妻木城(つまぎじょう)

妻木城の基本情報

通称・別名

所在地

岐阜県土岐市妻木町字本城

旧国名

美濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

土岐頼重

築城年

暦応2年(1339)

主な改修者

主な城主

土岐氏、妻木氏

廃城年

万治元年(1658)

遺構

石垣、土塁、堀切、曲輪、井戸跡

指定文化財

県史跡(妻木城跡、妻木城土屋敷跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

多治見国長邸(岐阜県多治見市)[7.4km]
小里城(岐阜県瑞浪市)[9.3km]
鶴ヶ城(岐阜県瑞浪市)[12.7km]
入尾城(愛知県瀬戸市)[13.0km]
根本城(岐阜県多治見市)[13.0km]

妻木城の解説文

妻木城(つまきじょう)は現在の岐阜県土岐市に存在した山城である。

概要
土岐市南部の標高409mの山頂に築かれた山城。妻木城は明智氏の所領であったが、後には明智氏一族である妻木氏の居城となって、次第に整備されていった。また妻木城主は代々と陶器の生産を奨励し、織部焼、志野焼等に代表される現在の美濃焼の基礎を作った領主として知られている。

歴史・沿革
南北朝時代
暦応2年/延元4年(1339年)土岐頼貞の孫である土岐頼重が築城した。土岐氏が衰退してからは明智氏の所領になり、明智氏一族である妻木氏の居城となった。

戦国時代
天正10年(1582年)本能寺の変の後に起きた山崎の戦いの際には当時の城主である妻木広忠(第12代目の城主)は明智軍に属したが、敗北したため自刃した。明智光秀の正室である妻木煕子は妻木広忠の娘である。その後妻木頼忠が跡を継いだ。その頃森長可が土岐郡、恵那郡内の反抗する勢力の掃討をし、長可は手始めに高山城主平井頼母に使者を送り、城を明け渡すように要求したが、これに応じなかったため自刃に追いこみ、その後肥田氏を入城させた。次に妻木城主・妻木頼忠にも、従うよう使者を送ったが、頼忠は拒否したので攻めさせた。頼忠は城の兵を集めて奮戦したが、勝てる見込みがなかったので和議にもちこみ、長可に従うようになった。遠山氏らと共に金山城を排除を画策した事が原因であるといわれている。

天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際に頼忠は森長可の家臣だったため豊臣秀吉側についた。愛知県春日井市と岐阜県多治見市の境にある内津峠に布陣した。その際に麓にあった町は焼失したという。

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの際には徳川家康側につき、頼忠はこの地域を守るよう命じられ、父である妻木貞徳と共に岩村城主の田丸直昌と戦った。田丸直昌の家臣である田丸主水は妻木城から近い所に砦を築き、諸将の行動を封じ鎮圧しようと試みたが、頼忠は岩崎城主である丹羽氏次らを誘って田丸領の各所に放火して対抗し、高山城の城攻めを図ったが、田丸軍は高山城に火を放ち土岐砦へ退却して立て籠もった。頼忠は田丸軍の退路を完全に遮断するため現在の瑞浪市寺河戸町付近に砦を築いた。このほか、田丸領内である明知城小里城岩村城の支城となっていたので城番が居城していたが、城主である遠山利景、小里光親は頼忠らの支援を受けて、まず明知城小里城の攻撃を始めてその日に明知城を、翌日に小里城を奪回することに成功し、遠山利景、小里光親は城に戻ることができた。その後、岩村城を攻めようとしたが、攻略難落の城なので苦戦していたが、しばらくすると関ヶ原の戦いが終わり、東軍の勝利によって城主田丸直昌も東軍に降り、岩村城を守備していた田丸主水も遠山利景に城を明け渡した。

その戦功により慶長6年(1601年)に頼忠は徳川家康から改めてこの地域を所領として与えられた。その頃にはこの城はほとんど使用されず、妻木氏は山麓にある居館にいた。

江戸時代
敵からの攻撃を防ぐため城を攻めにくい山の上に設けていましたが全国が統一されると、妻木頼忠は山の上での生活が不便だったので、山麓の北に屋敷を築きそこに住み始めた。元和年間(1615年-1624年)頃にはこの城の機能は終えて、山麓にある妻木城士屋敷が主に機能するようになった。その後頼忠の子の妻木頼利、次いで頼利の子の妻木頼次が跡を継いだ。土岐郡内7500石の領主だったが、跡継ぎがいなかったので万治元年(1658年)に頼次が死去すると、妻木氏は3代で廃絶した。その後、頼次の弟の妻木幸広が妻木上郷500石にて妻木家を再興し、明治維新に至る。
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妻木城の口コミ情報

ひとりもん備前守様[2016年04月10日]
麓の士館跡で「近づかないでイノシシ捕獲中」の看板を見て迷わず山城までは林道を車で行く選択をしましたが、この林道は砂利で坂になった箇所もあり、結果的には登山道を駆け上がった方が早かったかもしれません。

青コアラ丹波守様[2013年06月09日]
山麓の士屋敷跡は以前は石垣の前が駐車場になっていましたが、今は止められなくなっていますので、路駐か、石垣の間の細い道を少し上がった所に若干のスペースがあります。

山城へはここから登山道を歩くか、車で城の東南側からの林道を使って上まで行く事も出来ます。こちらには広大な駐車スペースもありますが、道は未舗装なので車高短や新車はやめた方がいいです。

ミツネン長門守様[2012年07月16日]
妻木城へ行きました
この季節※草が長くなってて
登城口
分かりにくくなってます矢印の奥に草の中を
覗いたら登城口が
有ります

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