根本城(ねもとじょう)
根本城の基本情報
通称・別名
- 根本砦
所在地
- 岐阜県多治見市西山町2
旧国名
- 美濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 若尾氏
築城年
- 16世紀後期
主な改修者
- -
主な城主
- 若尾氏
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀
指定文化財
- 市史跡(根本城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
多治見国長邸(岐阜県多治見市)[5.7km]
久々利城(岐阜県可児市)[6.6km]
明智長山城(岐阜県可児市)[7.5km]
入尾城(愛知県瀬戸市)[10.2km]
大草城(愛知県小牧市)[10.3km]
土岐高山城(岐阜県土岐市)[11.0km]
羽黒城(愛知県犬山市)[11.1km]
楽田城(愛知県犬山市)[11.4km]
金山城(岐阜県可児市)[11.5km]
上末城(愛知県小牧市)[12.0km]
根本城の解説文
[引用元:Wikipedia「根本城」の項目]
根本城(ねもとじょう)は、岐阜県多治見市にあった日本の城(山城)。
概要
標高285mの山の山頂に位置する。若尾氏の本貫は甲斐国若尾村(現在の山梨県韮崎市大草町)で、若尾甚兵衛を祖とする。武田氏の一族でもあり、釜無川流域に古くから住んでいる武士といわれている。天文年間後期から天正年間初期にかけ武田氏が東濃へ侵攻してきたのに伴い、最先端の拠点として若尾氏が築いたといわれている。
所在地
岐阜県多治見市西山町2丁目
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根本城の口コミ情報
2024年10月27日 ともさお
根本城
本曲輪までの登山道が整備中ということで、説明看板ほか、麓にあったものが覆われています。整備中の下に「地主」とあり、何だかよくわからない状況です。
近隣住民に訪ねると、やはり高社山経由を勧められました。但し、かなり回り込むために、普段の登山道の3倍以上の時間をみておいた方が良いでしょう。
山上は過去には未整備だった二の曲輪に行けたり、大堀切、小堀切・土橋、そして眺望と、良いですが、登山道途中にあった「旗挙げの松」はやはり、行けませんでした。
2024年08月04日 弥勒伊豆守伊之助
根本城
元昌寺墓地駐車場からは道の整備中とのことで登城出来ず、高社山登山口より登城しました。
2022年11月20日 筑前守⚔️じあん
根本城
城巡りのMAP利用で可児方面から行くと人家を指すので、手前の細い道(黒っぽい横長の案内板に白字で根本城→と記載)を右折、道を少し上がると右手に駐車場とお墓がみえます。駐車場の向かいが登城口になっているので、そちらからどうぞ!
2022年08月02日 RED副将軍
根本城
甲斐武田氏の東濃侵攻の際、最前線の砦🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
天文年間から天正年間初頭の1550年から1570年頃にかけて、甲斐武田氏が東濃へ侵攻した際に一族の若尾氏が根本に拠点の砦を築いたのが始まり。以後は若尾氏の居城となりました。
織田信長の死後、美濃金山城の森長可に従い、所領は安堵されました。
1584年、小牧長久手の戦いで嫡男の若尾元美が戦死。以後の若尾氏の動勢は不明です。
見所
本曲輪と搦手曲輪を隔てる大堀切が一番の見所。
本曲輪北側にも空堀と土橋がありますが、大堀切に比べてかなり甘めです。
かなり狭い曲輪であり、麓に御殿屋敷跡もあるため、後に詰め城として機能していたと考えられています。
2022年03月20日 きびだんご雅楽頭桃太郎
根本城
可児の山城情報を得て西から攻め入りました。最初の拠点とした根本城からは可児が一望できて攻略の足がかりとして絶景でした!ちなみに道中は落ち葉や枯れ木で足元注意、道外れること2回の細道注意。。
2022年01月10日 きむし美濃守
根本城
地元の山城(若尾氏の詰城かな)ですが、本日7名の方に遭遇しました。もしかしてメジャーになった?登城路は片道15分位で、駐車場もあり、ちょっとした運動に最適ですよ!私有地との事ですので、マナーに注意しましょう。登城路、曲輪周辺整備感謝致します。
2020年12月29日 陸奥守たろす
駐車場&登城口[根本城 駐車場]
先達者さまが登録したリア攻めポイントにお写真登録させて頂きます。
Googleマップで「根本城」を登録して頂ければ普通に駐車場に案内してくれます。現在駐車場はしっかり舗装され車が8台停められます。区画線も最近書き直したのかように綺麗でした。駐車場の目の前が登城口で、登城口から城域まで約15分。案内看板等本当に良く整備されてます。関係者に感謝ですm(__)m
個人的には登城路の【凸→】看板が可愛くて気に入りました(^o^)v
2019年11月15日 課長大和守Ver.B
根本御殿屋敷跡[根本城 遺構・復元物]
根本城登城口がある墓地から更に車道を進んだ先の会社裏にあります。
駐車場数台分といくつかの幟が立っていますが説明板等の案内はありません(恐らく登城口の説明板があるためだと思われます)。
特に目立つ遺構が残っているわけではありませんが、数段の郭状の地形が屋敷跡を窺わせてました。
訪問時は綺麗に草苅されており見易い状態でしたが、時期によっては藪におおわれているかもしれませんのでご注意を。
2017年09月06日 百段上総介久太郎
根本城
城山の南の山麓、細い林道沿いに3台くらいは停められる駐車場ができました。山麓を南へ迂回する遊歩道から頂上まで登れます。所要時間は20分位をみておいてください。
頂上手前には旗揚げの松址があり、そこからすぐに尾根を断ち切る大堀切が現れます。主郭には背後を土塁で固めてあり、ここからは多治見市の街が一望できます。
他には西側に畝竪堀群が見られるなど、小さいながらも、地方在地領主の山城の姿をよくとどめています。
是非一度登っていただきたいと思います。