泳宮(くくりのみや)古蹟

泳宮(くくりのみや)古蹟([久々利城  寺社・史跡])

久々利城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:寺社・史跡)、「泳宮(くくりのみや)古蹟」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

泳宮(くくりのみや)古蹟の口コミ情報

2025年11月18日 猫耳□□□□□□萌え


泳宮(くくりのみや) 市史跡
日本書紀の巻七景行紀に、景行天皇(12代天皇)が即位された後の4年の2月から11月までの間、この地に行幸に給い、その行在所となったと記されている。
また、当地の八坂入彦の娘、入媛(いりひめ)を妃とし、後に皇后とされたと伝えられている。
石碑碑文より。

泳宮(くくりのみや)
日本書紀によれば「第十二代景行天皇が美濃の国にお見えになった折に、まわりの者が「この国に八坂入彦皇子の娘で弟姫という大変な美女がおります。」と申し上げました。天皇は弟姫を妃にしようと思われましたが、弟姫は身を隠されてしまわれたそうです。そこで天皇は泳宮の池に鯉を放たれ、朝夕とご覧になり楽しんでおられました。弟姫がその鯉を見ようと出てこられたところを天皇に留められました。ところが弟姫は「私には八坂入姫という姉がおります。私よりも美しく、気だても良い人ですから、どうぞ姉を妃にして下さい。」と申されました。天皇は入姫を妃とし都にお帰りになられました。後に入姫がお産みになったのが稚足彦天皇(第十三代天皇成務天皇)であります。」とあります。
石碑碑文より。

日本書紀の記述によりますと、景行天皇(第12代)と入媛の間には、第1子の成務天皇(第13代)をはじめ13人の皇子皇女が誕生したといわれます。その後の系統をたどりますと、第2子の五百城入彦命の孫の仲姫命は応神天皇(第15代)の后となり、仁徳天皇(第16代)を産んでいます。そして、天皇は履中天皇(第17代)、反正天皇(第18代)、允恭天皇(第19代)・・・へと受け継がれていきます。
(出典・日本史総覧)
説明板より。

可児郷土歴史館に『泳宮』の史跡印(1枚300円)があります。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore