しかしその下の曲輪的な平坦面は城郭に伴った土塁とは見られないことから、近世以後の畑地開墾などが行われたことが考えられることから、十分注意が必要である。
以上のような複合城郭は近辺になく、短略的にはその大規模な土木作業量からみても領主権力の強さを示している。しかし東側尾根の内側の曲輪配置は単調であるのに対し、外側には横矢や枡形虎口、横堀などが徐々に導入されて改修されたことは確実である。このことも十分に考慮しなくてはならない。
交通
・公共交通機関:名鉄広見線明智駅から徒歩約1時間。・自家用車:東海環状自動車道可児御嵩ICから約10分