松平氏城館(まつだいらしじょうかん)

松平氏城館の基本情報

通称・別名

松平氏城館[松平氏館・松平城・大給城]

所在地

愛知県豊田市松平町赤原他(地図は松平氏館を示す)

旧国名

三河国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

築城主

在原信盛[松平氏館]、松平親氏[松平城]、長坂新左衛門[大給城]

築城年

弘安年間[松平氏館]、応永年間(1394〜1428)[松平城]、15世紀後期[大給城]

主な改修者

主な城主

松平氏[すべて]、在原氏、徳阿弥、尚栄[松平氏館]

廃城年

天正18年(1590)[大給城]

遺構

曲輪[すべて]、石垣[松平氏館・大給城]、横堀(水堀)、井戸跡[松平氏館]、堀切、櫓台[大給城]

指定文化財

国史跡(松平氏遺跡)

再建造物

碑[すべて]、説明板[すべて]

周辺の城

古瀬間城(愛知県豊田市)[5.9km]
奥殿陣屋(愛知県岡崎市)[6.4km]
日近城(愛知県岡崎市)[9.0km]
寺部城(愛知県豊田市)[9.6km]
飯盛山城(愛知県豊田市)[10.4km]
箱柳城(愛知県岡崎市)[10.5km]
挙母城(愛知県豊田市)[10.5km]
足助城(愛知県豊田市)[11.1km]
井田城(愛知県岡崎市)[12.0km]
上野上村城(愛知県豊田市)[12.0km]

松平氏城館の解説文



松平郷(まつだいらごう)は、三河国の戦国大名から江戸幕府の将軍家へと発展する松平氏・徳川氏の発祥地の郷である。巴川(足助川)東岸の山地の中の小集落で、三河国加茂郡に属し、現在の愛知県豊田市松平町にあたる。一帯に残る館跡、城跡等は松平氏遺跡として国の史跡に指定されている。

史料考察 

徳川の家譜などでは、松平親氏が松平郷に到来したとなっているが、松平の村落名の初見は、天文元年(1532年)8月29日の足助町四ツ松の十明神社唐櫃銘の三州松平に住む前出雲守沙弥道悦(松平長親)が奉納したとするものである。

それに対して、松平氏の姓名のほうは、親元日記に、寛正6年(1465年)5月26日松平和泉入道(信光)とあるのが初見。また、寛正年間に菅浦文書から、松平益親という人物がいたこともわかっている。

松平氏の名前のほうが、史料上初見であり、親元日記には松平郷という村落名は見えず、松平郷の初見が天文時代であることから、松平郷から松平氏が発祥したとする流れは疑問がある。

沿革 

15世紀以前の松平郷についての詳細は明らかではない。後世まとめられた松平氏の系譜によると、賀茂神社系の賀茂氏の末裔に当たる松平信盛が松平郷を開拓しその領主となり、松平太郎左衛門少尉を通称とした。つまり松平郷領主の松平氏である。

14世紀の末に南北朝時代の争乱で没落した世良田氏(得川氏)の出身と称する時宗の放浪僧の徳阿弥が父の長阿弥(世良田有親)とともに現地に流れ着き、当時の松平郷領主である松平信重(信盛の後裔の松平信頼の子)は徳阿弥の和歌に通じた教養と武勇を買う。徳阿弥は還俗し、その娘婿となり松平太郎左衛門親氏と名乗り、松平郷領主の松平氏の名跡を相続したという。以上、徳川氏が三河守任官のため作成した系図によるが、近年の研究により否定されている。

親氏は松平郷の一角に松平城(郷敷城)を築き、その嫡子(実際は弟か叔父)とする泰親とともに近隣十数か村を切り従えたと伝えられるが、親氏は実在したかどうか疑問をもたれている。

泰親を継いだ信光は額田郡に進出し、岩津城(岡崎市岩津町)に本拠地を移した。このときの松平郷は、泰親の子で、信光の叔父(実際は親氏の子で、信光の長兄)の松平信広に譲られた。信広の子孫は松平郷を世襲し、代々「松平太郎左衛門」を通称として、松平郷松平家(挙母松平家[1])となった。

松平郷の地は江戸幕府により交代寄合に列せられた松平郷松平氏に改めて授けられ、江戸時代を通じてその所領であった。

明治維新後、周辺の村々とあわせて西加茂郡松平村ついで松平町となり、1970年(昭和45年)に豊田市に編入される。

現在の松平の地は、日本有数の工業都市豊田市にありながら、静かな趣のある山間の集落である。豊田市は松平親氏の没年を1393年とする説から1993年(平成5年)に「親氏公600年祭」を行い、松平信盛から松平郷松平氏に至る居館であった松平館近辺を「松平郷園地」として公園整備を行った。松平東照宮、松平城址や親氏の開基した松平家菩提寺高月院(徳川家光が改築。親氏と泰親の墓がある)も残っており、これらは初期松平氏の状況をよく残しているため「松平氏遺跡」として2000年(平成12年)に国の史跡に指定された。

松平氏遺跡 

松平氏館跡

松平東照宮(まつだいらとうしょうぐう)は、愛知県豊田市松平町赤原13にある東照宮。文化財としては「松平氏遺跡」のうち「松平氏館跡」として国の史跡に指定されている。

松平親氏を祀り、さらに松平郷松平家が大正時代まで在住した。境内には徳川家康産湯の井戸跡や松平家の屋敷跡などの史跡がある。近隣には松平家の菩提寺である高月院や松平城址などの史跡が散在する。

元和5年(1619年)、9代松平尚栄が、八幡宮(現在の松平東照宮)に東照大権現を勧請した。

なお、この神社の敷地自体が松平家の屋敷「松平氏館」の跡で、現在でも石垣や濠などが残されている。

高月院

高月院は愛知県豊田市松平町寒ヶ入44にある寺。

1367年に足助重政が建立したと伝えられる、建立当時は寂静寺と呼ばれていたが

1377年に松平親氏が堂塔を寄進してから高月院となり、以後松平氏の菩提寺となる。

1602年には、徳川家康より100石下賜されるなど、江戸幕府の保護を受ける。

山門と本堂は徳川家光の命により1641年に建てられたものとされる。

境内には初代松平親氏及び第二代松平泰親の墓もあるほか、第七代住職存牛が松平親忠の子であった関係で、親忠夫人の墓も並んで配されている。

その他

  • 松平城跡
    • 愛知県豊田市松平町三斗蒔11。

  • 大給城跡
    • 愛知県豊田市大内町城下14。

その他 

作家の司馬遼太郎が生前、NHKのテレビ番組の取材でこの地を訪れたが、前述の公園整備の結果、昔の面影がほとんどなくなってしまったと感じたらしく「大いに失望した」と嘆いていた。

松平郷内の休憩所「天下茶屋」向かいには、幻想画家・蛇雄のアトリエ兼ギャラリーがある。

参考文献 

  • 平野明夫『三河松平一族~徳川将軍家のルーツ』洋泉社MC新書 2010年5月10日 ISBN 978-4862485533

松平氏城館の口コミ情報

2024年01月15日 瑛実遠江守来之輔
松平氏城館



取水施設と言われる水の手曲輪の石積みが見事でした。ロッククライマーの人が練習しています。

2023年12月18日 明石家船上
松平氏城館

松平氏が、一か村を支配していた頃の、砦跡。小さい、100人ほども籠り包囲されると、飢え死にするサイズ

2023年11月22日 おさむ
松平氏城館

松平東照宮や松平資料館があって、松平氏の歴史をしるには最適な場所です。

2023年05月22日 まっすー
松平氏城館



松平東照宮の拝殿内の天井画は一見の価値ありです。

2023年05月11日 織田上総介晃司
大給城[松平氏城館  周辺城郭]

登城口近くに駐車場あり。トイレは無いので予め済ましておいてください。

石垣をふんだんに使った広大な城で、全て見ようとすればトレッキングシューズと手袋は必要です。松平郷に行ったならば大給城は外せない。

2023年05月11日 織田上総介晃司
松平氏城館

松平東照宮(松平氏館)の駐車場が3つあります。今回2番目の駐車場に停めました。東照宮から一番遠い駐車場は松平城に一番近くなります。

松平城はチェック漏れしてたので今回リア攻めしてません…

2023年05月05日 お気楽飛騨守喜兵衛
松平氏城館



大給城です。小鳥のさえずりが響く大森林の真っ只中にあり、GWど真ん中でも駐車場には車3台バイク1台しかありませんでした。それでも第二駐車場まで整備されてました。登山道には滑りやすい枯れ葉がいっぱいなので、歩きやすい運動靴が良いです。曲輪や土塁など城の構造が比較的よく残っていて、楽しく回れました。

2023年03月21日 第六天魔王 近江守 八咫烏
松平氏城館



朝早くの訪問で真っ暗でしたが、松平東照宮での参拝はできました。道路、駐車場、トイレ等もとても綺麗に管理されてました。次はお昼に行こうと思います。

2023年03月21日 ぱぱ〜ん伊豆守
松平氏城館



松平家発祥の地として、現在は松平東照宮があります。本来なら有料(拝観料)な本殿内部の天井絵が御朱印をお願いすると無料で見れました。資料館も無料なので待ち時間は苦になりません。

2023年03月05日 RED副将軍
大給城[松平氏城館  周辺城郭]



苔ティッシュな石垣が美しい大給松平氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。長坂新左衛門により築かれたと云われます。天文年間(1532年〜1555年)には岩津城へ侵攻した松平信光が攻略。岩津城と共に子の松平親忠に譲り、更に松平親忠は次男の松平乗元へ譲りました。 松平乗元は大給城を居城として大給氏を名乗り、大給松平氏の祖となりました。

大給松平氏は徳川家の有力家臣となり、1590年に北条氏が豊臣秀吉により滅亡すると徳川家康は関東移封となり、大給松平氏も上野国那波へ転封となります。それに伴い大給城は廃城となりました。

見所
愛知県の名城中の名城。岩山の要害に築かれており巨石を利用した技巧的な縄張りが特徴的。
登城から最初に目につく二重の岩盤堀切が圧巻。三郭、二郭、主郭へと続く動線もなかなかのもので、それぞれの郭に虎口が付き桝形を形成しています。
主郭は石垣で仕切られ西側には物見岩が鎮座し松平郷を一望できるロケーションです。これだけでもなかなかの山城ですが、特徴的なのは北側下の水の手曲輪。通常、中世で水の手と言えば井戸ですが、大給城の水の手は現代で言う砂防ダムさながらのものです。しかも二段の石垣造りであり、当時の最高技術と思われます。
壮大な石垣は苔むしており美しさが倍増。高石垣群、巨石、動線と楽しめる要素が多く何度も訪ねてしまう名城です。
⁡しかも駐車場完備で比高は30mほどしか無いという超優良物件です。

2023年02月06日 さきこ
松平氏城館



簡単な登山装備で行きましたが、スニーカーでも大丈夫そうでした。四季それぞれに魅力がありそうです。

2023年01月15日 竪堀ころりん
霧山白山城[松平氏城館  周辺城郭]



一説には信州川中島から戦乱を避けてきた島村氏のお城とされる。堀切や曲輪群、この地域には珍しい畝状竪堀群が見られます。

2022年11月22日 ドラねこ大蔵大輔少納言
松平氏城館

第一駐車場のそばの山道を20分程度昇れば城跡にたどり着きます。

2022年11月16日 コナン遠江守
松平太郎左衛門家墓所[松平氏城館  寺社・史跡]



松平太郎左衛門家の墓所です。初代・親氏、二代・泰親と続き、三代目で将軍家となる信光と太郎左衛門家に続く信広に別れました。この墓所は太郎左衛門家の11代以降の当主が葬られています。

2022年11月16日 コナン遠江守
松平太郎左衛門親氏像[松平氏城館  その他]



徳川家の始祖である松平太郎左衛門親氏の立派な像が建てられています。

2022年11月16日 コナン遠江守
矢穴のある石群[松平氏城館  その他]



矢穴がある石群を発見しました。昔は石切場だったのでしょう。いつの時代のものでしょうか?

2022年11月16日 コナン遠江守
展望テラス[松平氏城館  その他]



松平東照宮から約800m、20分くらい山道を登ります。車で近くまで行けるようです。駐車場もありました。展望台からは三河湾から濃尾平野まで見渡せます。この景色を望むと、松平家が平地に進出しようとした気持ちが理解できます。平野の町の営みが遠望でき、憧れが生じることでしょう。

2022年05月24日 RED副将軍
松平城山城[松平氏城館  周辺城郭]



宗家松平氏城館のひとつ🏯巨石群が印象的な山城

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。太田道灌が築き、松平宗家三代松平信光によって改修されたと言われます。松平信光の子、松平光親が城主となった頃に能見城へ移ったため廃城になりました。

その後、武田氏の侵攻、1584年の小牧、長久手の戦いの際に改修されたものが現在に残る遺構と考えられ、近くの大給城とも深い繋がりがあったようです。

見所
現在は松平城山城そのまんま公園として整備されていますが、全体的にヤブ化しており土塁、石垣、堀切は分かりづらい状況です。一方で、巨石が点在するロッククライマーの名所でもあり、巨石を利用した門の様なものもあります。

2022年02月25日 おっちゃん868号
松平氏城館



徳川家康のルーツ松平郷として整備されています。髙月院は松平家の菩提寺となっています。住職は大変面白いユーチューバーです。

2022年02月14日 ムーミン大炊助
松平氏城館



雨の中子供達と行って来ました。山道と言う道では無く行きやすかったです。これからの時期また紅葉🍁と気持ちがいいと思います。

2022年01月17日 三河守ぱーる
松平氏城館



東照宮、松平城、大給城と点在しています。大給城は東照宮、松平城からだと国道301号線を下っていき左折したところにあります。が、豊田市内にまっすぐ抜けれるようトンネルが新たにできており、以前よりも曲がり角がわかりにくくなってしまいました…岡崎、豊田市内から登った方のがわかりやすいかもです。

2021年06月24日 北風
松平氏城館



国道も急坂ですが標識曲がって、また、登ります。観光客はバスで東照宮ですが、手前の案内看板で右に舗装林道を登ります。駐車場はありません。東照宮の下の駐車場からの方が良いでしょう。帰りにお宮で御朱印、神君産湯の泉を、お店で五平餅を、お寺で松平公のお勉強とお庭見物をさせていただけます。紫陽花が時期です。まもなく菖蒲、参道には萩が咲いています。

2021年05月05日 みくお左兵衛尉
松平氏城館



松平城址に行くには、国道301号T字型交差点(松平郷の看板があり)'入るとすぐに右側に駐車場があります。トイレもあります。手入れはされていますので、ぜひ登城を!少し先にある東照宮、高月院などで松平氏の歴史を見る事ができます。

2020年12月30日 松平十勝守大和
大給城[松平氏城館  周辺城郭]



城内いたるところに石垣がみられます。水の手曲輪が目立ちますが、落ち葉に隠れた主郭部の高石垣が見事です。解説板によると家康の関東移封により廃城になったとありますが、織豊系の技術による築城の可能性も考えられるのではないかと思いました。

2020年10月07日 琉球守風のこうちゃん播守
松平氏城館



駐車場、完備!トイレあります。ここは神社がメインのようです。松平城跡はここから若干離れております。

2020年09月27日 ばらく~だ
松平氏城館

松平東照宮の水堀は湧き水でしょうか?かけ流しのように水がどんどん流れこんで、キレイで、錦鯉の色も映えますねぇ。松平郷は水が豊富なんだと感じました。この豊富な水が、松平氏発展の源だったかもしれないですね。

2020年09月15日 VTR美濃守シゲ名城オフ会
松平氏城館



松平氏館を訪れました
国道301号線より入り、すぐ横に駐車場、トイレあります

神社横に無料の資料館、松平氏の歴史、家計等々展示してあります

2020年08月30日 JUMP三河守
水の手曲輪[松平氏城館  遺構・復元物]

別冊歴史REALの「山城歩き」徹底ガイドによると、「水ノ手曲輪」はダムのように2つの石塁で仕切りが設けられた圧巻の造り。軍事力を誇った大給松平氏の居城だった。とあります。
ダムのような構造で水源を確保していたと考えられます。二段の石塁があることで、上段が浄水源、下段が日常水源として用いられたのではないかと思います。

2020年03月26日 あきおこ
則定城[松平氏城館  周辺城郭]



愛知県豊田市則定町にある山城です。(標高120m/比高30m)。

則定にある3つの城のうちのひとつで則定鈴木氏の城です。鈴木氏がどれくらいの勢力だったか不明ですが、3城が同時期に機能していたら各城が後詰出来る配置なので堅固な守りとも言えるのではないでしょうか。

城へは本郷薬師堂左手の細い道から登れます。少し登ると民家が左下に見えますが塀の外なので問題ありません。薬師堂左手の車道を少し進んだ所にも斜面沿いに登る道があって、こちらは民家を介せず登れるので気になる方はこちらへ。

道は分かり易く一本道で畑を横目にブッシュを少し掻きわけるとすぐに段曲輪群に到達します。ここでめぐらーさんと遭遇。某感染症の影響か最近密かな「名も知れぬ山城ブーム」…、来てます!。

やがて目の前にずど~んと主郭の切岸と坂土橋が見えてきます。凄い土橋です。これは見る価値ありです。

全体的に複数の段曲輪を配置した古い縄張りで堀切は確認できませんでしたが、土橋と切岸は正直驚きました。

本格的山城の椎城、居館的要素を感じる小畑城、主郭土橋と切岸がやばい則定城。

3城は縄張りがそれぞれ築城思想が異なる様で見比べるのが楽しいですよ。

本郷薬師堂前に1台くらいの駐車スペース、則定集会所に広い駐車場があります。トイレは無し。
(登城日2020年3月15日)

2020年03月18日 あきおこ
則定小畑城[松平氏城館  周辺城郭]



愛知県豊田市則定町にある山城です。(標高120m/比高50m)。案内板など一切無しですので詳細は不明ですが、則定椎城の近くにあり比高も低い為、則定椎城の支城でしょうか。

支城としては、そこそこの広さがあり川を利用した天然の要害です。県道343号沿いの巴川と則定川の合流地点西側の小さな橋が登城口です。

橋は中部電力の管轄でダムの管理棟まで道が続きますが、中間あたりで右手に登っていく踏み跡があり、そこを登りきると尾根に出ます。

以下曲輪の呼称は縄張図が手に入らなかった為、便宜上勝手に名付けております(汗)。

尾根上は細長い三ノ曲輪で途中に三河地方特有の巨岩が見られます。
巨岩からすぐ先に二ノ曲輪があり、広めの削平地は居住性も高く感じます。低いかき上げ状の土塁が二面にあり、三ノ曲輪側は何故か土塁が無いので破壊されている可能性大です。

奥に櫓台の様な主郭があり背後を高低差のある鋭い切岸と堀切で遮断しています。この辺りが見所ですね。少し歩きましたが防御施設はこの先にはありませんでした。

手軽に登れるので、則定椎城、則定城と三城セットでの登城はいかがでしょうか。

駐車は県道沿い登城口に3台前後、トイレは無し。
(登城日2020年3月15日)

2020年02月27日 あきおこ
則定椎城[松平氏城館  周辺城郭]



則定椎城は椎城とも呼ばれる鈴木氏の城で、豊田市則定町の則定小学校横から整備された遊歩道がありますので手軽に登れます。

則定小学校は則定陣屋の跡地で小学校に続く坂道の部分と裏側に当時物と思われる石垣があります。

熊野神社、心月院跡を過ぎるとやや急な尾根道の直登路となり登りきると案内板のある他の登山道と合流します。

看板に従いここから少し登るとテンションが上がる見事な掘切が見えてきます。ここからが城域です。

掘切横に細長い2曲輪があり、1曲輪との間に深い堀切を設けています。堀切奥から見た1曲輪の切岸は高低差のある急崖で見応えがありました。1曲輪の西に3曲輪があり、北面下を覗くと腰曲輪が見えたので降りてみました。3曲輪の下は北から西にかけて腰曲輪が巡らされ横掘状になっています。更に西から南に周り込むと見事な竪堀がありました。少し藪こぎが必要でしたが見る価値は十分ありです。

全体的によく整備されていて各城パーツも完備の楽しめる城です。近くには今回未踏ですが則定城、則定小畑城もあります。

駐車場は則定集会所に数十台停めれそうな広い駐車場があります。トイレは無し
(登城日2020年2月1日)

2020年01月05日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
松平氏城館

松平氏居館跡にある松平東照宮の御朱印は、3種類ありました。それにしても、巫女さん、可愛いかった・・・(〃ω〃)(笑)

2019年12月14日 さすらい
堀切[松平氏城館  遺構・復元物]

赤いテープを辿っていくと、この堀切で黄色いテープがでてきます。この先は崖で、藪もひどいので、ここが行き止まりだと思い。引き返しました。

2019年12月14日 さすらい
大給城駐車場[松平氏城館  駐車場]

車4台分の駐車スペースです。

2019年06月21日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
松平氏城館



井戸跡までたどり着きました。五右衛門風呂ぐらいの四角井戸です。今やシダ植物の天国と化してます。道なりに上がると四の曲輪に出ます。

2019年06月21日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
松平氏城館



横堀かと思いながら進むと横堀の看板ご見えました!当たりです(笑)。もう一つの可能性を思いつきました。ここに兵士がしゃがみで下の敵勢に矢の雨を降らしたかもです。ここは下からは死角です。

2019年06月21日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
松平氏城館



入りました。左下から右上の方に走る溝が見えます。ここが一番深くえぐいです。南側の横堀はこの城の見所かと思います。ここを進むと井戸跡まで繋がるようです。

2019年06月21日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
松平氏城館



見えますか?画面中央の上から右下への横堀が走ってるのが···。ここを歩きます。後で分かることですが、この横堀は山下から直登出来ないようにする為に設けられています。規模は小さいですが、色んな技術が投じられています。大変勉強になりました。城の入口から時計周りにぐるっと井戸跡まで続いてます。凄いよ!

2019年06月21日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
松平氏城館



主曲輪の西側には竪堀と思われる窪み。その最下点に井戸跡があります。かすかですが昇り降り出来るけもの道が見て取れます。
水汲み係が降りて行き汲んでは登る作業をしていたのかと想像します。

2019年06月21日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
松平氏城館



主曲輪から見た眼下の横堀。中央部左から右へ逆(へ)の字に土の道が走ってます。
この城の特徴的な点の二つ目、城外郭の全体をほぼ一周にわたり横堀が設けられています。

2019年06月21日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
松平氏城館



主曲輪。この城の特徴的な点の一つは主曲輪が他の曲輪より広い事。普通山城は主曲輪に近づく程に狭く小さくなるのだが···。
(もしかしたらここは主曲輪から作っていったのかも)あくまでも私見ですが。

2019年06月20日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
松平氏城館



四の曲輪から井戸跡へ向かう途中の虎口。竹林の群生で将来は虎口も土塊となるかも、そろそろ剪定を。しかし美しい形に嬉しくなる。散策する登城ルートは四の曲輪から井戸跡と見て井戸跡奥の横堀を見て引き返して三の曲輪、二の曲輪、主曲輪がいいかと思います。

2019年06月20日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
松平氏城館



四の曲輪の北の見張り台。入り口にはヤマモモの古木が···。当時からの物なら喉を潤す桃の実をつけたりしていたのかな。常に飲料水の確保に神経を使う山城の籠城戦、果実の成る木はわざと植林したと思われる。四の曲輪から奥には井戸跡があるようですが···

2019年06月20日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
松平氏城館



山道から四の曲輪と主曲輪との二股···後で気づくのですがこの城は曲輪途中で必ず二股に出くわす。攻め上がる兵士を惑わす為かと思われる。(どっちや?)と迷い躊躇って足が止まったところを上の曲輪から狙い撃ちされる···。右手が四の曲輪、左手が主曲輪。守る側にこんな案内標識つける馬鹿はいない···。

2019年05月05日 しげぽん
松平氏城館



松平東照宮です。さらに上に登ると松平城があります。駐車場も多いので自動車で行くのが良いと思います

2018年10月28日 作兵衛尾張守名古屋お城物語
大給城[松平氏城館  周辺城郭]

東海環状道松平インターより301号線をアプリ登録の松平氏城館方面へ向かいます。360号と交わる手前に信号のない交差点右側に小さな案内板があります。少し分かりにくいです。一本道を上がっていくと右側に5台ほどの駐車場がありますがクライミングの方も止めているので空いてない事もあります。

100メートルぐらい登って行くと大給城跡の案内板があるのでそこから先は10分ほどで主郭まで登れます。

三河では珍しい巨石と石垣、土とのコラボが楽しめます。主郭端にある物見岩からは濃尾平野が一望できます。

2018年07月03日 こうひろ☽
大給城[松平氏城館  周辺城郭]

三河では珍しい石垣の城との事で気になっていた大給城でした。登城口から10分程度で巨石の堀切がお出迎え。縄張・石垣・巨石・水の手曲輪・景色どれも最高でした。中世から戦国の様々な要素が盛り込まれていて特に水の手曲輪は一見の価値ありです。

これだけの城なのにロッククライマーしかいないのは何故なんでしょうか?あとは周辺の峠道、久し振りにMT車に乗りたくなる愉しさ、さすが日本人初のF1ドライバーが出た土地ですね。

2018年03月04日 後の北政所征夷大将軍いしじぃ
松平氏城館

城跡へ松平氏城館を目指して行くと手前に松平城跡があります。
大給城跡を目指すのなら住所番地を調べて行かないと間違える羽目になります。(体験談)

大給城跡の大岩は一見の価値ありますが、ボルダリングの人達でいっぱいでした。

登城への道のりは落ち葉で滑りますのでハイキングポールは必須です。

2016年11月06日 本多左近将監忠政公
松平氏城館

高月院の和尚さんが歴史の話をしてくれて楽しいです。東照宮の宮司の方は徳川初期から仕えている酒井氏の末裔だそうですので時間があればいろいろ教えていただけるそうです。

2014年10月31日 本多左近将監忠政公
松平氏城館

松平東照宮、感動しました(^-^)今度は雨天時でなく晴天時の紅葉シーズンに行きたいと思います

2014年03月10日 ŧ‹”ŧ‹”。
大給城[松平氏城館  周辺城郭]

大給城址は、なかなか見応えのある山城。

まずは、自然石を利用した虎口がありその下部には、巨石が多く点在し南側には、段郭と館跡があります。その奥には、1枚の大きな岩盤を斜面に見上げる大堀切。圧巻です。この堀切を作った際の苦労は、はかり知れません。

主郭の北側は、生活が感じられる大規模な水の手があり、丁寧な石積みがこちらの方では見受けられます。

とても整備も行き届いてあり虎口、土塁、郭、堀切、竪堀、石垣に水の手もあり山城を堪能できると思います。


2014年01月05日 クノール尾張守
大給城[松平氏城館  周辺城郭]

大給城址は規模大きく見応えあります。特に景色良く冬空では遠望でき最高です。また、近くには城山城址もあり、こちらも石垣が残る見応えある山城です。大きな石がゴロゴロしており、ロッククライミングの練習をしている人達がいました。


2011年09月20日 徳川内大臣源朝臣康武
松平氏城館

[武将像]
松平太郎左衛門親氏公像

2010年12月23日 June02
松平氏城館

素晴らしく、見応えのある山城でした。尾根伝いの遊歩道からの虎口を見た時は、期待に高鳴ってしまいました。櫓台の石塁写真をアップさせて頂きました。

豊田市駅より『おいでんバス』大沼行き大内停留所下車。(乗車時間25分)徒歩20分。国道分岐口から遊歩道入口迄は舗装されていますが、勾配のキツイ坂です。(足助城よりは楽です)

トイレは有りますが、期待しない方が…。

2010年11月28日 うさチ左衛門尉
松平氏城館

秋の紅葉シーズンの大給城は素晴らしいけれど、落ち葉でメチャ足場が滑るから女子は特に気をつけてね

2010年09月23日 ながしの権兵衛
松平氏城館

登城者用駐車場が登り口少し手前にあります。

夏場の訪問では藪蚊の奇襲攻撃が避けられませんのでご注意を!

2010年09月19日 三河守コーキしゃん
松平氏城館

かなり大規模な山城です 大岩をうまく利用した虎口や石塁で囲んだ主郭部や石塁で区切ってある大規模な井戸曲輪等三河では一番見応えのある山城だと思います

2010年09月19日 三河守コーキしゃん
松平氏城館

曲輪 堀切 櫓台 井戸等結構残っていて見応えがあります

2010年07月21日 徳川内大臣源朝臣康武
松平氏城館

[武将像]松平親氏像
松平郷に鎮座。

松平氏城館の周辺スポット情報

 大給城説明板と堀切(遺構・復元物)

 虎口と櫓台(遺構・復元物)

 曲輪2虎口石積(遺構・復元物)

 曲輪2(遺構・復元物)

 主郭石積(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 虎口・石積(遺構・復元物)

 大堀切(遺構・復元物)

 小堀切(遺構・復元物)

 曲輪4(遺構・復元物)

 櫓台(遺構・復元物)

 曲輪3(遺構・復元物)

 曲輪2(遺構・復元物)

 水の手曲輪(遺構・復元物)

 石積(遺構・復元物)

 虎口(遺構・復元物)

 井戸跡(遺構・復元物)

 横堀(遺構・復元物)

 縦堀(遺構・復元物)

 大手門(遺構・復元物)

 館跡(遺構・復元物)

 松平城入口(碑・説明板)

 松平氏墓所(碑・説明板)

 花沢古屋敷(碑・説明板)

 看板?(碑・説明板)

 松平氏発祥地碑(碑・説明板)

 明治天皇碑(碑・説明板)

 大給城(周辺城郭)

 松平城山城(周辺城郭)

 松平城(周辺城郭)

 則定椎城(周辺城郭)

 則定小畑城(周辺城郭)

 則定城(周辺城郭)

 梟ヶ城(周辺城郭)

 大給城(周辺城郭)

 山中城(周辺城郭)

 霧山白山城(周辺城郭)

 高月院(寺社・史跡)

 松平乗元の墓(寺社・史跡)

 産湯の井戸(寺社・史跡)

 松平太郎左衛門家墓所(寺社・史跡)

 松平東照宮(寺社・史跡)

 見初めの井戸(寺社・史跡)

 在原氏墓所(寺社・史跡)

 松平東照宮 社務所(御城印)

 公衆トイレ(トイレ)

 公衆トイレ(トイレ)

 松平城山城登城口(駐車場・トイレ)(駐車場)

 大給城駐車場(駐車場)

 則定椎城駐車場(集会所)(駐車場)

 則定小畑城駐車場、登城口(駐車場)

 則定城駐車場、登城口(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 松平郷第一駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 松平郷駐車場(入口広場)(駐車場)

 松平郷館(関連施設)

 大給城登城口(その他)

 分岐(その他)

 矢穴のある石群(その他)

 展望テラス(その他)

 松平太郎左衛門親氏像(その他)

 松平城山城搦手口側の登城口(その他)

 松平城山城大手側の登城口(その他)

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