久々利城(くくりじょう)
久々利城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 岐阜県可児市久々利1655
旧国名
- 美濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 土岐行春
築城年
- 応永年間(1394〜1428)
主な改修者
- -
主な城主
- 土岐氏、林氏(森氏家臣)
廃城年
- 天正12年(1584)以降
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、堀切、切岸、枡形虎口
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
明智長山城(岐阜県可児市)[3.2km]
金山城(岐阜県可児市)[6.0km]
根本城(岐阜県多治見市)[6.6km]
多治見国長邸(岐阜県多治見市)[8.1km]
土岐高山城(岐阜県土岐市)[9.0km]
堂洞城(岐阜県美濃加茂市)[13.6km]
猿啄城(岐阜県加茂郡)[13.8km]
鶴ヶ城(岐阜県瑞浪市)[14.1km]
妻木城(岐阜県土岐市)[14.5km]
加治田城(岐阜県加茂郡)[15.0km]
久々利城の解説文
久々利城の口コミ情報
2023年11月13日 akepyon
久々利城
雨の後、少しぬかるんではいましたが、整備されていて登りやすかった。二重堀切見逃し、次にリベンジ
2023年11月12日 ゆらキング⭐️左衛門佐信繁
久々利城
土岐氏の一族久々利氏の居城で南側の街道を抑える要所に配置されています。2023年11月12日は山城に行こう!2023の会場にもなりました。
2023年11月12日 ニワニワ
久々利城
前日の雨で、足元が滑りやすかった為気を付けましたが、木々整備され石階段とかありで登りやすかったです。天守からの眺めも前方の街道の要である様子がわかりました。
2023年11月04日 大納言Z周防守369
久々利城
可児市郷土歴史館から登山して10分余りで本丸に到着できます。道中、野生のシカ🦌が出没するので注意。
2023年04月07日 雲如露絶兎
久々利城
車は可児市郷土歴史館の駐車場を利用します。駐車場から登城口へは県道を渡ります。信号も横断歩道もないので危険です。
2023年02月19日 ともさお
久々利城
既存の二重堀切から、東禅寺前に至る道には、幾つかの堀切などの遺構があります。山麓の館跡も見やすくなって、土塁があります。
2022年12月26日 尼崎城駿河守一口城主
久々利城
12月17日金山城下城後に何という幸運か山麓にて出会った方に送迎して頂き登城。久々利城登城前に予習をしておこうと可児郷土歴史館に入館。拝観券と共に御城印も求めようとしたところ御城印は久々利地区センターの方でと言われたので地区センターで購入。(地区センターは歴史館と同じ建屋にあり建屋に入って左に進むと歴史館、右側が久々利地区センターでした。)歴史館の方に久々利城をこれから散策予定と伝え当地の日の入り時間を確認したところ、最近は5時には暗くなっているのことだったので館内の展示を駆け足で見て、4時過ぎから登城開始。早る気持ちを抑えて資料館から登山口に道路を横切る時、車に要注意です⚠️
登山口に本丸→二重堀切→東禅寺道→1周約30分とありました。久々利城を見学時、史跡の至る所に縄張り名称、解説、撮影スポット📷の案内がありスムーズに散策出来ました。資料館近くの登山口から登り東禅寺道から下山。何とか真っ暗になる前に一周出来ました。道中、奥の院の方から本丸を撮ってみました。
私事ですが当地にて地域限定城めぐり『山城サミットと東美濃の山城』を無事に完全制覇出来ました。今回の企画に参加させてもらい山城サミットや城巡りを通して多くの方々に出会うことが出来、お陰様で楽しい時間を過ごすことが出来ました。この場をお借りして御礼申し上げます🙇🏻♂️
2022年12月16日 在来線男右京進
久々利城
可児郷土歴史館に車を停めて、道路を渡ると登城口でした。けっこうにぎやかなのぼり旗があるので、目立ちます。登って行くと15分くらいで行けます。
2022年12月05日 ほりーないと
千村氏屋敷跡[久々利城 寺社・史跡]
千村氏は、関ヶ原の合戦の後に、久々利村を含む4600石余を与えられ、直参旗本、尾張徳川家の家老として明治維新までこの地に屋敷を構えていました。(案内板より)
案内板がある場所には石垣が残り、東側の可児郷土歴史館などが上屋敷になります。下屋敷に設けられた中国式の回遊庭園「春秋園」が残っています。春秋園は県道を通す時に半分ほどになりました。案内板から西側へ歩いていくと城下町の面影があります。
木曽氏末裔の千村氏は久々利に屋敷を構えた後も信濃国との繋がりがありました。信濃伊那郡の幕府領十一か村と榑木支配を担わされた千村氏の代官所が長野県飯田市の飯田城下町にあり、飯田役所と呼ばれていました。飯田市の伊豆木小笠原家9代長計の室(妻)は久々利の千村家から輿入れしました。その時のお駕籠が旧小笠原家書院に展示されています(撮影OK、投稿不可)
春秋園の北側にある東禅寺に千村家の墓所があります。東禅寺からも久々利城の登城口があり、周遊登城路となっています。周遊の後に千村氏屋敷跡に寄り道できます。
2022年11月22日 【城郭道】たっきー
千村氏屋敷跡[久々利城 寺社・史跡]
【久々利城の目の前にある陣屋】
千村氏屋敷、岐阜県可児市。久々利城の目と鼻の先(場所次第で城内)にある千村氏の屋敷です。木曽氏の末裔で、江戸時代は4400石を拝領していました。現在、庭園がひっそりと残っています。これは必見。石碑、説明板も。下調べしてから行くべきだった…。
2022年11月20日 国府左京大夫城介
御嵩城(権現山城)[久々利城 周辺城郭]
霧隠城と別名を持つ御嵩の不落の堅城
【歴史】
築城年代は不明だが、天文年間(1532~1554)に御嵩を拠点とした小栗信濃守重則が居城としている。
戦乱が続く中、この城の西側にある高所の本陣山城を築城し移ったが、天文21年(1552)に土岐高山城に攻め込むも敗退し、その隙をついた小里光忠(小里城主)や遠山景行(明智城主)に攻め込まれ、落城し、小栗重則は自害した。しかし、息子の小栗教久は、その後、御嵩城主となり、森可成の配下となっている。
伝説として、権現様のお使いである白い大蛇が霧を出して敵を阻んでいため、「不落の霧隠城」と呼ばれていたが、小栗信濃守が本陣山城に移したため、権現山の白蛇の加護を得られずにあっさりと落城したと云われる。
別名:御嵩城、霧隠城
【遺構】
可児川に接する比高60mの山稜に築かれている。
北側の主郭(金峯神社)と南側の出丸で構成され、中央は谷戸となっている。主郭と出丸を繋ぐ箇所は堀切で切断されている。
主郭から谷戸側は数段の腰曲輪となっており、切岸、虎口や土塁が残る。腰曲輪の東側に窪地となった地形もあり、喰違虎口のようにもみえる。西側も神社の参道の脇に複数の曲輪がある。
出丸も複数の腰曲輪で守られ、最高所は西側から南側に掛けて土塁できっちりと守らている。南側には麓へ落ちる竪堀がある。
【感想】
本陣山城が開発等の影響を受けて、かなり改変されたことを考慮しても、なぜ小栗重則が居城を権現山城から本陣山城に移したのが、不思議なくらいかなり技巧的な城の造りをしています。確かに本陣山城の方が60m高い位置にありますが…
現在は「金峰ふれあいの森」として、城の形を活かしたまま自然公園として綺麗に整備されています。御嵩駅からも近く、コンパクトに纏まった城なのでかなり見やすいお城です。
【アクセス】
御嵩駅から徒歩20~30分。
登城口は2か所あり、可児川沿いの北口と、住宅街から入る南口がある。車の場合は、南口に駐車スペースはある。
【写真】
①遠景(可児川沿いから)
②谷戸
③主郭(金峯神社)
④虎口と切岸
⑤喰違虎口?
⑥堀切(主郭と出丸の間)
⑦出丸の土塁
⑧出丸の主たち
2022年11月19日 竹中播磨守じゅん兵衛
久々利城
山城に行こう!2022 久々利から攻城、10:00から行ってきました。駐車場から登城口へ道路渡る時は要注意(カーブあって見通し悪し)、但し今日は係員の方が誘導してくれたので安全。堀切が写真でもキレイに撮影できます。御城印は限定版の他に3枚セット&クリアファイル1000円で購入できます。
2022年11月16日 民部大輔与助
久々利城
車が無難です。JR太多線可児駅から東へ約6km。バスがあるようですが未詳。可児郷土資料館の駐車場を利用します。道を跨いだところに城の案内板や幟旗があり、山へ入って10分程度で本丸跡にたどり着きます。
2022年10月29日 摂津守突風丸
久々利城
可児市郷土歴史館に車を停めて、道路を横切ったところが登り口です。規模はそれほど大きくなく、ひと通り見て回って30分くらいでした。とても分かりやすい堀切が見られます。
2022年07月26日 はちもく
久々利城
久々利地区センター駐車場にとめて、おじさんに教えてもらったとおりに登城口から潜入。登って5分もするとに三の丸二の丸が。10分もかからないうちに本丸に。さらに上には天空の展望台なるものが。スズメバチいるから要注意ですよ!!猪もだ!
2022年06月19日 特にありません
久々利城
結構簡単に登城できます。他の名勝を圧倒する幟旗の多さに、観光への意気込みを感じます。明智と繋げたい気持ちはわかりますが、もう少し根拠を見つけてください。
2021年06月04日 だるまん
久々利城
本丸、二の丸、三の丸がとてもわかりやすく残っていて、堀切も見応えありました。可児強度歴史館に車を停めさせていただきました。
2021年04月26日 兵部卿スーさん
久々利城
可児郷土歴史館に車を止め、道路をわたって、登りました。草がきれいにかってくれてあり、切岸や虎口の形がくっきり。降りるときは千村家墓所のある東禅寺の方へ。
道路に出ると千村家の回遊庭園"春秋園" があります。 手入れされてないのが残念ですが…⤵️
少し歩くと古代の恋の舞台"泳宮(くくりのみや)もあります。
2021年04月11日 くっしー治部大輔尚人
久々利城
初心者でも中世の山城とはどの様なものだったか理解できる城です。
切岸、舛形虎口、横矢を意識した曲輪、堀切、土橋などが遺構を壊さずに整備されています。
また、パンフレットも設置してあるので、縄張図を見ながら城を観ることができますよ。
すぐ横に資料館があり、車を駐車することができます。時間があればこちらの展示も見れば可児の歴史について学ぶことができます!
2020年12月28日 とんかつおやじND
小原城[久々利城 周辺城郭]
この城は、小原集落の中央部に位置する白山神社の奥山一帯を利用し、戦国時代に構築された山城で、石組みによる構造物(石塁など)の使用が見られない古い形式の城址と伝えられている。
中央部ある標高二九七メートルの主郭の地(本丸跡)を中心に、周囲に約二〇〇メートルの規模で構築されており、構造は小規模ながらも竪堀を多用する特徴をもつ山城であった。
主郭が三段程からなる平坦地によって形成されており、その南端の一段高くなった場所には櫓台、東南部には出丸、西南方には大手筋(虎口)の防御の構え(空堀や土塁など)がなされている。
小原城主とされる小倉織部については、詳細は定かではないが、天分二十一年(1552)、御嵩城主であった小栗信濃守とともに土岐郡の高山城を攻めたときに、最終的には武田晴信(信玄)の幕下に属したと「濃州小里記」に記されている。
また、この小原集落を含む周辺の謡坂・西洞地区では、キリシタン信仰にまつわる様々な遺物が発見されており、いつの時代から始まったかは定かではないが、この地が密かにキリシタン信仰をしていた
「隠れキリシタンの里」であったようで、城主小倉氏一族がこれに深く関わったとも言われている。
小原城址 御嵩町観光協会 看板より
小技の効いたテクニカルな遺構がみられます。
2020年12月26日 つぼすけ
久々利城
登城口の近くに駐車場があり、見学しやすい山城。2019年度の都市景観大賞にも選ばれました。
かつては「草木に埋もれ、足を踏み入れることもままならない」状態だったそうですがここまで整備されたのは見事。しっかりと残ってる虎口や切岸、堀切を見られるのも、地元の方が丁寧に手入れているおかげということがよくわかります。
ふもとの久々利地区センターで御城印をいただけます。
地元企業のパロマ模型部が作成した圧巻のジオラマは車で15分ほどの戦国山城センターにあります。
2020年10月07日 VTR美濃守シゲ名城オフ会
久々利城
可児市の山城に行こうイベントでおなじみの山城ですので、訪れた方多いと思います
まずは駐車場ですが登城口道路向かいの可児郷土歴史館に停めれます。トイレもここに有ります、定休日は月曜日。祝日の時は翌日、年末年始です
登城口は看板もありわかりやすですが、道路を渡る時、通過する車両に細心の注意を‼️
登城始めて五分足らずで桝形虎口がお出迎えです、三の丸、二の丸、本丸と段曲輪になっており高い切岸を楽しんで下さい
本丸から土橋の細尾根を通り、見晴らしの良い山頂部の曲輪で景色を‼️
本丸から山頂部に向かわず、北方面に向かうと二重の堀切、そこを超えて西尾根方面に向かうと武者走り有り、その尾根には堀切が二つ有ります、そのまま下るとお寺迄降りられます。
久々利城の周辺スポット情報
「天空の見張台」(遺構・復元物)
二重堀切(遺構・復元物)
武者走り(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
堀底道?(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
土橋(遺構・復元物)
本丸跡(遺構・復元物)
二の丸跡(遺構・復元物)
三の丸跡(遺構・復元物)
枡形虎口(遺構・復元物)
奥の院(遺構・復元物)
三河への道の監視(碑・説明板)
久々利城総合案内(碑・説明板)
城跡説明板(碑・説明板)
和泉式部廟所(碑・説明板)
小原城(周辺城郭)
御嵩城(権現山城)(周辺城郭)
御嵩城(本陣山城)(周辺城郭)
千村氏屋敷跡(寺社・史跡)
久々利八幡神社(寺社・史跡)
円明寺(寺社・史跡)
千村家の墓所(寺社・史跡)
御嶽宿わいわい館(御城印)
久々利地区センター(御城印)
公衆トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
可児郷土歴史館(関連施設)
登り口(その他)
遠望ポイント(その他)
東禅寺道入り口(その他)
美濃・瀬戸の古窯群(その他)
久々利城は東側尾根と西側尾根という二つの尾根をまたいだ城跡で、東側尾根は曲輪を階段状にした城郭部分、西側尾根は方形に区画した居館部分となっている。
東側の城郭は約10か所の曲輪から構成されている。標高190メートルの頂部に設けられている曲輪は幅10メートルもないことから主郭ではなく、南方面にある大きな曲輪が主郭でそれを防御する施設と考えられる。頂部の曲輪の北側の曲輪までに堀切を二本設けている。その最北部の曲輪の北側には巨大な堀切を設けて完全に尾根筋を遮断している。北からの進入は西側へ折れなければならず、横矢(敵の側面から矢を射ること)が可能である。
主郭と考えられる曲輪が二つあり、その間の谷筋に曲輪が設けられている。切岸は高く急勾配で、その下段には虎口がある。そこからのスロープは横矢が可能な曲輪が設定されている。
虎口は土塁が発達している。そのまま進入すると東端にL字状の土塁を設けていることから、曲輪全体が枡形虎口のようになっている。そして曲輪Ⅷの西側に横堀、その北端には二本の竪堀を設けて進入を一本化させている。
西側の居館部分は、頂部に曲輪を設け、その背後は巨大な堀切を設けている。周りは曲輪もなく堀切が設けられているため、監視機能を有する施設であった可能性が高い。居館部分と考えられる曲輪があり、機能的な側面から区画を意識して土塁や段を設けたようで、居館施設的性格を強く感じさせる。しかしその下の曲輪的な平坦面は城郭に伴った土塁とは見られないことから、近世以後の畑地開墾などが行われたことが考えられることから、十分注意が必要である。
以上のような複合城郭は近辺になく、短略的にはその大規模な土木作業量からみても領主権力の強さを示している。しかし東側尾根の内側の曲輪配置は単調であるのに対し、外側には横矢や枡形虎口、横堀などが徐々に導入されて改修されたことは確実である。このことも十分に考慮しなくてはならない。
交通
・公共交通機関:名鉄広見線明智駅から徒歩約1時間。・自家用車:東海環状自動車道可児御嵩ICから約10分