土岐高山城(ときたかやまじょう)
土岐高山城の基本情報
通称・別名
- 高山城
所在地
- 岐阜県土岐市土岐津町高山454-1
旧国名
- 美濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 高山秀頼?
築城年
- 延元3年〔南朝〕/暦応元年〔北朝〕(1338)
主な改修者
- 平井頼母
主な城主
- 高山氏、平井氏、林為忠(森氏家臣)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪
指定文化財
- 市史跡(高山城跡)
再建造物
- 城郭風建築物(模擬櫓)、模擬門、石碑、説明板
周辺の城
-
多治見国長邸(岐阜県多治見市)[6.4km]
妻木城(岐阜県土岐市)[7.2km]
鶴ヶ城(岐阜県瑞浪市)[7.6km]
小里城(岐阜県瑞浪市)[8.5km]
久々利城(岐阜県可児市)[9.0km]
根本城(岐阜県多治見市)[11.0km]
明智長山城(岐阜県可児市)[12.3km]
金山城(岐阜県可児市)[14.1km]
入尾城(愛知県瀬戸市)[16.2km]
市場城(愛知県豊田市)[17.1km]
土岐高山城の解説文
土岐高山城の口コミ情報
2024年05月03日 内匠頭RedKing
土岐高山城
JR東海のふれあいウォーキングでの登城です。土岐市駅から土岐川(庄内川の美濃側の名前です。)を渡り高山宿からの登城です。よく整備されてトイレや駐車場もあります。つまり自動車に気をつけて歩きましょう。写真は既に沢山ですから模擬天守閣である見晴小屋の宿場町からの眺めを。
2024年05月03日 しば三河守たま
土岐高山城
規模は小さいですが、縄張りがよく残ってます。眺めはとても良いです。
2024年01月16日 治部丞虚空
土岐高山城
車のナビ通りには、行けません(最新のカーナビなら行けるかな)細い道が続き、偶に急カーブが登り切ると二の丸跡の広場に出ます。櫓が目に入ります。櫓からの眺めの良いこと
2023年11月13日 三上駿河守
土岐高山城
土岐市駅から徒歩25分くらいの土岐川を越えたところにあります。訪れた11月11日は穴弘法のもみじと100地蔵のライトアップイベントを開催しており、土岐高山城は穴弘法に隣接しています。
お城の跡地には、門を潜って少し歩いたところに木造の櫓のような展望台が建てられています。櫓付近にライトが備え付けられていますが明る過ぎて夜景が見辛いのがマイナスポイントです。
2023年10月28日 西倉木工助汝愚
大竹醤油醸造所[土岐高山城 御城印]
他サイトで御城印を販売していると見て行ってみました。お店の方がフレンドリーでヨカッタです。尚、御城印は1枚300円です
2023年07月31日 志摩守与助
土岐高山城
地域限定の「鬼武蔵〜」で訪れたことがありましたが、新たに登録されたので再度の挑戦となりました。今回はむちゃくちゃ暑いのでズルして車で行きました。県道69号線で土岐郵便局西の高山交差点を南へ向かうのですが、地図上では交差点から直線で200mくらいなのに、城山への登り口が南側にあるため、住宅地内の細いクネクネ道を大回りして5倍の1km以上も走らされました。「土岐高山城跡の森」はよく整備され、駐車場完備で地元愛が感じられました。
2023年04月08日 山狐縫殿允薫
浅野館[土岐高山城 周辺城郭]
土岐光行・光時兄弟(土岐氏初代当主・土岐光衡の実子)が1221年の承久の乱の後にこの地に移り住み、館を築いた事が始まり。
明治時代の地図では、堀をつくり、区画を四角く区切った図が残されており、現在の浅野館跡周辺に家来の屋敷や田が広がっていたと考えられています。 現在は「笠神公園」として整備されています。
2022年01月21日 RED副将軍
土岐高山城
甲斐と尾張の境界で幾度も武田氏と織田氏が対峙した要衝の城。現代では標高183mの山城ですが、駐車場完備、車で近くまで行くことができるお手軽城です。
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1337年に高山秀頼により築城。高山氏は美濃源氏(土岐氏)の一族と伝わります。1556年、武田信玄に属していた平井光行が侵攻し落城、平井氏の居城となります。恵那と名古屋を往来する主要街道沿いにある要衝であることから、武田氏と織田氏がこの地を巡って幾度も対立。平井光行は武田氏により殺害され、子の平井頼母は織田信長の配下となり、信長の支援により強固な要塞に改修をした様です。1574年、武田勝頼の東美濃攻めにより落城。ちなみに平井頼母は1582年に織田軍勢として高遠城を攻め落とし武田氏を滅亡に追い込んでいます。
本能寺の変後の動乱期に金山城の森長可が侵攻しており、平井頼母は無血開城。その後は岩村城の田丸直昌の支城となります。1600年の関ヶ原の合戦において田丸氏は西軍となり、東軍の妻木氏による侵攻で落城。1615年に一国一城令により廃城となりました。
見所
かつては貯水場となり、工事のため改変されています。3つの曲輪の地形は残りますが、城郭遺構は消失。遺構の残存度はともかく、地元の熱心な保全活動により史跡公園として整備されていることと、上述の武田氏⚔織田氏の歴史から★3としました。
2020年08月21日 【城郭道】たっきー
土岐高山城
駐車場に車を止めて櫓がある方に行くとまず、門と石碑があります。そこから階段を登って行くと櫓があります。櫓からは町を一望することができるので見ることをおすすめします。曲輪や井戸なども残っており、それを見るのも良いですよ。
土岐高山城は妻木城から車で20分、一日市場八幡神社は同じく妻木城から35分、鶴ヶ城は一日市場八幡神社から5分で行けます。また、土岐高山城の御城印があり、大竹醤油醸造所というお店で一枚300円で購入できます。パンフレットもあります。土岐高山城からすぐそこにあるので行きやすいです。
リア攻めの記念にどうでしょうか?
2020年08月16日 わんこ
土岐高山城
御城印、大竹醤油醸造場にてゲットしました。
土岐高山城の周辺スポット情報
井戸跡(遺構・復元物)
土岐高山城下街道高山宿史跡案内図(碑・説明板)
浅野館(周辺城郭)
大富館(周辺城郭)
隠居山遺跡(寺社・史跡)
大竹醤油醸造所(御城印)
土岐高山城跡の森公衆トイレ(トイレ)
笠神公園公衆トイレ(トイレ)
土岐高山城跡の森駐車場(駐車場)
元は、承久の乱の頃、土岐氏の一族であった高山秀頼によって築造されたと言われており、美濃国の中枢を守る重要な役割を果たした。
戦国時代に入り、武田方から派遣された平井頼母が入り城主となる。だが武田方に父を殺害された頼母は織田信長の家臣となり土岐高山城を改築、武田との戦いに備えた。
その後、天正2年(1574)武田勝頼による美濃攻めが行われると土岐高山城も激しい戦いの舞台となるが、必死の抵抗で頼母は城を守った。
天正10年(1582)に本能寺の変が発生した後、金山城の森長可が東濃へ侵攻、これに敗れて土岐高山城は落城した。