寺部城(てらべじょう)
寺部城の基本情報
通称・別名
- 寺部陣屋
所在地
- 愛知県豊田市寺部町1-1-1
旧国名
- 三河国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 鈴木重時
築城年
- 文明年間(1469〜1487)
主な改修者
- -
主な城主
- 鈴木氏、本多氏、田中氏、渡辺氏
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、土塁、横堀、移築門
指定文化財
- 市史跡(寺部城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
挙母城(愛知県豊田市)[2.6km]
古瀬間城(愛知県豊田市)[4.0km]
奥殿陣屋(愛知県岡崎市)[7.8km]
広見城(愛知県豊田市)[9.4km]
堤本地城(愛知県豊田市)[9.5km]
松平氏城館(愛知県豊田市)[9.6km]
上野上村城(愛知県豊田市)[9.9km]
岩崎城(愛知県日進市)[12.9km]
井田城(愛知県岡崎市)[13.3km]
飯盛山城(愛知県豊田市)[13.8km]
寺部城の解説文
[引用元:Wikipedia「寺部城」の項目]
寺部城(てらべじょう)は、現在の愛知県豊田市寺部町にあった日本の城(平城)。2008年(平成20年)6月2日付けで豊田市指定史跡。
歴史
寺部城は、文明年間(1469-1487年)に鈴木重時(下野守)によって築かれた。寺部鈴木氏は、寺部城を本拠に高橋荘東部を支配して、同地域に勢力を拡大しようとする松平氏と対立した。
天文2年(1533年)には岩津城(愛知県岡崎市岩津町)外で、鈴木重教は松平清康と戦うなどしていたが、三河に進出した今川義元に服属。しかし織田信長が台頭すると織田氏側に付いて離反したため、今川勢に攻められ、永禄元年(1558年)には鈴木重辰が松平重吉・元信と戦うなど、松平氏との攻防を繰り返した(寺部城の戦い)。重教の子重政は、今川氏に服属するが、桶狭間の戦い以後の今川氏の退潮に伴って没落。
城は、永禄9年(1566年)、織田氏の重臣佐久間信盛によって攻められ落城した。寺部鈴木氏は松平氏の臣下となった。
その後、慶長15年(1618年)に尾張徳川家家老の渡辺守綱が寺部に入封し、1万4千石を領した。守綱は、寺部城址に寺部陣屋を構えて、以後渡辺氏が代々相続して明治時代まで至った。和泉国伯太藩の大名渡辺家は分家にあたる。
現在
現在の城址は、寺部城址の森公園となっている。陣屋門が移築現存している。また、書院・又日亭は、豊田市内の七州城(挙母城)敷地内に移設復元されている。
[続きを見る]
寺部城の口コミ情報
2023年06月24日 れいぶ尾張守りっく
寺部城
看板が草に隠れて分かりにくい トヨタスタジアムの北にある
2023年04月02日 みかわのひで
寺部城
桜がキレイでした。4月上旬に訪れるのもオススメです。
2023年01月08日 竪堀ころりん
烏帽子岩[寺部城 その他]
徳川家康初陣の地。この烏帽子岩に登り、采を振るったと云われています。
2022年01月09日 スーさん
寺部城
最寄りの駅は名鉄梅坪です。右手に豊田スタジアムを眺めて歩くこと20分弱。
土塁も少し残っていたり、大蔵、土蔵の跡が見られます。
三の丸あたりに家臣の長屋門とか渡辺家の菩提寺「守綱寺」なとがかたまってるので、見て回れます。
2021年07月18日 ファン掃部助トム治郎
寺部城
マムシに注意の看板がありますが幸い遭遇しませんでした。300mほど西にある松本家長屋門は土日にいくとボランティアの方が色々教えてくれます。渡辺家の墓も近くです。
2021年04月10日 Yana修理大夫
寺部城
始めて訪れましたが、静かな落ち着いた場所で癒されます。
2021年03月06日 大納言Z紀伊守369
寺部城
住宅街の中の公園という感じでした。でも建物の礎石や井戸の跡が残っています。
公園なのに「マムシ注意」の立て看板が立ってました。注意しましょう。
2020年08月15日 ばらく~だ
寺部城
城跡 守綱神社前、路側帯広く停めやすそうな感じです。
2019年05月05日 しげぽん
寺部城
公園として整備されてます。土塁が残ってますが、遺構は少ないようです。
2017年08月28日 うめさん左馬頭
寺部城
城跡から東へ約400mに歴代寺部領主の菩提寺があります。初代守綱公の名と同じ守綱寺です。この寺のすぐ近くに家臣の松本家と遊佐家の長屋門があり、無料公開されています。内部は資料館となっています。松本家はガイドさんが詳しく案内してくれました。しかも渡辺守綱公が祖先の渡辺さん!遊佐家は子孫の奥方様が説明してくれます。無料パンフレットも頂けます。登城の折りには是非、行ってみて下さい。