御嵩城(権現山城)
御嵩城(権現山城)([久々利城 周辺城郭])
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御嵩城(権現山城)の口コミ情報
2022年11月20日 国府左京大夫城介
霧隠城と別名を持つ御嵩の不落の堅城
【歴史】
築城年代は不明だが、天文年間(1532~1554)に御嵩を拠点とした小栗信濃守重則が居城としている。
戦乱が続く中、この城の西側にある高所の本陣山城を築城し移ったが、天文21年(1552)に土岐高山城に攻め込むも敗退し、その隙をついた小里光忠(小里城主)や遠山景行(明智城主)に攻め込まれ、落城し、小栗重則は自害した。しかし、息子の小栗教久は、その後、御嵩城主となり、森可成の配下となっている。
伝説として、権現様のお使いである白い大蛇が霧を出して敵を阻んでいため、「不落の霧隠城」と呼ばれていたが、小栗信濃守が本陣山城に移したため、権現山の白蛇の加護を得られずにあっさりと落城したと云われる。
別名:御嵩城、霧隠城
【遺構】
可児川に接する比高60mの山稜に築かれている。
北側の主郭(金峯神社)と南側の出丸で構成され、中央は谷戸となっている。主郭と出丸を繋ぐ箇所は堀切で切断されている。
主郭から谷戸側は数段の腰曲輪となっており、切岸、虎口や土塁が残る。腰曲輪の東側に窪地となった地形もあり、喰違虎口のようにもみえる。西側も神社の参道の脇に複数の曲輪がある。
出丸も複数の腰曲輪で守られ、最高所は西側から南側に掛けて土塁できっちりと守らている。南側には麓へ落ちる竪堀がある。
【感想】
本陣山城が開発等の影響を受けて、かなり改変されたことを考慮しても、なぜ小栗重則が居城を権現山城から本陣山城に移したのが、不思議なくらいかなり技巧的な城の造りをしています。確かに本陣山城の方が60m高い位置にありますが…
現在は「金峰ふれあいの森」として、城の形を活かしたまま自然公園として綺麗に整備されています。御嵩駅からも近く、コンパクトに纏まった城なのでかなり見やすいお城です。
【アクセス】
御嵩駅から徒歩20~30分。
登城口は2か所あり、可児川沿いの北口と、住宅街から入る南口がある。車の場合は、南口に駐車スペースはある。
【写真】
①遠景(可児川沿いから)
②谷戸
③主郭(金峯神社)
④虎口と切岸
⑤喰違虎口?
⑥堀切(主郭と出丸の間)
⑦出丸の土塁
⑧出丸の主たち