広見城(ひろみじょう)

広見城の基本情報

通称・別名

西広見城、広見村古城

所在地

愛知県豊田市広幡町大光寺他

旧国名

三河国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

中条秀長

築城年

不明

主な改修者

主な城主

中条氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

周辺の城

岩崎城(愛知県日進市)[7.7km]
寺部城(愛知県豊田市)[9.4km]
新居城(愛知県尾張旭市)[10.1km]
下社城(愛知県名古屋市)[10.3km]
挙母城(愛知県豊田市)[10.4km]
入尾城(愛知県瀬戸市)[12.1km]
古瀬間城(愛知県豊田市)[13.4km]
堤本地城(愛知県豊田市)[13.6km]
竜泉寺城(愛知県名古屋市)[13.8km]
沓掛城(愛知県豊明市)[14.5km]

広見城の口コミ情報

2025年11月17日 尾張守たまきち
大津城[広見城  周辺城郭]



近江の大津奉行職を代々務めた家系の末裔である、後宇多天皇の末孫∶大津八郎左衛門大津氏が、弘治元年(1555)にこの地に築城。別名∶今林城。

【山口村古記】に「城構えは東西一町(丁)、南北二町(丁)、二重堀をめぐらし、午の方に大手門あり、」と載せている。元亀・天正年間の頃(16世紀末)に、武田軍によって攻め滅ぼされ、廃城となった。

現地を訪問しましたが、現在は城跡の一角である今林町内児童遊園に、末孫の大津氏によって伝えられた由緒などを記載した碑文が建てられていました。発掘調査で、廃城前の時期の陶磁器が出土し、大津城の伝承を裏付けています。

2025年11月16日 尾張守たまきち
武田信玄碑[広見城  碑・説明板]



【武田信玄甲斐守】と刻まれた石碑があります。経緯等は不明。そんなに古くは無い様に感じました。ここから南東に2.5キロ程の位置にある塔山城址に、武田信玄が尾張の物見部隊を派遣していたとありますので、何か関係があるのでしょうか。

2025年11月16日 尾張守たまきち
上菱野城(山口城)[広見城  周辺城郭]



鎌倉時代に、この地域の地頭で菱野城主であった山田泰親によって築城。泰親は、承久の乱で朝廷方として戦った山田重忠の曾孫にあたる。泰親は晩年の1281(弘安4)年に下野国専修寺三世法主・顕智上人の説法に感銘を受けて出家し、法名「瀞顕」を授与されて、城の約300m南に本泉寺を建立。出家により、城は1283(弘安6)年に廃城となった。1613(慶長18)年、上菱野城跡地に本泉寺が移築された。

現地を訪問しましたが、現在も本泉寺となっており、広い敷地となっていました。駐車場に土塁跡、門前右側に堀跡とされる横長の池が残っています。境内の一段高い本堂の位置が主郭と思われます。

2025年11月15日 尾張守たまきち
塔山城[広見城  周辺城郭]



鎌倉時代に森河下総守岩政が築城。岩政はこの周辺を治めており、地域が豊かにする為に開墾や用水等に尽力した人物。山口川右岸から取水する「森河用水」は今も活用されており、山頂にある岩政の五輪塔では、毎年地元の方によって供養の催しが行われている。「塔山」はこの五輪塔に由来するのでしょうか。

地元の「山口村古記」には、【塔山城の城主は森河下総守が居城とし、後に大和国多武峰に移る】とあり、その時に廃城になっています。

その後の戦国時代においては、甲斐・信濃と領地を広げていた武田信玄が、尾張・三河に侵攻するべく、塔山城を整備し、物見部隊を派遣していた。

江戸時代の村絵図には【古城跡、武田信玄番持】との記述がある。

現在は、「海上(かいしょ)の森」となっており、トレッキングコースとなっています。麓の「あいち海上の森センター」には、トレッキングマップがあり、【五輪塔(塔山城址)】と記載されていました。山中の分岐路にある案内板には、【五輪塚】とあるので迷わないと思います。
五輪塔から南へ下った所が主郭部で、本丸に相当する曲輪は人為的に削平されています。
付近のピークは自然地形のままですが、曲輪はしっかりと平らで、周囲の切岸も鋭角となっており、丁寧に造作された痕跡が窺えます。
主郭部の周囲三方には小曲輪も配されていました。
また、堀切と隣接し本丸に付随する外枡形虎口状曲輪の土塁や、土橋状になった山道が確認できました。

2025年08月13日 尾張守たまきち
八草城[広見城  周辺城郭]



築城年不明。
1493(明応2)年、初代城主の那須惣左衛門は上野城・阿部孫次郎,寺部城主・鈴木日向守,挙母城主・中条出羽守,伊保城主・三宅加賀守清宜らとともに軍勢4,000で松平領に侵攻し、松平宗家4代・松平親忠と井田野で戦うも敗戦(井田野合戦)。

1533(天文2)年、再び金谷城主・中条常隆,寺部城主・鈴木重辰,上野城主・阿部孫次郎,広瀬城主・三宅高貞らと連合して松平清康と戦ったが、またも敗れた。

さらに、1535(天文4)年にも松平広忠軍に撃退されている。次代の中条将監秀正からは、織田信長に仕えた。

現在は、愛知環状鉄道の建設で採土場となり、城跡は消滅しています。現地を訪問したところ、ゲートボール場などに使用される八草町ふれあい広場となっており、城跡碑や解説板はありませんでした。

2025年03月20日 征夷大将軍たろす
広見城



【広見城】
アプリ登録城ではありますが、城の概要などの記載がありませんでしたので、投稿させていただきます。

【所在地】
◆愛知県豊田市広幡町大光寺他

【概要】※現地案内板より
◆広見城は標高270mの山頂から山腹にかけて位置する山城です。
 江戸時代中期に記された地誌『三河国二葉松』によると、城主は中条将監季長と伝えられ、中条氏は近在の八草城主でもあったと記されます。
(*案内板は270mとありますが207mが正しい標高です)
◆築城の時期については資料がないためはっきりしませんが、中条将監の名は『信長公記』にも散見されることから、早くから織田信長の家臣であったと考えられます。また、「織田信雄分限帳』には「中条弥十郎・勝助千六百貫文」とあり、中条弥十郎・勝助は貫高の大きさから、織田信雄領内において広見城を根拠とする城主であったと考えられています。織田氏による高橋郡経営において、挙母の金谷城と並び重要な城館であったと考えられます。
◆広見城の縄張りは、大きく見ると、山頂から南側に向けて開く谷を囲い込むように広がる曲輪群とこれらによって囲われた谷部分の曲輪群、山頂の北側に設けられた堀切によって隔てられた曲輪群に分けることができます。
 当初は谷を囲い込む曲輪料で完結していたものが、その後、谷部分や山頂北側の曲輪群が拡張されていったと考えられます。谷部分の曲輪には、石積みや礎石建物とみられる遺構が残されています。
 山城に設けられた礎石建物は、居住施設というより特殊な目的をもって築かれたと考えられてます。豊田市内では、他に礎石建物が確認されている山城はなく、広見城を特徴づけるものの一つです。
豊田市

【縄張り・遺構】
◆登城口には地元「保見の歴史を伝える会」さん作成の見学コースマップが用意されてます。
事前学習、縄張図入手も不要、思いつきで訪れてもOK!
私も隣のゴルフ場でのラウンド後に訪れましたw〔写真①〕
◆見学コースマップに従い登城、少し山登りになりますが、15分もかからずに曲輪Ⅱに到着、土塁、虎口、北側には堀切もあります〔写真②③〕
◆しばらくコースなりに登城し西南端の高台へ、さらに北の中心部に向かうために下った所にも堀切〔写真④〕
◆曲輪Ⅰの手前、曲輪Ⅲ・Ⅳでは石積や礎石が見られます〔写真⑤⑥〕
◆標高207mの山頂、曲輪Ⅰから東に延びる尾根(曲輪Ⅵ)にも堀切〔写真⑦〕
◆曲輪Ⅰの西側にも堀切〔写真⑧〕
◆その他にも土橋や巨石、井戸跡など様々な山城遺構が見られます。

【アクセス】
◆車の場合の駐車場は、リア攻めマップに登録されている「ふれあい広場」駐車場になります。
詳細はそちらの口コミを参照願います。

【散策所要時間】
◆登城口に置いてあった見学コース図に添って、写真やメモをとりながらの散策でしたか、登城に13分程、城散策に40分程、下山に7分程、ざっと1時間程度でした。
見学コース以外にも曲輪はありますので、隅々散策するならプラス30分程見ておけばよいかな?
※当然登城時間には個人差ありますのであくまでも目安です。

【総評】
◆地形を活かした曲輪が複数配置されており縄張図がないと位置を把握し辛い。
鋭さはないが要所に堀切りを配しており、曲輪Ⅰ・Ⅲ・Ⅳ廻りは意図したものかは不明だがテクニカルな縄張りとなっている。
なによりも、登城口に用意された資料や、城内の適度に整備された状況など、地元愛が感じられるお城でした。

2025年03月20日 征夷大将軍たろす
駐車場[広見城  駐車場]



この駐車場は「ふれあい広場」駐車場になります。

◆こちらの駐車場は地元「保見の歴史を伝える会」さん作成のチラシにも記載されていますので、「公式」駐車場で良いと考えます。

◆行き方はGoogleマップの場合は、まずは「広見城跡」と設定。
次に広見城跡の西側道路沿いに「ふれあい広場」がありますのでそこを再設定して、あとは案内に従ってくださいませ。〔写真①〕

◆広い駐車場ですが、基本的に地元の方の施設なので、感謝の意を込めて駐車させていただきましょう。〔写真②〕

◆登城口もリア攻めマップに登録されてますが、駐車場から南側に進み、途中川を渡れば徒歩で5分程で到着します。

2024年12月23日 彦千代
広見城

愛環・リニモの八草駅より国155線を通り徒歩約30分にて城址口まで,縄張り図有り難く頂く、この時期なので落ち葉多く滑りやすいしっかりした山用の靴お勧め、標識・幟が随所にあるも、横道に逸れると縄張りが複雑なのでやや不安になりました。

2023年02月05日 ゆう
広見城



登城路は整備されバイキング感覚で登れます。丸太で階段のようになっていて番号が記入されていて 300番ほどで曲輪到着です

2020年11月17日 ゆーみん
広見城



登城口は少し分かりにくい所にありますが、案内の看板があります。かなり険しい登りが続きます。途中の木々に、目印の赤いひもが結ばれてます。

2020年05月18日 掃部助べっけん
広見城



写真:①広見城案内板
豊田市立大畑小学校から広見城がある山側を直線距離で600m程歩いた場所に少し開けた場所があります。そこに広見城の案内板と登城口があります。

城址は獣道がありますが、蜘蛛の巣が張り巡らされており、登城される方は杖などを持参される事をお勧めします。また、道の所々にはテープが木に巻き付けられており、テープに沿って登れば主郭にたどり着くはずです。【2020.05.17】

広見城の周辺スポット情報

 武田信玄碑(碑・説明板)

 塔山城(周辺城郭)

 伊保西古城(周辺城郭)

 伊保東古城(周辺城郭)

 伊保古城(周辺城郭)

 伊保城(周辺城郭)

 馬ヶ城(周辺城郭)

 広沢城(周辺城郭)

 瀬戸城(周辺城郭)

 伊保陣屋(周辺城郭)

 上菱野城(山口城)(周辺城郭)

 赤津城(周辺城郭)

 御戸偈城(周辺城郭)

 迫砦(周辺城郭)

 八草城(周辺城郭)

 御船城(周辺城郭)

 大津城(周辺城郭)

 弘誓院(寺社・史跡)

 神郷下遺跡(寺社・史跡)

 武田信玄側室 茜姫の墓石(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

 広見城跡登城路入口(その他)

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